立花宗茂

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「ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!」
立花宗茂 について、高橋鎮種

大阪の陣が終結し、大規模な合戦が勃発することはなくなり、徳川家による治世が磐石となってひとまずは泰平の世が訪れた。戦国の遺風は残りながらも、騒擾の渦中にあった日本は幕府の統治の下安寧と静謐を取り戻し、3代将軍徳川家光をはじめ乱世を知らない世代が政を主導するような時代となっていた。

そんな戦国が遠ざかっていった寛永の頃、将軍家光に随従し、昔話を聞かせている一人の老人がいた。齢はすでに60を越したが老人とは思えないほど精悍とした風貌で、背筋は伸び、弁舌はよどみなく矍鑠としていた。老人は、戦国生え抜きの驍将であり、かつては軍勢を率いて各地で武威を振るった猛者であった。将軍家光に対して、過ぎ去った戦国の世の話を面白おかしく聞かせ、自分の武勇伝を、若干…いや結構な誇張を交えて吹聴していた。この矍鑠とした老人こそ、西国無双と謳われた立花 宗茂 (たちばな むねしげ)であった。

人物[編集]

永禄10年11月18日(1567年12月18日)、高橋紹運の長男として生まれる。嫡子であったが、幼き日の宗茂の器量にすっかり魅了された立花道雪たっての希望により、立花家に跡取りとして迎えられる。後に道雪は宗茂と初めて会った日を振り返り、「生涯で2度目の雷撃を浴びたようだった」と述懐している。

宗茂は軍法について、 「常に公平に兵士に接し、そして慈しめば皆命を投げ打って力戦してくる」と述べているが、「人を使う」という最も難しく、かつ最も大きな悩み事への回答をさらりと述べ、しかも事も無げに自然と実行してしまえるところが彼の真の凄みであるといえよう。

実際にはそのような彼の大将としての抜群の器量だけでなく、彼の涼しげなる魅力に敵味方問わず魅了され、敵は無意識に攻守がおろそかになり、逆に味方は常に士気が高揚し続けていたことも大きい。立花山城や柳川城等の防衛戦ではその真価が遺憾なく発揮され、何としても宗茂を守り抜こうと一兵卒までも皆自分の立場に使命感を感じ奮戦した。

好きな女性のタイプは柊かがみ秋山澪のような「照れ屋なツンデレ」であったが、ある日道雪からいつも以上に真剣な形相で「宗茂よ、お主は突照は好きか好かぬかとくと答えい」と尋ねられ、思わず「はい」と応えてしまったところ、程なく「男勝りなツンデレ」である道雪そっくりの愛娘立花誾千代を娶る手筈となってしまった。とんだツンデレ違いに思わず宗茂も「それはちょっと、話が..」と言いかけたが、花嫁の父である道雪がこちらを眉を吊り上げて見ており、一言も発することができなかったという。

家事を全くせず日々剣術に明け暮れる、夜中寝ぼけて宗茂に斬りかかる、気が立っては雷を呼び寄せ屋敷がボヤ騒ぎになる、といった狼藉ぶり、挙句には夫を差し置いて戦場で暴れまわり、鬼島津石田三成と熱い友情を結ぶようなとの結婚生活はお察し下さいであり、道雪の死後程なく別居に至る。この反動が後年彼を料理好きにさせた一因と言われている(誾千代との別居後、何人も側室を娶ったにもかかわらず、子供が出来なかったように「種なし」だったからとの説もあるが…)。

チート伝説[編集]

同年代の伊達政宗真田幸村に勝るとも劣らない戦国の世が生み出した史上最高レベルのチート的人物。どれくらいチートかというと、単純に戦闘能力だけ見ても若くしてあの本多忠勝に匹敵する実力を有し、あの鬼島津と渡り合ったという常軌を逸した強さを持つ。特に籠城戦での鉄壁の守りは特筆に値する。そのため、時の天下人豊臣秀吉からは東の忠勝、西の宗茂と並び称され、「剛勇鎮西一」と呼ばれるようになった。

しかも彼のチートっぷリは戦闘力だけに収まらず、一度改易されてプータローになったにも関わらず再び不死鳥のごとく大名として復活したり、あまりの人格者っぷりに男女問わずモテモテという経歴から人間性まで半端じゃなく、劉備も編みかけの草鞋をほっぽり出し逃げ出す程のチートっぷりである。道雪、秀吉、徳川家康、そして仇敵であった島津家までもが彼を絶賛し、浪人時代も全国の大名から引き手数多であったことがその人気ぶりをうかがわせる。そのため、百戦錬磨のアンサイクロペディアン達も下手な冗談は書けない、と加筆に難渋するほどである。

しかしあまりのチート的存在ゆえにどうしても嘘臭さが目立ち、彼の経歴を疑う者の手によって歴史の表舞台には余り知られなくなってしまった。本来戦国無双に登場するのも彼の予定であったが、数々の妨害工作によって登場権を鬼嫁誾千代に奪われてしまい、叶わぬ夢となった。

・・・しかし戦国無双3ではそんなことなかったぜ!!と言わんばかりに登場した。その「ふざけるな」の一言に今まで戦場に立てなかったことへの悔しさを垣間見ることができる。が、その斬撃はそよ風の如く、遅かった上リーチもなく、最大の武器は上杉謙信から盗んだ「体当たり」という始末。ストーリー上一応西国無双として扱うが、どう見ても鬼嫁のほうが強い。後は髷親父にイメチェンしてチェーンソーを振り回して戦国BASARA3に登場。ここまで来てもうチートでも何でもなかった。立花宗茂に立ち向かってはならない。

料理人として[編集]

改易後、全国の大名からの士官要請に応えず、京都にて家臣達と生活費0円サバイバル生活対決を行うこととなったが、このような状況ですら悠然と楽しんでいた。必要に迫られ自炊を始めたが、料理の奥深さに気付き、何でも器用にこなす上に凝り性な性格もあり、天性の才能もあいまって限られた食材で独創的な創作料理を次々と編み出していった。自分の料理のおいしさに感激する家臣達を見て彼らにもっと喜んでもらおうとさらに発奮し料理への熱意はますます強くなっていったという。

大名に帰り咲いてからも、「0円サバイバル生活対決の日々を肝に銘じ忘れないため」と言いつつ、厨房にて采配代わりに楽しそうに包丁を振るう姿が記録されている。

彼の料理の腕前は時の将軍、徳川家光の耳にも入り、ついには同じく料理が趣味であった伊達政宗との御前料理対決も実現している。彼が考案し柳川藩に代々受け継がれ、そして洗練されていったレシピの数々は、現在当家秘伝の「タチバナ・レシピ」として立花家別邸で味わうことができる。

関連項目[編集]