細川護熙

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第53回 (1994年
エクストリーム・謝罪準優勝プレイヤー
「各政党の議席数が複雑怪奇。」
細川護熙 について、平沼騏一郎
「脱原発後の電力は、私には腹案がある。」
細川護熙 について、 細川 護熙
陶芸家の元総理

細川 護熙 (ほそかわ もりひろ) 日本の元総理大臣であり初の政権交代を起こした張本人で、さらに熊本の殿様である。

人物像[編集]

維新から太平洋戦争[編集]

細川は実は明治維新以前に生まれていた。細川が生まれた時にはもう薩摩藩西郷どん大久保利通が倒幕活動をしていた。細川の父の細川は幕府はいずれ倒れ、熊本藩もなくなると察していた。そこで細川は息子の細川を「1938年まで開けるな!開けたら喰いつくぞ」と読解不能な字で書かれたタイムカプセルに詰めた。細川の予想通り、熊本藩はなくなり、そうこうしている間に1938年になった。細川は這い出てきた。もちろん、70年近くご飯を食べていなかったので近くにいた人間を食べた。さらに戦争が激化し徴兵されるや、敵地でアメリカ兵を食べ細川の部隊だけ、死傷者ゼロだったと言われる。最終的に少佐にまで昇格したが東京裁判に連れて行かれそうになったところを一気に気配を消し、1969年の活動再開まで一人で暮らした。そのため思うように勉強ができず初代学長コスプレ大学を目指したものの2浪したためソフィア大学を卒業した。当時の大学関係者によれば誰も気にしない状態で講義を受けていたそうな。のちに朝日新聞に就職。財布を落としても精神的ダメージを一切受けないなど、殿様ならではの経済感覚で周りは驚いたという。百姓からまた年貢をまきあげればいいと思ったのかも。

活動再開[編集]

1971年、突如として参議院議員に当選。本人は「なぁに、当然のことだよ。フフフ」と言ったが本人は一度落選しており「当然のこと」の発言は物議をかもした。さらに参議院議員では物足りなかったのか、1983年に熊本県知事に立候補し当選。120年ぶりに細川家が熊本の殿様に返り咲き熊本は細川の在任中、昼夜、どんちゃん騒ぎだったそうな。そして突如、知事を辞め、1993年、衆議院議員になった。

そして、総理大臣に[編集]

衆議院議員になった1993年に自分の党とその他諸々軍団が衆議院の議席で一番になった。そしていつの間にか日本の殿様になってしまった。しかしそこからは老中、小沢一郎に振り回される日々が始まった。ある時、突如「消費税は廃止!」と言い、記者らは大喜び。しかしその言葉に続いて、「これからは7%の国民福祉税を払おうね(^-^)」と発言。突然の裏切りに一揆を起こしたベテラン記者が、「一体なんですかそれは!」と追及したら、困った顔で横に座る小沢一郎を頼るが無視。仕方なくその理由は「腰だめ(根拠なくやること)です」と答えた。一同ずっこけたのは言うまでもない。 また政権末期には佐川急便から1億円をもらって、自宅の門と塀を直していたことも発覚した。そんなんで一億円もかかるはずがないので、何に使ったかは不明。本人は「借りただけ」と主張し返金したが、借用書はのちの猪瀬直樹東京都知事以下の手書き借用書だった。さらに手提げかばんに一億円を入れようと押したが入らず、「日本の殿様ムリ」と書き残し総理を投げ出して引きこもった。「首相官邸の変」とも言われるが、要は自滅である。鳩山由紀夫レベルの史上有数のいい加減な総理と評価されている。

陶芸家[編集]

2010年現在、陶芸家として誰も気にしないオーラを出して、誰にも気づかれないように暮らしている。実はもう、孤独死してたりして・・・と思ったら5月6日のNHKのいまいちなトーク番組に出演。髪の量は減ってはいたもののまだまだ存命である。視聴者からの質問に「小沢さんの撃退方法はなんですか?」とあったが当人は分るわけない。なぜなら最初のオザワロボットだもの。めったにマスコミには現れないが、『週刊ポスト』(2014年1月1・10日号)で壇蜜とのトークに出た時には、エロい顔でご満悦の殿であった。このスケベめ。

東京都知事選挙[編集]

猪瀬直樹前東京都知事が怪しい5千万円を白い巨塔から借りて、小学生の授業レベルの借用書を偉そうに見せびらかしたり、議会でバックにお金が入らずに四苦八苦したあげく辞任した後任として、「脱原発」をテーマに小泉純一郎元総理と意気投合して殿も都知事に立候補。ドメインはtokyo-tonosama.comであった。しかし脱原発以外の政策が一切なく、記者会見を「政策が決まっていないため」2度延期。さらに5千万もらって辞めた知事の後任が、1億円もらってやめた元総理という意味不明なオチに、一生懸命よいしょしている朝日新聞毎日新聞の読者以外は全員ずっこけた。ジャーナリスト池上彰との対談では、「2020年東京オリンピックだって、安倍さんが『オリンピックは原発問題があるから辞退する』と言ったら、日本に対する世界の評価は、もう格段に違ったものになっていたと思いますよ」と言っているので、都知事になったら当然オリンピックは辞退するものと思われる。また思いつきで「そうだ、東北でオリンピックをしよう」とも。辞退したらせっかく決まったのに、なんだかもったいないね。

バカ殿説[編集]

小学生時代(1940年ごろ)志村けんに顔が似ていると言われたことがあった。さらに風呂も入らず過ごしたという行動や総理大臣に就任した際に記念撮影するが撮影時の定番である階段には見向きもせず庭で撮影するなどの行動からもバカ殿という説が浮上した。

家族・親族・その他諸々[編集]

  • 近衛文麿-表では母方の祖父とされるが実は師弟関係であり眠っている間は幻影で、1938年の活動開始からは軍服で政治学を教えていた。
  • 細川藤孝-漫画へうげものに出るこの人は、どっから見ても細川護熙の生き写しだった。
  • 細川忠興-嫉妬深いので有名な甲冑デザイナー。ヤンデレ。L5発症者。
  • 細川ガラシャ-上の人の奥さんで美人。嫉妬されていろいろ大変だった。

支持者[編集]

小泉純一郎以外は誰も気にしない

支配者[編集]

関連項目[編集]

Wikipedia
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