穴山信君

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「これマジ?号のかっこよさに対して名声が貧弱すぎるだろ…」
後世の評価 について、穴山梅雪

穴山 信君 (あなやま のぶただ) とは、武田二十四将の一人にして出家後梅雪斎不白という超カッコいい名前を自分につけた人物である。

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誕生[編集]

1541年に生を受け、伊豆守たる穴山信友の嫡男として誕生。武田氏に近い穴山氏として生まれた事により、武田氏に対して深い忠誠を誓うかと思われたがそんな事は無かった。幼名を勝千代と名付けられた信君は酒癖以外はまともな文化人である父、信友の元ですくすく育ち、至って普通の武術を学び、これまた至って普通の学問を修めた。一応は幅広い学問を学んだとされているが、戦乱の世の跡継ぎなど大体家名存続を賭けて教育されるため、どこも似たようなものである。

武田家臣へ[編集]

そこそこ良い感じに育った信君は穴山家と関わりの深い武田氏に仕える事となる。穴山氏と武田氏の関係は切っても切れないほどに強固な繋がりがあり、甲斐の武田・穴山・小山田といえば由緒正しい名門である。ちなみに武田二十四将に名を連ねる小山田信茂は信君と同じく武田勝頼を裏切っている、おい名門ども[1]。一応小山田氏のために弁明しておくと、信茂は常に最前線にいた勇将である。信君の離反については後述するとして、信君の所属した武田家臣団はあまり理想の職場とは言えないようである。信玄の代はまだ良かったものの、勝頼に代わってからは対立が絶えず、良く喧嘩していたとされる。信玄があまりにも有能過ぎて息子とのギャップが出てしまったがためにガッカリしてしまったのかもしれないが、そこを上手くフォローするのが側近としての仕事だと思われるのだが。

離反の道[編集]

元々内通者との取次ぎなどを行っていた信君であるが、織田信長が甲斐を攻める際にその経験を生かして内通者になった。この裏切りは元々大して好きでもないうえに完全にオワコンと化した勝頼を見限ったということだが、同時に武田家よりも穴山家としての家名存続を優先したということである。

と、そこまでは良かったのだが死に様があまりにも美しくなかった。信長のところにぺこぺこしにいったついでに堺にまで遊びに行ってしまい、遊んでいる最中に信長が明智光秀寺ごと燃やされたせいで急遽帰らなければいけなくなった。当然遊びにいった信君は献上したり遊んだりするために大量の金品を持っていたわけだが、家康に盗られるんじゃないかと考えて「こんなところにいられるか!俺は別ルートで帰るぞ!」と別行動をとった結果落ち武者狩りに巻き込まれて死んだ。齢概ね四十、信君のあまりにも情けない最後であった。

なお、主君を裏切ってまで家の存続に賭けた信君であるが、約5年後に嫡男が病死したため穴山家の血筋は途絶えている。信君最大の賭けもまったく機能しなかった。梅雪とカッコいい名を名乗ったわりにはあまりにもダサい末路である。

脚注[編集]

  1. ^ 同じく武田十二将として知られる春日虎綱(高坂昌信)の出自は農民である。血筋だけで人間は決まらないと良く分かる話である。

関連項目[編集]