紫式部

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紫式部が放った発言は、後世の物好きのために、有志たちによって「Unquotable/歌人」へ収録されています。

紫式部(むらさきしきぶ)は、平安時代の女流作家で、日本初の小説とされる「源氏物語」を書いたとされる人物で、COBOL技術者でもある。そもそも、小説を一番最初に書いたのが女性で、さらに言うならその内容がモロ官能小説という段階で、日本文化の素晴らしさを体現している人物である。小説だけでは十分に稼げなかったため、フリーランスエンジニアとしてCOBOLの常駐案件も受注しており、主に平安京に設置されたメインフレームを用いた勘定系システム構築案件を担当した。後年、技術にも詳しくなった彼女は、独自のバージョン管理システムとハイパーテキストシステムを構築し、小説の原案作成に役立てていたという。

名前[編集]

多くの人間が間違えることとして、紫式部の名前は本名ではない。式部は職名であり、紫は単なるあだ名である。そもそも、平安時代に女性の名前というものはさほど重要視されておらず、本名がワカラナイ文学上の女性なんてゴチャ万というるのが実態である(菅原孝標女藤原道綱母なんて呼ばれる人がいる事から分かるように)。そして紫式部という呼び名自体、仲間内で回し読みをしていた源氏物語の中の登場人物から付けられたという説すらある。このような行動は、今で言う同人小説家とそのトリマキ連中の行動を参考にすれば大変に分かりやすくなる。

大変に。

簡単な生涯[編集]

名門の出で文才のある少女が、親のスネかじって大きくなって、適当に結婚したけど趣味の文学を続けていたら。なんか知らんけど、いつのまにかその才能を見込まれて権力者の嫁さんの家庭教師になることに決定。やったぜ万歳、と思ったのもつかの間、実は抜擢された理由が、その嫁さんのライバルの手下に性格がキツイけれど、これまた文才に恵まれた女官がいたため、それに対抗するために引き抜かれたってのが実情。ショック!そのため、相手が文章を書けばこちらも書いて、いや、書かされて、苦手な短歌でも仲のいい友人と一緒になって性格の悪いライバルに負けない作品を残し、向こうは性格がきつい分、ちょっとオクテそうだから、逆にこっちはアケッピロゲな文章で出し抜いてやろうと、エロエーロな文章を仲間内に回したら、あっという間に評判になって・・・。

その結果、世界文学史上、初めて女性の手によるド変態な名作が誕生。それ以後の日本の出生率を大きな影響を与えた。

簡単なその後[編集]

官能小説の書き手で、まともな死を迎えられたのはまずいない。名作を書いて、長生きしてもらいたいと思われるのは、あくまで一般的な文章を書いた側が得られる特権である。ド変態な文章で、しかも相当数の人間をムラムラさせまくった女性が、果たして表舞台で生き残れるかは、相当に微妙である。実際、男同士がくんずほぐれつする文章を量産する2000年以降のボーイズラヴ小説、ヤオイ小説の書き手の中に、本名で活動できる人間は少ない。そして、それが三十路を迎えてオバサン化した後では言うに及ばず。

幸い、紫式部の場合はすでに年上の男性と結婚して、それから源氏物語を書いたとされている。もっとも、書いている最中に夫を亡くし、その反動として作中に夫の面影を忍ばせてつつも、物語の後半から、作中の変態行為が加速度的にひどくなっていくのは、確実に夫という重荷がなくなったためである。なお、同人作者の暴走を同人誌仲間がゆるい目で見つめているのは、作品が面白くなるのと同時に、作者見てて楽しいという、ある意味ひでえ意識も働くためである。なお、最初の夫との間に女児を儲けたが、その後、彼女が再婚したという話はない。

まったくない

結局、仕えていた天皇のは、ライバルを圧倒するも、直後に夫である一条天皇が死亡。そのまま彼女はお暇。

行方不明

そのため、ウィキペディアは言うに及ばず、多くの歴史の教科書、および国語の教科書において彼女の生年と没年の表記は?~?で統一されている。全て?で記載されているわけではないが、?で無い場合は10世紀~11世紀と記載されているほどあいまい。

…つまるところ 悪口オバサンの末路を体現した日本の恥を世界にさらした偉大なるおばさま。 野々村竜太郎君なんて、まだまだ、修行が足りませんこと【おっほっほ】。

関連項目[編集]