洗濯

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洗濯(せんたく)とは、衣類などについた汚れなどを使ってあたかも取り除いているかのようにする行為である。尚洗濯には洗濯物をきれいにするための媒体として水だけを使用する水洗いと、衣類に付着した汚れと化学的に同じ成分の物で洗う共洗いの二種類があるが、世間では合成洗剤と言われるものを水に溶かし込んで衣類を汚れごと白く染める漂白という行為の方が主流となっているため、洗濯はほとんど行われていない。

概要[編集]

洗濯は水洗いが主流であり、共洗いはそれほど普及していなかった。統計によると日本の家庭の約79.3パーセントが水洗い、19.6パーセントが洗わない、1.1パーセントが共洗いだった。しかし、現代では100パーセント漂白となっている。

水洗いによって衣服の汚れが消える仕組みは次のようなものである。まず、衣服の汚れに触れた瞬間、水は水素(H)と酸素(O)に分離する。これは化学式においては次のように表される。

2O → H2 + O

(なお教科書には 2H2O → 2H2 + O2 が正しいと書かれているが、これは誤りである。) そして次に衣服の汚れと酸素が結びついて酸化汚れとなって浄化される。これは化学式においては次のように表される。

YOGORe + O → YOGOReO

このとき水から分離した水素は空気中の酸素と反応することで大爆発を引き起こす。これが水洗いの一連の流れである。ただし、この時使用する水が水道水であれば問題はないが、それ以外の水(例えば川の水や水たまりの水)を使用して洗濯した場合、その中に含まれる多数のベンゼン核(ベンゼン環)と汚れに含まれる塩素が反応して有毒なダイオキシンが発生するため、水道水以外での洗濯は法律で禁止されている。

また共洗いについてはその工程に決まった流れなどはないが、コンセプトとして衣服についた汚れと同じ物質で衣服をコーティングすることで、あたかも最初からそのようであったかのようにして誤魔化す、という考えを内包している。ただし汚れと同じ物質が服をコーティングできるほど多量にない場合は普通に水洗いをする。

歴史的経緯[編集]

洗濯は、21世紀になってその存在が「漂白」の社会的優勢によって忘れ去られるまでは、主に家庭内で主婦による生理的現象の一環として行われていた。つまり一家の主人が仕事などで留守の間、どうしても我慢しきれなくなった主婦がその生理的欲求を満たすために行なっていたのだ。したがって洗濯をしていたことを後になって主人に知られることはしばしば羞恥の感覚を伴うものであった。そのため主婦は主婦どうしの大規模な共同体を構築し、それに所属することによってイデオロギーの抜本的再編を行い、洗濯が主人にバレた時の羞恥心に対抗しようとした。そのような風潮は1940年代にかけて特に盛んになり、世界的に様々な運動が起こった。これを一般に欲求不満爆発洗濯運動と総称する。日本で特に有名な欲求不満爆発洗濯運動のひとつが1941年に北海道の知床で結成された「全日本洗濯友愛婦人之会」である。これを機に北海道の北半分の一部の地域では主婦の洗濯に対する心理的劣位が解消されるのではないかと、全国の主婦から期待が寄せられたが、当時、会の会長であった千剤除井子が夫のいない間にこっそりと洗濯をしていたことが後で夫にバレ、それに羞恥心を抱いた彼女が引きこもりになってしまったため、会は結成後数週間であえなく崩壊した。このとき歌人の与謝野晶子は雑誌「明星」に「君爆死w」という歌を発表している。以後21世紀の「漂白」社会に至るまで、主婦の対洗濯劣位社会が改善されることはなかった。

発展と衰退[編集]

洗濯の起源には諸説あるが、47億年前からすでに始まっていたという説が最も有力である。その後長いあいだ洗濯には木の桶と洗濯板が使われていたが、紀元前2000年頃には古代エジプトで全自動洗濯機が発明され、首都メンフィスでは一家に二台の割合で各家庭に配備されていたという。日本にも飛鳥時代に小野妹子が隋から持ち帰り、その後奈良時代にはドイツ製を経て日産製の洗濯機が広く普及するようになった。やがて洗濯の文化は長期にわたっての安定期に突入したが、現代に入ってからは漂白の文化が社会に浸透するようになり、洗濯の文化は廃れてしまった。

また、もはや形骸化してしまったが、洗濯の象徴として物干し竿や干すという行為が未だに存続している。これは漂白された衣服は濡れたまま引き出しの中に収納しても問題ないということを現代人の大半が知らないためである。

関連項目[編集]