片山哲

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片山 哲 (かたやま てつ、1887年7月28日 - 1978年5月30日)とは日本の弁護士であり政治家であり、日本でただ一人で日本一誰も気に留めない社会主義者総理である(自由民主党村山富市菅直人も社会主義者であると力説しているが、誰も気にしない)。

来歴[編集]

政治家に[編集]

1887年、和歌山県に生まれるが、誰も気にしない。1930年、43歳の時に、「社会民衆党」という、福島党に似たような名前の党を作り、書記長となる[1]なんやかんやで、その党を誰かに乗っ取られ、1942年の選挙で落選する。が、誰も気にしない[2]。なお、首相経験者として挑んだ、1949年の選挙ですら、落選している。この事から、本当に、誰も気に留めていないようだった。

何故か、首相に[編集]

戦後、日本社会党と言う、党を作る。なお、この党は現社会民主党の大元である。だから「福島瑞穂は片山哲を尊敬すべきだ。また、彼女はただ尊敬して終わるものではない。」と言われるべきである。この党がなんと、戦後第一回目の衆院選で1位となり政権を獲る。1位を獲ったのも理由があり戦後もバカだった日本国民が「うほっ、いい男」と思ったからである。(別に、あれの方ではない)

総理になった片山だが、大臣をなかなか決められず、なんと、全閣僚を一人で務めるという破天荒な事をしたのである。この事から、「劇団ひとり内閣」と言われたりした。総理としては、内務省をバラバラにしたり、労働省という、生涯ずっと働かないと行けない感じの省を作る。しかし彼はあくまでも社会主義者なので、やたらと国営の物を作る。この為に後々、国鉄の民営化や電電公社の民営化などで中曽根康弘の株を上げることになる。全ての元凶は片山である。

しかし彼は党内の紛争により、辞任せざるをえなかったので、辞任した。だが誰も気にしない

片山内閣[編集]

1hyde内閣。とにかく背が低い。

前述の通り、片山内閣は独裁者の如く、一人で成立していた。しかしお上がうるさいので仕方なく、閣僚を設けた。その閣僚が皆、背が低いのである。なかには1hydeどころか、0.8hydeしかないのでは?という奴もいる。

この内閣に入閣した人物の中で一番有名なのは、三木武夫である。後の自滅党総裁、総理大臣になるものがこんな内閣に入っていたとは・・・と驚く者も多い。頭の固い考古学者気取りどもはこれをなかったことにしようとする。また、三木武夫の次に有名なのが、蝶ネクタイ首相である。彼は、やはり、就任時の記念撮影で蝶ネクタイをつけているのである。無論、担当は蝶ネクタイ普及大臣である。


総評[編集]

内務省をバラバラにしたのは評価されるがこれはあくまでも、マッカーサー軍団の言っていることを実行に移しただけであり彼の考え出したことではない。このようにマッカーサー軍団の言いなりになることから、「グズ哲」、「ダボ哲」、「電鉄」などと言われるのである。

さらに当人が死んだ際もあまり話題にならず、現代でも首相になったのかすら疑問視する意見もある。[要出典]結局は、日本の典型的なオッサンとは掛け離れてはいるが、かなり可笑しなオッサンであった。

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  1. ^ あっち系の政党の党首は書記長とか委員長と言われる。なんか、落ちぶれている。
  2. ^ この選挙は東条英機がした翼賛選挙と言う選挙で、この頃の日本人はほとんどが脳がスポンジ化していた為、落選は仕方ないとされるが誰も気にしない

関連項目[編集]