皇室

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皇室は、日本の中枢部に存在する開かずの部屋。

概要[編集]

室内に入ることも室外に出ることも極めて難しい、開かずの部屋である。

皇室の室内には、天皇と、その親族の一部である皇族のみが入ることができる。室内の状態については皇室典範というルールブックで規定されており、誰が室内に入るかだけでなく、どこに誰が座るか、といったことまで厳しく決められている。

出入口の扉は存在しており出入りが不可能というわけではないが、皇室会議と呼ばれる門番が扉を固く閉ざして厳重な見張りを敷いており、簡単には出入りを認めない。

さらに、皇室の周辺には「保守」と呼ばれる人々がいて、頼まれもしないのに皇室の維持管理を買って出ており、皇室への出入りをさらに困難なものにしている。維持管理の対象はあくまでも皇室の存在であるため、保守の人々は、皇室を永久に密室に保とうと躍起になっている一方で、室内にいる方々のお気持ちを慮ることはほとんどない[不要出典]

歴史[編集]

皇室の建造の歴史は、約2700年以上前の神話の時代まで遡ると言われている。その後、ときには部屋が二つに分かれたり、日当たりが非常に悪くなったりすることもあったが、改築や改修を繰り返しながら現代まで存続している。

江戸時代までの皇室は、室内の天皇が自ら管理を行っていた。そのため、室外から中に入るには一定の身分やコネが必要だったが、室内から外に出るのは比較的自由であった。また、中と外の仕切りは御簾でできていたので、室内から外に声を伝えることも、室外から中に声を奏上することも容易であった。

明治時代に入ると、海外の技術や様式が多く取り入れられるようになったことに伴い、皇室も洋風建築へと改築された。改築によって室外から中に入ることは以前に増して困難になったが、室内から外に出ることは本人の意志次第で可能だったうえ、内外の仕切りは相変わらず御簾でできており、室内にいてもそれほど閉塞感や息苦しさを感じることはなかったので、室内の者が外に出たいと思うケースはほとんどなかった。

ところが、第二次世界大戦の終結とともにアメリカの高い技術や文化が導入されると、1947年、皇室も、最新技術を取り入れた強固な建築物へと改修されることになった。その際、皇室は「象徴天皇制」という合い言葉のもと防音壁が設けられることになり、内外の仕切りが御簾から頑丈な壁へと作り替えられたために、室内からの声を室外に伝えることも、室外から室内に声を届けることもできなくなった。

こうして、皇室は強固な開かずの部屋となったのである。

その後、一切の声も漏らさないほどの密室ではあまりにも息苦しかったため「開かれた皇室」を目指して窓が取り付けられたが、この窓にも防音工事が施されているため声が届くようになったわけではなく、扉は相変わらず堅く閉ざされたままである。

皇室の外から[編集]

皇室の室外から中に入ることは原則としてできないが、例外的に、女子に限り、皇族である男子と婚姻することで皇室に入ることが認められている。

もっとも、一般人であっても、開かれた皇室の窓から室内の様子を拝見することはできる。室外から見た室内は、一見するととても華やかであるため、熊沢天皇や有栖川識仁のように、皇室に憧れるあまり室内の存在を自称した者も少なくない。しかし、声も漏らさない開かずの部屋の室内にいるということがどのようなことであるのか、窓から見ただけでは知ることはできない。

皇太子妃である雅子妃は、室外から皇室に入った数少ない人物の一人である。その雅子妃が、一度入ったが最後、声すら外に出すことができない室内でどうなったかについては、ここではとても書くことができないのでお察しください

皇室の中から[編集]

開かずの部屋である皇室の室内から室外に出た者も、例外的に存在する。

皇室が開かずの部屋となった直後の1947年10月14日、51人の皇族が皇室から外に出て、自由の身となった。といってもこれは脱出ではなく、防音工事で予算が足りなくなったので出されたものであった。

寛仁親王は、閉ざされたはずの皇室を抜け出す能力を持っており、徹子の部屋を訪ねたりオールナイトニッポンに出たりと、 防音壁をものともせず外に声を届かせていたが、あまりにもしゃべりすぎたために最後には声を奪われた。

おことば[編集]

2016年8月8日今上天皇は、ビデオレターで異例の「おことば」を公開し、国民に向けて生きているうちに天皇を退位して席替えをしたいと訴えた。

政府は当初、防音壁にかこつけて聞こえないふりをするつもりだったが、ビデオレターを使われてはさすがに対応をせざるを得なくなり、国会で生前退位に関する検討が行われることになった。

もっとも、今上天皇は自分だけの席替えを求めたわけではなく、将来の天皇が生涯にわたって席替えできないのはどうかと訴えたのであった。しかし、保守の方面からおことばを真っ向否定するような見解が出されたため、ひとまずは今上天皇限りの席替えでお茶を濁される見込みである。

関連項目[編集]