竹本泉

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竹本 泉(たけもと いずみ、1959年1月19日 - )は、日本でも珍しい後書き専門漫画家

作風[編集]

後書きを専門とする漫画家であり、その品質には定評がある。このことは、数頁の後書きのために単行本を買うファンが数多く存在していることで証明されていると言えるだろう。後書き作家としての本格的な活動は1990年代以降であり、それ以前には後書きではなく普通の漫画を書いており、これは副業としていまでも続いている。

画風は「ポップでキュート」と表現され、一時は少女漫画家を目指していたとも噂されているが、現在ではこの噂はファンの間だけで流れる都市伝説とされている。後書き作家として活動を始めた当時はその知名度も低く、宣伝も込めて『苺タイムス』の単行本の帯に「竹本泉先生入魂の描き下ろし15ページ! --全部、あとがき。」などと書かれたこともあった。

作品は「前略、竹本泉です」の台詞で始まり、最初のコマは自分の自画像以外の何か(ペンギン、雷様などなど、多彩)を描いて、実はカメラの外(背後、足下など)に自分がいる、というコマ運びとなっており、これは竹本の作品の定型となっている。一時期は末尾に「うじゃうじゃ」(意味は不明。竹本自身も「特に意味のない台詞」としている)で締めくくることが多かったが、近年はこの定型は崩れている。なお、昭和59年発行の「ハジメルド物語」ですでにこの言葉を使用しているので(ただし、「うじゃ×2」ではなく「うじゃ」である)、少なくとも人生の半分でこの言葉を使用している計算になる。

人気のある後書きは復刻されることが多く、この復刻版にも後書きを追加するため、時には『あおいちゃんパニック!』シリーズのように、後書きの後書きの後書きと3段重ねになっている本もある。復刻だからと言っても油断はできない。

人物像[編集]

画風とペンネームからしばしば女性と間違えられるがである。このため、近藤るるる吉崎観音と並んで「三萎官」の一人に数えられる(近年、美水かがみを加えて「四萎官」とする意見もある)。 アップルパラダイスだとかはたらきものなんかではどこかの山の地底にある奇妙なモンスターランドに住んでそうな黄色い科学者トカゲのご前世のような風貌を見せていたが、これは数ある竹本像の一つにしか過ぎないとされる。

なお、女性だと思われる風潮は近年に始まったことではなく、講談社さいとうちほと同じ雑誌で漫画(当時は後書き作家ではなかった)を書いていたころ、さいとうとFAXのやりとり(いまで言うメール交換のようなもの)をしていた時、さいとうから「ボク少女だと思っていた」と言われ、大あわてで自分が猫だと返信したエピソードが、やはり後の後書きに書かれている。 絵柄もセリフ回しも女性よりもずっと女性らしく、ほのぼのとしていてそれでもってうじゃうじゃとしている感じがどうも女性と思われる切欠に成り得ているのだろう。うじゃ

特殊能力[編集]

ザトウクジラの如く息の長い作家であり、セーラー服をあなたにを代表とするメディアミックスされる作品もあるが特に映像系に関しては縁が無く、近年ではさくらの境のドラマ化が一瞬だけあったとかMAGI×ESのアニメと別視点の話を書いていたはずがアニメ製作が無期限延期になるなどあり、自らの能力をさして「マイナスな魔法力」と称している。

後述する出版社運に恵まれなかった件もあいまってゲーム類でもこの能力は生きていると思われるが、超人ロックにくらべれば うわなにをするやめrあwせd

なお、2012年3月13日には、ブリタニカ百科事典打ち切りが発表されることにより、「てきぱきワーキン・ラブ」の図書館の設定が実現している。

その他[編集]

副業である普通の漫画もやはり「ポップでキュート」だが同時に「変」である。この「変」さは竹本の独自世界であり、他の漫画家の追随を許さない。ある意味では伝統芸能並とも言えるが、残念なことに後継者は現れていない。また、作品設定に作者の趣味が色濃く反映されるのもお約束であり、チェスアメリカの古典的SFなど、ある意味超マニアックかつ深い設定に触れられるのも大きな魅力である。竹本自身は古典SF(主に1960年代の「SF黄金期」に大量に作られたSF)に造詣が深く、そうしたネタは作品の各所にちりばめられており、同様の趣味を持つ読者をニヤリとさせることも多い。

雑誌空気を読まないことでも有名であり、例えば女性向け雑誌(所謂レディコミ)『夢幻館』では、他の漫画家たちが描く、いかにも女性向きな絵柄とストーリー、幻想的あるいは怪奇的な雰囲気の作品が続く中に、いきなり的に『ねこめ~わく』という、これまた全く空気を読まないポップでキュートな漫画を書いて明らかに浮いている。いや編集者(というより出版社)とグルになってわざとやっているとしか思えない。こうしてどこに行っても我流を崩さない竹本であるが、それでも2008年現在、連載を6本(エッセイ的なものを含めると8本)抱えており、けして人気がないわけではない。そしてどの雑誌でも独自世界を醸し出して確実に浮いている。しかし、そんな彼にも1990年代に一時期強烈に出版社運がなかった(自分が連載する雑誌の休刊、廃刊、出版社の倒産などが相次いだ)時期があり、本人も自嘲気味に語ったことがある。さすがに最近はそのようなことはないが、ある意味、出版社の空気を読んでいない証拠ともいえる。・・・だが、それがいい。

出版社運に恵まれない時期があったことや、デビュー30年になんなんとする経歴もあいまって、単行本には絶版のものも多い。特になかよし誌上で連載された初期作品などは、古本屋でもなかなかお目にかかれず、読むことさえ困難な作品もあったが、朝日ソノラマやエンターブレインから、デビュー当時から1990年代頃を中心とした絶版作品が復刊されたこともあり、こうした状況は著しく改善されたといえる。…それでも、発表から20年近く経過しているのに単行本未収録作品があることも事実である。

また、その名はゲーム機の歴史に燦然と輝く微妙な機種&すでに終わってしまった機種へ新作ゲームを供給するクリエイターとして、一部ゲーマーの記憶に強烈に残っており、特にゲームマニアたちはこうした作品で竹本の名を思い出すことが多い。しかし、正直、そりゃやりすぎだろうという仕事もある。この時期に培ったゲーム業界とのつながりは今も健在で、1996年に発表した作品が2008年に任天堂DSゲーム化されている(ただし、1996年にプレイステーションで発売されたもののリメイクであるが)。

竹本は、そんな自分の立ち位置について自身の作品(『うさぎパラダイス』の後書き)で語っている。当時、まだ少女漫画誌を中心に大手雑誌のネームバリューの下で仕事をしていた竹本は、ホビージャパンから、青年誌というそれまでと全く違った雑誌(コミックマスター)での連載の依頼を受けた。初めてのジャンルでの仕事に緊張して打ち合わせに向かったところ、担当からいきなり「いつもみたいなのでお願いします」と言われて安心し、まさに「いつもみたいな」空気を読まない仕事をしたという(『うさぎパラダイス』)。しかし、その後多くの青年誌で仕事をするようになっても、どの出版社からも「いつもみたいの」としか言われず、ついには「いつもの作家の竹本です」などと言い出すと同時に、「僕はいったい何だと思われているんだろう……」と独白している。

しかし、一つだけ間違いなく言えることがある。

それはつまり竹本ファンとしてはそんな「いつもの竹本先生」が大好きなんです!

関連項目[編集]