発見

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発見(はっけん)とは、当事者あるいは当事者を含む人間集団の無知をさらけ出す行為。彼らは、既に自然界に存在する事柄・物・現象について、新しい知見・理論を見出したときに「発見した」という。しかしながら、それらの事物は既に存在していたものであり、知らなかったのは当事者たち自身の無知以外なにものでもない。

意外な場所での発見に「幽霊か?」と叫んで、全裸で逃げ出した奇人がいたことは特に有名である。

発見するということ[編集]

人間は発見したときに、「偉いだろ!」や「凄いだろ!」などの一種の優越感が生まれるということが分かっている。発見の記事で発明家の話をするのもアレだが、とある発明家は優越感をひけらかし、起業家となった後には周囲に嫌われていた節もある。

何をもって発見とするかについては、その個人の主観による。事物であれば、問題は比較的簡単で、自称発見者がそれまで知らなかったことであれば、発見したと主張することが出来る。たとえば太古から存在していた冥王星の発見などは、これに当る。それに対して、とある冒険者によるアメリカ大陸新大陸認定となると、そこに住んでいる先住民族にとっては昔から住んでいる大陸でありヨーロッパ人たちがこの大陸のことを知らなかったことなぞ、知ったことではなかった。自己中心的白ン坊が、勝手にやって来て、勝手に新大陸だと騒ぎ立てたに過ぎない。遺跡などもこの例が多く、古くよりその場所に存在していたにもかかわらず、無知であった人々が発見したと騒ぎ立てるに過ぎない。

生物における新種の発見の場合も、また同様である。アマゾン熱帯雨林など人が踏み入りにくい場所では、人間によってまだ発見されていない生物種が多く生息しているものと推定されている。しかし、未発見であることと存在しないこととは等価ではなく、人間が見つけようと見つけまいとそこには何かしらの生物がいることには違いは無い。

分類学者と呼ばれる生物学者の一派は、生物の発見者の手柄を横取りすることでも知られている。発見者自身が生物の分類に詳しく無い場合、新種であることを見逃すことが多い。そこに付け込む分類学者たちは、自分たち内部での情報交換によって新種同定の論文を作り、自らの功績とするのである。

発見の認証[編集]

科学上の発見は、論文の公開をもって成立するとされる。しかし、その公開先を騙すことさえ出来れば、喩え虚偽の内容であったとしても発見者の栄誉を得ることが出来る。もっとも時には、その発見の確認追試を行おうとしても再現性がみられないことが後から報告されて、最初の自称発見者が社会的に抹殺されることもある。

発見と再発見[編集]

発見が無知を公表する行為であるのに対して、再発見はそれ以上の無知を公表する行為であり、さらに恥さらしである。良くあるパターンは単に同じものを改めて発見したというケースである。例えば、1865年にメンデルが公表していたメンデルの法則を、1890年代に再発見したとして3人もの人間が恥を掻く破目に陥っている。発見と新しい物事を作り出す発明では意味が異なるが、車輪の再発明的な再発見・再発明は、後を絶たず、常に社会の迷惑となっている。


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