竹中半兵衛

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竹中半兵衛(たけなかはんべえ)は、戦国時代サムライであり、ただのサル(と言っても、ブッシュ某とは比較にならないほど知能指数は高い)であった豊臣秀吉に人間の言葉を教え込んで天下人として養成した調教師でもある。諸葛亮の生まれ変わりと呼ばれたほどの天才らしい。だが諸葛亮の生まれ変わりと言われるということは、諸葛亮に匹敵する天才であったと同時に諸葛亮に匹敵する変人、危険人物であったことをも示唆している。彼は特に秀吉と二人っきりの時は常時オネエ言葉で話すオカマであり、なおかつ鞭で同僚や部下、果ては幼い息子を気の済むまでいたぶった挙げ句、おもらしを強要したという寒気が走る逸話が残っているサディストである。彼と共に豊臣家の両兵衛と呼ばれる黒田官兵衛も彼にSMプレイで扱われ、立派な変態になっている。

人物[編集]

  • 秀吉にとっては先生のような存在であった半兵衛はそれ程身体が丈夫ではなく、愛する教え子である秀吉に「半兵衛先生」と呼ばれただけで興奮のあまり卒倒したり喘息気味になってしまうことがあった。一方、秀吉が出世して彼のことを部下として扱い先生として呼んでくれなくなると、淋しさのあまり自殺を図ろうとまでした。朴念仁の秀吉は「かの者の心中、察し難し」と首を捻っている。
  • と見間違えるほどの美しい容貌を持っていた事でも知られ、それをコンプレックスに思っており隠す為に仮面をつけていたとも言われるが、仮面を被っていた真の理由は「殿方以外の男には素顔を見せたくなかった」からだとも言われている。無論、殿方とは秀吉のことである。
  • 秀吉の正室である寧々に嫉妬し、彼女の下着を盗んで軒先に晒したり、彼女の草鞋に画鋲を(それも何枚も)入れたりするなど悪質な嫌がらせ行為をしていた。一時期半兵衛に疑いがかけられたが、彼は清々しい顔で否定し、何一つ知らぬ部外者を装った。この逸話が後にぶりっ子の意味合いで使われる「知らぬ顔の半兵衛」と言う喩えを生んだ。
  • 女装癖があり、松永久秀などから変態仮面と恐怖と侮蔑もとい畏敬の念を込めて呼ばれた。
  • 田亀源五郎の「俺の先生」に登場する熊先生は、半兵衛の気質と蜂須賀小六の立派な図体を元にしたキャラクターである。
  • 竹中家はサディストの家系として知られる。従甥にあたる竹中采女発明家で、SM界のドクター中松と呼ばれ、長崎で活躍したが、エスカレートするサディストぶりを危惧した徳川家光により粛清された。現代では和泉節子竹中平蔵が竹中家の伝統を受け継いでいる。

経歴[編集]

元々は美濃の斎藤龍興に仕えており、彼の家庭教師を務めていた。頭脳明晰、冷静沈着な冴える男だったが、サディストである彼は龍興を叱責する際につい鞭を振るって体罰を与えてしまう事が度々あった。しかもサディストゆえ一度叩きだすと止まらなくなってしまうため、龍興の身体には無数のアザが出来ていた。元々ボンボンの3代目で甘やかされて育った龍興にとっては地獄の責め苦その物の苦痛であった。

その一方で龍興は半兵衛の女性のような端麗な容姿に性欲をもてあましきれなくなったこともあり、復讐としてマゾヒストの気が皆無な半兵衛が嫌がるのも構わず部下と一緒に小便をかけたり、無理矢理メイド服を着せるなどのサディスト的なセクハラ行為を行うようになった。こうして次第に両者の関係は冷めていったのである。

秀吉との出会い[編集]

それから間もなくして半兵衛に運命的な邂逅が訪れる。後の主、羽柴秀吉との出会いである。きっかけとなったのは秀吉が斎藤家の領内に忍び込んで柿を盗んで食べていたのを半兵衛が発見したのに端を発する。盗み食いを見られてしまった秀吉は即座に逃亡するが半兵衛のシルクロードまで延びる電撃鞭に捕捉され稲光の拷問を受ける。半兵衛はこの手の行為に一度及んでしまうと自制が利かなくなってしまう故に拷問は3時間あまりも続いたと言う。

しかし半兵衛は電撃鞭の電撃に悶える秀吉の苦痛に歪む顔があまりにも可愛らしかったのか一目惚れしてしまい、その場で秀吉を釈放したばかりか以降しつこいばかりに彼に恋文を送り続けるようになる。ある日、この事が主斎藤龍興の耳に入り、激怒した龍興は書き溜めていた恋文を押収、全て焼却してしまった。

秀吉への愛の結晶を灰化させられた半兵衛の憤怒は高潮に達し、半兵衛は稲葉山城を退去、織田方に降る。一説には貞子のコスプレをして龍興を振るえ上がらせ稲葉山城を制圧してしまったと言う。この時の半兵衛は実際に井戸から出てきたりするなど貞子さながらであった。なお何故戦国時代の人物である彼らが貞子の存在を知っていたかは分からずしまいであった。

織田家へ仕官[編集]

織田信長に仕官のあいさつをする際に「私は秀吉様のそばにいたいのです」と真っ先に述べたため、信長にあいさつができないと言う理由で殺されそうになった。しかし、秀吉の機転で一命を取りとめ、美濃三人衆を寝返らせたり稲葉山城を落とすことに貢献する。稲葉山城を落とす際には女装して城内に入り中で暴れまわって落城させたと言う。 しかし半兵衛と信長は相性が会わなかった、と言うより信長があからさまに検閲により削除に及びたそうないやらしい顔で半兵衛を見るので半兵衛は怯え腰になってしまったのである。

貞操の危機を感じた半兵衛は、サルの秀吉にまともな人間の言葉を教えると言う口実を設けて信長から一歩離れたポジションに身を置くことに成功する。さらには思いを寄せていた秀吉の先生と言う美味しい役所にも就ける、まさに一石二鳥であった。秀吉は半兵衛の教育も奏功して人間以上に言語堪能な猿となったが、身近で半兵衛の変態もとい変人ぶりを体感してきた秀吉は、男色の気が無かったこともあって私的にはあまり半兵衛と親密になりたがらなかった。

半兵衛の方もあふれ出さんばかりの性欲を必死に堪え、せめて秀吉が一国一城の主となるまでは夜伽を願い出ないと誓っていた。それでも秀吉と行為に及びたい半兵衛は時々女装して遊女を装い秀吉の目前で舞踊などを披露し、その時の秀吉の満足げな顔を思い出しては夜な夜な自慰を行っていた。

しかし洞察力の鋭い秀吉はある日遊女に変装していた事がばれてしまい、秀吉が恐怖のあまり半兵衛と顔を合わせることを一ヶ月拒絶した事件があった。

秀吉からシカトを決め込まれ、絶縁されたと思い込んだ半兵衛はショックのあまり最終手段として魔法を使って本物の女性になることに成功。理知的な雰囲気を持ち、華奢な体つきだが出るとこが出ているという最高の美少女となった。しかし、その反動として極度の虚弱体質になり、不治の病を幾つも抱え込むことに。

末期では絶えず止まらぬ咳をするたび肋骨が折れるというありえない事態に陥っていた。最初は半兵衛に欲情していた秀吉も病気が移ることを恐れて拒絶。とうとう半兵衛は秀吉と添い遂げることなく病死してしまった。 ちなみに、彼の得意なことは笑いながら怒ることだという。