湾岸戦争

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湾岸戦争(わんがんせんそう)とは、1990年8月2日から1991年2月28日まで、イラク-クウェート地域で開催された炎の祭典である。

緒端[編集]

1990年8月2日、イラク火祭りに用いる石油を求めてクウェートへ選手団を送り込んだ。事前に通告せず、勝手に戦争を起こされ、これに腹を立てた美国が急遽出場のため、連合国を編成し、1991年1月17日からイラクに聖火を投下した。

結果[編集]

当初の目的であった火祭りが実施不可と見たイラクのサダム・フセイン大統領は、その代わりとしてクウェート湾岸の油田を手当たり次第に聖火に点火した。また、イスラエルに向けてロケット花火を打ち上げた。結果的にはイラク軍(選手団)がクウェートから駆逐されたため連合国が勝利したように見えるが、勝負的には辺り一面を火の海にし、世界各国からスタンディングオベーションで迎えられたイラクの勝利である。父ブッシュはこれに激怒し、これが2003年イラク戦争への伏線となった。

余話[編集]

  • この戦争以前で美軍が最後にした戦争がベトナム戦争だったが、当時の電子機器はファミリーコンピューター以下のオモチャ同然であり、湾岸戦争は美国にとって初めての近代的電子戦になった。軍需産業各社は大喜びで自社製品のテストを繰り返したが、美軍が比類無き馬鹿であるという(当然の)事実を確認しただけであった。
    • 砂塵のおかげでヘリや波平の類が次々と故障した。美空軍ご自慢の男の中の漢の機体A-10攻撃機も期待を持ちすぎて散々な有様だったらしい。高々度戦闘機が活躍したのはやむを得ない話である。
    • 美軍の死者の大半は情報伝達の不備による同士討ち(アッー!)である。
    • 戦後多数の兵士が体調不良を訴えた(湾岸戦争症候群)。劣化ウラン弾のせいだとも、神経ガス対策に投与した解毒剤のせいだとも言われるが、こんなことは事前に予想できそうなものである。原因は兵士に支給されたコンビーフであった。
  • コーヒーを飲むアメリカ兵と紅茶を飲むイギリス兵の間に対立感情が生まれるという意味不明なエピソードが残っている。「泥水飲んでる人間にはマトモなのはいないね(イギリス兵談)」「腐った葉っぱのエキスで腹壊されちゃかなわねぇ(美兵談)」

スカッド狩り[編集]

  • イラク西部では「第一回スカッド狩り選手権inイラク」が開催された。
    • 出場したのはイギリスからSASとSBS、アメリカからはSOCOM配下の特殊部隊の連中である。彼らの目的はイラク軍が用意したロケット花火の打ち上げを阻止しようと、打ち上げに必要なものを発見および破壊するというもの。
    • 真の目的はロケット花火を打ち込まれたイスラエルがホイホイ挑発に乗りイスラエル製ロケット花火を抱えてイラクに侵攻しないようにするためである。実際イスラエルは「フセインが今後とも招待状を送ってくれるなら、是非とも我が国のロケット花火を打ち上げたい!」みたいな声明を出していたので、アメリカが「ごめーん、イラク西部はアメリカとイギリスだけなんだ」と言って、何とか参戦させないようにしようとしていた。
    • というわけで、大人の事情によりイラク西部の奥深くまで車両やヘリで進入し、北海道の2倍ぐらいありそうな広大な地域からスカッドミサイルや重要拠点を見つけて破壊するという、正気の沙汰とは思えない作戦にイギリスとアメリカの特殊部隊が投入されたのである。
    • だが、彼らはやりのけた。地図がしょぼかったり、情報が間違ってたり、無線が壊れたり、上層部の想定を遙かに超えるイラク軍がいたのにやりのけた。
    • 目標物は主に「通信基地」「ロケット花火打ち上げ装置」「光ファイバー」で、これらを探り当てて本部に報告したり、片っ端から空爆要請して破壊したり、自ら爆薬を仕掛けて粉砕したりした。
    • スカッド狩り選手権の最中にSAS隊員であるクリス・ライアンがシリアの国境まで徒歩でたどり着き、また同じ部隊のアンディ・マクナブがシリア国境手前まで到達したがイラク選手団に捕まって四六時中ボコボコに殴られたのに無事生還してSAS隊員のタフさをアピールしたが、湾岸戦争中最もタフだったのは空爆がモロに直撃したのに壊れなかったゲームボーイだった。しかも未だにニューヨークで動作したまま展示されているんだから凄い。

関連項目[編集]

Wikipedia
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