盛岡市

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目次

[編集] 概要

盛岡市(もりおかし)は、日本東北にある都市で、盛岡県の県庁所在地である。本州有数の極寒の地であり、北東北最大の都市であると自称している。「北東北の中で1番と言われても…」と失笑される。青森市と混同されることを極度に嫌う。

[編集] 県都・盛岡

「盛岡県」の県都として、県内最大の人口規模を誇る盛岡市は、かつて岩手県の県都であった。しかし様々な弊害から廃県置県を実施し、市民運動が巻き起こり「脱いわて」を合言葉に盛岡県を成立、現在に至る。将来的には「廃県置藩」を実行する勢いである。岩手県を廃止させるに到った経緯は、下記の理由から同一県としての一体性に無理を生じせしめていたためである。

  • 同一県に旧仙台藩と旧盛岡藩が並立することに、そもそも文化的な無理があった。(餅・蕎麦の消費量差異等)
  • 久慈・二戸地方は、実質的に青森県であった。
  • 奥州地方が、聖地・平泉を基盤に自主独立を宣誓(900年ぶり)。
  • 一関地方の人々は、専ら宮城県のテレビしか観ていなかった。
  • 盛岡~沿岸地域と、盛岡~東京間の時間距離が互角。
  • 盛岡の知名度が低すぎるため「はやて」が盛岡駅をうっかりスルーし、「いわて沼宮内駅」で停車することが増加。

上記の理由から、現在は「盛岡県」「八戸県」「三陸県」「奥州平泉市国(暫定政権)」に分立している。

[編集] 市勢

仙台市に次いで、東北で2番目の規模を誇る盛岡市は、城跡区を筆頭に、前潟区・本宮区・都南区・玉山区の5つの行政区から構成される政令指定都市である。この他、「雫石ウイグル自治区」「滝沢チベット自治区」といった酪農・放牧を中心とする自治区とがある。 また近年、高等医療教育機関及び米国資本の進出で、特例的にめざましい発展を遂げる「矢巾特別行政区(経済特区)」があるが、事実上管轄は別である。 青森・秋田両県からの流入が顕著で、人口規模は年々増加の傾向にある。 本宮区には、「盛岡県遠野市」の飛び地がある。

[編集] 市花

石割桜(盛岡市の花崗岩土壌にしか自生しない新種。国指定特別天然記念物)

[編集] 市木

一本桜(盛岡を代表する老舗旅館「加賀美屋」附近にある。連続テレビ小説「どんど晴れ」で有名になった)

[編集] 市鳥

白鳥(毎冬シベリアからやってくる白鳥を通じて、盛岡市はロシア共和国と交流がある)

[編集] 市名の由来

1789年、シベリアのイルクーツクに滞在していた「アダム・ラクスマン」が、盛岡藩所有の材木をロシアへ移出するため大黒屋光太夫の手引きで現在の盛岡を訪れた際、「モリョーカ Морйока」と名づけたと伝えられる。 その後、江戸後期の天保年間、飢饉に際して将軍家へ上納軽減文書持参の際に正式に「盛岡」の文字が当てられ、現在に至る。

また現在、盛岡の名産とされる「じゃじゃ麺」は、天保の大飢饉の際、韃靼(モンゴル)からもたらされた救荒食の一種と言われ、そのルーツを「刀削麺」に見る説が強い。「じゃじゃ」は、盛岡弁で驚き・喜びを表す際の間投詞で、米に代わる糧との出会いを伝える命名として、広く市民に知られている。

[編集] キャッチフレーズ

冷麺、じゃじゃ麺、僕わんこそば。

[編集] 行政区

[編集] 城跡区

「盛岡城」を中心とする地域。先の戦争で既に城郭は存在ぜず、復元もしていないため、シロアトと読ませることに躊躇する声が多く、なるべく意味不明なものにと「ジョーアト」に落ち着いた。区名の定着を図るため、当局は突如「岩手公園」を「盛岡城跡公園」へと無理矢理名前を変更した。防衛上の機密事項であるため、ここへ到る経緯・詳細は一切明らかにされていない。 軍事機密保持の観点から、行政中枢は、マックスバリュ盛岡駅前に移転している。

[編集] 前潟区

イオンモール盛岡を中心とする区。

[編集] 本宮区

イオン盛岡南ショッピングセンターを中心とする区。

[編集] 都南区

盛岡南サティを中心に開かれた区。同店の閉店後(本宮区へ同名の店舗が再開店した)は、マックスバリュ津志田に中枢機能が移転している。

[編集] 玉山区

イオンスーパーセンター盛岡渋民店を中心とする区。

[編集] 「雫石ウイグル自治区」

牛を神と崇める自然崇拝が残る、優れた酪農地帯である。

[編集] 「滝沢チベット自治区」

馬を神と崇める自然崇拝が残る、優れた放牧地帯である。

[編集] 盛岡3大麺

盛岡冷麺、わんこそば、じゃじゃ麺を総称して、盛岡三大麺と呼ぶ。

盛岡冷麺は、戦時中(前九年の役)、南部煎餅を作った残りの小麦粉を用いて、戦地でも食しやすいものを、との創作から、兜を鍋にして茹で、帝に献上したのが始まりである。

盛岡冷麺はのちに、朝鮮半島へ伝わり「そば粉」を混ぜて作られるようになり、現在の最もメジャーな「韓国冷麺」になった。

じゃじゃ麺は、大陸伝来の救荒食であるが、元来は源義経が平泉滅亡後も北へ逃げ延び、現在の盛岡の地で食した「冷麺」が起源である。その後チンギスハーンとなった義経の末裔が、父祖の地の荒廃を嘆き清の商人を通じて秋田から盛岡へ伝えたのが、現在の「じゃじゃ麺」のルーツである。

[編集] 盛岡市の防衛戦略

盛岡は、中津川・北上川・雫石川に囲まれた天然の要害である。守りの要は、盛岡市中心にある盛岡城であるが、盛岡市の南北にそれぞれ配置されたイオンも重要な役割をもつ。また、玉山区に新たなイオンが配置された。このイオンは前出の南北イオンに比べると装備は劣るが、滝沢村の陸上自衛隊駐屯地と連携している。北東の玉山イオン、北西の陸自、南西の前潟イオン、南の盛岡南サティ、そして、市内外随所に置かれたイオンの連携砲台(平時はマックスバリュと呼ばれる)により、帝都を堅守している。

北イオンの敷地内には、「将軍」という名を冠するパチンコ屋(朝鮮式玉入れ遊技場)がある。当然のことながら、偉大なる首領様への敬意を表す店名である。営業中、「○○番台出し過ぎだ!!止めろ!!」という怒声がホール中に響き渡り、これを問題視した岩手県警はしぶしぶながら営業停止処分を出すが、すぐに営業再開。その経緯を怪しむ者もいるが、親愛なる領導様のお力を甘く見ないで欲しい。

[編集] 盛岡城

微妙に忘れ去られている城の跡地。一説には北朝鮮の核ミサイルを迎撃する能力を有するとされている。平時においては、盛んに子作りが営まれている。これは、「子は国の宝。」というチョコボール向井氏の教えに基づく立派な行いであり、何人たりともこの行為を邪魔してはならない。特に夏場に多く営まれると聞く。

また盛岡ジャスコの地下には巨大な地下通路があり、岩手山から円滑に戦車が通れるようになっている。実際、ジャスコの店員に聞くと無視されるのは、国家機密に属する情報であるためだ。

岩手を支持基盤とする小沢一郎氏が、「冷麺わんこそばまではわかるとして、じゃじゃ麺は若干無理があり、国民の理解を得るのは難しい」と国会会期中に発言したため、盛岡市民の強い反発を受け、「温麺が抜けていることを指摘する趣旨であり、じゃじゃ麺を軽く見ての発言ではない」として、実質的に前言を撤回している。現在は、じゃじゃ麺の消費拡大のため、「じゃじゃじゃTV」という宣伝番組を作り、ひたすら♪じゃじゃじゃTV~ じゃじゃじゃTV~ と繰り返し歌うことで洗脳を行っている。

[編集] 南部せんべい

江戸時代、盛岡を治めた南部氏によって考案された携行食、野戦食である。今でも飢饉の発生する岩手県にあっては非常食、救荒食として大変重宝されている。 大きさは8cmシングルCDと、12cmCDの中間ぐらい。そのまま経口で頂く場合がほとんどであるが、岩手県北部では「せんべい汁」という鍋料理の具材にも使用される。

子供は南部せんべいの耳の部分しか食べないが、それは焼いている南部城大奥所属の奥方様がコカインを混ぜ込んでいるからである。 また、市内ではその耳の部分だけを集め商品化された「南部せんべいの耳」(岩手山のミミ)なるものがある。いわゆる合法ドラックの一種であり、当局の悩みの種となっている。

[編集] 南部せんべい156cmの乱

1998年頃、かの有名なhyde氏が下々を引き連れ来盛。その際、「盛岡の食べ物は全部マズい。南部せんべいは人間の食べ物じゃない。鹿せんべいの方が旨い。」と発言。この発言に激怒した盛岡県知事が「hyde禁止」の緊急勅令を議会の承認なしに下す(但し、事後承認あり)。県下のCDショップや書店からhyde氏に関するもの全てが消え失せた。 事の重大さに気付いたhyde氏は、のちに出演した音楽番組で釈明をするが、もはや後の祭り。以後、hyde氏(156cm)は盛岡県への入国を拒否され続けている。 これが有名な「南部せんべい156cmの乱」である。

なお、近年話題の世界史未履修問題。盛岡県内の各高校はこの「・・・の乱」の詳細について日本史で取り上げるように教育委員会から通達を受けていた。そのため、世界史がおろそかになっていた。「世界史より、hyde(156cm)史を教えることに意義を感じていた。」と関係者は熱く語る。

[編集] 交通

通常の交通手段は、ちゃぐちゃぐ馬っこであるが、市内近郊には岩手県交通というバス会社が多数のクラシックバスを運行。黒煙を吐きながら運行中。

東北新幹線と、特急より遅いニセ新幹線の分かれる交通の要衝である。

中津川が空港としての役割を果たすが、白鳥の離発着専用である。

[編集] 観光

温泉で有名でもあるが、観光施設として手づくり村と子づくり村があり、子づくり村は秋田からの観光客も多い。 さんさ踊りは、太鼓組合が主導する、世界一の規模を誇る不愉快な騒音パレードである。無理やり東北5大まつり(実際は3大)の一つと自称する行為など自称癖は相変わらずであり、他県からの失笑が絶えない。また、某動物愛護団体もこのデモに協賛している。ラッセラーラッセラーのかけ声が有名。

[編集] 寒い、寒すぎる!

元々は、隣村の玉山村が「本州最低気温-35℃」を1945年1月26日に記録した。しかし、平成の大合併で玉山村は2006年(平成18年)盛岡市と合併。いよいよ盛岡が「本州一寒い県庁所在地」となるに至る。もっとも、玉山村で-35℃を記録した1945年1月26日、当時まだ玉山村と合併していなかった盛岡市でも最低気温-20℃を記録。

[編集] 盛岡評

「津軽は恩知らず、伊達は美人知らず。ここの大名でほんとによかった・・・」
~ 盛岡市 について、南部晴政
「南部の本拠地を盛岡に移したのはこのわしじゃ!」
~ 盛岡市 について、南部信直
「父さんは引越ししただけでしょ、城下町の礎を築き、地名を不来方から盛岡に変えたのはこの私です、ちなみに陰は薄いですが初代藩主です!」
~ 盛岡市 について、南部利直
「そもそも盛岡がこれだけ発展したのは、我らが独立して三戸から引越しを余儀なくされたからぞ、南部は恩知らず、津軽に感謝せい!」
~ 盛岡市 について、大浦改め津軽為信
「なんじゃ、飢饉で食うものもないくせにこしゃくな! 南部なぞ今度こそ併合して100万石の大大名になってくれるから覚悟しておけ!」
~ 盛岡市 について、伊達政宗
「政宗、そなたの悪巧みはお見通しぞ、ドサクサに紛れて南部領をかすめ盗ろうなどと考えるでない、そのような腹黒い者に100万石はやれん!」
~ 盛岡市 について、徳川家康
「その手があったか!」
~ 盛岡市 について、津軽人一同
「ソビエト盛岡では、ロシア語が同志をMoriokaする!!」
~ 盛岡市 について、ユーミン