死ぬ死ぬ詐欺
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
死ぬ死ぬ詐欺(しぬしぬさぎ)とは、ビジネスモデルの一種。名前に詐欺が含まれるが詐欺行為ではない。違法化を目指す動きも出ている。
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[編集] 概要
医療関係の革新的ビジネスモデルであり、短期間で数千万円稼ぐことも可能である。
例えば、まだ先の人生が長い子供が難病にかかったとする。難病のため病気を助ける医療機関は限られており、膨大な医療費がかかるとして募金を募る。その際、ボランティア団体という名の法人を立ち上げるのが一般的である。そして募金を集めるのだが、目標募金額に達しても募金を止めないことがこのビジネスモデルの重要なポイントである。募金を続ける限り、金は入ってくるのでそんぶん儲けが生まれる。その儲けをボランティア団体が手数料として頂いたり、子供の親が生活費および遊興費に充てるのである。
また、手術費と入院費を別に募金すれば、更なる収益が見込める。
[編集] 元となった事件
このビジネスモデルの元となった事件がある。元となったものが詐欺行為と見られてもおかしくない珍事件であるため死ぬ死ぬ詐欺という名前になってしまった。(ただし、死ぬ死ぬ詐欺はビジネスモデルとして認められており、合法である) 以下、1756年の猪又屋事件
- 堺の宿場町で酒屋を商う猪又屋の清衛門はある晩、戸を叩く音で目が覚めた。恐る恐る戸をあけると、そこには血塗れの若い男が息も絶え絶えに「す、すまねえ…、ちょっと其処で暴れ馬に引っ掛けられちまって、彼方此方の骨が折れちまったみてぇだ」という。この当時、全身打撲の骨折ともなれば運が良くても働けない身となり、大抵は医者に掛かっても死んでしまう大怪我だった。男は観念した様子で、末期の酒をせめて一杯嗜みたいという。哀れに思った清衛門が湯飲みに酒を注いで男に渡すと、男はぐっと一飲み、そのまま事切れてしまった。さてや袖触れ合うも他生の縁、このまま放って置いても商売に差し障るってんで清衛門が隣町まで坊主を呼びに行って戻ってみると、さっきは確かに店先で倒れていた男が店の奥の酒樽の前で高いびき。こりゃ何としたことかと坊主と途方にくれながら、男に桶一杯の水を浴びせたところ血と見えたのはただの絡まった赤褌で、「ああ、死ぬ死ぬ…飲み過ぎて死ぬ」と言う始末。
この珍事件では結局、男は酔っ払って通りかかった馬を避けようとして土手を転がり落ち、赤褌に絡まったまま清衛門の酒屋を訪れ、ただ酒をせしめただけだということが後の調べで明らかになっている。
[編集] 問題点
このビジネスモデルには革新的であるとはいえ、さまざまな問題点も浮上している。
[編集] 条件が限られている
まず、親族が難病にかかっていないとこのビジネスは成立しない。治療ができる医療機関が限られているような難病は自分からかかろうと思ってかかれるものではない。しかし機会に恵まれないならそういう難病にかかっていることにすればいいという詐欺師顔負けのアイデアも出てきている。
[編集] 批判
上述を見てわかるとおり人の好意を踏みにじった行為である(駄洒落ではない)。そのため批判も多い。しかし、ビジネスとは常に人を蹴落としいるものなので問題ないとする声もある。
[編集] 宣伝の問題
このビジネスは他のどのビジネスよりも宣伝行為が重要である。なぜなら個人が始めるものなので何もしなければ募金が行われていることを知ってもらえないからだ。偶然テレビや新聞に取り上げてもらえないとなかなか募金が集まらないことも多い。
そこで打開策としてボランティア団体を立ち上げることが有効とされるが、ツテやコネのある人材が集まらなければいまいち効果が薄いだろう。
[編集] 道徳上の問題
同じ難病にかかっている場合でも、全財産を費やしたり生活を切り詰めることでなんとか医療費を捻出している方々もあるなかで、このような商売は道徳上問題があるという声もある。しかし、ある意味道徳と商売は対義語である。あなたが生活するためのお金も道徳と対を成す商売行為によって得たものである。だからこのビジネスだけを取り上げて批判するのはよくない。
[編集] ちっちゃいおにゃのこでないとお金が集まらない
「3歳のかわいらしいおにゃのこが難病で死にそう」という方が、「25歳のむさ苦しいデブな兄ちゃんが難病で死にそう」よりもお金が集まるのは、カモ善意の募金者たちも人間である以上当然のことである。従って、このビジネスモデルを成功させるためには10歳以下の難病を抱えたょぅι゛ょが必須といってもよい。ただし、0歳や1歳では逆に「また貴重な検閲により削除が」というアピールが足りなくなるため、募金額が減ってしまうという難しさも抱えている。
[編集] 外部リンク
- 別府鉄輪地獄変 第11話「誰が為にジングルベルは鳴る」 - 死ぬ死ぬ詐欺の大活用例