燕市

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燕市(つばめし Tsubame city)とは、新潟県三条市の最愛の好敵手(とも)である。世間はこう呼ぶ。

~ 燕三条 ~

概要[編集]

洋食器の生産で栄えている工業都市である。上越新幹線燕三条駅)と北陸自動車道三条燕IC)が隣接している。

2006年に元燕市、吉田町[1]、分水町が合併し、現燕市となった。

かつて市内に吉田拓郎[2]を相談役とする独立国「若者共和国」が存在していた。国歌は「吉田町の唄」

地理[編集]

信濃川、大河津分水路[3]、中ノ口川、大通川(放水路)、西川等の堀に守られた要塞ステンレス都市であり、外敵から攻撃を受けにくい立地である。市の南西部には最高峰国上山の勇姿が天空遙かにそびえ立っており、特に海上からの攻撃に敢然と立ちはだかっている。

海を保持していない。一部の反対者の妨害に遭い、海を手に入れられる最大にして最後のチャンスを逃してしまった。反対者は海が欲しいとは思わなかったのかな?

交通[編集]

市外から来た者に北陸自動車道を利用させまいがごとく三条燕ICが隠されている。ICへの看板が異常に少なく地理に疎い者が地図を使わずに探すと、迷宮三条市街に迷い込むこととなる。

国道116号バイパスの計画があり、大規模商業施設の立地、小売業の淘汰及び地価の高騰が期待されている。

大動脈越後線弥彦線上越新幹線が交錯しており、新津(笑いを取るつもりではない。)に次ぐ鉄道の要衝である。

産業[編集]

生産した洋食器などの製品を隣の三条市で売るため、「職人の町燕」、「商人の町三条」と言われてきた。燕市の経済は三条市との貿易によって成り立っていると言っても過言ではない。

平成になった現在でも紙巻きタバコを嫌い、キセルをこよなく愛する。このため今でも煙管が生産されている。

鎚起銅器とハウスウェア。

つば九郎米。雲がくれ。雪舞里。天下とり味噌。八仙醤油。うさぎもち(2014年夏、お亡くなりになりました。)

教育[編集]

  • 磨き屋一番館
グラインダーを使った研磨で、お肌がスベッスベ。
  • 狭川塾(大森子陽塾)
  • 長善館
  • 国上寺
創建は和銅年間。聖武天皇発願による国分太一寺や国分佐智子尼寺が各地に建てられし頃。真言宗の寺であるが、座禅体験させてもらえる禅宗外の数少ない寺のうちの一つである。尼僧修行体験も可(男性が体験できるかは直接お問い合わせください。)。「ボケ地蔵様」もあり、お詣りするとボケが上達するとのことで、主に関西方面から芸人達が大挙やって来ている。
  • 分水良寛資料館
2人の良寛が「し」を挟んでいるところが名物である。
  • 大河津資料館
大河津資料館とは、国土防衛省直属の機関である。近在の小学生の校外学習に貢献する為、日々括約筋を鍛錬活躍しているのである。
  • 燕市産業資料館
  • 矢立煙管館

スポーツ[編集]

雪かき。冬の毎朝早朝にシニア選手権に向け市内全域のお年寄りが行っている。

2009トキめき新潟国体では、アーチェリー、空手道会場となり、そのとき地下組織「磨き屋シンジケート」が作ったトッキッキがデザインされたステンレスECOカップを選手等関係者に配ったが、「ECOカップに注いだビールの泡で試合が見えない」と苦情が殺到し、会場に多数打ち捨てられていた。

女子中学生の悲劇を乗り越え、2010年涙の剣道全国制覇を果たした。その後堂々の三連覇を達成

ヤクルトスワロ-ズと提携し、球団のマスコットキャラクターをあしらった「つば九郎米」というブランド米やステンレスECOカップ等が販売されている。最終目標は球団をまるごと燕に誘致してこようという、途方もない計画の第一歩であることを察知しているのは、ごく一部の市民だけである。

文化[編集]

燕系ラーメン」がある。「燕三条系ラーメン」はない。まちの小さな話題として、「出前のラーメンが冷めにくいように、豚の背脂を浮かべて蓋代わりにした。」、という嘘八百が一人歩きしてしまっている。昔TV番組「タケシムケン」において「日本一まずいラーメン」として見事殿堂入りを果たした新津の「東花食堂」も煮干し強めで豚の背脂を使った醤油スープに太麺という燕系である。[4]。「口臭反転の中華そばは作り置きしてるから、オーダーすれば間髪置かずすぐ出てきます。」(某市役所職員語る)。

三条市は燕との分離を画策しており、ネギラーメンの失敗後もカレーラーメンを一心腐爛に前面に押し出している。

国上山には良寛が幾年か過ごしており、訪ねる人も多い。

大森子陽。鈴木文臺。

新幹線駅等の呼称問題[編集]

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長文が読めないバカな人のために、チャクウィキバカたちが「三条vs燕」の項目を執筆しています。

チャクウィキの「三条vs燕」等でも触れられているとおり、高速道路インターチェンジ、新幹線駅が利用開始されたのはもう遙か昔のことなのに、未だにこの問題で燻っている。なので、市民に対して(もちろん三条市民にも)「燕三条系」ラーメンとか言わない方が無難である。

  • 三条」って最初に出てくる方が主役に決まってるがあ。
  • 何言うてるがあ、キリンラガー。「燕三条」って下に付いている三条の方が本体らがあ。
ほれ、おめさん。どっちだいの?

ビッグニュースが舞い込んできた!なんと、あの 燕市三条市がタッグを組んだ(燕三条ラーメン王国 お遍路Map)というのだ。「燕三条同舟」とは、まさにこのことである。泥舟にでも乗ったつもりで、彼らを生暖かく見守ってやってください。

娯楽[編集]

パチンコ。2011年に新潟2区選出の民ス党芸人が、献金問題で「北朝鮮寄り」と取りざたされたのに、いつの間にか何もなかったことになっているが、誰も気にしない。無料足湯。無料花見(桜、白藤)。

  • 市外に遠征して海水浴
  • 市外に遠征して海釣り
  • 市外に遠征して鮮魚のお買い物
  • 市外に遠征してスノボ・スキー・スケート・ロッククライミング
  • 市外に遠征して競輪・競馬
  • 市外に遠征してプロサッカー・バスケットボール・野球観戦
  • 市外に遠征して凧合戦観戦

ステン童子伝説[編集]

むかーしむかし、あったってや。

越後のステンレス都市燕にそれはそれはうふふなステンレス職人がいたと。その職人はテクニックがいいんだんが、めーんちめんち近郷のあね様達と励んでたんだと。そん日も仕事場であね様と一所懸命うふふしていたんだと。ほして、その中せにあね様が水こと飲み行こうとしたら、ふっ散らかしてあったステンレスの屑にけっつまずいて、足から血ぃでてしもたんだと。ほしたらそん血ぃ掛かっとステンレスの屑がむくむくむくっとでっけえなってそ、うふふも立派な人間の子供になったんだと。職人には子供がねかったすけ、そん子ぉこと育てることんして、ステンレスから生まれたさけに「ステン童子」と呼ばることにしたんだと。ま、『けっつまずいてできた子らっけん「スッテン童子」ら。』ゆうて悪口云うしょもいたそうらけどの。

そっから童子はすくすくと、またばーかいとしげに育ってったんだろも、そこはそれ、父ちゃん子供なんだんが、おなごしょかっさらってきては書かんねがぁしてばっかいたんだと。

自分なんか問題んならんぐれえいたずらこきの童子こと見て、父ちゃんも手ぇ負えんようなってきてしもての、童子をセミナーに預けて厄介払いして尊師様に鍛え直してもろうことにしたんだと。だろも、セミナーに行ったら行ったで尊師様のありがぁーて教えのお陰で、けえってわーりい子になってしもて、世間様に顔向けできねえことばーっかするようになって、ほしてとうとう鬼ぃなってどっかへ飛んでってしもたんだと。そっから 大江山ゆうろこへ住みついて、都で悪さばーっかしちょうてたら、偉いお侍様ポアさってしもたげらいのし。 ポアされんろき、

童子が

「いい子になるっけ、越後にけえらしてくらっしょ。」って泣ぇて願うたんだろも、

父ちゃんは

「だめらっ!ならんっ!!」

ゆうてきっぱり断ったんだそうら。は、ナンマンダブ、ナンマンダブ。

だすけ、童子の像ことステンレスでこしょーて、国上のステン童子のお宮に御祭神としてお祀りしていらんやのぉ。

息が「ぽぽぽぽーん」とさけた。

そん後、「父ちゃん」は被害者面してしょっちゅうテレビや雑誌に出ては、コセン稼いでるげらが。

\ ( ´△`) / はー、やれやれ。こ人目がわーり。

出身者[編集]

3本ロープのジャングルを抜け出し、現在は新宿ちゃんこ居酒屋「カンちゃん」経営者。燕市PR大使
  • 原田泰夫
あの中原誠よりずうーーーっと前の日本将棋連盟会長。故人
マラソン選手。元日本代表兎跳び競技選手。オリンピックに3回も出たのだピョン。日本海大学名誉教授
新潟1区。お笑い芸人集団「民ス党」所属の芸人。
・・・・・・・・・。
  • 亀倉雄策
・・・・・・・・・。
  • 鈴木力
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 実は隣の弥彦村は吉田町との合併を切望していたが、工業立町で非常に裕福な吉田町は、貧乏村のことなんて全然鼻もひっかけず、木で鼻を括るようであった。また、分水町も弥彦村との合併から命からがら逃げ出し、裕福な方に付いた。そりゃ賢明な選択だ。寺泊町も仲間に入れてあげれば、漏れなく海と魚屋がついてきたのにネ。
  2. ^ ありがとう、吉田拓郎、そして、さよなら?
  3. ^ 平成23年7月新潟・福島豪雨のときに信濃川がもうちょっとでキレそうになり、大河津分水のおかげで自分たちは安心して暮らしていけるのだ、と、ごく一部の新潟市民が思った………。すぐに忘れるけど。
  4. ^ 「うわっ、生臭っ。」「なんだこれ?うどんみたい。」と大評判だったが、「タケシムケン」の頃は東京で背脂チャッチャ系とか魚介系とかが流行る遙か前であり、斬新すぎていたからこその反応だった。新潟の人間にしてみれば、「東花食堂」のラーメンも普通にうまいんだけど。ま、燕系を初めて食う時はためらいととまどいがあるのも事実ではある。