稚内北星学園大学

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稚内北星学園大学(わっかないほくせいがくえんだいがく)は、日本国北海道ロシア領内稚内市若葉台に本部を置く日本の私立大学である。大学の略称は WackHock (わくほく)。有害な質屋、もしくは質入れされた奇人変人というほどの意味か。

モバイル製品向けの OS について講義をする初代の学長の姿。現在は学長のバージョンも 2.0 になり、Bluetooth や同期 API など、さまざまな機能が強化されたという。

概要[編集]

日本で最初の UNIX の専門大学として、1987年に北海道は稚内に開学した。初代の学長はアンドロイド[1]。大学のマスコットは、最北たんと最先たん。

日本で一番北にある大学であり、日本で一番北にある私立大学であり、日本で一番北にある駅弁大学[2]であり、日本で一番北にある F ランク大学であり、日本で一番北にある定員割れ大学であり、とにもかくにも日本で一番北にある。

しかし世界的にみれば、北欧諸国や、イギリスオランダドイツオーストリアスイスなどの国々、あるいはロシアや、カナダモンゴルフランスの国土の大部分など、稚内よりも北に位置する国々が無数に存在するので、世界一北にある大学コンテストにおいては、毎年低ランクに甘んじている。一日も早い北方領土及び南樺太の返還が待たれるところである。

学風[編集]

世界最大の電脳都市である音威子府[3]の近郊[4]に位置し、コンピュータやネットワークの研究が盛んに行われている。周囲は自然にあふれ、五月の連休中には雪合戦、夏にはオホーツク海での寒中水泳など、一年中ウィンタースポーツが楽しめる。

日本人、ロシア人、ネパール人、ジャワ人のほか、エゾシカや、キタキツネ、ウシ、ウマ、パールのようなものなど、多種多様な学生が在籍する。

また、学生へのすべての教育を、日本語英語などの自然言語にいっさい頼らずに、CJava や UML などのコンピュータ言語のみで行なおうとした日本で最初の大学として知られる。

とはいえ、当然のことながら、アンドロイド以外の大部分の人間の教員や、生身の学生たちからは、授業のたびに脳に莫大な負荷がかかると、とても評判が悪かった。また小数点以下の数字を口にし、計算するたびに、なぜか微小な誤差が、脳内の二進数と十進数の数字との間に発生していくという原因不明の問題なども生じたために、現在では自然言語も併用されている。

辺境の地[編集]

人口の減少は道北地域の深刻な社会問題となっており、2007年には稚内観光協会に手伝いに来ていた当大学の学生が、たまたま人間の女性であったというだけの理由で、無投票でミス流氷に選出された[5]。1990年代には、これまでの社会人に加え、近隣の幼稚園児を学生として入学させる試み[6]なども行われたが、まだまだ学生不足の根本的な解決には至っていない。

サテライトキャンパス[編集]

秋葉原にサテライト・キャンパスを持つ。かつてはアンドロメダなどにも持っていたが詳細は不明。

学生生活[編集]

雪のある地方で生活してみたかったという理由で4月に日本国内から入学した学生が、冬を待たずに、早くも5月に降り始めた雪に衝撃を受け、翌年、琉球大学に入学しなおし、二度と雪の降る地方には近づこうとしなかったという伝承が残る。

稚内の地で四年間を生き抜くことができた一握りの学生は、その異常な耐寒能力から、液体窒素冷却コンピュータの取扱い技師などとして各種産業界で重宝される。

入学試験[編集]

毎年、急速に人口が減少している地域に存在する大学なので、おそらく入学願書の住所の欄さえ書き間違えなければ、たとえ入試の答案用紙に名前を書き忘れたとしても、うやむやのうちに合格通知が送りつけられてくるものと思われる。

倍率は約0.7倍。7人受験すれば10人合格する計算になるので、この大学の存在は地域の人口減少に対する歯止めとして、とても有効に機能していることがわかる。

居住環境[編集]

アパートなどの集合住宅に学生が二人以上、入居すると、たちまちストーブの排煙用ダクトなどを用いて、各種ケーブル類が建物の外壁に張り巡らされ、家庭外 LAN ネットワークが構築される。近隣に別のアパートが存在していた場合は、さらにそのアパートとも無線によって接続されて、よくわからないことになっていく。

アパートの大家に「外のたくさんのケーブルはいったい何だ」と問われ、「クリスマス用のイルミネーションです」と言い張り、問題をうやむやにすることに成功したという逸話も残る。[7]

アルバイト[編集]

主要なバイトは、海岸での昆布干し[8]。犬ぞりによる年賀状の配達など[9]

余暇・娯楽[編集]

周囲は自然にあふれ、毎年のように5月になると雪が降り、8月の最低気温は摂氏1度を記録[10]するなど、 夏でもウィンタースポーツを楽しむことができる。また、冬にはそのウィンタースポーツをエクストリームスポーツとして楽しむこともできる。とても恵まれた環境である。

短い夏のあいだには、さまざまな高山植物が、平地で普通に繁茂しはじめることから、園芸を趣味に持つ人々もいる。これらの植物は、日本国内においては、山岳地帯などの限られた場所でしか観察できないとてもめずらしいものである。稚内市民にとっては、ごく普通の雑草にすぎないが。

稚内の十二ヶ月(もしくは、本当に人間は、稚内で生活できるのか)[編集]

参考までに、北海道外から、うっかりこの大学に入学してきた学生たちの、平均的な一年間の生活の様子を以下に記す。アンサイクロペディアの趣旨からは少々、逸脱するが、この節の記述は、多少の誇張を除いて、ほぼすべて事実に基づいていると考えて差し支えない。

4月
入学。路上の雪はすっかり融けているものの、まだまだ道路脇の野原など、人や車両の入らない場所には、雪が融け残る。ああ、北海道に来たんだなあと、普段みなれぬ雪に気分を高揚させる。沖縄などの南国からこの地にやって来た場合には、さらに雪だるまなどを作ってみたりもするだろう。
テレビ東京系列の放送局であるテレビ北海道が、その「北海道」という名前に反して、札幌市などの北海道のごく一部の都市内においてしか放送事業を行なっていないことを知り、衝撃を受けるのも、この頃だろうか。だが、"fansub" などのキーワードを頼りに検索すれば、誰かが勝手に英字幕をつけた日本のアニメが大量に見つかるので、これについては、なんの問題もない。
5月
この頃になると、野原の雪もあらかた融ける。やっとこの地にも、春らしきものが来たようだと油断していると、かならず5月の連休中に雪が降る。翌朝、起きたときには、あらゆるものが雪に包まれている。春から、夏と秋を飛び越して、いきなり冬の世界に連れて来られる。
少し動揺しつつも、まあ北海道だから、5月になっても雪くらい降るものなのだろうと無理やり自分を納得させて学校に行ってみると、札幌や旭川出身の学生たちも、雪を見て激しく動揺している。稚内出身の学生たちだけが「今日はちょっと暑いかな」「まあ、もう5月だからね。暦の上では、夏だからしかたがないよ」などと理解に苦しむ会話をしつつ、日本国からやってきた学生たちの横を通り過ぎて行く。[11]
こうして稚内の暦の上での夏は、どうやら冬から始まるらしいということを理解する。
6月
夏至が近づきはじめる。この町は、ただでさえ北の最果てにあるうえに、日本の標準時がある明石からみても、はるか東の果てにあるために、この頃になると、急速に日の出の時間が早まっていく。深夜3時頃になると、もう窓の外は明るい。外ではスズメも鳴いている。夜は夜で、いつまでたっても日が沈まない。この頃になると、もしかして自分は、なんか大変なところに来てしまったのではないかと、少し後悔しはじめる。だが本当に後悔するべきなのは、半年後の冬至のころかもしれない。しかし、その頃には、もう大概のことには驚かなくなっているので、何の問題もない。
日照時間などには、あきらかな異常があるものの、6月自体は(北海道なので)梅雨もないし、5月のように突然、雪が降り出すことも(多分)ない(と思うがまあ稚内だから、なにが起きても保証はできないが、まあ多分だいじょうぶだと思う)ので、7〜8月とともに、わりと快適な季節ではある。あと、なぜか年間を通して、蚊もみかけない。水が冷たすぎるからだろうか。ハエは、この季節になると普通に発生し始めるが。
7月〜8月
稚内とはいえ、短い夏のあいだには、2、3日ほどは、25度以上の夏日を観測することもある。だが、30度以上の真夏日になることは、まずない。そのほかの日は、気温が上がっても20度を突破できれば良いほうだ。
海から絶えず吹き続けているいつもの風も、こんな日には涼しくて良いやと、冬のことはなるべく考えないようにして笑っていると、その横では稚内出身の学生たちが、暑さで融けている。
ただ、昼間は温暖でも、この地はまったく油断ができない。朝晩は急に冷え込むことがあるので、ストーブをつけようか迷う日もある。また、夏休みに東京など本州の実家に帰ってみたり、あるいは札幌を旅行で訪れるなどした学生が、もはや自分の体が稚内以外のいかなる土地の気候にも適応できなくなりつつあることに気がつき始めるのも、この頃だろうか。[12]
9月
すでに肌寒い。そろそろコートを出そうか迷う。融けていた稚内人たちが固体に戻り始める。
10月
10月も下旬になってくると、雪がちらつきはじめる。ああ雪だ、なんだか懐かしいなあと少し気分も、なごむ。
11月
だが、油断してはいけない。11月も中旬に入ると、一夜にして大量の雪がまとめて降ることもある。うっかり自転車やバイクなどを外に出していた場合は、すべてが雪に飲みこまれる。こうなってしまうと、もう春まで取り出すことはできない。まあ取り出したところで、春の雪融けまで二輪車は使用困難なので、いっそ、その存在自体をしばらく忘却してみるのも一つの手だ。フレームとか歪んでなければ良いね。
四輪車の場合は、これからの季節、生活必需品なので泣きながら掘り出そう。まあ町自体が小さいので、無ければ無いで十分、生活は可能だが。あと、冬になると、学生や教職員の車が、駐車場から勝手に、ゲレンデとなった大学前の坂をずりずりとすべり降りてくるので、とても危険。
12月
昼の3時には、もう日が沈みはじめる。夕方4時を前にして、あたりはすっかり暗くなる。おかげで、日本各地の AM ラジオの番組が、とても良く聞こえる[13]。当然のように、外は吹雪。
この頃になると、もはや大概のことには驚かないが、地元の女子高校生たちが、吹雪のなかを平然と、短くしたスカートに生足で歩いている姿にだけは、いつまでたっても違和感がぬぐえない。
1月
町を歩くと、宗谷岬に初日の出[14]を見にきたという観光客に、地元の人がなにか話しかけている。「稚内の冬は暖かくて、すごしやすいのですよ。この地は海沿いなので、札幌のような内陸の町と違って、夏は涼しく、冬も暖かいのです」と。だがその海からは、四六時中、強風が吹きつけているので、今日の体感気温はマイナス10度くらいだろうか。観光客の顔はすでに困惑と寒さにこわばっている。
まあそれでも人間の適応能力というのはすごいもので、この頃になると、もうそんなことは気にもとめずに、その横を通り過ぎることが可能。あと、この季節は天候が悪い日が続くので、初日の出は、あまり見えない。
2月〜3月
2月中旬から3月になると、やっと降り積もっていた雪も融けはじめる。バイクを掘り出すのなら、お勧めの季節だ。あなたのバイクは、除雪車に持っていかれてないと良いネ。

結論から言うと、稚内は夏でも涼しく、建物のなかに引きこもってさえいれば冬でも暖かで、とてもすごしやすい地上の楽園ということになるだろうか。上記のふざけた内容から、なぜこのような結論が導かれるかといえば、いま私はこの文章を、真夏の東京で書いているからである。[15]

まあ、ずいぶん好き放題に書いてはみたものの、いまにして思えば冬の屋外でも、なんとなく稚内のほうが、東京より過ごしやすかったような気がしないでもない。これについては、冬のあいだは、いつもしっかり厚着をして外出していたことや、気温があまり上下せずに氷点下2〜3度くらいでだいたい安定していたことや、冬の間は、(昼間の最高気温も)常に氷点下なので、呼吸器や皮膚から、水分があまり蒸発していかないことや、周囲や地面の分厚い雪が断熱材として機能していることなどが原因として考えられるかもしれない。

まあこれも、すべては隣の芝生というやつなのかもしれない。実際に数ヶ月後、暴風吹き荒れる真冬の宗谷岬にでも立ってみて、その場であらためてこの文章を書き直してみれば、その結論も全然違ってくるような気もしないでもない。あいにく私は、その手の命にかかわるようなエクストリームスポーツに興味はないが。

教育・カリキュラム[編集]

Java[編集]

入学すると、それまで PC に触れたことのなかった学生も、タイピングの教習などとともに vi エディタを用いた UNIX の基礎講習を受けることになる。そのため半年もすると、vi 以外のエディタは受け付けないという人として間違った存在が量産されることになる。こうなってしまうと、もう元に戻すことは不可能である[16]

そういった学生たちに適切な治療を行わず放置しておくと最終的には、マイクロソフトの OS や、市販のワープロソフトの使い方はわからないが、TeX の類なら自在に使いこなせるという社会的適合性の欠けた存在になってしまう。

この問題は深刻であり、1995年からは、彼らの社会復帰を支援するために、プラットフォーム非依存なコンピュータ言語である Java が、カリキュラムに導入された。

ネットワーク技術[編集]

前任のネットワーク担当の教授は、ネットワークの講義と偽って、FreeBSD の講義と[17]、関西風お好み焼きの作り方しか教えていなかったらしい。

当然のように、その教授の主催するゼミにおいても、FreeBSD という OS はアメリカのカリフォルニア大学で開発された最新の Linux の一種という詐称の下、FreeBSD のインストールと利用が学生たちに薦められていた。[18]

学生たちの間からは、「この Linux は何かおかしい。起動時にペンギンではなく、角の生えた変なアスキーアートが表示される」などの疑問の声も稀には挙がっていたが、彼らは皆、日本本土から遠く離れた稚内という地に Alpha Complex の住民なみに厳重に隔離されていたこともあって、その洗脳は教授の退任まで、長く解けることはなかった。[19] (edited by UFO FJK)

グラフィック・デザイン[編集]

情報技術や、Web や、映像などの他に、絵画や写真などの表現や、ポスターのレイアウトなどを専門に学ぶ人々もいる。2007年には、それらの学生たちを中心に、創立20周年を記念した『稚内北星学園大学かるた』が作成された。

このカルタは、秋葉原に拠点を構える印刷会社株式会社昇文堂によって、印刷・整版された。同社の Web サイトでは、オリジナルカルタの商品サンプルの一つとしてこの稚内北星学園大学かるたが紹介されている。オリジナルカルタ例 学校カルタ

ところで、同じく昇文堂の Web サイトでは、オリジナルカルタの他のサンプルとしてツンデレカルタという商品も、ともに紹介されている。オリジナルカルタ例 ツンデレカルタ

とくにこの二つのカルタに関連性はないのだが、このことは、なぜかこの大学の学風を非常によく表せているように個人的には感じたので、ここに併せて記述しておく。

Linux と BSD[編集]

学内のマシンの多くは Linux をインストールしたものであるが、その一方で、大学が周辺各地の高校や中学校などに、広範囲にわたって設置したネットワーク関連の機器においては、BSD をインストールしたマシンが多く使用される傾向がある。

おそらくは、もともと酪農が盛んだった宗谷地方一帯には、牛を大事にするという文化があり、そのため、牛と同じように角のあるデーモンをマスコットに用いた FreeBSD という OS が、郊外の各所においては受け入れられやすかったためだと思われる。その一方で、大学のある稚内市の港湾近辺においては、市内にある病院や電波観測所や自衛隊などの施設を中心に、南極越冬隊に参加した人々も多くいた関係からか、ペンギンをマスコットに用いた Linux の文化が受け入れられた。

いずれの OS においても、ウシ科の動物であるヌーをシンボルとした GNU のソフトウェアが数多く使用されている。[20]


主な研究[編集]

足びれや背中などに、昆布、ウニ、ホタテなど、他の生物の遺伝子に由来すると見られる著しい形状の異常が確認できる。アザラシは本来、肉食であるはずだが、利尻昆布に対して異常な食欲を示すなどの食性の混乱も確認された。大学当局は、このかわいそうな生き物に対し、未だに何のコメントも発表していない。

ロシアと大学近郊の大沼を行き来するハクチョウを用いた鳥類パケットの研究や、宗谷海峡の流氷をパケットに用いた海流によるマルチキャストの研究など[21]。過酷な気象条件下での、国境を越えた広域的なデジタル・デバイドの解消を目指す研究が行なわれている。

ただ、ハクチョウ類によるパケットの送信は、鳥インフルエンザウイルスに対する有効なワクチンソフトの開発が進んでいないことから、全面的な実用化には、まだ至っていない。流氷パケットは、厳寒期に稀に発生する海水面の全面結氷による深刻なパケット詰りや、その逆に例年進む温暖化への対策などが課題となっている。

鳥類パケットについては、無害な鳥インフルエンザウイルスを開発することさえできれば、(鳥インフルエンザウイルスの RNA に送信データを持たせることで)一回に送信可能なデータ量をこれまでの数百万倍に拡張できる可能性も示唆されている。また鳥インフルエンザウイルスを用いることで、トリブタヒト間での、細胞内 DNA を記憶媒体とした P2P によるファイル共有サービスの実現可能性なども討論されている[22]。これについて詳しくは、ウイルス進化説なども参照のこと。

交通アクセス[編集]

鉄道[編集]

宗谷本線北星駅より、不眠不休で原野を歩きつづけて、徒歩32時間。(Google Maps 調べ。)

航空[編集]

稚内空港より十数分。東京〜稚内間には、年間を通じての定期航路も開設されているので、本州以遠から訪れる場合は、鉄道よりも手軽かもしれない。

ただし、冬期に東京から稚内空港へ向けて飛び立つ飛行機は、そのときの稚内上空の風速や降雪状況などにより、およそ 1/3 の確率で、旭川空港か、新千歳空港か、もしくは出発地の羽田空港のいずれかに着陸することになる。もちろん運が良ければ、稚内空港に着陸する可能性も若干ある。ルーレット感覚で、気ままな空の旅を楽しむことが可能。

1997年〜2005年には、冬の稚内空港に着陸できた幸運な乗客たちには、もれなく市長から、5000円分のカニか現金のどちらかが、記念品として贈呈されていた。

沿革[編集]

  • 1945年、南樺太択捉、国後、色丹、歯舞、稚内などの日本領がソビエトの実効支配地域に入る。
  • 1980年代、当時の稚内市長であった浜森辰雄らを中心に、この地に留まった日本人のために、日本国内と同等の教育を受けられる高等教育機関を設立しようという運動が高まる。
  • 1987年、札幌の北星学園や、日本国の文部省などの協力を受け、開学。

開学の経緯(東西冷戦とココム規制)[編集]

開学当時、世界はアメリカ陣営とソビエト陣営の二つに別れて争っていた。

ソビエト政府が、自国領内に日本の大学の設置を許可したことや、その大学に(日本からみてもソビエトからみても、ひとしく辺境の地であるにも関わらず)不自然なまでに最先端の情報機器が大量に導入された背景にも、このアメリカとソビエトの対立が絡んでいたと考えられている。

当時は、この両大国の争いのために、最新テクノロジーに関するさまざまな貿易規制があった。その規制のため、ソビエト側に属する東側諸国が、アメリカ側に属する西側諸国から、半導体やコンピュータなどの最新機器を輸入することはできなかった。

当時のソビエト政府は、第三国を介した密輸入など、さまざまな手段を模索していた。この大学の設立も、その手段の一つだったと考えられている。この地の在留日本人のために日本の教育機関を設立するという名目によって、ソビエト政府は、西側の最新鋭のハードウェアを国内に持ち込むことができた。

その教育・研究の中心に Unix が据えられたのも、この貿易規制によるものだと考えられている。将来、西側諸国のソフトウェアベンダからソフトウェアの供給やメンテナンスを受けられなくなる事態に陥ったとしても、当時、最もオープン・アーキテクチャなシステムである Unix ならば、ある程度の対応が可能だと判断された。また、Unix という OS の、他のハードウェアへの移植性の高さも評価された。[23]

脚註・出典[編集]

  1. ^ 丸山不二夫 - 日本Androidの会(日本アンドロイドの会)
  2. ^ 駅弁の定義は各種あるが、ここでは交通新聞社発行の『JR 時刻表』2009年11月号における稚内駅駅弁販売マークの有無に依った。
  3. ^ ソースは 2ちゃんねる自作 PC 板。音威子府の自作事情 [ 北海道 ] 音威子府の自作事情 [ 村 ] などを参照。
  4. ^ 北海道的距離感による。実際には 100km 前後の距離があるので近郊とは言えない。
  5. ^ 【画像】「ミス流氷」応募ゼロ…手伝いに来てた22歳の羽山さんに決定◆One Step ビヨ〜ん!!◆
  6. ^ 「幼稚園児が稚内北星学園を占拠!」Weekly Wakkanai Hokusei No.14
  7. ^ クリスマスが来る頃には、稚内ではどこの建物も雪に埋没し、人々は皆、屋上から出入りするようになるので、外壁のイルミネーションは意味をなさない。
  8. ^ 利尻町役場 - 昆布干しアルバイトの募集!!
  9. ^ 「最北の地 稚内のお正月 稚内電波観測所」CRL NEWS 1986.1 No.118
  10. ^ 北国、早過ぎる秋の到来 北海道で最低気温1・5度 - 47NEWS(よんななニュース)
  11. ^ 氷点下を少しでも越えると彼らは「今日は汗ばむね」とか「暖かいなあ」とか普通に口にするが、さすがに何かの間違いだと思われる。
  12. ^ 稚内でしばらく生活していると、札幌の夏ですら、ずいぶん暑いなあと感じるようになるのですね。
  13. ^ でも最近は KeyHoleTV とか、便利なソフトウェアもあるので、あまり意味はない。
  14. ^ 初日の出。日本で行われている伝統的なエクストリームスポーツの一種。1月の富士山山頂や、稚内の宗谷岬など、どれだけ極限的な状況下で日の出を観測することができるかを競う。
  15. ^ 暦のうえでは、これも本当は、とっくに秋なんだけどね。
  16. ^ 元には戻せないが、ここから emacs 以外は受け付けないという、また別の間違った存在に変化することならある。
  17. ^ ソースは後任のネットワーク担当の教員による twitter での発言より。Twitter / Takahiro Kawaji: 前任者のネットワークの先生が,ネットワークではなく,FreeBSD Twitter / Takahiro Kawaji: についてしか教えていなかったことが発覚してワロタ.アフォか!
  18. ^ ルーティングとネットワーク管理論 前任者の犯行跡地の一つ。ネットワークの講義であるにも関わらず、ソーシャルブックマークにおける同 URL (はてなブックマーク - ルーティング とネットワーク管理論)には、なぜか FreeBSD というタグが目立つ。Linux というタグも散見されるが、この講義で用いられている OS は、すべて FreeBSD である。恐ろしいことだ。(もちろんその講義内容は Linux においても流用可能ではあると思われるが、私自身もつい先日まで Linux とは FreeBSD のことであると堅く信じ込んでいたので保証はできない)
  19. ^ ただ、幸いなことに FreeBSD という OS は、完全無欠にして、百戦百勝のカーネルを持ち、どのような高負荷にも耐え、天上と地上世界すべてのあらゆる用途に適し、さらには、その絶対的無謬性を唯一体現したソースコードも、これまで数多くの迷えるカーネルハッカーやネットワークエンジニアたちを革命的に善導してきたという、この世に存在するあらゆるもののなかでも最も素晴らしい至高の存在であったため、特に問題となることはなかった。
  20. ^ 学内には、Plan 9 などの OS を研究する人々もいたものの、この OS は、ウシともペンギンともまた違う異質なもの[1]であるせいか、まだあまり普及はしていないようである。
  21. ^ 2005年には、(本来ならパケットにすぎないはずの)白鳥の一羽一羽や、流氷のひとかけらにいたるまでに、たわむれに IP アドレスを割り振るため、学内の全ネットワークシステムが IPv6 化された。
  22. ^ とはいえ、このファイル共有サービスは、細胞内の DNA を共有ファイルのデータによって上書きしていくという性質から、実用化に踏みきると、全人類が人間以外の何者かに変質してしまう可能性が高い。そのため倫理的・宗教的な面からの強い抵抗が予想されている。ところで、この大学は、一応、札幌の北星学園大学から分離したプロテスタント系の大学のはずであるが、もはや学生も教員もそのことは忘れつつある。なお、かつてこの大学に唯一在籍していた牧師の資格を持つ宗教学の教授は、当教授の mixi のページによれば、所属教会から破門されたそうである。(何があったかまでは書いてなかったのでよくわからない)
  23. ^ 以上のことから、当時の国際情勢によっては、Unix ではなく MSX を専門に取り扱う大学になっていた可能性もある。参照:MSXと冷戦


「稚内北星学園大学」は抽象クラス(abstract class)で、クラスとしては不完全なためインスタンス化できません。使用するにはコードを追加してインスタンス化できるようにしてください。 (Portal:スタブ)