直江兼続

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

怒らせると主の上杉景勝同様、仁王様のような形相になる
怒らせると主の上杉景勝同様、仁王様のような形相になる
「その方こそ真のいくさ人よ!」
~ 直江兼続 について、前田慶次
「こっち見んな…こっち来んな…。」
~ 直江兼続 について、最上義光
「…あまり調子に乗り過ぎるな…。」
~ 直江兼続 について、上杉景勝
「…ところでこいつ、誰?」
~ 直江兼続 について、上杉謙信

直江 兼続(にゃおえ かねつぐ、1560年 - 1620年1月23日)は戦国時代に活躍した上杉家の陰陽師サムライである。幼名は与六だが兼続自身は与作だと思い込んでいた。石田三成とはケツの穴で暑い熱い契りを交わした生涯の友。CR花の慶次で映像化された兼続の姿は阿部高和よく似ている

結界を張ったり聖剣で不義者をぶった斬ったり地獄から閻魔大王を召還したりと暴れ放題だったが、関ヶ原で天下への夢敗れ、徳川家康による粛清こそ免れたが、以降はすっかり萎れてしまい、なんだかかったるい著書を書きながら『昔は良かったな~』と思いに耽る毎日が鬱曜日か、はたまた♪暗い日曜日~のションボリな余生を送った。しかし良い言い方をすれば関ヶ原後の兼続は思考回路が常人のものになったとも言える。

兼続の仕えた主君は上杉景勝唯一人であり、また幼時より景勝の側近く仕えていたこともあり、景勝・兼続両名の間には主従を越える強い心の絆があったことから、一部では両名はアッー!ウホッやらないか関係であったと言われているが、大半の上杉ファン、特に米沢市民や上越市民に対して決してこの現実を言ったり、下記に挙げる彼らにとっての「事実」にダメ出しをしたりケチをつけてはならない。

ということで大半の上杉ファン・米沢市民・上越市民などにとっての「事実」を以下に挙げる。

兼続が幼時より側近く仕え、アッー!でウホッでやらないか関係にあった主君は上杉謙信以外には誰一人として存在せず、景勝如きの存在意義は謙信・兼続両名の深く烈しい愛の絆を引き立てるための単なる添え物でしかない」。

[編集] 人物

  • 無敵。色んな意味で無敵。あらゆる意味で無敵。
  • 上杉謙信御塩先生を尊敬しており『与作もかくありたい、ヘイヘイホー』が幼い頃の口癖だった。
  • 謙信が毘沙門天の化身と称したのに対し、自らを愛染恭子愛染明王の化身と称した。これは味方を高揚する為とも言われているが、兼続は何と実際に愛染明王の『愛』の字が刻まれた兜を被っており、いくら士気高揚のためでもこんな恥ずかしい真似が出来るはずもない。おそらく兼続も謙信同様本気で自分が愛染明王の化身と信じ込んでいた正真正銘の気違いだったか、さもなくば単なる田舎のヤンキー兄ちゃんレベルのセンスの持ち主だったのであろう。
  • 「愛染明王の慈悲」と称して上杉軍の兵士達に接吻行為をした。兼続にファーストキスを奪われた不憫この上ない青年兵士は3万を越える。
  • 「愛染明王の託宣」と称して主君の上杉景勝へのXXXXX想いを正当化している。おかげで景勝は毎日がエクストリーム・スポーツ競技会。また兼続の前でわずかでも景勝を誹謗中傷・批判・侮辱する発言をしたりなどするともれなく検閲により削除される。
  • 無謀にも三成とつるんで家康に喧嘩を売った、上杉家を落としいれた幹臣(新幹線の如き速さでお家を振り回す厄介者、と言う意味である)との悪評を被ることもある。
  • なおそのような悪評を下すものの多くはロシア人である。理由は極めて単純なもので、兼続の姿がかつてロシアを牛耳った魔術師ラスプーチンと被りまくってるからだ、と言うものである。ガハハ。なおウィキペディアの兼続の項目もその事で揉めていたらしいがおそらくロシア人が編集していたのだろう。ガハハ
  • しかしラスプーチンと兼続に共通点が多いのも事実である(神妙不可思議にして胡散臭い妖術を使う、目がイッちゃってる、頭はもっとイッちゃってる等、枚挙にいとまがない。)
  • 関ヶ原の際は各国から選りすぐりの浪人を集めて最上軍と戦った。その際前田慶次などのインテリ風流人を除く大多数の浪人は漢字が読めなかったので兼続の兜に添えられた『愛』の文字を『変』と読み間違えた。そのため兼続は『直江変態』『変太郎』『変質者』『変態陰陽師』などと呼ばれた。事実兼続は変人かつ変態であったからこの呼び名はまさに事実を言い当てている。ある意味的を射ていると言える。
  • 最上義光は長谷堂城の戦いで彼を追いかけ回したが、撤退する直江兼続に熱い投げ接吻をされ、ただならぬ貞操の危機と恐怖と気持ち悪さの余りに逃げ帰った。なお、義光の兜はそのおぞましい瘴気魔力で一部が破損したという。
  • 戦の実況解説の腕に非常に長けている。彼が実況を受け持った戦は大概高視聴率を博す。彼の実況解説の腕はかの今川義元をも唸らせ、「戦解説男」の異名を取った。
  • 戦うときに「私は最強だ」「義」「愛」と言いまくって、選挙活動みたいでやかましい。
  • でもそのウザい位やかましい選挙活動のおかげで、晴れて2009年度大河ドラマの主人公になれましたとさ。
  • その大河ドラマ原作で、いい加減ウザくてうっとうしいほど長々と童貞喪失を描かれたのは、兼続のアッー!疑惑払拭のためだとされるが、定かではない。
  • その大河ドラマ原作で、いい加減ウザくてうっとうしいほど長々と執拗に、上杉謙信との絆の深さとか謙信の事実上の側近とか家臣とかいう今や中学生でも知っている明らかなでっち上げが描かれたのは、兼続の黒歴史抹消のためだとされるが、定かではない。
  • その大河ドラマ原作で、いい加減ウザくてうっとうしいほど長々と執拗にねちねちと、上杉景勝が愚鈍で狭量かつ薄情な凡夫だという捏造が描かれたのは、景勝とその愛人(貧乏公家・四辻家の娘)を悪役兼スケープゴートにして、兼続の黒歴史のみならず謙信時代から明治3年の雲井龍雄処刑に至る上杉家の黒歴史の責任と罪を彼らに全てなすりつけるためであることが、その大河ドラマの配役人事で明らかになった。

[編集] 関連項目

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「直江兼続」の項目を執筆しています。


間に合った! このまま「直江兼続」を加筆しなかったら、どうしようもない記事のまま 歴史に残っちまうからな! (Portal:スタブ)