横浜FC

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横浜FC(よこはまFC)とは日本のプロサッカークラブであり、お笑い集団でもある。

「知らんぞこんな奴ら」
横浜FC について、横浜フリューゲルス関係者一同
「全員帰っていいよ!」
横浜FC について、佐野実
「この集団、ホームラン級の大バカだべ!」
横浜FC について、横浜市大和龍門
Wikipedia
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概要[編集]

横浜フリューゲルス解散が決まり、挑んだ最後の天皇杯。勝って優勝しても負けてもチームは解散。

日本中が涙したあの日。伝説の第2幕が今、始まる……。

(横浜FC・エピソード156・逆襲の奥寺より抜粋)

歴史[編集]

1999年〜2005年[編集]

1999年にJFLからこのチーム兼お笑い集団の再出発が始まった。

2年連続でJFLを制覇しJ2へ復帰。J1昇格も時間の問題だった。




はずだった。

しかし昇格どころか中団にすら食い込めず底辺をさまよう毎年。

この間に年間22引き分け(実に年間試合数44試合の半分)の新記録を樹立。この新記録は後の新記録樹立ラッシュの序章に過ぎなかったのだ。

そして2005年KING KAZU(自称)が加入した辺りからこのお笑い集団の歯車は狂い始めたのであった……。

2006年シーズン[編集]

キャンプでも実績が出なかった足達監督を視聴率と芸人としての人気低下の原因と決め付け1試合で解任(Jリーグ史上開幕後の最速解任記録を樹立)。その後アジアの空砲こと高木琢也が監督に就任し、何故確変したのか第10節神戸戦~第19節水戸戦までの連続無失点時間770分のJリーグ新記録そして、新人監督就任以来15戦負けなしの新記録を達成し、去年までのgdgdが嘘のような快進撃が続きまさかのJ2優勝を果たし、翌年のJ1への昇格が決定した。

優勝が決まったのがピッチ上ではなく空港への移動中のバスの中だったというのがまさにお笑い集団であることの象徴といえよう。


この年チームはJ2チーム中最少失点の鉄壁の守備を形成。ハマナチオだかピスタチオだかの芸名をエルゴラッソから授かった。

なお、キャプテンの城彰二(サッカーでの宇宙開発先進者)はこの年をもって足に込めた魂が尽きたのを理由に芸人生活を引退した。

2007年シーズン[編集]

開幕戦で劣頭相手に善戦し只者では無いお笑いの才能を遺憾無く発揮する。ひょっとこ久保はこの1ゴールをもって虎の子の一発ネタを早くも使ってしまった。続く第2戦では横浜Fマリノスとの横浜ダービーが行われ、「実力が同じでないチームではダービーでは無い」とか散々調子をこいていたマリノスを粉砕。試合には勝ったがお笑い集団的な意味では圧倒的大差で敗退しただけに、後味が良くない一戦であった。

これにより横浜FCは強い方の横浜となった。もっとも5ヵ月後には5万余りの大軍を率いたマリノスにあっさり奪還されてしまうのだが…


その影響なのか、3節以降は自慢のピスタチオの風味に大きな影響を及ぼし守備が崩壊。大量失点を繰り返し視聴者の支持率も右肩下がりで10週打ち切りかとも騒がれた。

その後数々の新記録、記憶に残るプレーを打ち立てたのであるが、誰も気にしない

  • 10月20日の第29節の横浜FCvsヴィッセル神戸戦で残り5節残してJ156降格(J1最短降格新記録)を決める。
  • 643分間連続無得点リーグ戦20試合連続未勝利(いずれもJリーグ新記録)を達成。
  • 遠征先で間違えてホームユニフォームを持ってきてしまったのでサポーターからユニフォームを借りて試合をした。
  • 後半44分から出場したイチローにダブルハットトリックを決められる。相手がイチローだから仕方がない。
  • チームは最下位ながらオールスターに3人が選ばれる。空気を読んだプレーで場を支配した。
  • 横浜FCが勝つだけでtotoLOTO6年末ジャンボ等の賞金額が跳ね上がった。


その他にもこの年の最少得点、最少勝ち点、1試合の平均得点数が1点を下回る、活動資金が無いのにタダチケットを配布しまくる、シーズン中にジャンカルロ・フィジケラの不運を理由に退団した選手がブータンの総人口以上等、もう誰もが覚えていないであろう領域まで増え続け、全て書き終えた頃にはこのページの容量は3.14159265358979323846264338327950288hydeまで増えていることであろう。


しかしダントツでJ156への降格が決まっている最終節、劣頭を実力的にもネタ的にもtotoの賞金的にも完勝し、従兄であるしかお君へ大逆転優勝を捧げた。この試合では4万人を超える劣頭の自称フーリガンが駆け付けたが、試合後に待っていたのは歓喜ではなく4万人のお通夜であった。ちなみに横浜国際総合競技場の収容人数は体育館156個分くらいである。

この後、折角勝ち進んでいた天皇杯で真のアジア王者である愛媛FCに敗北した辺り、まだお笑い集団としての自覚はしっかり保たれていた。

この年の横浜FCは名実ともにアジアNo2のお笑い集団となったのである。

低迷[編集]

その後、毎年のようにJ1復帰を目標とし、新規参入チームからみかじめ料を取りながらキング以下奮闘を続けていた。

2008年、津波を監督に据えシーズンイン。から引き抜いたアンデルソンが活躍するも、アンデルソンがマークされてから詰んでしまい、津波は1年で斬首。最終順位は10位

横浜開港150周年の2009年、樋口を監督に据え韓国籍選手2人などを取り込んで臨んだが、開幕8戦勝ちなしでスタートに失敗。大黒様に挑発されながらも緑だけには勝ち続けていたが、最終順位は18チーム中16位と惨敗。樋口も梟首となった(この後樋口の首は鞠に回収されている)。

砂岩横浜の誕生[編集]

そんな中、一つの転機が訪れた。2008年の天皇杯などの熱血采配で全国区の知名を得ていた、赤帽が資金の都合で砂岩を追われたのである。招聘を検討していた鞠の先手を打って、赤帽の取り込みに成功。さらに昇格争いの一角だった砂岩から赤帽が育てた戦力を丸ごと掻っ攫い、昇格を射程圏内に入れられるチーム作りを行った。さらに挑発行為でサポーターにとって目の敵だったはずの大黒様も併せて取り込んだ。結果として、砂岩サポには深い恨みを買った。

砂岩の強化という実績を引っ提げ、ここまでやれば間違いなく昇格・・・というサポーターの期待を一身に背負ったはずだったが、開幕10戦で1勝9敗と出足を挫かれ、大黒様に見捨てられる。それでもキングが先頭に立って国立でを舞ってマスコミを引き付け、審判の判定に赤帽が詰め寄ってチームの結束を図るなど、夏から秋にかけて追い上げは見せたものの最終順位は6位止まりであった。

既存の選手を冷遇し昇格を逃したことで「お友達チーム作り」「チームの私物化」とサポーターの評価も危ういものとなっている。そして対外的には「横浜の鳥栖化」「横取FC」だの言われたり、DQNからなぜか砂岩への罵倒文句を浴びせられたりもした。

(ちなみに対する砂岩は「第2横浜FC」と揶揄されるまでになってしまった)

2011年は赤帽がGMを兼ね、藤田祥史ら更なる子飼いの取り込みをすすめているが、大震災再開直後いきなり砂岩に弑逆されて一時最下位に落ちた上に、天皇杯で松本山雅FC(JFL)に敗れて下剋上を許して「松田直樹への黙祷に対する野次」のツケを払う羽目になった。お友達内閣の更なる弊害が現出し2011年度は大惨敗。そして草刈り場になった筈の砂岩が2位で昇格決定となったのは、なんともまあ運命を感じるのだが。

2012年早々に初顔合わせで憎んでも憎み足りない鞠を蹴散らした砂岩を尻目についに赤帽も梟首となった。その際「鳥栖での実績はゴーストコーチの手腕なのでは?」などと後ろ指を指される始末だった。

借りた屍の再利用[編集]

2011年初頭には緑の球団存続の審判が下されることになっており、緑ブランドを垂涎として欲していたFの化身にとって絶好の好機だったが、理事が助け舟を出して存続が決まったため目論見は敢え無く頓挫。方針転換を余儀なくされる。

そこで新たなる策としてを借りた屍を一層活用することを思い立つ。借りた屍、すなわちOBで最大の実績、所属年数を誇る山口素弘を監督に迎え、「フリューゲルスの後継チーム」であることを再びアピールする事を前面に押し出すことでチームを築き直すことにした。果たしてこの策は嵌り一時最下位チームだったチームを昇格圏まで引き揚げ「右上がりの奇跡」と世間を騒がせたが、プレーオフでかつて所属した藤田祥史に「お返し弾」を食らうなど、に野望は砕かれた。

一方2012年天皇杯では不倶戴天の敵、と決戦することが決まった。Fの化身は今度こそ悲願を成就すべく、鞠を謗る弾幕[1]まで引っ提げて決戦に臨んだが中村俊輔の凶弾2発に倒れた。それどころか弾幕は世間には否定的に捉えられ「フリューゲルスの後継チーム」としての吟持も大義名分もアピールできなかった。

2013シーズン、山口は高校の後輩である松下裕樹を温泉から引き抜くなど、2部では3番以内の予算を組んで昇格達成のための戦いに挑んだが、私物化人事で罰が当たったのか、6月まで1カ月に1勝、ホームでは1勝もできないなど春先で低迷。7月以降は徐々に勝ち星を拾い始めたが、年間を通じて昇格争いに絡むことができず11位でフィニッシュした。その間、サポーターがピッチに降りて選手に殴りかかろうとするなどのトラブル[2]が起こっている。また年齢を感じさせない活躍でチームを牽引したシュナイダー潤之介を戦力外にしたこともサポーター内では不満の声が上がった。

2014年のV・ファーレン長崎戦では負けた選手に向かってサポーターがケツを出して罵倒するという事件[3]や中指を立てる、相手チームのサポーターを殴る[4]も起こり、サポーターのDQN化が顕在化。クラブも掃討作戦を始める[5]など内部分裂が災いして山口素弘を以てしても昇格には至らなかった。

退団の際、コーチが捨て台詞を吐いてチームを後にしたがこれは伏線となる。

親政[編集]

2015年から元けさい監督であるミロシュ・ルスが後任に就任。読売にもフリューゲルスにも縁がなく、なおかつGK出身の珍しい指導者が現れた。

彼には特命があった。それは 三浦カズを優先して使うこと。 そのためこれまでのキャリアで「監督の資質なし」と烙印を押された人物を傀儡として据え、

「いつまでもカズを見ていたい♡」

というオーナーの甘い夢想を叶え続けるためにきたのであった。

果たしてルスはフロント命令を忠実に再現した。傍から何と言われようとも48の中年オヤジもとい日本サッカーで神と崇められる男の神威を披歴することに徹したのだ。どんなに点が取れなくてもカズを用い、どんなに失点しようともカズを信じた。それまでならいいのだが、果てはオーナーから

「One for Kazu,all for Kazu」

などとルスにダイレクトフォンがかかりカズ出撃の命まで下るようになった。これでも4月までは噛み合ってオーナーもファンも満足できる展開だったが、またまた私物化人事の罰が当たったか12年とは逆にPO圏手前から最下位へ真っ逆さま。ルスはサポの批判を一身に浴びて胃をやられ、「僕の志は知る人ぞ知る」と言い残して沈没しかかった船から脱出していった。この年は大分トリニータの自滅に助けられたが、いくら無能とはいえ楽天ゴールデンイーグルス同様オーナーの命を遂行し矢面に立たされるだけの傀儡監督の末路はさすがに同情されたという。

こうしたあまりに身勝手かつ横暴な「クラブの理念」であるが、もはや監督の成り手がなく2016年も留守の再登板が決まる。世間では「名前通り仕事を留守にしやがった」と冷やかされたがもはや監督のなり手がいないことに気づかない「裸の王様」小野寺であった。

[編集]

2013年初夏。1部在籍当時に所属していた奥大介という選手が妻に「今から貴様を殺しに行く」と予告したため殺人未遂で逮捕されるという事件が起こった。妻へのDVが恒常化するなど問題が指摘され、奥は当時フロントに籍を置いていたことになっていたためクラブに問い合わせが殺到する。

…しかしスクープが表沙汰になってから逮捕に至るまでがあまりにも急だったため不審がられていた。その後一部報道で創価学会による圧力で精神的に追い詰められた」という記事が横行する。

横浜FCのオーナー会社代表は熱心な学会員でチームスタッフも「業界では他所からは『創価学会のチーム』と綽名されている」と認める。日々の業務でも公然と勧誘活動が行われており、結果チームでは「学会員にならないと出世できない」と嘆かれる状態だった。職場の雰囲気を厭い辞めたスタッフも多いらしい。

現役時代から人望・リーダーシップに優れた(チームメートに蹴飛ばされたこともあるが)奥であったが、この人格が災いして「抵抗派の元締め」とみなされて職場イジメをされ、精神的に追い詰めた上での不祥事に発展したという。 [6] もっともこれは奥が2014年秋に交通事故で没したため真相は闇の中だ。

Fの化身の今[編集]

Fの化身であったこのチームもFことフリューゲルスとは違う道を歩み始め、独自の道を歩み始めたようである。独自の道とはなにか? 

…………ズバリ。それは読売ブランドへの執着心にある。

1部に在籍していた2007年時には3分の1以上の選手がヴェルディOBという超常現象を現出したばかりか、降格後も2008年に監督を務めた津波や2010年に招聘した赤帽などのヴェルディOBを取り込み、今尚キングが君臨するなど活動は継続されており、潜在的に「読売ブランド」への羨望はあるらしい。

また、2007年よりとはヨコハマを巡った不倶戴天の仲になっており、鞠のポスターを剥がして処分する、長年鞠に在籍した松田直樹への黙祷に罵声を浴びせる[7]などダービーらしい行動だけは継続してとり、1部への望みを繋ぎ続けている。

以上2点の行動を繋ぎとめるもの。いまなお読売ブランドを摂取し続ける一方で、異様なまでに特定の敵に執着し続けるその終着点とは

ヴェルディ横浜FCの結成である。

最終的には読売ブランドを手中に収める、孫子の兵法で言うところの借屍還魂の計を推し進めているのである。即ちの屍を借り、次はより一層ネームバリューの高いチームの魂を植え込もうとしているのである。奇しくも翼も緑も同じチームを仮想敵、宿敵に回しているのも何かの縁だ。翼の屍と緑の魂を併せて支配することで、他の新興チームと区別をつけ、一日も早く鞠を討って横浜に水色の旗を掲げるべく今日もまたブランドへの執着を燃やしている。


関連項目[編集]