網羅

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網羅(もうら)とは、ゴミクズから珠玉まで十把一絡げに扱い、玉石混淆のものを作り上げる行為、及び、その行為によって作られたものである。

語源[編集]

「網」と「羅」は共に投網を意味する。「網」は魚を、「羅」は鳥を捕らえる網である。雑食性である人間は、色んな動物達を狩猟によって捕らえ、食べてきた。古今東西で「網羅」は行われてきたのである。ただし、鯨とイルカは、シーシェパード騎士団によって人間よりも上位である「神様」に定義されているため、網羅の対象とならない、というか対象にすることが出来ない、

色々な動物の肉を食べることで、人間は様々な「味」を堪能し、様々な動物を投網に掛けてひっとらえ、食べていった。食用の他にも、皮革や家畜など、様々な用途を目的に狩りは行われ、多彩な動物を網で一網打尽にしていった。見境無くやった結果ドードーなどは絶滅してしまい、ワシントン条約が制定されたり、レッドリストなる怪しいリストが定義されたりもしたわけだが、その辺については他の記事に丸投げすることにする。

ともかく、様々な種類の、大量の動物を網で捕らえるという行為は、人類の生活と切り離せないものであった。ここから転じて、あらゆるものを手中に収めることを「網羅」と呼ぶようになった。

網羅の概要とそれがもたらす結果[編集]

生物学が発展すると「網羅」の傾向は顕著になり、学者達は研究のために野原に狩り出しては網で動物達を大量に捕らえ、殺して標本を作った。19世紀後半になると、世界の国を全て網羅したいと考える独裁者たちが現れ、植民地政策という名の網羅を実施していった。悪の組織の親玉達は、世界を網羅したいという願望から、世界征服を計画するが、概ねヒーローに阻止されて頓挫する。宗教家達は、あらゆる人々の人心を「網羅したい」という願望から、宣伝、洗脳活動に励行している。

岩波書店は、あらゆる分野の事象、知識を網羅したいという願望から、広辞苑を発行した。その結果、学生達は重くて分厚い広辞苑相手に格闘させられ、四苦八苦している。またこれを模倣して、有象無象の連中が、同じくあらゆる知識、事象を網羅したいという願望から、フリー百科事典ウィキペディアを立ち上げ、編纂し、無益な衝突を繰り返したりしながら報われない労働に従事している。

このように、網羅はロクな結果をもたらさない。

網羅のメカニズム[編集]

数は力なり」という格言がある。蓋し、この世の真理を現出した格言と言える。いくら才覚があり、人格が優れた人間であっても金とこき使う部下が潤沢でなければ世の中を改革することはできないし、凄腕の剣士も、数万の軍勢に包囲されては成すすべもなく斃されてしまうだろう。アニメやゲーム、ラノベではこの真理が無視される「無双」と呼ばれる現象が起こることがあるが、所詮虚構の世界での出来事なので、無視して良いのだが、無双の傾向が多いそういった虚構の作品ですら、膨大な売り上げと信者という「数」に支えられている。

「出来るだけ数を揃えた奴が勝ち」なのである。ゆえに人々は、渉猟、跋渉、博捜を行い、沢山のものを集めようと奔走する。集め、揃える対象は知識であったり、文献であったり、切手であったり、世界の貨幣であったり、信者であったりする。

網羅によって生み出されるもの[編集]

代表的なものはやはり百科事典を初めとする事典や図鑑の類と言える。広辞苑、大辞林、英和辞典、悪魔の辞典紋切型辞典などが、一例である。ところが、網羅は対象を峻別しないため、結果として玉石混淆の作品が出来上がってしまう。身近な例がウィキペディアである。検証可能性という重要な方針で、「石」をシャットアウトする堤防を構築しているにもかかわらず、うさんくさい情報が満載された玉石混淆の百科事典になってしまっている。

網羅の有害性[編集]

狩人達は網で多くの魚を捕らえたが、魚の中には毒を含有した魚や、とても食えたもんじゃない不味い魚も混じっている。毒のある魚は無論、不味い魚も、人に食わせれば死んでしまう。鳥を捕らえる「羅」に関しても、それは同様と言える。

だからといって、何でもかんでもゴミ、有害物質扱いして排斥していては、何かを作る事など到底できない。全てを警戒し、排除するという姿勢を貫き続けると、ノートン先生のように役立たず呼ばわりされたり、時流についていけず、象牙の塔の住人呼ばわりされてしまう。それに、ゴミクズや有害物だって「網羅」の対象にならないとは、必ずしも限らない。総合的に勘案すると、網羅は有害ではなく、有益な行為である。