織田信忠

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織田信忠(おだ のぶただ)は南濃尾織田帝国5代目当主であり、大織田帝国2代目当主である。人生のちょうど半ばで未婚の嫁を残して死んだ哀しきプリンスであり、もし彼が生きていれば東世界すべてを手中に収めていた可能性が13%ほど残されていた偉大な人物である。その証拠に第七天魔王という異名も持つ。また、彼の死は明智光秀に追い込まれたことによる自害と言われているが、実はそうではなく、かの暗殺者のせいという珍説もある。

生涯[編集]

弘治3年(1557年)、織田信長の嫡男(笑)として生を受ける。この時付けられた名は父信長の幼名である吉法師ではなく、奇妙丸というバカとしか言いようのない名だが、その辺りの事情はググればわかるのでgoogle先生に任せることにする。信長に「見せかけの王子は所詮クズなのだ」などと某野菜人っぽく家臣に晒されたり、能楽か幸若舞かで親子喧嘩をするなどなんやかんやあったが、立派な青年となる。甲州の武田信玄の娘の松姫と婚約し、遠距離恋愛の文通を行って愛を育むが、その後信玄と父信長が対立し、二人の婚約は一度も会ったことがないまま破談となる。ただ信忠は破談後も松姫を気にかけ、側室こそ置いたものの、結果として生涯正室を持たなかった。

織田家当主となる[編集]

長篠の戦いで父信長は、信玄の跡を継いだ武田勝頼を大破すると、信忠は武田軍の前線基地である美濃岩村城などを攻める。岩村城主・秋山信友が降伏を申し出ると、信忠は受け入れた。しかし父信長は、信忠が交わした約束を無視して逆はりつけの刑で死刑に処した。要はだまし討ちである。信友の妻は父信長の叔母であるおつやの方で、同様に死刑となったが、おつやは死ぬ間際に「必ず因果の報いを受けるわよおおおお!!!」と叫び、呪いをかけたという。

さて、その後、父信長から家督を譲られて、織田家当主となる。ただし信長は新たに築城した安土城に移って天下を統治しており、信忠の織田家当主は形だけのものだったが、それでも信忠は織田家重臣たちを率い、数万の大軍を従えて各地に出陣して転戦した。ただはかばかしい戦果は得られず、雑賀衆征伐は敵の城1か所を落とすも、膠着状態になって形式的な降伏を認めざるを得なくなり、また秀吉を助けに出陣した毛利氏との戦いではジャブを繰り返すのみでお互い決戦を回避する膠着状態となり、荒木村重の謀反鎮圧でも1年も手こずったうえ村重本人は逃亡してしまう。成功したのは松永久秀討伐ぐらいだが、これは松永が上杉謙信との共闘を目論んで挙兵したのだが、謙信が全く応じなかったことによる。そのため武田勝頼との戦いで戦果を挙げている同世代の徳川信康(徳川家康の嫡男)とはよく比べられ、信康>>信忠の評価が世間で定着しようとしていた。危機感を抱いた信長は、信康とその母が武田氏に内通して謀反を企てているとでっち上げて、家康に命じて処刑させたという。

甲州征討[編集]

彼の最大の活躍といえばだれものうちの13%がこれを思い浮かべるだろう。甲州征討といえば聞こえはいいが、これは彼とその悪友重臣である鬼武蔵によって引き起こされた最大の殺戮ショーである。かつては日本最強ともいわれた甲州武田氏だったが、長篠の戦いで大敗し、その後は徳川家康と信康にジワジワ攻められ、弱体化が進んでいた所を、最後の美味しいとこ取りとばかりに、信忠が5万の大軍で攻め込んだ。信忠は、信濃高遠で未婚の嫁・松姫の兄である仁科盛信と戦ったが、何の躊躇もせずに信忠自ら高遠城の塀によじ登って陣頭指揮を執り、城もろとも吹っ飛ばした。武田勝頼は家臣の小山田信茂から「殿の本拠地の新府城は工事途中で戦えません。私の城にお移り下さい」と提案し、勝頼は新府城を自分で焼いて、小山田の城へ落ち延びようとした。しかし小山田は寝返って勝頼一向に攻めかかり、勝頼は自分の新府城に戻ろうにも戻れず、行き場を失って山奥に逃げ込んで切腹し、武田氏は滅亡した。戦後処理では、信忠は、不忠なバカ小山田信茂が投降してくるや、ただちに死刑 に処したり、武田領で人々の信仰を集めていた諏訪大社を焼き払ったりした(そのため信長・信忠が死ぬと、武田残党が武装蜂起し、旧武田領から織田軍は全面撤退した)。だが、未婚の嫁の松姫は八王子に逃げていて助かった。

本能寺の変 その時[編集]

本能寺の変が起こった時、彼は近くの妙覚寺にいた。そこでかつての婚約者・松姫と初めて対面する予定だったという。しかし対面直前に変を知った。信忠は「親父なんてどうでもいい」などと普段は言っていたが、すぐさま父信長を救出しようと本能寺へ向かおうとした。いわゆるツンデレというやつである。しかし京都所司代の村井貞勝が、「本能寺は明智光秀軍に徹底的に包囲されていて、火の手が上がっており、助けられません」と報告した。信忠は二条城へ退いたが、明智軍が攻め寄せた。二条城から脱出するか城を枕に討ち死にするかで信忠と家臣たちが軍議で論争中に、明智軍が徹底的に二条城を包囲して、信忠に選択肢がなくなった。みずから刀を振るって奮戦した信忠だが、最期は叔父の織田長益(有楽町)の助言に従って自害した。しかし長益本人はさっさと脱走して、命が助かってしまい、おかげで東京に有楽町ができた。結局、松姫と信忠は一度も会うことはなく、松姫は未婚のまま出家して尼となり、信忠を弔った。信長が死んでも信忠が生きていれば、織田の天下は守られた可能性が残っていたが、信忠まで討たれてしまい、織田の天下は崩壊することになったといえる。

家臣[編集]

彼の家臣は個性的な人物が多いと言われている。

鬼武蔵
ヒャッハーの人。信忠軍団最強かつ最DQNな人物である。高遠城攻めの逸話が有名か。
滝川一益
あるときは忍者。またあるときは副将。もしくは茶人。すなわち謎の人物。
団忠正
ぶっちゃけ誰こいつ。
斎藤利治
一族より主君を選ぶ。だが最近では松永久秀が首謀者であることを知っていたとも。
織田長益
すべての元凶。人でなし源五である、または松永久秀の差し金であったとのどちらかで信忠を裏切ったことは史料からみて明白である。
池田恒興
父の悪友。甲州征討の途中で帰ってしまうお茶目さん。
Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

各界からのコメント[編集]

「あのさあ、逃げろよお前。あのクズなんか無視してでもさあ。」
織田信忠 について、織田信長
「嫡男が死んで飯がうまい。」
織田信忠 について、羽柴秀吉

関連項目[編集]

みなさん、松平です。 この項目「織田信忠」は、日本史に関連した企画書ですが放送日が迫っています。アンサイクロペディアではその時でないのに歴史が松平アナを動かす! (Portal:スタブ)