紅葉狩り

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紅葉狩り(もみじがり、紅葉狩)とは、本来は百姓身分の樹木の紅葉権を剥奪する、季節における分離政策である。

紅葉狩りの概要[編集]

一般的には百姓身分の木々に紅葉することそれ自体を禁止し、紅葉能力を没収して視覚武装解除を図った政策として知られている(初期には、葉を落として千切りにし、貝塚に埋めたともされる。これが後にもみじおろしの語源となった)これにより、雑多な紅葉する樹木の氾濫が防がれ、武家による『紅葉すること』のブランド力を高めることとなったのである。

現在、剪定された武士階級の紅葉は各地域ごとに分布し、景観においてトップクラスに位置する土地を占めている。しかし見晴らしが良いとはいえ、必ずしも土地の栄養状態がいいわけではないという。逆に商人階級である樹木のほうが土地の栄養が豊富であり、このヒエラルキーの精神的地位構造の逆転は現代社会がかかえる問題点、ともいえるだろう。

また、現在は紅葉することができる樹木が減少したため、植樹によって紅葉の伝承者数を増やそうと奔走しているが、商人階級の樹木がセレブとして勢力を強める昨今では、「劇的に増える」ということは流石に難しいようだ。

歴史[編集]

一般に紅葉狩りと言った場合、特に安土桃山時代の1588年(天正16年)に豊臣秀吉が紅葉狩令を出して大規模に推進した政策を指すことが多い。 菊桐禁止令は特にそれを顕著に表しており、菊や桐のような遊女にまで紅葉の無断使用が伝播してしまったため、ブランド力の低下の危機を抱いて、それらを特に強く取り締まったとされる。

ただし、ブランドイメージの保持を目的とした紅葉狩りを最初に行なったのは柴田勝家である。

これに先立った1585年(天正13年)6月に秀吉が高野山の野バラに対して紅葉の放棄を確約させており、これを紅葉狩りの最初とする見方もあるが、この当時のものは「野バラが紅葉すると枯れるような気がする」という、名目としては保護にあったため、現在に伝わる「紅葉狩り」の意図とは若干異なる。

紅葉狩りの手法[編集]

前述の通り、初期は紅葉した葉を落として手で千切り(刀などの鋭利なもので切ると再生する恐れがあるため)、貝塚に埋め、硫黄で栓をした。しかしこれだけでは紅葉を放棄しないものも多く、この手法は現在ではほとんど使われていない。

現在紅葉狩りは「酋長」と呼ばれる長を剪定のブレインとして執り行われ、まず市役所で『狩手続き』を申請し、認可されなければならない。認可には10日ほどかかるのが通例であるが、すでに紅葉狩りをする予定がある場合は即日に通ることもある。


現在のメインとなる手法は

1.紅葉した樹木の絵(または金属版に書かれた彫り物)を踏ませ、「わたしは紅葉信者ではありません」と誓わせる。これは、こちらが精神的に優位にたっていることを強調するためのイニシエーションである。これに加えて、拷問器具や処刑器具を見せることも効果を発揮する(後者は樹木を傷つけるので使用しない)。


2.呪いの念をこめた札をつけた縄を巻きつける。これは主にその地域の平民代表である樹木に行うことが多く、「おまえを涸渇させればこの地の民が路頭にまようことになるぞ」という強い脅しの意図を含めている。神社などでよく見かけるが、紅葉狩りはもともと神道が深く関わっており、大規模なものは現在も神主が取り行うしきたりになっている。やけに神主が屈強な場合は、歴戦の紅葉狩リストであることを表している、といっても過言ではない。

ちなみに、ひび割れたサクラの場合は断面にコンクリートを流し込み、「東京湾に沈めるぞ」と呟くと、この段階で紅葉することを諦める。またこのコンクリートは酸性雨からサクラを守り、さらに皮膚病の予防にもなるので、樹木を傷つけずに紅葉狩りすることができる。ただしクライベイビーサクラの眼窩にコンクリートを流し込むと、かなり高い確率でこっちが東京湾に沈められるので注意したほうがいい。


3.呪いのタトゥーを入れる。人間と違って墨は入れず、金属の棒やナイフなどで刻みこむ。好んで「あいあい傘」「うんこマーク」などの図や、「~死ね(~は固有名詞)」「~見参」「~参上」といったパーソナルなもの、あるいは漢字による当て字「夜露死苦」「仏痴義理」などの文様が好まれている。特に誤字脱字をしていると呪い度が高まり、効力を発揮しやすい。多くは学校帰りの小学生が家業として執り行い、大人は主に夜中にその補填を行うという、のが日本の伝統的な工程である。深夜にけたたましいエグゾーストノートが神社から聞こえるのは、大人たちがこの作業にバイクでかけつけるためである。


4.いよいよ紅葉狩りである。シャワーを浴びて紅葉した葉を脱がし、丸裸にする。その後、そのたおやかな肉体を押し倒し、濡れそぼった秘(以下検閲)


5.事後、契約に相当する賃金(20000~50000前後が標準とされているが、その詳細は企業機密に相当するほどのシークレットのようだ)を支払い、無言でベッドを後にする。


これでしばらくその樹木は紅葉することをとりやめるという。

歴代酋長[編集]

酋長にはなんらかのメディアパフォーマンス的なカリスマ性をもった人物が、ひよこ陛下の指名のもとに決められるとされるが、詳細は不明。

初代 柴田勝家
2代 豊臣秀吉
3代 徳川家康

酋長に就任した時点で、徳川家康はかきフライの食べすぎで動けなくなっており、影武者がそれに変わって活動した。

4代 徳川綱吉

なんだかんだで酋長になってしまったが、水戸光圀公に犬の毛皮でできたコートを祝いで送られ大激怒。そのあてつけとして角さん助さんの行く先々で紅葉狩りを敢行させたため、剪定がめちゃくちゃだったという逸話がある。綱吉の没後、あまりにトップが酷いとどうにもならんということで酋長制度を解体。しばらくトップ不在の時間となる。

5代 高杉晋作

幕末時代、彼が率いた奇兵隊は紅葉狩りのカリスマとして名を馳せた。この功績により、表舞台に再び酋長が現れることとなった。

6代 アバンチャリオ・パムチャッカイ

唯一のタイ人の酋長。もとは代理人だったのだが、日本語が通じないうちに妙なカリスマ性で選抜されてしまった。樹木保護団体に暗殺され、472歳の若さでこの世を去る。彼の車に仕掛けられたブーブークッションによって非業の死を遂げたのは、誕生日のわずか2日前だった。

12代 ---(*公表されておらず)
13代 ---(*公表されておらず)

空白期間。この時期は暗殺を恐れて、酋長を秘匿していた。

14代 スーパーフリー酋長

団体による酋長、という江戸時代にあった機能を「酋長」という名目のもとに復活させたスーパーグループ。しかしスーパーフリーすぎて捕縛された。

15代以降 ---(*公表されておらず)

さすがに犯罪者がでたのは社会的にまずかったのか、再び秘匿されることとなった。

樹木保護団体との摩擦[編集]

紅葉狩りは紅葉という表現活動への奉仕的プライオリティを高めるためのものだが、その手法が強行的すぎる、との見方が最近になって強まっている。特に樹木原理主義者の団体の意見は、「残忍極まる行為」「もはや視姦に等しい」として、紅葉狩りを強く非難している。

しかし現実問題として、紅葉後の始末にかかる市が支払う諸費用や、全ての樹木が紅葉した場合のブランドの消失など、紅葉狩りを廃止した場合の社会的影響は強く、紅葉に携わる者にとっては『廃止』というのは穏やかではない意見だ。

様々な意見が錯綜しているが、現状ではまだこの問題に対する明確な回答はでていないようである。

参考文献[編集]

  • 大木山仁『紅葉狩りと民族伝承』(東山新書、1967年)
  • 藤木啄木『樹木戦禍』(東山新書、1998年)
  • 窪田之密『紅葉狩りと戦乱』(大田書房、2006年)

関連項目[編集]