米原市
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ 米原に到着した時の発言 について、織田信長
~ 米原 について、足利義昭
米原市(まいばらし)は、滋賀県の県庁所在地を自称する都市の一つ。琵琶湖に面し、伊吹山の西麓に位置する。
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[編集] 概要
「よねはら」と誤読される事も多いが、正しくは「まいばら」。時々「まいはら」と呼ばれることもあるが、大人の事情をお察し下さい。
江戸時代までは中山道と北陸道の分岐点として発展した交通都市であり、正に湖国・滋賀県最大の交通の要衝である。琵琶湖が交通路として利用されていた時代には、この米原が日本海と太平洋と瀬戸内海を最短で結ぶ連絡口であった。
氷川きよしが歌う「番場の忠太郎」の地元でもある。
交通都市なので、市制施行が早かったと思われがちだが、実は2005年に市制を敷いたというんだから、遅きに失している。
[編集] 地理
[編集] 位置
日本海と太平洋が最も接近する地域は、敦賀と名古屋を結ぶ線、略して敦名線(とんめいせん)だが、米原は敦名線のど真ん中に位置している。
中山道沿線の京都まで77km、中津川まで120km、瀬戸内海沿岸の大阪まで120kmなのに対して、日本海沿岸の敦賀までは48km、太平洋沿岸の名古屋までは63km(羽島経由)という近さである。
このため、敦賀と名古屋は、滋賀県や琵琶湖が大好きな都市として有名だが、中でも中山道と北陸道の分岐点である米原へのラブコールは半端じゃなく、住民には滋賀県庁の米原への移転を望む声が多い(→大津市#京都市大津区?)。若しも滋賀県の県庁所在地が米原だったら、敦賀と名古屋は滋賀県と同じグループに入っていた可能性が高いし、何よりも滋賀県の独自性を発揮できた可能性が高いのである。
[編集] 気候
伊吹山の麓に位置するため、若狭湾からの風の影響を大いに受けている。そう、「関ヶ原の雪」をもたらす風である。従って、気候的には内陸性気候だが、日本海側気候も混じっている。
[編集] 交通
道路や鉄路は、米原から大阪・岐阜・名古屋・敦賀への路線が分かれている。そして、南隣の彦根から大阪側と鈴鹿側の路線が分かれている。畿内で京都や大阪の迂回路となる連絡線は、新宮~鈴鹿~米原~敦賀~舞鶴~姫路のルートが外せない。
江戸時代までは中山道と北陸道の分岐点、現在は国道8号と国道21号の分岐点、名神高速道路(本来なら中央自動車道)と北陸自動車道の分岐点になっている。新幹線の停車駅でもあり、北陸本線の始発駅でもある。最近では、滋賀県民、京都市民、名古屋市民、敦賀市民の要望により、米原に物流の中心となる「米原貿易センター」が建設された。
京都が首都だった時代には、琵琶湖の水上交通が大いに利用されていたが、米原は、岐阜・中津川・名古屋方面と、敦賀・舞鶴・福井方面を結ぶ接点であった。この点からも、米原は、同じ中山道沿線の西濃(岐阜県南西部)の住民からも慕われていたという事が解るだろう。
京都・敦賀・岐阜・名古屋との交流が親密である事は言うまでもない。しかし、一方では「米原はジャンクションだけ」って、隣の西濃地方民から皮肉られる事がある。これは、西濃地方民が、「敦賀へ行く際の通過点」「京都へ行く際の通過点」という目で米原を見ているためであろう。新幹線の米原駅も陰が薄い。
実際に、米原は交通の便が好いものの、城下町の座を悉く逃した為、「高崎になり損ねた街」とも皮肉られている。戦国時代や江戸時代にも、豊臣秀吉は長浜に城を建てて、井伊直政は彦根に城を建ててしまった。両方とも米原の隣町である。
[編集] 関連項目
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[編集] 近隣の都市
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