目白

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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目白(めじろ)は、東京豊島区の地名。JR山手線の目白駅周辺の地域である。豊島区にしては珍しくどことなく上品なイメージの強い地域であるにも拘わらず、辺りかまわず衝突しまくっている地域として知られている。特に目黒区目黒とは永遠のライバルである。この件については後述するが、それ以外にも目白台との衝突、池袋との軋轢、高田馬場とのよからぬ関係といった具合に意外と問題が多い。この地にある学習院大学に影響を受けたのか、妙に気位が高く、汚れたものを許さない潔癖症の人が多いからだといわれるが、学習院の子女に習ってにこやかに「ごきげんよう」を連呼するこの地域の住民に逢うと、そんな剣呑な雰囲気も忘れてしまう地域でもある。

目次

[編集] 目白と目黒・因縁の対決

江戸時代以来、目黒目白、この両者の仲の悪さは手のつけられないものであり、「火事と喧嘩は江戸の華」と言っていたお調子者の江戸っ子ですら、目黒と目白の争いにはアンタッチャブルを決め込んでいたことで知られている。

[編集] 目黒のサンマ

目黒と言えば落語「目黒のサンマ」で知られるように、サンマとは切っても入れない関係にある。殿様が狩りの休みに民家で食したサンマの味が忘れられずに、というストーリーにあるように、普段は毒見役に食ってはいけないと戒められているサンマの脂の乗った奴をばくばく食うのは、味気ない食事の毎日が続く殿様たちにとって何よりの楽しみだったのである。江戸時代も半ばになると、目黒の地は日頃せわしない公務で、満足にサンマも食えない殿様たちの憩いの場となり、隠れ家ともなって名声を博するようになったのである。

そうなると不思議なもので、目黒中がそれにあやかろうとそこいらの民家の連中が、七輪を引っ張り出して火を起こすととれたてのサンマをじゅうじゅう焼くようになり、あたり一面が天を焦がすようにさんまの黒焦げのニオイと脂でいっぱいとなり、今あるような目黒の街(目黒サンマ街)が形成されたのである。目黒の住民はサンマ様(目黒不動)に祈りを捧げ、その豊漁を祝ってサンマ祭りを行い、近隣住民にまでサンマを「もってけドロボー」と売りまくったのである。特に幕府の目をかいくぐって目黒の人々のためサンマの輸送に尽力したこの土地の名主「権之助(ごんのすけ)」の名前はよく知られている。そんな彼の名がつけられて「権之助坂」があるあたりにも目黒のサンマに対する熱い思いを感じることができる。

[編集] サンマの目は何色だ

しかし目白住民はそんな目黒住民を、まるでイヤなものでも見るかのようなまなざしで冷ややかに見つめていたのである。そもそもこの項をお読みの皆さんは、何をもって「目黒」「目白」と呼んでいるのかご存知だろうか。じつは「目黒」と「目白」に共通する「目」とはサンマの「目」のことを指すのである。幾分東京湾寄りにある目黒では、秋になると品川沖に揚げられたサンマが新鮮なまま、即ち「目が黒いまま」届くのである。だから色々と手を加えなくてもそのままのサンマが美味しく食べられるのである。

しかし目白ではそうは行かなかった。今でこそ目黒から目白までは山手線に乗れば30分とかからぬ距離であるが、それは江戸時代のこと、道のりは現在の我々が考えるよりはるかに遠い。秋風が吹く時分になっても浜に上がったサンマはみるみる劣化していく。どんなに急いで運んでも目黒を越えたあたりから異臭がつき始め、たちまち色は褪せ、そして目白につくころは白目を剥いている、即ち「目が白くなった」状態でサンマが運ばれることになるのである。「死んだ魚の目のような」という言い回しがあるがまさしく目白に到着したサンマがそのような状態であり、それが大量に運ばれてくるのだから、目も当てられない訳である。

[編集] 目白の目黒に対する被害妄想

目白では腐敗寸前の白目引ん剥いたサンマは単なるもてあましものであった。天日で干しても生臭いし、かといって鰹節のような細工もできず、くさやのように発酵させる手間ひまはない。零れ落ちた一部をスウェーデン人が持ち帰り缶詰に工夫したのがシュールストレミングだという説もある。もてあましついでにのエサにしようとしたら、猫に逃げられ、ゴミ箱に捨てると、蛆が大量発生する、ということで目白住民にとってはサンマは単なるトラウマと嫌な思い出でしかなく、サンマを好き好んで食うといった目黒住民にあらぬ被害者意識を持つようになってしまったのである。

曰く、「目黒住民はあんな腐った魚食べるなんて頭がどうかしている」「食ってる奴の内臓が腐敗している」「目黒のサンマは黒こげだらけの発ガン物質」「七輪で集団禁則事項ですすればいいのに」「権之助!禁則事項ですねッ!」と、悪口がぽんぽんと飛び出すようになり、現在まで続く因縁浅からぬ両者の対立の歴史が始まったのである。そして目白不動は「サンマ封じ」「サンマ殺し」の霊験あらたかな寺として、目白の人々の尊崇を集めることになったのである。

[編集] 目白と目白台・因縁の対決

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「目白台」の項目を執筆しています。

目白と目白台、東京都民であってもこの両者に大した違いを見出せないように思う。しかしここを間違えると目白界隈に足を踏み入れることは出来ない。よくマスコミなどで故田中角栄元首相の邸宅を「目白御殿」と呼ぶことがあるが、目白住民にとってはこんな呼称は許しがたいものなのである。あれは「目白台御殿」であって「目白御殿」ではないというのが、彼らの言い分なのである。「目白の闇将軍」など言語道断なのである。

新潟県で苦労に苦労を重ねて首相にまで登りつめた、機を見るに敏な才覚の持ち主だった田中角栄氏も、ここ目白では「出稼ぎに来た新潟のおっさん」に他ならず、評判は芳しいとはいえない。ましてや後を継いだのはあの田中真紀子女史である・・・。最近では「マキコ御殿」とも呼んでいるようだが、そこを面白がって「記念マキコ」「記念真紀子」と塀に落書きすることが絶えないらしい。たぶんこの嫌がらせは「台」のない「目白」住民のものであろう。

ちなみにこの邸宅の庭には池があり、山古志村から運んだ色とりどりの錦鯉が優雅に泳いでいるが、目白住民はこれも気に食わないらしく、「サンマみたい・・・・」とか言っていた者もいるようである。

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[編集] 目白と池袋・因縁の対決

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[編集] 関連項目

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