秋葉原駅

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秋葉原駅(あきはばらえき)は、東京都千代田区外神田に存在するである。今日に至る秋葉原電気街の繁栄に大きく貢献した駅であるが、同時に秋葉原に関する様々な混乱・誤解を世に広めることになってしまった駅でもある。

駅の様子

駅の経緯[編集]

開設[編集]

もともと秋葉原の地は材木商がある所であったが、東北本線高崎線常磐線などの前身となる日本鉄道という会社が上野駅を起点に路線を敷設していった後、海運と連携して貨物輸送を行うため、神田川から運河をこの辺りまで引っ張り込み、上野から引込み線を同じようにもってきて荷揚げ・積み込みを行う場所を個々に設けたのが駅の起源である。当初は貨物駅であり、もともとこの地に秋葉神社(あきばじんじゃ)なる神社が置かれていて、それが移転した跡の原っぱに駅を設けたことから、「秋葉原」を名乗ることになった。

だがこのとき、「あきば + はら」とするところを間違って、「あきはばら」と一つ違う所に濁点を入れて表記してしまった。「尾久(おく)」(正しくはおぐ)や「高田馬場(たかだのばば)」(正しくはたかたのばば)も同様であるが、日本鉄道の職員には地名に疎いものが多かったらしく、この際の誤表記は今日に至るまで修正されぬまま、定着してしまった。現在、秋葉原(電気街)は「秋葉(あきば)」と略すことが多いが、これは秋葉原の本来の読み方に倣ったものであり、この地にいて日本鉄道→国鉄に対して地名が誤表記されたことに恨みを持っていた者の子孫が広めたものだといわれている。

旅客駅化[編集]

さてそんな誤解がありながらも、貨物駅として賑わいを見せた秋葉原駅であるが、鉄道国有化で日本鉄道のほかにも今日の中央本線を運営していた甲武鉄道、同じく総武本線を運営していた総武鉄道など、日本の多くの私鉄路線が全て国鉄の路線となると、変化の兆しが見えるようになる。

欧米諸国では、鉄道のターミナル駅は会社ないし方向ごとに個々に設けられるのが普通となっている。日本の鉄道はイギリスドイツなどの技術を取りいれて敷設されたが、当然ながら欧米のその風習も当初は受け継ぎ、官営鉄道東海道線のターミナルは新橋駅、日本鉄道は上野駅、甲武鉄道は御茶ノ水駅飯田町駅、総武鉄道は両国駅と、市街の各地に各社のターミナル駅が設置されていた。

だが、これらの会社が国有化された後には、ターミナル駅が分散していることは足かせとしか看做されないようになってしまった。たとえば横浜から千葉へ行くためには、新橋駅まで来た後に市電で両国駅へ移動して乗換えをしなければならず、貨物の場合も市街地の淵にある駅で一端荷下ろしをし、水運か陸運で別の会社の駅まで運ばなければならないことになるからである。

既に国有前より、その不便性を考慮して現在の赤羽線山手線赤羽池袋新宿品川および田端~池袋)に当たる路線が開業しており、官営鉄道と甲武鉄道・日本鉄道の連絡は図られていたが、諸外国でもこの不便に悩んでいる所が多かったことから、ドイツの技術者の助言も受けて、上野と新橋(大正3年に東京へ移転)を結ぶ路線および御茶ノ水両国を結ぶ路線を敷設し、各ターミナル駅間を電車でつなぐ提案が採択された。そして両線の交わる所へ接続駅を設置することにしたが、それが秋葉原駅であった。

大正14年、上野と東京を結ぶ路線がまず開業し、同時に今日に至る山手線の環状運転が開始された。このとき旅客駅としての当駅が開設され、更には前述した貨物駅も高架化された。そして昭和7年には御茶ノ水と両国を結ぶ路線も開業し、今日のJR秋葉原駅の骨組みが形作られることになったのである。

交通迷路の先駆[編集]

こうして完成した秋葉原駅は、高架の路線同士がこれまた立体的に交差するという、当時としては革新的な構造で未来都市のような姿となり、東京のみならず各地の人の注目を集めた。子供の絵本には「未来の交通体系」を示す事例として、当時地表を走っていた東京市電(後に東京都電となり廃止)、更に昭和5年に近くを通るように開業したばかりの東京地下鉄道(今の東京地下鉄銀座線)と一緒に当駅が描かれ、憧れの対象とされたのである。

しかし皮肉にも、この先進さはいまや各地にあって人々を悩ませる「東京迷路」の始まりでもあった。路線が立体交差する秋葉原駅の構内通路は、それこそ各方向同士の接続を図る必要があったことからパズルの如く複雑怪奇なものとなり、駅で迷子になる人が続出するようになった。後に地下鉄の駅も開業すると、それに拍車がかかった。

とはいっても秋葉原駅はまだ地上・高架を走る路線が中心だからマシなほうである。今日「東京迷路」の代表とされる駅―たとえば大手町駅のように全てが地下鉄の駅だったり、新宿駅のように地上も地下も密集した所だと目も当てられない。かつての「憧れ」の対象は、今日では「迷惑」な存在と看做されてしまっているのである。時代と共に思想が変わる事例の一つといえよう。

カオス空間と街の原型[編集]

秋葉原駅周辺の高架ガード下などには、交通接点として栄えるうちに街が形成されていったが、十字に交わる線路と道路に囲まれた狭い敷地に人々が密集したことから、いつしかカオス空間と化し、その影響を受けて鉄道無線など様々な方向の専門家が集まる街となっていった。

近くの万世橋に出来た交通博物館も、その傾向に拍車をかけた。戦前から秋葉原は鉄道教徒御用達の街となったのである。

今日に至る秋葉原の御宅街・電気街は、そのカオス地帯に戦後各地に出来た闇市の雰囲気が融合し、それがそのまま定着して形成されたものである。

カオス空間だけに進化のスピードも早く、特に昨今における駅周辺の流行変化の勢いは、もはや多くの人がなかなか付いていけないほどになっている。

秋葉原を避ける鉄道[編集]

地図を見てもらえば分かるが、東京駅が開業した後に御茶ノ水から延伸して同駅へ乗り入れた中央本線(中央快速線)は、秋葉原を意図的に避けて通っている。これは開業時、とにかく皇居の目の前へ路線を乗り入れさせることを念頭に置いたからである。だが当初は神田駅との間に万世橋駅という駅を設け、秋葉原へのアクセスを一応は確保していた。

しかし戦中、御茶ノ水に近いので不要不急だという名目をつけられ、廃止されてしまった(厳密には休止。この駅舎を利用して作られたのが交通博物館である。)。実際には秋葉原の街から生じるカオス成分が、沿線に吉祥寺など高級住宅街、それに国立など文教地区を有する中央線のそれとは相容れないため、電車のイメージが悪化して乗客が減少するのを恐れ、国が鉄道省運輸省に圧力をかけたためではないかといわれている。

また銀座線にも同様に、かつて万世橋駅が設けられていたが、すぐ神田駅へ移転されてしまった。これは銀座線を敷設した東京地下鉄道の早川徳次社長が、地下鉄にはカオス空間よりも古図書街の雰囲気の方が相応しいと判断したからではないかと噂されている。

戦後も迷路かつカオス空間と化した秋葉原をわざわざ避けるように通る鉄道は現れた。代表的なのは総武快速線である。総武線は上述したように開業以来、長距離列車は両国駅をターミナルとしており、東京駅から同駅発の列車に乗車するには京浜東北線中央・総武緩行線を秋葉原駅にて乗り継いで向かう必要があった。しかし乗換え客が只でも多くて混雑し、更に駅構内が迷路のようになっている秋葉原での乗り継ぎは不便極まりなく、千葉県民を中心として国鉄に圧力がかけられたためか、わざわざ両国の手前の錦糸町駅から東京駅まで直行できるショートカットルートを建設することが決められた。この工事は都心の地下深くを通すことから時間と金を要し、国鉄の財政を傾ける一つの要因とまでなったのだが、昭和47年に何とか完成した。同線は後に横須賀線ともつながったが、千葉県民がいかに東京駅へ憧れを抱き、秋葉原駅・両国駅を嫌悪していたかがよく伺える事例といえよう。

現在ではつくばエクスプレスのように、あえて秋葉原を目指して敷設される鉄道も現れているが、東北本線の東京駅延伸計画(上野東京ライン)での秋葉原飛ばしなど、秋葉原駅を避ける風潮が無くなった訳ではない(但しこれは、「通過(経由)」なのであって、中央本線のように「避ける(非経由)」わけではない)。

会社ごとの状況[編集]

JR東日本[編集]

しばらく、秋葉原のカオス性を示すかのようにボロい駅舎が残っていたが、改築されて姿を一新した。

上述したとおり、二つの路線(三つの系統)が交わる所なので構内通路が迷路になっている。しかし乗換え需要が大きいところから、山手線の電車以外に京浜東北線の快速も停車する。

昔は中央・総武緩行線を行く特急も多く停車していたが、新型車両への置き換えに伴い特急は11両編成となり、10両分しか有効長のないホームは延伸できないことから中央本線のそれは通過になった。

今後、東京・上野間にもう一本複線を敷設する予定だが、費用の理由で秋葉原にホームは設けられない予定。

隣駅

東京メトロ[編集]

昭和中期に日比谷線に設置された駅。秋葉原に存在する公式では唯一の地下鉄駅である。

相互直通を活用し、東急東横線東武伊勢崎線の沿線―すなわち神奈川県南部や埼玉県東部から当地に客を動員するのにも貢献した。しかし余りにJRの駅が大きいので、目立たない存在でもある。

隣駅

TX[編集]

首都圏新都市鉄道、通称はつくばエクスプレス(英:Tsukuba-Express)。秋葉原にある駅では最も新顔。筑波研究学研都市なんていう堅い名称を用いているが、ようは諸分野の御宅集団が集まる地であるつくば市と、伝統的な御宅の集積地である当地を結ぶ。つくば市の筑波大学に端を発する現代視覚文化研究会を、秋葉原を通じて全国区に広めるにも、当線は大きく貢献した。

ただし地下深くにあるため、路線そのものが何らかの研究施設ではないかという噂も流れている。

隣駅

都営地下鉄[編集]

公式には秋葉原にある地下鉄駅は一つだと述べたが、幻の駅が都営地下鉄新宿線にある。岩本町駅を名乗るが現実には南秋葉原駅である。

元は公式の連絡駅にするつもりだったらしいが、神田川とカオス空間に阻まれて実現しなかった。2008年にようやく連絡駅となったが、あくまで認めたくないという悪あがきからか、急行を止めようとは都は考えていない。

隣駅
馬喰横山駅 - 岩本町駅 - 小川町駅
Gomen.jpg この「秋葉原駅」に停車中の電車は、現在運転手がいないため発車できません。運転して下さる乗務員を求めています。 (Portal:スタブ)