武双山正士

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武双山 正士(むそうやま まさし)は我らが大日本帝国で活躍した元相撲レスラーであり、最高位は東大関。恐怖の武蔵川部屋暗黒時代を築き上げた1横綱・3大関のうちの一人であり、「妖精」・出島・「妖怪」・雅山・そして「怪物」と呼ばれる自身の3人の総称として「武蔵川3連星」、「3バカ」などで知られていた。

人物[編集]

現役時代には大関27場所平均6.88勝(小数点3位以下は切り捨て)にカド番通算7回という、一見互助会員としては頼りない成績であったが、貴乃花を「ユルフン」で制裁し、再起不能に追い込んだ実績の持ち主であり、大関互助会においてガチンコ力士としては異例の英雄扱いを受けている。

得意手は、突き・押し・突き落とし・左四つ・寄り。他にも、ユルフンで相手のを取る、特殊素材の足袋で実現された半端なく重いなどがあり、取り分け呪いの強さはあの千代大龍をも上回るといわれおり、相撲界では呪術師の草分け的存在として知られている。中でも、現役時代に対戦した力士が引退後に年寄として協会に残るとものすごーーーく苦しむところがミソであった。但し、その空前絶後の威力故に制御が効かず、寧ろ同部屋の力士がその煽りを受けた。

生い立ち[編集]

父親が茨城県相撲連盟理事長(尾曽正人)というアマチュア相撲の大御所で、お持ちの家に生まれたのは雅山と共通している。自宅にタイヤを積み重ねた「ぶちかましマシーン」が設置され、二畳分の食事が用意されていたなどの逸話から、相撲版「巨人の星」と呼ばれた。 だが、引退の直因は小さいころからの食事稽古、つまり簡単に言うと食傷である。事実引退後には順調に痩せており、大関時代の不振ぶりと重ねてそれだけにあまり引退が惜しまれなかった。

呪いの威力[編集]

若貴ブームに隠れて武双山の呪いは入門当初からも威力を発揮した。3代目若乃花は1993年5月場所千秋楽で小錦八十吉と投げの打ち合いとなり、小錦の手が先に土俵に付いて見事破った形となり、大関取りを手にするはずが、明らかな誤審でパーになった。当時の若貴は相当に協会ぐるみの片八百長の恩恵を受けていたが、それ以上に武双山の呪いが強力であった。

その後、若乃花は明らかに力が衰えた状態でうっかり綱を取って、兄弟絶縁→皆勤負け越し→勧告引退同然の引退→ちゃんこ屋経営失敗破産→欠陥住宅を掴まされて豪邸紹介とかいうB級タレント暮らし、といった経緯をたどり現在地獄の業火に焼かれる毎日を過ごしている。因みに雅山が地獄の業を注ぐウコバクの役をやりたいと言い出して聞かないんだなぁ。

貴乃花もまた武双山の呪いの影響で悲惨な人生を歩むこととなった一人である。1993年1月27日に起こった宮沢りえとの婚約破棄は、武双山の呪いで貴乃花自身の意思に反して「愛情が無くなってしまった」ことによる。

大関で6回優勝を果たした1994年9月場所直後は、武双山の呪いのせいでお父さんこと初代貴乃花のコネもむなしく昇進を見送られる。その後、武双山と同部屋の元横綱武蔵丸光洋、東関の奇人・曙太郎をも寄り切り・押し出しの身で倒せる体を作った上で横綱になるためにステロイドサイボーグに変貌し、成績と引き換えに人格も家計も名誉も破綻させていった。

最悪な事に、2001年5月場所に武双山の呪いによって力士生命を断たれた。そう、凶悪な「あの」巻き落としである。武双山のユルフンの所為とも言われるが、実際は巻き落としそのものが呪いの儀式の一つであったにすぎない。同部屋の横綱・武蔵丸がお詫びに片八百長で応えるも、7場所連続全休の憂き目に合い(気の毒なことに、休場中にドイツに脱走していたとも報道された)、引退場所である2003年1月場所2日目には雅山の柔道技(二丁投げ。柔道道では大外刈り)に負けた挙句誤審(もといえこひいき)に助けられるも怪我で休場という赤っ恥をかき、失意の底で引退に追い込まれる。おまけに皮肉なことに同部屋かつ対戦相手の雅山も負けにされ、加えて彼も足を怪我をしてしまい、翌日の朝青龍戦で怪我を悪化させて休場に追い込まれ(しかも公傷適用ならず)、結局墓穴を掘って貴乃花には一度も勝てなかった雅山。武双山の呪いが一番暴発した取り組みかもしれない。

引退後も、父親の財産を売って売って食い潰し、ついに貴乃花部屋の土地まで他人名義になるほどに陥り、ドーピング委員長(名称に防止やら対策やらが抜けているのはドーピングならお手の物だから)の仕事をしくって鳴戸部屋隆の山がインスリン服用で注意され、さらに一門も破門されたことで親方の要職とも言うべき審判委員の仕事にも就けなくなった。部屋の渡辺も大分仕上がり悪いみたいだし…

曙の突然の引退、K-1転向、果ては東京マラソンに向けた無謀なトレーニングといった奇行の数々は武双山の呪いの影響による。それについて、ここで説明するのも面倒だ。K-1転向の時に退職届がすんなり受理されただけでも十分な救い。あれ相撲協会への反逆だったぞ。

2001年5月場所6日目の琴光喜戦で水入りとなったが、それでも決着がつかなかったため二番後に取り直しとなった。これは1978年3月場所7日目の旭國 - 魁傑戦以来23年ぶりの珍事だった。取り直しの一番では寄り切りで琴光喜に敗れた。

この腹いせに協会を叩き出されるような呪いをかけた。通常武双山の呪いは制御不能に近いが、この時ばかりは完璧に決まった。

同部屋力士が受けた影響[編集]

雅山の大関陥落・誤審・不当処分も、出島の蜂窩織炎も、武蔵丸の手首の大怪我・年寄株借り換え暮らしも、自身の度重なる怪我も、全部強力無比な呪いのせい。でも、2013年2月に武蔵丸は武蔵川を襲名し、出島も三保ヶ関を継承するようであり、雅山もあと1年は取れそう。今頃になって呪いをコントロールできるようになってやがるぜ。