結論

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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結論(けつろん)とは、主にそれにいたるまでの様々な過程、およびそれ以降の派生を楽しむための要素である。

アンサイクロペディアにとっては。

ウィキペディアにとっては、全ての終わりを意味する。

概要[編集]

一般的に、結論というものは様々な問題に対する解答を意味する場合が多い。

人間社会の中で生き抜くためには多くの結論が必要になる。これは、多くの問題、問い、クエスチョンに満ち溢れた現代社会では当然のことであり、1つの結論から次の問題へ移項し、結論が出ない、もしくはそれを出さずとも次のクエスチョンへうだうだと移項といった形で、もやもやとした気分の中で多くの人間が右往左往するのが、よくある光景である。そのため、結論自体に1つの価値が生じ、問題に対して結論を指し示すことで多くの職業が成り立っている。ヤクザ弁護士警察も、多くの問題に結論を導く存在として人類が文明を発展させていく中で成り立って言った職業である。

あわせて、知識という概念における結論とは「A=B」の公式が全てを物語るように、1つの問題にあった解を用意するのが常識である。そのため、ウィキペディアにしろYahoo知恵袋にしろ、多くの疑問を持った人間たちであふれかえっているのが現状である。

なんせ、正しいからこそ知識だと思ってるわけだから。

アンサイクロペディアでは[編集]

ところがぎっちょん。これがアンサイクロペディアだと様相が一変する。

そもそも「A=B」?アホか?の世界である。どこぞのジャンプマンガで、問いに問いで答えるな、というごく当たり前の話がでていたけれど、そもそもアンサイクロペディアとは「結論に問いで答える」のが一般的な姿である。もしくは、記事名が問いで、記事内容が結論らしきもの、ひどいものになると、クエスチョン=クエスチョンで記事を作成するのがもはや一般常識となっている。

これはそもそも、ウソ大げさ紛らわしいといったJAROの推薦するアンサイクロペディアンのための三大標語がなぜか、結論というものから省かれ、まったくもって知識として認められないためである。

十分結論なんだけれどね

結論inアンサイクロペディア[編集]

アンサイクロペディアに満ち溢れる駄文、ジョーク、病的な文章といった「結論らしきもの」は、実は総じて「結論」である。ただ、それを実際に表明してしまうと人間社会から隔絶され、地下牢の中で仮面をかぶって過ごさなければならない危険があるため、あくまで「らしきもの」でとどめざるをえない。

ウィキペディアでそれをやってしまったがために儚く散っていった魂に安らぎあれ。

しかし、アンサイクロペディアであるならば「A=B」で結論が出された問題でも「A=実はC」、ひどい場合には「A=A以外の何か」といった事実を捏造することはなんら悪いことではない。面白ければ。・・・あと、読みやすい文章なら言う事なし。

文章力が無さ過ぎることに気づかないウィキペディアからのスパイに災いあれ。

さらに言うならば、こういった作業をこなさないことには、捏造のスキルは上がらない。詭弁術、ストーリー制作、さらには相手のウソを見破る力も、やはりこういった作業をこなさないことにはレベルアップできない。なぜなら、こういった結論というもの事態、さらにはそれらしきものを含めて言葉だのなんだのに関わるものは総じて、技術の積み重ねによって、「相手にそう思わせるもの」だからである。その結果として、結論というものはある意味、ウィキペディアンにとって一つの信仰心に値する。

そのくせ、特に宗教政治の世界においてそう書かないと表現できないものがたくさんある。むしろ書けない、表現できないものが世の中には満ち溢れすぎている。自称辞書のくせに。

分かりやすく言うと、いくつかの事例においてウィキペディアのウソよりもアンサイクロペディアの大嘘のほうがより真実を感じやすく、そう思いやすいようになっている。これはウィキペディアに書いてある「A=B」という結論の記事内容が、よく読んでみると実は「A=C」になっているんだけれど、色々と難しい問題のためそう書かざるを得ない中、アンサイクロペディアに堂々と「A=アルファベットの2番目の」と書いてあり、明らかな間違いであるけれど分かる人は分かる。この分かる人にはわかるというのが大変に難しい話だけれど、正直、言葉に出来ない

ブルース・リーの言う、理解するな、感じろ、の世界である。

感覚[編集]

そもそも、結論というものに直結するものは人間の体内における細胞の変動でしかない。それは脳内のシナプスを経由する理解という感覚である。その程度の話でしかない。けれど、その程度の話であるにもかかわらず、知った、もしくはわかったと思った瞬間に、知識欲が満足され脳内に多幸物質が満ち溢れ、自分が賢くなった、一歩前進したと錯覚する。それが果たして正しいことであるかどうかは、実はあまり関係がなかったりもする。

LSD大麻で無理やりに脳内物質を活性化させても、実は同じようなものである。

この、えてしてどうでもいい話は、実はウィキペディアンがよくはまる泥沼の1つである。逆に、よく訓練されたアンサイクロペディアンは、いかに分かったor知ったor理解したという状態からどうやって間違うかにをかける。まぁ、ウソだけど。結局、知識欲を満足させるためだけの知識は人間の一生を費やしても消化しきれないほど存在しており、インターネット、およびウィキペディアは、それらの一大供給地として哀れな利用者たちの脳内を多幸物質で埋め尽くしている。

しかしながら、全ての知識とそれらがもたらす結論は脳内に多幸物質を送るだけではなく、それ以外の感情も欲望も、さらには社会的に見てもモラルの崩壊もふくめて様々な影響を及ぼす。そして、まったく世に出さずに死蔵したまま死んでしまったら、後には何にも残らない。さらに言うなら、A=Bの世界から一歩も抜け出せないまま、実はA=Cの中であがき苦しむ。本当によくある話。そんな大昔の知識の取得に苦労していた時代、文学がいかに適当に大法螺ぶっこいて脳内に知識以外の多幸物質を牡送り込んだかは定かではない。しかし、知識がここまで膨大になると、そう簡単に人間はだませないけれど、とりあえず文章の技術の継承という意味では十分これからも学問としての価値は存在し続ける。

ちなみに、ウィキペディアの様々なノートページで繰り広げられる宗教戦争顔負けのどうでもいい話などは、まさに泥沼以外の何物でもないけれど、単純に、それを周知させ、納得させるための技術工夫、ついでに言うなら根回しが足りなかっただけの話である。両者がこだわる真実というものも結局、脳内の多幸物質発生源その1とその2の違いでしかない。

あわせて、技術と工夫と根回しを為しえたキリスト教は、常に正しく、間違っていても正しく、ガリレオが言ったことは正しいと認めた後でもなんら聖書の記述を訂正することはない。そういう文化で培ったそういう技術である。実際、万人はそういうものだと理解している。まぁ、これをぶち壊すからこそ異端と迫害されてアンサイクロペディアンと言われるわけであるけれど。

知識欲への抵抗[編集]

これらのキリスト教的な泥沼に陥ることのないよう、わざとまつがえる技術を例示するのもアンサイクロペディアンの努めである。正確に言うなら、わかるくらいなら、まちがったふおがいい。おもしろいほうがいい。つうでいに画面を見ないでキーボードをうちsつづけたほうがいい「。文章1つとっても、間違えるというのがいかに感じさせることができるかを例示したほうがいい。

それぐらい、分かるというものは恐ろしい

とりあえず、知識欲が満たされた後、その知識に振り回されないようにするには、より多くの知識と、それらを使いこなす感覚、さらには経験が必須になる。さらに言えば、経験という知識でもない感覚でもない万人で共通することもできない「何か」によっても世の中動いてる。知識なんざ、数多くあるタイヤのひとつでしかない。で、常に人間が振り回される大自然において、知識も経験も役立つことはあっても、それを変えることはそう簡単にはできない。こういった大嘘を適当にひねくりだしてどうでもいい時間を万人から盗みくさるのもアンサイクロペディアの醍醐味っちゃあ醍醐味である。

読んでいて意味がない文章をわざわざ残すのも1つの意味なわけだし。

演繹法[編集]

演繹法」←なんて読むでしょう?

「A=B」これは数学的な真理である。しかし、「A=CでもなくDでもなくEでもなく・・・Zでもない」というこれもまた真理である。つまり、荘子の言うところの、世の中、正解ってのは間違いの中にあるという・・・話だったっかしらん、という話に通じるクソめんどくさい長い回り道、全ての間違いを拾いに拾って行く方法が「演繹法」(なんて読むでしょう?)である。

なお、えんざんほうではない。

結論は目の前にあるひとつだけではなく、それ以外の間違いにもある。てゆうか、間違いという名の結論が結論と呼ばれるものの周辺に無数にある。たまにその中にアンサイクロペディア的な真実があるから困る。この心底ろくでもない方法を好んだのがレオンハルト・オイラー。数学者として、唯一、の存在を証明した偉人である。ただし、実にアンサイクロペディア的というか、スパゲッティモンスター教的な方法で。

「A=B、すなわち神は実在する。違うってんなら証明してみやがれ」

一応、数学の歴史に名を残す偉人であるけれど、偉人も突き詰めれば変人と変わりはない。あわせて、えんたくほうでもない。

結論[編集]

こんな文章を読むことははなはだ人生のムダである。

じゃあ、ムダってなんだよ?

関連項目[編集]

Wikipedia
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