箱根町

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また、ここでは、箱根町の「現在」と「過去」についてのみ説明しています。箱根町に建設が予定されている新たな都市や、それにより現出するであろう未来の箱根町の姿などについては、第3新東京市をご覧下さい。
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神奈川県全図。図の左下の“温泉地”のうち、上側(北側)の約半分を箱根町が占めている[1]
「ちょww 箱根の山とかいって険しすぎww 函谷関とかってレベルじゃねぇぞ!w
鳥居忱&滝廉太郎
「箱根を罵倒しているあの2人を箱根から追放して横須賀に置いて行ってくれ。ダメだ!」
鳥居&滝の発言 について、神奈川県佐野実

箱根町(はこねまち)は、神奈川県の西端の足柄下郡にある、(地方自治体としての)である。つい最近箱根県になった。

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町内には、数え切れないほどの温泉宿や観光スポットがあり、鎌倉横須賀茅ヶ崎&藤沢などの湘南地区などと並んで神奈川県を代表する国際的観光地のひとつとなっている。

概観

右図のように、神奈川県の南西端は全て温泉地によって占められているが、そのうち北側の約半分が箱根町である。古くは東海道宿場町であり、活火山の箱根火山(※「箱根山」ともいう。現在休火山である富士山とは別物)があるために温泉が町のあちこちで湧き出していることから、温泉宿あるいは湯治場として長く栄えてきた。
また、関所制度が現代でもなお息づいていたり、海に面していないにも関わらず海賊が出没したりなど、様々な時代や文化が混淆している町としても知られている。

町内は、主に小田急藩西武藩によって支配されており、両者の領地が複雑に入り組んでいる。このため、町外から来た人間が、両者間での小競り合いに巻き込まれ、余計な出費を強いられる被害が決して少なくない。しかし、そのような紛争地域であることを差し引いてもなお、箱根町は多くの観光客を引きつけて止まないのである。


さて、ここまで書いたところで、頭の固い百科事典であれば次は「地理」「歴史」「経済」「産業」などの見出しをつけて、各見出しごとに断片的な内容を書き連ねてゆくことになろう。しかし、現代の箱根町においては、全ての人間・全ての環境(自然環境と人工環境とを問わず)が、「観光」ないし「観光産業」と結びついている。「観光」の観点なくしては、交通事情や観光スポットについては勿論のこと、地理も歴史も経済も産業も、自然環境さえ語り得ないのだ。

そこで、本記事では、読者の皆様と一緒に箱根町を観光しながら、この町について説明していくこととする。


通行手形。記名式のため、関銭支払い時に自分の名前を入れてくれる。

箱根町へのアプローチと「通行手形」

箱根町へは、大きく分けて次の4通りのアプローチ方法がある。

  1. 小田原駅小田原市)から箱根登山鉄道もしくは路線バス
    小田原駅までは、小田急電鉄や、JRの東海道本線東海道新幹線など。小田急電鉄では、ロマンスカーと呼ばれる特別車両による特急列車を、箱根町内の箱根湯本駅まで運行しており、東京方面からのアプローチとしては最も一般的なルートとなっている。
  2. 御殿場駅(静岡県御殿場市)から路線バス
    御殿場駅まではJR御殿場線東名高速道路経由の高速バスなど。東京方面から東名高速道路御殿場インターチェンジを経由して、直接箱根町内の旅籠や観光スポットに達する高速バスもある。
  3. 湯河原駅(湯河原町)から路線バス
    上記の2つに比べればマイナーな存在ではあるが、湯河原・箱根という神奈川県の2大温泉地をハシゴしようという者にとっては重宝なルートである。晴れていれば大観山からの眺望が美しい。
  4. 三島駅(静岡県三島市)から路線バス
    こちらもマイナーではあるが、国道1号(=東海道)を通るルートであり、歩く根性は無いが東海道を通ってみたいという者によく利用されているようだ。

ここでは、1.の小田原駅からのルートを辿ることにしよう。

さて、箱根町では関所制度が現存しているため、町外から箱根町にやってきて観光を楽しむためには、所定の関銭(せきせん、関所の通行料のこと)を支払い、通行手形を入手しなくてはならない。

勿論、建前としては、日本の関所制度は慶應初期に全廃され、誰もが自由に国内旅行ができることになっている。そのため、関銭を支払わなくても、箱根町にただ入るだけであれば、法的にも物理的にも特に問題は無い。実際、箱根町をただ通過するだけの者や、地元住民、あるいは観光以外の用で箱根町を訪れた者などは、しばしば関銭を払わずに済ませている。
しかし、箱根関所をはじめ、箱根町内の交通の大半を支配している小田急藩では、関銭逃れを防ぐため、支配下または提携関係にある数多くの交通機関の運賃を、非常な高額に設定している。箱根町は広く、これらの交通機関を利用せねば観光そのものが困難であるが、ほんの僅かな区間の利用でさえ運賃が関銭を上回ってしまうように仕組まれているのだ(別途後述)。箱根町に精通していればいざ知らず、素人は大人しく関銭を支払い、通行手形を入手しておくべきだろう。

なお、小田急藩の支配下または提携関係にある交通機関のうち主なものは、以下のとおりである。

関銭は、2日間で3900円、3日間では4400円である(慶應153年現在)。1日のみの場合の金額設定は無く、最低2日以上からとなっていることからも、町内の旅籠などとの結託や黒い繋がりが歴然と存在していることが窺える。関銭を支払うと、日付と自分の氏名が記入された通行手形を貰うことができ、この通行手形を持っていれば、所定の日数間は、小田原駅以西にある上記の交通機関が乗り放題である(町外の路線バスは一部対象外)。関銭は、町内の主要な駅・バスターミナル・港・駕籠場などで支払うことができるほか、小田急電鉄をはじめ一部の鉄道会社の各駅では、箱根町までの往復乗車券とセットで支払いを受け付けている。

箱根登山鉄道

箱根登山鉄道箱根湯本行き(小田原駅にて)。
80‰という急勾配の斜面を登る箱根登山鉄道。

さて、小田原駅で関銭を支払って通行手形を入手したら、まずは箱根登山鉄道(はこねとざんてつどう)に乗ることにしよう。

――といっても、小田原駅から途中の箱根湯本駅までは、路線名こそ「箱根登山鉄道」であるが、実際には「小田急箱根線」と呼ぶ方がふさわしいだろう。走っている車両は小田急電鉄の4両編成の車両であり、乗務員も小田急電鉄の人間である。但し、箱根町の歴史ある雰囲気をなるべく壊さないよう、ボロい歴史を感じさせる車両が優先的に配備されている。小田原から先は登山鉄道らしく単線となり、箱根板橋駅風祭駅入生田駅の各駅に停車しつつ箱根湯本駅に向かう。まあ、古いといっても通勤形車両であり、まだあまり“旅”っぽい感覚はしないのだが。

入生田駅までは小田原市で、箱根湯本駅からが箱根町となる。ちなみに、入生田駅から箱根湯本駅までは、日本には2ヶ所しか現存していない三線軌条区間となっているが、鉄道教徒以外は誰も気にしないので、ここでも詳しくは述べない。(興味のある方は鉄道教百科事典でもご参照頂きたい。)

箱根湯本駅で乗客は全員乗換えとなる。ここが箱根町の“玄関口”であり、駅前には路線バス・タクシー・駕籠かきなどが客待ちをしており、また土産物屋や旅籠などを多く目にすることができる。この駅前を通っている道路は国道1号であり、箱根駅伝(後述)のコースにもなっているため、このあたりの風景をテレビでご覧になったことがある方も多いだろう。

箱根湯本駅からは、いよいよ“登山電車”である(路線名は同じ「箱根登山鉄道」であるが、箱根湯本駅以西は慣用的にこう呼ばれている)。が、箱根湯本駅から先は急勾配の連続となり、その勾配は平均で50‰、最大で80‰にも達する。そのような勾配を電気の力のみで登る鉄道車両は、残念ながら日本では未だに開発されていない。

そのため、沿線で特に勾配の厳しい数箇所には、各所に数名の屈強な兄貴たちが配置されており、勾配を登る列車を後ろから押したり、下る列車の前に立ち塞がってブレーキの補助をしたり、滑り止めの砂を撒いたり、沿線の紫陽花(あじさい)の手入れをしたりなどの業務に日夜勤しんでいる。この兄貴たちは、登山鉄道の開業によって失職した駕籠かきや、その子孫などであり、皆、体力自慢ばかりである。登山電車に乗っていると、時折、男性のアッー!という力強い唸り声が聞こえることがあるが、これは、彼らが気合いを出そうと挙げている掛け声である。彼らのおかげで、私たちは安心して登山電車に乗ることができるのだ。
箱根湯本駅から終点の強羅駅(ごうらえき)まで、営業キロにして8.9キロの道のりを、約40~50分掛けて列車は登ってゆく。表定速度は時速10~13キロほど、おそらく人間が自転車でこぐ速さよりも遅いであろう。いかに急勾配であり、いかに兄貴達が苦労しているかが、この数字だけでも窺い知れるというものである。

各駅の一覧などは「箱根登山鉄道」の記事に譲ることにして、私たちは途中の彫刻の森駅で降り、至近にある「彫刻の森」に行ってみよう。

彫刻の森

木に仏像を彫る修験者の様子(『箱根彫刻之森縁起』(箱根町郷土史料館所蔵史料)より)
作品(出典同上)

彫刻の森(ちょうこくのもり)は、文字通り、多数の木彫りの彫刻になっている場所――というよりは、森にあった木に仏像などの彫刻を施したものが、多数集まっている場所である。

箱根は、上述のように宿場町や湯治場として栄えたのみならず、江戸から近い修験場として多数の修験者が訪れる場所でもあった。その起源がいつ頃なのかははっきりしていないが、箱根に関所が設けられた元和5年(慶應マイナス246年)頃には、既に霊験あらたかな修験場として仏教界を中心に良く知られていたという。富士の樹海ほど危険ではなく、それでいて箱根火山などにより生命の危険を手軽に味わえる場所として一定の人気をもっていたようだ。(江戸から富士まで行こうとして途中で挫折した者が、箱根を富士であると自分に言い聞かせて修行をするようになったとの説もある。)

修験者たちは、大涌谷(後述)で死の煙を吸ったり、仙石原で薄(すすき)の野原をひたすら走ったりなど、様々な修行に取り組んだ。そのひとつが、箱根の広大な森林を利用した仏像彫りである。諸宗教の例を挙げるまでもなく、樹木や岩石などに仏像などの信仰対象を彫ることは、信仰告白の一形態であり、同時にまた修行方法のひとつであった。また、箱根の山にはスギ(杉)などのように成長が早い樹木が多く、修験者たちが彫っても彫っても、それを上回る速度で木が成長するため、彫るべき木が尽きることは決して無かった。

しかし、江戸時代後期になり、箱根でも林業が盛んになってくると、彫刻が施された樹木は材木としての価値が低まってしまうことから、“樹木を傷つけてその価値を損ねること”自体が原則として禁止されることになった。この際に、この地域だけが「彫刻之森」として、例外的に樹木の自由な利用が認められたのである。

現在でも、数は少ないながら修験者が時折訪れて仏像を彫っていくほか、特に戦後になってからはキリシタンキリスト教徒がマリア像や磔刑のイエス像などを彫っていく例も散見されるようになった。また、樹木の成長による作品の消滅を防ぐため、慶應106年には、展示施設「彫刻の森美術館」が設けられ、特に芸術的な価値が高いと認められる作品の蒐集・保存・展示などが行われている。

初めて来た素人には、森の中から作品を探すことそのものが困難であるため、観光の際にはこの美術館のみを見ておけばそれで充分であろう。また、創作意欲が湧いた者のために、ナイフや鑿(のみ)なども販売されており、敷地内の限られた範囲ではあるが、自ら彫刻にチャレンジすることもできるようになっている。

箱根ケーブルカー

箱根ケーブルカー。

さて、彫刻の森美術館を出たら、再び登山電車に乗っても良いのだが、登山電車は彫刻の森駅の次の強羅駅が終点であり、その距離は500メートルにも満たない。電車がすぐに来ないようなら歩いてみるのも良いだろう。強羅駅からは、ケーブルカーに乗換えて、更に上へと登っていくことになる。

ケーブルカーそのものの仕組みは、一般的なものと同様である(詳細は当該記事をご参照頂きたい)。ただ、やはりここでも勾配が急なため、機械の力では車両を引っ張り上げることが難しい状態である。そのため、頂上(終点)の早雲山駅には多数の兄貴たちが、機械の助けを借りながらケーブルを一生懸命に引っ張っている。慶應152年に、ケーブルカーの本場スイスから最新鋭のケーブルと巻き上げ機が導入されたことにより、人間に頼らずに機械のみで車両を上下させることが可能となった。これにより、それまで早雲山駅で勤務していた兄貴たちは、登山電車の急勾配箇所の増強に回されることとなった。

……科学技術が発展すれば、いつの日か登山電車も人間の補助を殆ど必要としなくなるだろう。その時に、兄貴たちが働ける場所が他にあるのかどうか、記事執筆者はそこのところが気がかりである。

ともあれ、4駅の途中駅があるにも関わらず、強羅駅から早雲山駅までは僅か10分ほどである。速い。

箱根ロープウェイ

箱根ロープウェイの運賃表。高い。

早雲山駅からは、今度はロープウェイである。ロープウェイも、慶應152年に全面的にロープの張り替えと車両の更新が行われた最新鋭の機種で、日中は常時1分間隔で頻繁に運行されている。

ところが、ここで、前述の通行手形を持っていない者が涙目になることが多い。箱根ロープウェイは、この早雲山駅から大涌谷駅姥子駅を経て桃源台駅までの、起終点含め4駅、全長約4キロ強を、25分ほどで結んでいる路線であるが、大人1名の普通運賃が初乗り820円、終点の桃源台駅までは何と1330円という、思いのほか高額な運賃設定がなされているのだ。

勿論、設備を更新したばかりであるし、そもそもロープウェイという特殊な乗り物であるから、他の交通機関よりも割高になるのは止むを得ないだろう。しかし、未だかつて、たった4キロで1330円もの普通運賃を取る公共交通機関があっただろうか? あの悪名高い北総鉄道でさえ、4キロの距離であれば普通運賃は300円である。これでは始めから関銭を払っておいたほうが良かったではないか。何と言うことだ。しかも、早雲山駅には他にバス路線等は一切通っておらず、選択肢は無いのだ。おおおお、何と言うことだ、何と言うことだろう!!!


――と、嘆いている愚者を横目に、私たちはさっさと係員に通行手形を見せて、ロープウェイに乗り込むことにしよう。小田原駅や箱根湯本駅などでは、ちゃんと「○○まで普通の切符を買うとxxxx円掛かります! 当駅で関銭を払ってしまったほうがお得です! さあ払い給え!」といった掲示が出ており、また構内アナウンスやパンフレット等でも関銭の重要性について折に触れて説明されている。下調べが不充分であり、掲示などにもろくに注意を払っていなかった愚者だけが、そのような悲しい目に合うのだ。
良いではないか、生命があるのだから。昔は関所破りは磔刑(死刑)だったのだぞ。

大涌谷

初秋の大涌谷。涌き上がる噴煙は死の香り。
の大涌谷。凍死は、最も安らかに死ねる方法のひとつであるという。

早雲山駅を出発してから数分ほど経つと、それまで一面に木が生い茂っていた風景が、突然、右図のような一種の荒涼さをもつ風景に一変する。ここが、大涌谷(おおわくだに)である。箱根火山が休火山ではなく、紛れも無い活火山であることを、最も如実に示している場所のうちのひとつである。画像では噴煙が出ているが、これは、いま流行の硫化水素であり、当然ながら、許容量を超えて吸えばに至る。

江戸時代までは、自ら死の境地を味わうため、あるいは(断食などを経ずに)手っ取り早く即身仏になるためなどの理由で、この地を訪れてそのまま命を落とす者が後を絶たなかった。また、前述のように富士よりも当地のほうが江戸から近いため、青木ヶ原よりも大涌谷のほうが死者数が多い年もあったという。
ただでさえこのような荒涼とした風景に、多数の腐乱死体や白骨死体が散らばっている様は、とてもこの世のものとは思えず、そのためこの谷はしばしば「地獄谷」とも呼ばれていた。また、自ら死を選ぶなど、何かに惑(まど)わされているに違いないとする考え方から、当時の文書などでは「わく」に「惑う」という字を当てて「大惑谷」とする表記も散見される(地名史学の分野では、「大涌谷」と「大惑谷」のどちらが先に用いられていたのかについては、現在でも研究の決着をみていない)。

現在では、ロープウェーの大涌谷駅から、噴煙が上がっている場所まで僅か数分で歩いてゆくことができる。勿論、それは硫化水素の濃度が低いとき限定であり、高いときはそもそもロープウェーや路線バスの運行自体が取り止めになる(ロープウェーの駅であるという特性上、駅を気密的に封鎖することが不可能なため)。

但し、立ち入りが可能とされている状態であっても、生命が惜しければ手ぶらでここを訪れるべきではない。最低限、マスクの類は必要であろう。硫化水素への耐性には個人差があり、誰もが大丈夫だとは限らないからだ。他の観光客が全員平気そうにしているなかで、一人だけ猛烈な吐き気に襲われて体調を崩す、なんてことがあるかも知れない。本記事の執筆者も、まさか自分だけが硫化水素への耐性が弱いとは全く思っていなかった。いやあ、生きていて良かったなあ……。

なお、耐性の有無は、大涌谷の土産物である「黒玉子」によってある程度測ることができる。黒玉子とは、大涌谷で湧いている温泉で茹でて作ったゆで卵の商品名で、硫黄を始めとする様々な暗黒物質によって鶏卵が汚染されており、強烈な硫黄臭――違うものも混ざっているのかも知れないが――を放っている。大涌谷駅そばにある観光センターなどで販売されているので、まずはこの玉子を鼻や口などに近づけたりしてみて、それで気分が悪くなるようであれば噴煙地には近づかないほうが良い。
(ちなみに、この「黒玉子」は一応食用だそうなのだが、このような事情で本記事にはその味や食感を記述することができない。もしもあなたに、アンサイクロペディアのために生命を賭する覚悟があるのなら、ぜひこの黒玉子を食べて、その真実の姿をここに加筆してほしい。)

芦ノ湖と箱根海賊

芦ノ湖をゆく海賊船。

大涌谷駅から再びロープウェイに乗り、暫くすると芦ノ湖(あしのこ)が見えてくる。

神奈川県最大のである芦ノ湖は、地質学的には、箱根火山の噴火に伴う地形変動などによってできたカルデラ湖である。長年にわたって箱根海賊(はこねかいぞく)を名乗る海賊たちに支配されている(「湖なのに“海の賊”なの?」と質問すると、あなたの貴重な生命が奪われる場合があるので注意)が、湖という閉ざされた陸水であり、対抗勢力にあたるものが存在しないためか、彼らはすっかり平和ボケしてしまっている。海賊船に大砲が設(しつら)えられていたり、船員が全員拳銃を持っていたりなど、海賊として最低限の武装は怠っていないものの、武力を背景に対抗勢力や一般庶民などから金品を奪うような活動は、現在では殆ど行われなくなっている。

海賊船も、現在は本来の用途では余り使わなくなっているため、観光客を乗せて見物料(乗船料)を取るようにしたところ、折からの海賊ブームもあって盛況となり、現在では海賊達にとって最も主要な収入源となっている。また、他に、芦ノ湖周辺の土産物屋なども、大半は海賊たちによって運営されているか、もしくは商人ギルドが海賊たちと手を結んで共存共栄を図っている。
彼らの収入は“真っ当な観光業”にほぼ依存している。箱根海賊の正統な末裔を名乗ってはいるが、海賊としての実態はもはやあって無いようなものなのだ。

箱根海賊がいつ頃から芦ノ湖を支配していたのかは、はっきりしていない。アンサイクロペディアの「海賊」の記事では、海賊そのものは紀元前から存在したと説明されているが、個々の海賊については未だ研究が進んでおらず、また箱根海賊自身も正確な系図を有していないため、その開祖を知ることはできないのが実情である。但し、寛文10年(慶應マイナス195年)に、芦ノ湖から山向こうの駿河国駿東郡深良村(現在の静岡県裾野市)への疏水(用水路)を建造する際に、箱根海賊が深良村の住民に対し水利権料を要求したとの記録があるため、少なくともこの頃には既に箱根海賊は存在しており、また一定の勢力をもって芦ノ湖を支配していたと考えられている。

ところで、芦ノ湖からは、海から船が溯上できそうなほどの大きなは流れ出ておらず、またそのような水路も存在しない。にも関わらず、何故か、箱根海賊は、巨大な海賊船を複数有している。これは、どういうことだろうか?

勿論、このような巨大な海賊船を作れるような造船工場は、この芦ノ湖には存在しない。そもそも、湖畔には旅籠か土産物屋か森林しか、いや、箱根町全体に目を向けてみても、工場といっても土産物や工芸品・食料品などを作っている小さなものしか無く、造船のような重工業の工場は存在しないのだ。
また、遠くの造船工場などで作って陸送したとも考えられない。そのような巨大な船舶を陸送できるような好条件の道路など、芦ノ湖には通じていないのだ。あんな大きな船を積んだトレーラーが、函嶺洞門や乙女峠トンネルをどうやってくぐるのか、あるいは、箱根新道や椿ラインや箱根峠などの九十九折のカーブを、一体どうやって曲がるのか、どう考えても不可能な話である。

しかし、種を明かせば、何ということは無い。この海賊船は、箱根細工職人によって作られたのである。

箱根細工と海賊船

ヨセギ(断面図)。自然はしばしば、自らを幾何学的に形作る。例えば、雪の結晶がそうであるように。

箱根細工(はこねざいく)とは、寄木細工(よせぎざいく)とも呼ばれる、箱根町の伝統工芸品の一種である。よく土産物店などで販売されている、「秘密箱」と呼ばれる仕掛けつき小物入れが代表的なものであるが、箪笥や鏡台、あるいは駕籠や船舶などのような大きなものも寄木細工によって作られることがある。

寄木細工に用いられるヨセギ(寄木、学名Complexio arbor)とは、右図のように特殊な幾何学模様の断面をもつ、箱根などの一部地域にしか生えていない樹木である。色が異なっているひとつひとつの部分が、異なる生物学的性質を有しており、また、各部分は互いに膠(にかわ)で圧着されたかのように強固に繋がっている。“コルク材が強固さを増したもの”と捉えていただければイメージしやすいだろう[2]。ある種の合金が、元々の金属よりも高い能力をもつことがあるように、寄木もまた普通の樹木には無い耐性を持っており、水は勿論のこと、炎や強酸などにも、自然界で発生する程度のものであれば充分耐えることができるとされる。外見上は普通の針葉樹と区別がつかず、切り倒すかサンプル調査をしないと、ある木がヨセギであるかどうかについては判断できない。

現在、ヨセギはワシントン条約の附属書IIにリストアップされており、これに基き日本でも種の保存法によって、ヨセギの使用には農林水産省の許諾が必要であると定められている。が、箱根町の箱根細工職人のギルドは、その全てが箱根海賊の庇護のもとにおかれているので、実際的には種の保存法の規定は全く気にせずに箱根細工の製作・販売を行っている(勿論、日本の一般的な林業者と同じように、毎年の消費量についてギルド内で独自の基準を設け、ヨセギが涸渇しないようには注意を払っている)。ギルドはその見返りに、箱根海賊の求めに応じて、船舶や必要な物資を箱根細工で製作しては提供しているのである。

勿論、現代において多数の人間を乗せて使用するための船舶であるから、モーターやスクリューなどは他のメーカーから調達したものを用いている(ちなみに、上図にあるマストや帆は伝統に則って設えられているだけで、現在では単なる飾りとしての意味しかもたない)ほか、内装にもヨセギ以外の材質が多く使われている。しかし、船体そのものは、箱根細工の職人たちによって、芦ノ湖の湖畔で作られたのである。これが、芦ノ湖にこのような巨大な船舶がある理由である。

海賊船に乗ると、壁面や床などが確かに木製であり、その材料がヨセギであることは一見してわかるようになっている。

余談だが、船内の売店では、350mlのペットボトルの緑茶が180円、350mlの缶ビール(アサヒスーパードライ)が380円となっている。このような暴利を設定しているあたり、この海賊船を運行しているのが確かに海賊であることを示していると言えるだろう。

箱根関所

箱根関所。一般観光客の立ち入りも可能である。

ロープウェイの終点である桃源台駅(桃源台港)は、芦ノ湖の北端になる。ここから海賊船に乗り(これも通行手形で乗ることができる)、30~50分ほどかけて芦ノ湖を北から南へと縦断すると、箱根町港(はこねまちこう)に到着する。ここから数分ほど歩くと、箱根町全体のあらゆる面に重大な影響を及ぼしている箱根関所(はこねせきしょ)がある。

箱根関所は、その名の通り、元々関所であった。日本史の授業などで、「箱根関所では“入り鉄砲”と“出女”が重点的に取り締まられた」と覚えさせられた方も多いことだろう。勿論、前述のように、現代では関所制度は廃止されていることになっているため、観光客や旅行者の身体検査・所持品検査などは、警備上特に緊急の必要がある場合を除いて、原則として行われていない。 現在の箱根関所の主な役割は、以下の3つである。

  • 関銭の各事業者への適切な分配
  • 箱根町を小田急藩が永続的に支配し続けるために必要な情報の収集
  • 関所という史蹟を観光名所のひとつとして一般に公開する

関所の役人たちは、皆一様に優しく、観光客にも丁寧に応対してくれる(他藩の間諜と判明した場合を除く)。とても、“関所破り”を犯した者たちを通算6名も磔刑に処したのと同じ系譜を汲んでいるとは思えない和やかさである。江戸時代の人々が、現在の箱根関所の穏やかな空気を見たら、きっと驚くのではないだろうか。

但し、元和5年(慶應マイナス246年)に箱根関所が設けられてから、慶應5年に公的な関所制度の廃止が布告されるまでの約250年間で、関所破りがたった6名しかいないとは、少なすぎるとの指摘もある。これは、「薮入り」という制度が原因である。

「関所破り」は、故意に関所以外の場所を通過して藩境を越えようとした者に対する罪であり、磔刑以外の処罰はあり得なかった。一方、「薮入り」とは、故意ではなく、誤って(過失により)関所以外の場所を通過して藩境を越えようとしてしまった者に対する罪であり、通常は没収や追放などの軽い処罰(生命を奪うことに比べれば軽い、というだけの意味だが)が科されていた。
当時の箱根関所の役人達は、この「薮入り」をうまく活用したのである。関所破りが余りにも大量に発生してしまうようだと、その関所の役人達が資質を疑われてしまうため、実際には故意による関所破りであっても、薮入り――即ち、“意図的に関所破りをしようとしたのではなく、道に迷ったなどの過失によるものである”と看做して扱っていたのだ。自らの保身に走った役人の不埒であるとも言えるが、地元では“温情”とか“お目溢(こぼ)し”として捉えられている。現在の関所役人の優しさも、おそらくはこの流れを汲むものなのであろう。

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なお、この箱根関は、「関東」「関西」の語源となっている。箱根関から東側だから関東と呼ばれ、北陸・東北地方を除く関八州が一般に関東地方となる。なので「沼津は関東」は誤り。この理屈に則れば、静岡浜松名古屋京都も、それどころか姫路岡山も関西ということになるはずだがお察し下さい

実際、逢坂関から西側だけを関西と呼べばよいので誰も気にしない。ちなみにジョウト地方には京都以西もほぼ含まれ、毎年夏になるとポケモンスタンプラリーが開催され、一般客の迷惑も顧みず駅構内を疾走し豪快なドリフトを決める大きなお友達の姿がみられる。また、箱根を古くは「函根」(旧字体で凾根)と書いたため、東北地方には険しさを箱根に例えた「大峠函嶺越」なる峠があったりする。よって、地名においては「関」=「函」と考えてよい。しかし数学分野で「関数」を「函数」と書くのは禁則事項です

箱根旧街道

箱根旧街道。晴天の日中であっても懐中電灯が必要な暗さである。

関所の近くには、昔の街道の面影を今に残す“杉並木”や“石畳”などがある。この記事の冒頭に掲げた鳥居忱&滝廉太郎のコンビにより、「暗くて全然歩けねーよww昼だろ今w 道は細いは苔で滑るは、それ何て死亡フラグ?」と歌われたように、晴れていても右図のように真っ暗である。

地面には石畳が敷かれているが、苔生(こけむ)してしまっており、大変に滑りやすい。滑って転んで提灯を壊してしまったら、もうそこから歩けなくなってしまうのだ。昔の人の旅は大変だったのだなあと思ってしまうが、現代でも懐中電灯が壊れてしまえば同じ状態に陥るのである。

このあたりは、かつては普通の山道であり、木が生い茂って鬱蒼とはしていたものの、晴天であれば決して歩けないほどの暗さではなかった。が、18世紀中ごろ(詳細年代不詳)に、関所破りの多発に業を煮やした関所役人が、ちょうど関所を通ろうとした祈祷師に依頼して、関所破りが多発していた藩境地帯を“”で満たし、昼間でも提灯無しでは通り抜けられないようにしたのである。その後、“闇”は時代を経るに従って少しずつ移動していってしまい、現在では旧街道の一部を覆ってしまっているのだ。そのような闇の中で苔が繁殖できるのかどうか疑問は残るが、これも普通の苔ではなく、何らかの突然変異を起こしたものなのではないかと考えられている。

ともあれ、このような危険な道は、充分な準備をしていない限りは通ろうとすべきではない。ほぼ並行して普通の道路(コンクリート舗装済)も通っており、そちらは闇には覆われていないので、観光客はこちらを歩きながら、傍らに蠢く“闇”を見物する程度に留めるべきだろう。

元箱根と「紋章」

関所から1km強ほど湖畔を歩く(バス便や渡し舟もある)と、元箱根港(もとはこねこう)に着く。ここまでで、小田原駅を出発してから最低でも6時間程度は経過しており、また、充分に関銭の元は取れている筈である。そろそろ日が傾いてきたので、帰路につくことにしよう。

勿論、日帰りせずに、箱根町に数多くある旅籠のどこかで泊まっても良い。普通はここに着くまでに、既に数百人の客引きの勧誘に遭っている筈だから、断れずに宿泊の予約をさせられてしまっていることも充分考えられる。彼らの大半は「通行手形は明日も使えるのよ! 泊まっていらっしゃいよ」と言うのだ。やはり冒頭で述べたような癒着がきっとあるのだろう。

元箱根港からは、ここまでと逆の順序を辿って帰っても良いし、また箱根湯本駅や小田原駅など周辺各地への直通バスもある。

ところで、ここまで私たちが使用してきた交通機関は、全て小田急藩の支配下あるいは提携関係にあるものである。西武藩が支配しているのは伊豆箱根バスという紛らわしい名称のバスのみであり、これを利用せずとも箱根町の観光には差し支えないのだ。

小田急藩の鳳凰の紋章。

但し、当然ながら、小田急藩発行の通行手形は伊豆箱根バスでは使えないため、うっかり間違えて乗ってしまい検閲により削除れてしまうことの無いよう、充分な注意が必要である。小田急藩関係の交通機関には鳳凰の紋章、西武藩関係の交通機関には獅子の紋章が、必ず車体のどこか目に付くところに掲げられているので、乗車前に紋章を確認するのが確実だろう。

元箱根港の傍らにも、獅子の紋章を掲げたバスが通るバス停があるが、これには近づくべきではない。鳳凰の紋章を掲げたバスに乗って、箱根町を後にすることにしよう。

その他

今回辿った経路から外れてしまった地区のうち、主要な2つについて簡単に記しておく。

畑宿

畑宿の一般的な住居。こちらは上述の海賊船とは異なり、装飾があまり施されておらず、一見して木製であることがわかる。傍らのバス停まで木製である。

箱根湯本駅から元箱根港に行くには、上述したような経路のほかに、地図上ではほぼ直線に近い経路での路線バスがある。この路線バスが通っているのが旧東海道であり、そのちょうど中間点あたりにある集落が、畑宿(はたじゅく)である。

現在でこそ、箱根細工の職人は芦ノ湖畔や箱根湯本などにも住んでいるが、もともと箱根細工は、この畑宿が発祥の地である。現在も数多くの職人が住んで――というよりは、交番や消防などの僅かな公僕を除けば、全世帯が、箱根細工の職人を最低1名以上有しているのだ。また、前述の箱根細工職人ギルドの本部(畑宿寄木会館)も、この畑宿に置かれている。

右図のように、集落内の建物も、その多くがヨセギを用いた箱根細工によって作られている。箱根細工の小物などの販売店も多数あるほか、畑宿寄木会館では箱根細工の歴史を学んだり製作を体験することもできる。しかし、これらの街並みを眺めるだけでも、この山あいの集落を訪れる価値は充分にあるだろう。

仙石原

戦国仙石原(せんごくはら)は、箱根町の北端にある地区である。御殿場方面から乙女峠(おとめとうげ)を越えて来た場合は、箱根町の玄関口にあたる。

様々な施設や観光名所があるが、その代表的なものは、東横インが運営している「内観研修所」であろう。東横インの運営するホテルでは、全ての客室に必ず「内観」(ないかん)についての資料冊子が置かれている。東横インに泊まったことがある者は、誰もが必ずこの冊子を一度は手に取り、「内観」を体験したという新聞記者の談話を読んで、様々なことを考えさせられている筈だ。

内観研修所の内部(『忘れていた心の宝と出会える本』(三木善彦/東横イン箱根国立公園内観研修所)より転載)。この部屋で1週間過ごしたら、きっと、生まれ変われそうな気がする。

「内観」とは、他者から完全に隔絶された監獄環境のなかに7日間滞在し、そこで自分や自分の身の回りの人々などについて、様々なことを改めて考えて思い出すことにより復讐の念を新たにすることで、結果的に自分の人生に悪影響を与えた人物を抹殺する決意をすることにより人生を死刑と転生によりリフレッシュさせる、という精神修養法である。別に東横インが考案したわけではなく、古くから主に邪宗門などによって、箱根などの人里離れた山中に籠ることによって行われていた手法なのだが、東横インの会長が「内観」によって人生を大きく狂わ変えさせられたことから、自前で専用の施設を設けるに至ったのだそうである。会長には、きっと、身体障害者の知人が多かったのだろう。
普段、“自己との戦い”をあまりしていない人にとっては重要な効果を産み出すことができるが、普段から“記事の執筆”という行為によって自己や他者と戦っている我々アンサイクロペディアンには、余り必要の無い修養法である。

ともあれ、7日間を無事乗り切った人間は、自分のなかにある種の変化を起こしたうえで、研修所を後にするのである。


ところが。


昔なら、仙石原には山林や薄(すすき)の野原が広がっているだけであり、心を乱すものなど全くといって良いほど存在しなかった。

しかし現在の仙石原には、他にも、空の星になってしまった戦没者の遺体や遺骨を展示している追悼施設「星の王子さまミュージアム」や、醜い人間がどのようにその醜さを覆い隠してきたのかについて研究・展示している「ポーラ美術館」など、様々な観光施設があり、箱根町の他の地域と同じように、多数の観光客がこの地を訪れている。そして、修養を終えた人々は、俗世間の観光客に混じって、路線バス等に乗って帰路に着くのである。騒がしいバスの中で1時間も過ごせば、7日間で得たものは、当然雲散霧消してしまい――。

決して箱根にとって害なす施設ではないのだが、もう、箱根のような観光地ではなく、新たに別の山深い隔絶された土地を見つけて、移転するべきではないだろうか。そうでないと、せっかくの「内観」の成果が死んでしまう。これではまるで、秘密箱の中に入れたまま取り出せなくなってしまった雲助団子ではないか……。

イベント等

箱根町では、毎日のように様々なイベントが発生しているが、そのなかでも特に有名なのが「箱根駅伝」と「箱根大名行列」である。

箱根駅伝(はこねえきづたい)
毎年1月に行われている、箱根登山鉄道の兄貴登用試験である。元々は単なる一企業の採用試験でしか無かったのだが、「小田原駅から元箱根港まで1人でひた走る」「元箱根港から桃源台まで泳ぐ」「桃源台から仙石原・乙女峠を経由して御殿場まで自転車で走る」という、トライアスロンも真っ青のエクストリームスポーツっぷりが一般にも好評となり、現在ではテレビ中継もされるほどの一大イベントとなっている。
勿論、これはかつての修験者の修行内容を、試験用にアレンジしルール化したものである。挑戦者は箱根登山鉄道などの各駅を経由し、駅員や乗客・沿線住民などからの激励を受ける慣例となっているため、「各ってゆく」という意味から「駅伝」と呼ばれるようになったという。
何故か大学生の挑戦者が多く、また、完全走破者は大企業のスポーツ部などからのスカウトを受け、多くが箱根登山鉄道の採用を辞退して他社に行ってしまう。このため、現在では採用試験としての意義は薄れてしまっている。また、鉄道運行の機械化により兄貴の活躍の場は着実に狭められつつあるため、箱根登山鉄道では、「箱根駅伝」について特許を取得し、民間団体によって競技を開催させ、その特許料による収入を得る方向での検討を進めている(慶應153年現在)。
箱根湯本駅。慶應152年の箱根大名行列で、“人智を超えた破壊者”によって駅舎が破壊されたため、現在復旧(というか新築)工事が行われている。生存者がいないため、破壊者の正体は現在もなお不明のままである。
箱根大名行列(はこねだいみょうぎょうれつ)
箱根町では、何故か毎年11月頃に24時間だけ時空連続体の混乱が発生し、過去あるいは未来から様々な人間や事物がやってきたり、逆に現代の人間が他の時代に飛ばされてしまうという現象が発生している。このため、現代から離れたくない住民は、この時期になると箱根町から一時的に逃げ出すのだが、近年では逆に、珍しいものが見られるとしてわざわざ箱根町に足を踏み入れる命知らずの観光客も多い。
この現象は、かつては「時震」とか「時患(ときわずらい)」などと呼ばれていたが、慶應71年には大名行列によって国道が占拠され、武士が周囲の人間を無礼者として切り付けるなどの混乱が発生したことから、「箱根大名行列事件」として全国的に有名になった。この名称が定着し、現在でも「箱根大名行列」と呼ばれている。勿論、毎回そのような面白いものが見られるとは限らないが。
現象のメカニズムについては未だ解明されていないが、箱根旧街道を覆う闇(上述)が出現した頃から発生するようになったことから、この闇が単なる闇ではなく、何らかの時間的な変調を引き起こしているのではないかと推定されている。

脚注

  1. ^ ちなみに、下側(南側)の残り半分のうち、東側4分の1が真鶴町、残りの西側4分の3が湯河原町である。
  2. ^ これは、あくまでも読者の理解を助けるための例示である。コルク材とヨセギとの間に何らかの生物学的な繋がりがあるかどうかについては、現在のところ全く明らかになっていない。

関連項目

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「通行手形 (箱根町)」の項目を執筆しています。
  • 東京箱根間往復大学駅伝競走 - 東京から箱根までタスキを繋ぐ、陸上競技マニアの大学生たちの祭典。そんな下らないことやってる暇があったら、勉強するか他の遊びをしていたほうが余程有意義なのではないだろうか。箱根には電車とバスで行けば済む話であるし、そのほうがきっと楽しいだろう。
  • 御殿場プレミアムアウトレット - 箱根町の隣の静岡県御殿場市にあるアウトレットモール。距離的にも近く、御殿場市には駅や東名高速道路のインターチェンジもあることから、ここに寄ってから箱根町を訪れる観光客も少なくない。
    箱根町で、明らかに土産物ではない日用品や衣料品などを大量に持ち、息を切らしながら辛そうに観光をしている者がいたら、彼らはアウトレットに寄ってきたとみて間違いない。この後の観光のことを考えず、前後の見境なく買物をするからこうなるのだ。自業自得である。
  • 第3新東京市 - 箱根町に建設が予定されている、東京に代わる“新たな首都”の通称。しかし、箱根大名行列においては既に未来人も多く出現しているにも関わらず、彼らが一様に「まだ日本の首都は東京のままだ」と発言していることから、第3新東京市は永遠に完成しないのではないかと地元では考えられている。

最後に

ここまで、「観光」という観点から箱根町について説明してきたが、如何だっただろうか。

冒頭でも述べたように、箱根町では様々な時代や文化が混淆している。それは単に、古き良き時代の流れを留めているというだけではなく、危険なものもあれば、人間の黒歴史に踏み込んでしまうようなものもまた残っている。更に、2つの藩と海賊の存在が、一種の治外法権じみた状況を作り出しており、そこへ異なる時代からの干渉が起こったりなど、ある種のカオスに包まれていると言って良い。

しかしそれでも、大概の危険は、時期を外したり、危険とされる場所に近づかないなどの注意を払うことにより回避することができる。また、もしあなたが善良な一般の観光客であれば、箱根を訪れると、誰もが暖かく迎えてくれる(海賊や関所役人でさえも!)ことに、きっと驚くだろう。空気は(一部を除けば)綺麗で、自然も豊かで、温泉もあり、観光名所などは全部見たら何日かかるかわからないほどだ。


この記事をお読みになった方が、箱根町を訪れてみようという気になって下されば、幸いである。(他藩の間諜を除く。)


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