武田信繁

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武田 信繁(たけだ のぶしげ、大永5年(1525年) - 永禄4年9月10日(1561年10月18日))は戦国時代の武将。武田信虎の次男、武田信玄の弟。兄・信玄や弟・武田信廉とは違って水銀党員。武田氏きっての池沼知将・発明家であるとともに、日本史上有数のブラザー・コンプレックス。これについては後述する。また武田二十四将で構成される「TKD24」のメンバーで愛称は「しげちゃん」だが、「信玄のすぐ下の弟」というとびきり高貴な地位にあって「男の中の男」とか「真の副将軍」とかオサレなふたつ名を持ちながらもトータル的には何故か板垣信方甘利虎泰に次ぐナンバースリーの扱いになっており、彼自身も「なんかおかしいなぁ・・・」と自分でもワケの分からないままボヤいている今日この頃である。

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生い立ち[編集]

1525年、甲斐国の戦国大名・武田信虎の次男として生まれる。幼名は次郎。後に左馬助典厩と名乗ったが、兄からは「鯖電球」と呼ばれていた。そのほうが呼びやすいからである。兄よりも賢く、円周率は数字じゃない、割り切れない人生そのものだ」という当時の水準からかなり進んだ発言をしており、錬金術に凝って伝令を廃止し、携帯電話を開発しようとしたこともある。だが、ことごとく失敗し、青色発光ダイオードの開発に着手した頃に父と兄の仲が悪くなる。父の信虎は信繁を後継者にし、信玄を追放しようとしたが、兄萌えの信繁に一蹴され、信虎はイスカンダル帝国または天竺に追放された挙句、エクストリーム・帰宅の途上に駿河で力尽きたといわれている。それから後の信繁は信玄のお茶くみやスタンドまたは使い魔をこなしながら武田二十四将の筆頭になり、その後、たしか1551年ごろに水銀党に入る。兄の信玄はすでに共産党員になっており、軍中では「赤備え」と呼ばれる共産党の制服を採用してもいるが、信繁は銀様への忠誠の証として、「黒備え」を採用した。この部隊がのちに「烏軍」と呼ばれ、信繁は李克用と改名したとも言われるが、真実はいつもひとつであり、それはいわゆる情報操作です。また、信繁が開発した黒備え部隊専用の特殊戦車は後に「汽車」または「機関車」と呼ばれ、今日でも活躍している。それより以前、1547年に後継ぎの信豊が誕生しており、これが後に全力を挙げて織田信長に見逃されるべく長篠の戦いにおいて奮闘したヘタレ将軍になるのである。さて、1560年ごろになると、兄・信玄が越後の美女・上杉謙信に対して本格的に萌え狂い、あまり相手にされなくなってしまう。クリスマスプレゼントに塩を送られてデレデレしている兄をみて、ついに怒り爆発。清き連合国の一員として上杉謙信に戦いを挑むが、ビームブレイドで胴体を真っ二つに斬られ、戦死。臨終の言葉は「全国の同志諸君、乳酸菌…摂ってるか」だった。享年37歳。2007年12月現在の土井八郎より1歳年下であった。なお、謙信が変な男に奪い取られ、武田家が滅亡したのはそれから21年後のことである。

ブラコン信繁[編集]

  • 兄・信玄には、常に影のように仕えていたから当然BLである。
  • 嫉妬から上杉謙信に戦いを挑んだ。「川中島」とは三角州であり、三角関係を暗示しているのは言うまでもない。
  • 兄の廃嫡にも難色を示していた。
  • そして、腐女子に好かれている。信繁萌えも存在するらしい。
  • 彼の活躍を取り上げた書籍は「信繁マニアックス」として現代語訳され地下で出回っているらしい。

信豊、全力を挙げて逃亡[編集]

武田信繁の後を継いだ信豊は、父が構成した黒備えを強化し、「黒の騎士団」という痛々しい名前に改めた。さて、長篠の戦いではこの黒の騎士団、完膚なきにまで叩かれそうな予感とともに全力を挙げて逃走。織田信長により全力で見逃される間もなかったようだ。この逃亡について武田氏の元老・高坂昌信は「ヘタレが、それでも武田氏の一族か!!」と激怒しており、その軋轢は昌信の子孫である向坂環と信豊の「黒の騎士団」復興委員会会長、河野貴明に引き継がれているのかもしれない。なお、向坂環の愛人は生天目仁美であり、未来転生した武田勝頼その人ともいわれる。因縁めいた話である。

信繁の発明品リスト[編集]

  • 武田信玄萌えグッズ(1533-58年ごろ)→ハンドタオル、マグカップ、ポスター、信玄せんべい・まんじゅうなど
  • サッカーボール(今川義元への献上品。1535年)
  • MAGIシステム(1536年ごろ・未完成)
  • 疾きこと風のごとき伝令『韋駄天』(携帯電話)(1538年ごろ・未完成)
  • 青色発光ダイオード(1540年ごろ・未完成)
  • 武田国国家『風林火山☆至上主義』(1544年)
  • 『甲州法度次第プロトタイプ』(1545年ごろ)
  • 風林火山の風鈴(1550年)
  • 乳酸菌飲料『ヤ○ルト』(水銀党党首・水銀燈への献上品。1550年)
  • 黒備えの鉄甲戦車(機関車)(1552年)
  • チョイ悪親父グラサンとリーゼントカツラ(地味な北条氏康への献上品。1553年)
  • 漬物石(人工石の一種)(1560年)
  • 武田信玄ファンクラブ会則『諸君、私は武田信玄が好きだ』(1561年)
  • 飛行石(漬物石の発展形・信繁の死により開発中止)(1561年・未完成)

関連項目[編集]