橋上秀樹
橋上 秀樹(はしがみ ひでき、1965年11月4日 - )は元プロ野球選手。2009年まで宮城県の老齢者再雇用促進施設で働いていたがその経験を生かし2012年から東京に転職している。また2013年は日本代表を副職としていた時期があった。
来歴[編集]
現役時代[編集]
1983年の秋、高卒ながらドラフト3位で神宮に居座る、ツバメのふにんき球団に誘ってもらう。どうしようかな~って迷ってたけど、結局は入れてもらった[1]。
1軍に昇格すると……、あれっ!?何したんだっけ!?
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第2の人生[編集]
2005年、宮城県に新たに発足した『老齢者再雇用促進施設』で野球チームも兼ねている、リサイクル工場に転職。そこの第2工場の管理職として招かれたのである。すると、すぐに第1工場へ移動となった。
しかし、動揺が施設に広がった。
そこのリサイクル事業の業績の悪さは、世間にも織り込み済みだったというのに、委託されていた施設の責任者のクビが、たった1年で飛んだのである。当然のように橋上自身へも処分が下るだろう、と覚悟を決めていた。そこへ、施設運営本部からの呼び出しである。ところが…。
えっ!?…、耳を疑った。お咎め無しである。それにしても訳が分からないし、訊いても答えてもらえない。でも、言われるままにヘルパー2級を取っちゃった。
その間、橋上の知らないところで、新たな委託管理責任者が招かれる事が決まった。リサイクル事業の第1人者として認知されていた、サッチーの嫁である。
2006年、ヘッドコーチに任命された。ジジイと一緒にやって来たブンブン丸が打撃コーチだというのに、それよりも大任なのである。しかし、『胃を縮める』ほどのジジイの大喝を間近で聞かねばならぬのか…。当時の恐怖が、蒸し返された。
2chでは何故か聖人君子化されツンデレなどと信者に呼ばれているが、ガチで偏重起用やモラハラが酷く長嶋一茂がパニック障害を発症するなど、死に掛けた同僚を何人も見てきたため橋上は怯えた。ところが、拍子抜け。10年の歳月を経たおかげで、縁側で座る姿が似合うほどジジイもボケて丸くなっていた。しかも2年目からはチーム順位が4位まで上昇した事で、気を良くしていた。すべては2007年から就業した、スーパールーキー・田中将大の存在に因るものだろう。若干ながら恐怖も和らいだ。
とは言え、ツンデレは健在だし、ワガママな要求も高いままである。1年目なんて、とにかく骨が折れた。と言うのも、ジジイの様子が10年前と最も違うのが、『痴呆の進行』であったのだ。
以下に記載したのは橋上が目撃したジジイの習性、その一部である。
- 就業者の名前を間違えるのは、日常茶飯事。
- たまに連勝すると、パンツを替えたがらない。
- それでいて『尿意は近いのに、トイレが遠いのう』と、ボヤくジジイ。その結果、ベンチ裏の通路とジジイのパンツがどうなったかはお察し下さい。
- ベンチを出て交替を告げに言ったつもりが、主審の前を素通り。『ワシ、何しに行ったんやろか?』
- 『メシは、まだかのう?』と5分毎に尋ねてくる。
ようやく、合点がいった。この為のホームヘルパーだったのか…。でも、みんなが野球してる中で、1人だけヘルパーなんて恥ずかしいから、ヘッドコーチなんて呼び名を付けてもらったんだろう。
2009年、ジジイの痴呆度が年々進行しようとも橋上が介助に専念してくれるおかげで、ジャーマンや小物、はたまたこさっちのような就業者までもが、伸び伸びと働けた。おかげで、施設初の快挙を成し遂げた。
ただ、底抜けに膨張し続ける、ジジイ自身の介護医療費の負担を懸念する施設運営本部によって、『ジジイ、この年限りで追い出されちゃうらしいよ』というのが、専らの噂でその通り追い出され茶色いベース投げに変わったこともありクビに。
第3の人生[編集]
その経験を活かして2012年から東京の顔芸さんのチームに転職。
うなぎ犬やケガするパンダ、世界記録の投手を捕手にさせて投手をやった不届き者などからの厚い信頼を受けて日本一に貢献。
その効果で日本代表チームのピーコに頼まれ日本代表チームのスコアラーを担当したが、こちらは不発だった。ペナントでは二連覇に貢献した。
橋上効果の虚実[編集]
巨人が3年ぶりに日本一を奪回した2012年は「橋上効果」が絶賛され、「とにかくボールに当てることを強要していた原に対して、見逃し三振を認めたことでメンタル面に大きく貢献した」「阿部が神と崇めた」などといった類の話が山ほど流れたが、この年は、悪名高き低反発球の導入2年目であり、ボールに適合した結果も大きかっただろう。また、翌2013年の村田週一の復活は、若干ボールの反発力が上がったのも関係していると思われる。
橋上氏や尾花高夫氏などは、タブロイドやネットで「勝てば〇〇のおかげ」になる立ち位置(いわゆる「野村チルドレン」)であり、対して原監督や前任の村田チュウ打撃コーチが「とにかく負けると〇〇のせい」にされるタイプなので、タブロイドやネットの評価も鵜呑みにはできない。
「村田真一は通算打率2割3分の二流選手だから無能理論」を適用すると、この人は二流どころか三流選手であり、やってたことも捕手目線からのアドバイスであまり変わらない(ちなみに現役時代の成績は、出塁率は橋上の勝ち、長打力は村田の圧勝となっている)。
結局どこまで信じられるのだろうか。この答は2014年に判明する。この年も巨人のコーチとして円陣を組んで指示を出したりしているが、近年の巨人では有りえなかった残塁の山、併殺打の山と化しており、得点圏打率12球団1位にも拘らずリーグ得点最下位、12球団中10位の惨状である(7月終了時点)。
一見ネガティブな話だが、この状況は野村ヤクルトが調子悪かった時とソックリ同じである(2008年にも楽天でパリーグ併殺記録を更新した)。何だかんだ橋上の貢献は大きく、良くも悪くもノムさんのメソッドのようなものが浸透しているようである。
脚注[編集]
- ^ ちなみに同期の2位は、ブンブン丸である。
関連項目[編集]
- 田尾安志 - 施設の初代責任者。ツンデレジジイの前任。
- 古田オッケーイッ!! - ふにんき時代からの同僚。同年で、チョッと友達。
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