痴的ユーモア

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痴的ユーモア(ちてき - )とは、上方新喜劇に通じる、愚かしいことを敢えて行うユーモアの形態である。受け取る側によって評価が著しく異なるのが特徴。

概要[編集]

痴的ユーモアの最も顕著なパターンは、「下品であること」が挙げられる。下品とは即ち、思慮が足りなかったり洗練されていなかったりする様子を指しているが、こと痴的ユーモアに関して言えば、下ネタ・エロネタの連発である。例えば名人・狭山勘兵太による「ダウンロード」や同じく名人・孫我廼家二拾五郎の「艶噺咄家の隣」などは恐ろしく下品な芸であり、テレビ放送が禁止されるほどである。

やや下品さを除いてテレビ放送に堪えられるものとしては吉本新喜劇などの大衆芸能があるが、尻や股を柱にこすりつける運動は、交合にも似て非常にエロチックであり、セキレイの物真似ともなると放送コードに引っ掛かるギリギリの線を行ってしまう程に際どい([1])。こういった公共の電波に載せるには不適切なほどの痴的ユーモアではあるが、需要があることから伝統芸能として存続している。

古くは日本の農耕文化における陽物信仰やイタリアポンペイにおける性に対して非常にオープンな文化形態など、現在では下品とされ否定されたものは、言い換えれば大衆的な文化でもあった。こういった文化形態に根ざしたユーモアが、現在で言うところの痴的ユーモアの基礎にあることは、疑う余地が無い。

ただヨーロッパでは中世以降、梅毒など性病が蔓延、日本でも近代より性病による病禍が大衆を襲ったため、次第に性的な事項をおおっぴらにしないことでこれらの性病が蔓延しないよう社会構造の変化が起こったと推察され、この過程で従来の大衆文化におけるユーモアが「下品」のレッテル付けを成されて、痴的ユーモアという枠組みが成立したのであろう。

なお、後に性病の多くが治療法が確立され、今日では再び痴的ユーモアを大衆文化に差し戻そうと言う運動もおこっており、これが吉本新喜劇を始めとする下品なユーモアの再興にも繋がっているが、1980年代以降よりエイズの問題が発生しており、依然として復権は難しいのが現状だ。

受容度の違い[編集]

この痴的ユーモアであるが、個人の価値観によっても受容度に差が見られ、これを好む者も居れば、極端に嫌う者もいて様々である。前者は単純に大衆文化として好む者から、少子高齢化など社会構造の硬直化に伴う福祉システムの崩壊を危惧する者まで様々であるが、後者は単純に性的な事柄に対しての理解が乏しいために未知なものに対する拒絶心より発せられた傾向であると見られ、痴的ユーモア拒否層はそのまま精神的不能症候群の一種だと解されている。ただ同症候群でも中二病併発者は、痴的ユーモアを極度に好むなどしている。

一般に痴的ユーモアの受容度は個人差があるものの、適正とされるレベルがあり、受容度が低すぎても高過ぎても問題である。適正受容度はカンペー指数の11~26程度であるが、40を超える辺りからジョークの傾向が際どくなり、80を超えてしまうと発言の大半が下品過ぎてセクハラともなり問題である。

関連項目[編集]

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