横浜DeNAベイスターズ

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横浜DeNAベイスターズ(よこはまデナ-)とは、中華街・横浜市プロ野球チーム、もしくはJ3に所属するサッカーチームのことである。というか5球団だと数が合わないので、仕方なくセントラル・リーグからプロとされているだけの“ハマのヤンキー集団”である。もっとも今年はJ3でも下位に低迷しているので来年はJ4への降格が濃厚である。

あの科学汚染物質の突然変異で生まれた「大魔人」、ササキ・カヅヒロも所属していた球団であり、また多数の花火師を雇っている球団である。またハマのヤンキー集団ではあるが、もちろんヤンキースとは関係がなく、日本のヤンキースである巨人軍に対抗する南の一つ星に青地の旗の球団ということで球団旗は、ヤンキーに反旗を翻した南軍の旗の一つ、ボニー・ブルー・フラッグを使用している。

D」や「Bs」と混同するのを防ぐため、「DBDeNA BAYSTARSから。即時削除ではない)」と表記されることがある。

歴史[編集]

大洋漁業時代[編集]

「捕鯨業も流行んないよね」なんて1993年に、横浜大洋銀行とバカにされ続けた『横浜大洋ホエールズ』から突然変異して誕生。天然監督ワンマンマンの「欲しい欲しい病」で落合博満を獲得した巨人軍から迫害されていたお馬さんからの亡命申請を、馬車道という名の地域が近くにあるという理由だけで受け入れる。そのお馬さんは「30本打つ!」と意気込んでいたわりにはあんまりホームランが打てなかったので、そのかわりと言わんばかりに併殺打の日本記録を樹立。守備でもフライを結構ポロポロ落としていた。しかし5年間すべての試合に意地でも出続けるという壮大な嫌がらせをして、チームの足をおおいにひっぱった。巨人前監督藤田元司の推薦で、鬼軍曹こと近藤昭仁を監督に抜擢。近藤は嫌われ役を演じて若手を鍛え上げたつもりだったが本当に嫌われてチームを追い出されたので、「いい人」大矢明彦が正捕手tanisigeを一人前にしてチームを纏め上げてマシンガン打線を確立した。一応大矢の部下ということになっていたが、大矢なんかより全然大御所の「権藤さん」が名実ともに一番上に立って投手陣を整備すると、お馬さんの嫌がらせにも関わらず1997年にはペナントレース2位、1998年には日本一、1999年当時のチーム打率日本記録を達成するなど、短い間ではあるが栄華を誇った。2000年にはその嫌がらせに耐えかねた権藤が、お馬さんに代打を出す、というちょっとした事件もあった。

しかし、強すぎて1980年代的お笑い要素が薄れてきたことにフロントが焦り、大魔神・権藤監督・4番ローズ・5番お馬さんを追放。2001年に年末年始のかくし芸など数々の伝説を打ち立てた森マチャアキを新監督に招聘し、森繁和投手コーチ・落合臨時打撃コーチを含めたお笑いトリオの結成で話題作り。タイアップ商品のコウジ黒酢を奨励する中、FA宣言で国外逃亡を企てた正捕手tanisigeには結局、味噌カツ球団に逃亡される。なお、味噌カツからは使い古し捕手である中村武志を下げ渡された。まるで液晶の替わりにブラウン管テレビを引き取る家電量販店の如きである。さらに、98年を知る主力選手も遠慮なく次々と追放。ファンにとっては極寒氷河期、暗黒時代の到来である。

TBS時代[編集]

狂乱期[編集]

2002年
球団経営を諦めた大洋漁業からその当時でも悪名高かったTBSに親会社に替わる。しかしこの時は、親会社の宣伝のためにTBSのチャンネル番号の「6」位に留まり続けるよう、本社から極秘に指令が出ていたことはまだ誰も知る由もなかった…。
親会社が変わるという一大事ながら、チーム名・ユニフォーム・本拠地などほとんどチームに変化を及ぼさない理想的な経営移転として、一部で賞賛を浴びた。12球団で唯一の親会社の企業名が入らないチーム名(「広島東洋カープ」も親会社のマツダの企業名を持たないが、厳密にはマツダの前身「東洋工業」の名前の一部が入っているので、純粋な企業名が入らない球団はベイスターズのみ)が初めて役に立った瞬間ともいえよう。
後のダイエー近鉄バファローズのゴタゴタと比較してもその騒動の小ささは特筆すべきものであったが、それが2010年になるとそれどころではないくらいにゴタゴタが待っているとは誰も思わなかった。
ともあれ、新親会社はさっそく「我々はTokyo Bay Starsである」と親密ぶりをアピールし始めた。
しかし、TBSはニッポン放送の代わりとして半強制的に買わされたため、最初からまともに経営する気はなかった。実際にはTBSでベイスターズ戦が中継されることはほとんどなく報道するどころか、対戦相手視点の編集になったりすることが多い。加えてTBSは坂本堤弁護士一家殺害事件のきっかけを作った過去(TBSビデオ問題オウム真理教に放送前の映像を見せた。坂本堤弁護士一家は横浜に在住していた)を持ち、横浜市民からの反発を煽った。
春季キャンプのシーズンには、野球に関心の無いみのもんたを強行スケジュールで沖縄中を連れ回したことから、結局は税金対策ではないかとも言われている。また、実の父は東武東上線とも言われているが、定かではない。
冥将、大ちゃんす
2003年
かの名将うっかり大ちゃんが就任。
マチャアキとゴールデンコンビを結成していた井上純をロッテに追放するなど決意を新たにするも、監督自身が天才的なお笑いの才能を発揮して、03年にはチーム敗戦日本記録(当時)を達成。2001年から始まったチームのお笑い路線復帰計画はここに成功を収めた。
このオフには1位の星野・2位の山田・3位の原が監督交替の憂き目に遭っているにもかかわらず、フロントは大喜びで任期を全うさせ、勝ち頭のドミンゴ・グスマンを中日に供出するといった敗退行為を繰り返し、狂乱は来年も続くことに。
2004年
4月末には、ほんの一瞬だけ単独首位を味わった。
しかし、すぐに最下位になったのは言うまでもない
結果、山下はオフに責任をとらされクビとなる。
それ以来、横浜からは光が消えた。笑顔が消えた。明りが消えた。

低迷脱出の兆し、…か?[編集]

2005年
前年シーズン終了後に4番タイロン・ウッズを、またしても中日に供出。こんな戦力を引き受けた山下とは対照的な印象をお持ちのインテリ893が、2005年から監督に就任。
投手陣の再整備に成功し、落合道場の魔の手からようやく復活したスペランカーの活躍などで3位に滑り込む。
2006年
「この戦力で3位なら若手が育てば1位になれんべ?」と補強は一切なし。
しかし、牛島はスターティングメンバーを長期間固定し、全くと言っていいほど好不調でメンバーの入れ替えをせず、大差がついた試合でも若手を起用することはなかったため、若手が育たなかったことは言うまでもない
また、二軍から上がった選手をすぐに使わず、全く起用しないまま二軍に戻すことも多く、投手以外には基本的に代打を出さないから若手が育たなかったことは言うまでもない
よってチームもやる気がなくなり、牛島はフロントに辞表を叩き付けて去った。
有名選手のみでチーム作りをした場合の結果を良くも悪くも教えてくれた監督であった。

再び、暗黒氷河期へ[編集]

2007年
再建の切り札として大矢明彦が再任する。ようやく怖い人がいなくなったかと思ったら、投手コーチに斎藤明夫が就任。
マウンドでのピッチャーに檄を飛ばし("唾を飛ばす"の誤用)に行く際の威圧感は、他球団のピッチングコーチの追随を許さなかった。
フロントが門倉なんかイラネ、クルーンなんぞイラネ、スペランカーなんぞイラネ、とイラネイラネ病を発病。代わりにやって来たのはオジさん原嫌い、そしてスペランカー
移籍初年度こそ3人とも交換相手以上の活躍を見せるといった予想外の出来事が起こった。
2008年
この年も斎藤明夫が続投。ベンチのムードは険悪であった。
この年に飛躍した内川に加えて、村田・吉村の強力クリーンアップをもってしても投手陣が壊滅的で最下位に沈む。内川の打率(.378)がチーム勝率(.338)を上回るという2リーグ分裂後では初となる珍記録も記録された。
寺原が先発→ヒ魔神→先発→ヒ魔神とあちこちをたらい回しにされながらも頑張ったが、いつのまにか消えてしまった…。
オジさんと小柄なビッグマウスは年齢が祟り、オジさんは敗戦処理として存在感を発揮したが後に古巣へ返還。ビッグマウスは水差し野郎のときにヘマをやらかすなどしていつのまにか消えてしまった。
そんな中でも“やる大矢”は若手捕手を育成し、石井琢郎など球団に不満を持つベテランを必死に説得。しかしコーチ要請を目論んだ石井琢朗にはフラれるなどフロントにも足を引っ張られた模様。
2009年
2009年の、チームへの一般的な評価。よく見りゃ横浜OBでさえも、この様式美。もちろん翌年以降も似たような評価である。
怖いおじさんが去り、チームを明るくしようと、復帰した駒田とともにクリーンナップの成績次第という効率の悪い打線をどうにかしようとする毎日であった。しかし、14連敗などの精神的苦痛に耐えかね疲労の限界に達した5月、ついに休養させられ、湘南シーレックス監督のオバQに監督代行を託すこととなるほどチームのムードどころでは無くなってしまった。ちなみに高木のとっつぁん・シーレックス監督代行とともに、数々の選手を森の魔の手から再生した育成のスペシャリストである。
しかし監督交替後も1軍の迷走は続き、それに引きずられるように首位を走っていた2軍も急速に弱体化。
ファンの間はベイスターズ崩壊を目論む「TBSの三悪人」こと佐々木・村上・山中が、大矢の構想の1つであった若手捕手育成計画を阻止、さらに12球団有数の野手育成力で知られるシーレックスの崩壊を画策したと噂されているが・・・。
なお「読売ジャイアンツ」は「巨人」、「中日ドラゴンズ」は「」、「阪神タイガース」は「」、「東京ヤクルトスワローズ」は「」、「広島東洋カープ」は「」と表記するように、「横浜DeNAベイスターズ」は「」を略表記とすることがある。ここだけ動物でないことが、負けが多い原因ではないかとも憶測されている。その負けの多さから野球ファンは「星」から★(黒星=負け)を連想しており、横浜ファンは勝ちが込んで☆(白星=勝ち)を連想するようになるその日を待ち続けている。

低迷脱出に向けて その1[編集]

2010年
2009年シーズン終了後、降って湧いたアニメマネーで気を良くしたのか、ほとんど総入れ替えに等しい15人もの大補強を敢行する。
なにせ、この年で数年前に燕軍の通算敗戦数と2009年には横浜のAクラス入り回数を上回り、正真正銘の12球団随一の貧弱球団に成り下がったためである。
ようやく事の重大さに気づいたフロントが、アニメ収益があっても赤字決定という親会社の財布を強請(ねだ)った模様、というよりもフロント自体がほぼ総入れ替えになってやる気になった模様である。
ちなみに内訳は千葉ロッテマリーンズから4人、北海道日本ハムファイターズから5人、福岡ソフトバンクホークスから2人、海外球団から助っ人3人+日本人1名という今までのフロントでは到底ありえないような補強をした。
しかし、獲得した選手はほとんど活躍せず、放出した選手には横浜戰限定で活躍された
その放出した選手には問題児も含まれ、トレード得したというか、膿出しのようなものだった(←例として四球を出して舌も出す松家。北海道でもやっていて解説者から苦言を呈されていた)。
そして この2010年シーズン、セントラル・リーグには貧富の格差が現れた。“金のあるトコは上位、ビンボーは下位”といった図式である。そこでの横浜は、破壊力ある外国人打者の働きで勝利を模索していたが、彼らは打力に限らず守備でも破壊力を発揮してくれた。
交流戦では、トレード放出した左腕に0封されたとか、2度の4連敗どころか9連敗まで喫した始末。ペナントレースに戻っても6月末で借金20(70試合で45敗)、96試合目で借金30(63敗)というダントツの最下位。
しかも12球団で唯一、勝率3割を瞬間的に下回った東京ヤクルトスワローズでさえも勝率5割を超えたり、同じくペナント戦でガッカリだった北海道日本ハムファイターズも“横浜まで来て貯金生活を満喫”するなど、このチームには一体、何が足りないのかと思わせる事だらけだった。
なにせ「アメリカ帰りの大家さん」や「救世主ハーパーさん」を新たに獲得するなど、燕や鯉と違ってオフから相当な投資をしながら、それでも最下位なのである。シーズンの大勢が決まった頃になってようやく底無しのスランプから抜けた村田と、救世主ハーパーで何とかなっている状態。それでも12球団ワーストのチーム出塁率.313という影響は、そのまま521得点(これまた12球団最少)に直結。そのせいか、1点差試合を18勝29敗で大きく負け越す勝負弱さにも結びついた模様。“投手陣再生の名手”と謳われた尾花のキャリアに傷がつくのも時間の問題と思われる。
もっとも尾花自身も一番モンチッチ山口俊を2回またいでクローザーなどの自爆行為に奔っており、まったく責任が無いとは言えない。実は開幕から1ヶ月程度は勝率ほぼ5割ペース、下位から這い上がる兆しの見えない鯉とツバメを尻目に4位と、近年になく健闘していたのだ。ところがその原動力である寺原・牛田がピンポイントに故障した交流戦開幕前後から急降下、ペナントレースから脱落してしまった。山口イニング跨ぎもその所以であるが、シワ寄せがきている真田のような敗戦処理担当中継ぎ投手陣へ二次災害を及ぼすことも懸念された。
何とかしたい、という姿勢くらいは見えるものの、これくらいではトンネルの出口など見えてこない。

売却問題 2010年[編集]

このころ、横浜の順位に毎年「6位」が異常に多いのは、チャンネル番号の宣伝のためであるということが、一部報道でリークされてしまった。一方、「6位」になってもあまり宣伝効果がないことに気づきだしたTBSは、赤字を垂れ流している深刻な事態を打開するため、水面下でチームの売り先を探しだした…。

10月1日
シーズンも大詰めを迎えた中、試合とは無関係な新たなネタ提供に世間は騒然とする。
史上初の3年連続90敗を達成と歴史に残る大敗を喫してみても大して宣伝効果がない横浜に対して愛想が尽きたのか、はたまた看板番組「水戸黄門の再放送」しか視聴率が取れなくて本業以外に手を出してる余裕ががなくなったのか、アニメ大好き悪質テレビ局球団売却構想が明るみに出た。
10月6日
早速、虎には矢野燿大の引退試合を台無しにしたせいで、木塚敦志の引退試合を台無しにされた。
最終戦こそ勝てたものの、借金47(95敗1分)で試合を終え、試合後のセレモニーには監督ではなく、加地球団社長が挨拶。
「横浜の地を離れたくありません」と熱く訴えると、居残った物好きのファンから喝采を浴びた。しかし、先行きは不透明。
10月27日
順調に思われた売却構想だったが、最初から売却先企業と決め込んでいた住生活グループとの交渉は物別れに終わっただけでなく、結局「TBS傘下のベイスターズのまま来季を迎える」との世間を騒がせただけの愉快犯的な発表があった。
騒動終了後
住生活グループでは、本拠地を静岡に移転する予定だったことが判明。
山下大輔鈴木尚典石川雄洋らOB・現役の静岡出身者を有することから、その後も静岡移転は有力視されていた。
ちなみに住生活グループの幹部は新潟など眼中に無かったとのこと。後に住生活グループ会長が「全ての可能性を切り捨てるべきでない」と否定しているが、後付け丸出しである。
新潟としては強い西武のほうに来てもらいたいところ。
家電量販店のノジマも買収に手を挙げていたが、なぜかTBSは無視した。でもその後も、気分は悪いだろうに、けなげにノジマはスポンサーをしてくれている…。
この一連の人騒がせで元鞘な報道に、ファン安心。しかし世間は白けた。ところが赤字解消には全く結びついていない。どうする気なのか。そもそも、裏でTBSが買い手を探していることなんか誰も気にしない

低迷脱出に向けて その2[編集]

2011年
近年、有力選手の『脱ハマ』におびえ続けた2010年オフ。とうとう横浜を支えてきた男、内川までもがFA。球団の実態を暴かれた挙句、ハゲ鷹軍団へ逃亡された。いきなり補償金という名のあぶく銭ができたので、北の方からお笑い芸人をFAで、さらに東北から渡辺直人を不条理トレードで獲ってみた。
投手陣でも、働かない寺原と、同じく働いてないらしい左腕・山本を交換してみた。さらに中継ぎ強化のために西武の誇る炎上型リリーフ集団『俺達』初代総帥、大沼幸二を獲得してみた。で、予想通り強化どころか火に油を注ぐ結果になった。びっくりしない。
助っ人では、期待のリーチを獲得。ところがこの即戦力左腕はオープン戦中に震災の影響で帰国。そのままシーズン後半まで帰ってこなかった。その後、前年限りで解雇のランドルフと再契約を結ぼうか、などと先見性の欠片も無い相変わらずな球団方針を垣間見せた。
不安を抱えたままペナントレースがスタートすると予想に反し、味噌カツ相手の開幕カード3連戦を勝ち越し。『弱投? それがどうした。打って勝てばイイじゃんか!!』とばかりに、“吐き出した分まで打ち返して上位を窺おう”というスタイルで挑みだした。村田の決め台詞が「全力疾走」になっていたのはこのころである。
ところが、ともに最下位争いを繰り広げていた広島に3タテを食らうなど開幕6戦目から早々と5連敗を記録。5月にも5連勝直後のリバウンド6連敗で、さっそくテンションが続かなくなって例年通りにおちついた。シーズン52試合目には12球団最速の30敗到達。開幕投手に抜擢した新戦力の山本が阪神から挙げた2勝のみの10敗で7月には2軍降格。あせりを感じてなんかしなくちゃ恰好がつかないフロントは村田、ハーパー、筒香らがいるにも関わらず、無職でプラプラしていたノリさんを雇ってみた。おい、投手補強しろよ。
とは言え、敗戦を重ねても選手の積極性・気持ちが折れていない試合を幾つも見せてくれた。なにしろ前半戦辺りまではリーグ最多の得点力。それなのに、ぶっちぎりの最下位で前半戦終了。さらに8月、初回から8点のハンデをもらいながら追いつかれた辺りから一段と負けを重ねてきた。
そんな横浜との試合を多く残して安堵する他球団に対し、9月以降から、なぜか上位チームをいじめまくることで存在価値を見せようとする。大男を3位に引きずり降ろしたなど、ファンに小さな希望を提供する。←それだけ頑張れるなら、年間通じて頑張れよ。そこで満足するだけだから、順位を上げられないんだぞ。
黄虎・大男へのイジメだけで満足するのか、ナゴヤの味噌軍団に対しては、ほとんど無抵抗。おかげで“味噌軍団の胴上げ担当”の座を大男から譲られると、同点延長の末に優勝胴上げを目の前で見せてもらった。
そしてウサギ小屋で迎えた、当季最終戦。
裏切りの男・村田の単発2本で新人・沢村の防御率1点台を阻止するなど、勝ちゲームを展開。が、9回裏に入ると渡辺に替えて、怪我でスタメン落ちしていた石川内野手をあろうことか守備緩め守備固めとして遊撃に起用、直後に恒例の痛恨のエラー。さらに山口のフィルダースチョイス(キャッチャーの送球指示によるところが大きい)で無死満塁という得意のドタバタ……。そして投じられた高目のボール気味な直球を――、
代打逆転サヨナラ満塁ホームランされる、壮絶な爆死ぶり
これほど横浜らしい負け方を見せた事ないくらい、惨たらしい派手な終幕であった。そして、これがTBSベイスターズとして、最終戦となろうとは...。
村田修一がスピードアップ賞を獲得。内川が移籍してしまいった後は唯一獲得できそうなタイトルだったので併殺でスピードアップに貢献し無事獲得。
横浜ベイスターズとしては最終年となった。この年までで10年連続勝率5割未満、Bクラス9回(最下位8回)、4年連続最下位という輝かしい成績を残す。

売却問題 2011年[編集]

震災の影響による節電のための時間短縮により引き分けが増えて、4年連続90敗を惜しくも達成できなかった。
しかし、前年に引き続き、この問題が再燃する。
10月
アニメ大好き悪質テレビ局が複数の企業と売却交渉をしていると発表。朝ズバッ!生たまご冒頭のスポーツ誌1面チェックをやらなくなった。
金満帝国大正義虚塵軍総司令が横浜の売却先が仮想都市生活と婚活支援を兼ねた出会い系サイトで決着するとの見解を示した。
11月
楽天軍団から猛反発。「何で出会い系がプロ野球に参入するんだ!」と毎日のように訴えられる。
でもね。楽天以外はみんなどうでもいい感じで事を進めてるんだ。だからモガベーは参入決定したかのように、尾花解任とか、監督工藤とか、杉内奪取とか言ってるんだよ。それに本音はGREEとずぶずぶだから入れたくないだけだろ。そんなのはあんたらが生まれる前からマスゴミで変態新聞の参入めぐって対立してた事をくりかえしているだけ。
決着
やっとこさ終結。
選手やGM、監督らを見る限りどう見ても日本ハム巨人の2軍選手混合チームである。
名前も長ったらしくなり、選手には月1万以上の課金を始めそうな…。
別名「横浜DNAベイスターズ」または「横浜デナベイスターズ」

DeNA時代[編集]

前述の経緯により、2011年12月に親会社はモバゲータウンを運営するDeNAに替わった。

契約年数の残ってた尾花監督を解雇し、新生・横浜の初代監督には、巨人の絶好調男こと中畑清を抜擢した。勝敗を度外視して『明るく楽しく元気にやろう!!』というスタイルを目指すには、うってつけの人材である。

この新監督は早くもお笑いの才能を見せつけており、就任会見では「熱いぜDeNA!」などとあれな発言を連発。キャンプでは初日からいきなり体温が熱いぜ!でダウンして人々の笑いを誘う。回復後もリップサービスで、キャンプ期間中に話題を振りまくなど、スポ紙の紙面を賑わせようとする姿勢には、ただただ頭が下がる。だが、肝心のチーム自体は誰も関心ないので記事も小さかった。

新始動[編集]

2012年
足攻めを多用し、唯一の防御率1点台で3位にまで躍進したオープン戦の戦績。台風の目に成れるかも!!なんて期待させといてフタを開けてみれば、開幕4戦目から6連敗を記録。15試合で10敗一番乗り(4勝1分)するところは、看板が替わっても横浜に変化ない事をまざまざと見せつけた。その上、ヒットがDeNAい試合を含む46イニング無得点をやらかすサプライズっぷりである。
そして九州2連戦の内、雨で流れて一発勝負となった金満球団との最下位決戦(4月25日)では、3-15のフルボッコ敗け(そもそも4回終了時点で毎回失点の0-10)で定位置に転落。再び連敗街道に突入した。
おかげで熱い監督に便乗した、ゴールデンウイークの特別企画『全額返金!?アツイぜチケット』は大盛況。試合内容によっては全額返金の求めにも応じるという大胆な企画どおりに凡戦を繰り広げ、0-7で敗れた5月1日の試合後に観客は返金要求の行列を作る始末であった。
そんな屈辱に奮起したのか、翌2日の“打てん中止”で心機一転。3日から引き分けを挟む3連勝、GW本拠地6戦を3勝1敗1分1中止で乗り切った。ところが観客からは、勝ち試合であっても返金を求められた(5戦総額47万円)。
大嫌いな交流戦では、相変わらず下位に低迷。レギュラーシーズンに戻ってもラミ・ノリの打棒爆発にしか、得点源を見いだせない寂しい攻撃力。7月早々に40敗12球団一番乗り(66試合21勝5分)。それでも4日には、番長の自身150勝を巨人からの7年ぶり勝利で飾り、ファンに温かい話題をもたらすが、2日後の6日には借金20(69試合22勝42敗5分)と自力V消滅のW達成と横浜らしい戦いぶりも見せつけてくれた。オリックスよりも後だが、結局最下位。最終戦ではヤニキに「絶好調の方が目立っていた」と苦言を呈された。
2013年
この遊具を獲得した。相手投手を乗せて飛翔させるという使い方である。
前述通り、監督が一番目立っている球団の為、DeNAの記事は監督の中畑清の話題で満載であった。
それでも中日から3人の外国人を獲得する事に成功する。超危険遊具エンジェルベルト・ソトホルヘ・ソーサの3人であるが、若干1名、完全に忘れられた存在になってしまう。そしてトニー・プラッシュも獲得。一応球団もやることはやっていた。
3月・4月には12勝16敗で首位のあの球団に既に7.0差で5位。首位はそもそも無理難題なので、あまり関係の無い話である。
5月10日には、監督の中畑清が、自分の恩師である相手チームの終身名誉監督を敵陣に招待。我が野球を見せつけてやると言わんばかりに招待した結果、7回で10対3という散々な結果を見せつける。しかしそのウラの回、怒涛の連打やエラー等の失点もあり、9回裏には10対9で1点差、巨人は守護神浅尾拓也と双璧を成すイケメンを投入する。1アウトから強肩強打の凄いハマのゴメスの連打の後、帰ってきたスペランカーのサヨナラ3ランで劇的な幕切れを見せつけた。
稀に見られる巨人、横浜の空中戦が勃発。投手が燃えて、それ以上に打つという、横浜らしい野球を見せつけた。
後に交流戦に入るが、7勝17敗であった。相変わらず交流戦は激弱である。しかしこれはぶっちぎりの最下位というわけではなく、11位の乳酸菌球団は7勝16敗1分であり、10位もセ・リーグの中日ドラゴンズであった。改めて「人気のセ 実力のパ」をプロ野球ファンに認識させることに大いに貢献した。
7月には助っ人のトニー・プラッシュが夏男という事もあり、調子が急上昇。投手崩壊と言われるチームの中、それ以上の打力を見せつけ、奇跡のAクラスで終わった。
しかし8月9月は壊れていた投手が、疲労により使用不可の状態に陥りチームは64勝79敗で結局5位であった。
定位置から免れた事や、この年の後半戦で、ヤジにも負けずに使い続けた消えるセカンドが開花、超危険遊具の二冠王、12球団でチーム打率、巨人 ロッテと並んで3位である。これは指名打者制度がなかったり球場の広さなど一概に優劣は決められないが、横浜の投手を相手にせずにこの打撃成績はファンにとっても嬉しい結果である。肝心な投手陣については今までクローザーであった・3・が、中継ぎに配置転換されてからの顔芸の上達、期待されていた高さ危険太郎が先発で使えないこと、多くの収穫はあったのだが、ここでは割愛させて頂こう。
この2013年のシーズンは7点差以上の逆転を3回も行っている。5月10日巨人戦、8月20日阪神戦、8月31日ヤクルト戦である。7点差にならないと本気にならない打線であり、1点差2点差では本気が出せない。その為、ファンも点差がつくなら7点差になってほしい、という気持ちでいっぱいである。
打てない時はめっきり打てない。去年の鯉のエースにノーヒットノーラン。そしてこの年も07年日本シリーズ8回完全試合の人にノーヒットノーランをされてしまう。これは山井が4月19日のDeNA戦でサヨナラホームランを浴びた以降不調が続いた為、DeNA打線はあえて打たなかった事はファンの中では既に知れ渡っている事である。「追いつけない程度の反撃」はまだまだ健在でもある。
このシーズンは、阪神・ヤクルト・中日と勝ち越しているのだが、巨人戦は大の苦手でたったの5勝。一部のアンチは監督の古巣ということもあり、巨人の犬と罵るが、監督が一番巨人戦では気合が入っている。が逆効果だったり・・・。純粋な力不足で負け越している。
監督の中畑は、この年でCS進出が達成出来なければクビであると去年セレモニーで発表。しかしGMのヘイ!魔術師ぃ!!が定位置回避、集客率、前半戦Aクラスを評価して、残留を要望する。またファンから「なかばたけさん!辞めないで!」という暖かい声やファンの手紙で、続投を決意する。べ・・・別にクビになるって言っただけで、辞めるなんて言ってないんだからね!この時、監督の中畑は「私もオートバックスと同じくらい有名になりましたね!」とコメントしている。ちなみにこの年は、一緒に監禁されていた仲間がCS初出場という形であっさり解放され、12球団で唯一144試合終了後に年が明けるまで一切試合をしたことのない球団となってしまった。

真の低迷脱出へ[編集]

2014年
ドベ2からどんでんのお気に入りアメリカのピザ屋聖域を撤廃した黄色い球団守護神を獲得し、いたせりつくせりの補強をするが、元々女房が少ないのに、戦力外にした上に、FAで復帰した正捕手変人のプロテクトに入れ忘れ、補償で持ってかれてしまう…なんてことを!
正捕手を持っていかれて絶好調監督の歯車が狂ったのか、守りの要であるセンターラインを総入れ替えしてしまい、昨年の最下位から脱出した機運が微塵に吹っ飛んでしまったのである。なんて球団だ!
そんな調子で開幕。開幕投手の敬遠すらまともにできないいつも真顔くんがいきなりやってくれた。日本一早く点を取られ、初回に7失点。終わってみれば9-1でボロボロにやられた。
これに引き続き、4月2日の巨人戦では5点差の試合を逆転された。ドラ2の平田を点差のある巨人戦で登板させて、自信をつけさせるという指揮官の目論見を完全にぶっ壊す試合展開になる。追いつかれそうになってどすこいをマウンドに上げたが、ランナーが溜まっている状態で既に逆効果。炎上への継投となる。そもそもランナー無しでもあの時の巨人打線はどすこいでも…。そしてその回だけで10点取られるというベイス☆ボールを披露した。
絶好調監督は「1点差ゲームをモノにする。」と言っていたが、(「監督!5点差ゲームすら落としてます!」)4月で既に1点差ゲームを7戦落としている。ソーサが調整不足で、平気でサヨナラ負けを喰らうようになる。
1点差で勝っているのは3戦のみで、1点差試合すら負け越し3月4月で7勝18敗である。ちなみに中止以外の試合は、全カード負け越しという偉業を成し遂げたのであった。
4月11日の試合で、ヤクルトの破壊王に正捕手ゴキジェットが破壊される。前述通りまだ前半戦であるという状況で、既に鶴岡が人的補償でもっていかれたことが痛手となる。「高城を育てればいいやん。」という状況でもなく、阪神も驚愕の3人合わせて1.5流捕手達の、どんぐりの背比べ起用が始まる。
自動アウトの強肩強打の凄い奴(予定)、2塁フリーパスの機種依存文字岡、足は速いけど全く塁に出れない西森と阪神にも劣る捕手3人である。
さらに、危険遊具も4月で肉離れで離脱するという、夢も希望もない前半戦であり、既にシーズン終戦と言っても過言ではない状況に陥った。
5月6日からの巨人戦では中畑監督就任以来、初の東京ドームで勝ち越し。5月10日のヤクルト戦では1安打勝利を収め、このカードは3タテを決める。1点差の僅差の試合を勝利することや、社会人からドラ4加入のハマの愛子様が守護神に固定され、即戦力の新人の登場でファンに希望を与えるが、次の中日戦ではちゃっかり中日に3タテされている。さらにその次の阪神戦も負け越し、苦手な交流戦に最悪の形で入ることになる。
初戦は去年日本シリーズ覇者。交流戦の目標は5割と定め、交流戦に挑む。この試合の解説はハマの大魔人であったが、「目標はどうせなら優勝と言ってほしい」と苦言を残す。今までの散々な交流戦で絶対に達成出来ない目標…いや目標と言えるか分からないような「交流戦優勝」を目標にあげる所が大魔人の凄い頭の悪いところである。5割の目標を達成することで、選手達の自信にも繋がるであると考えている中畑と、あくまで第三者目線の佐々木では当然ではあるが…「今まであいつ何見てたんだよ」と言われても仕方がないだろう。
この交流戦初戦の試合は勝利を収めたが、次のは自責点0で黒星がつくベイス☆ボールである。この試合はが、結果次第では2軍落ちの試合であり、まさに尻に火が着いている状況での登板であった。
しかし、確実に2タテされるとファンが予想していた、合併球団戦の2戦目、wktk軍団の2戦目でサヨナラ勝ちを決めるなど、5月は13勝12敗でなんとか勝ち越すことが出来た。実はさりげなく、ハマの宇宙人が5月の月間MVPである。
そんな調子で6月に入るも、9日の楽天戦では再び則本をぶつけられ10-0で完敗。その後のオリックス戦では西、金子のダブルエースをぶつけられ見事に2タテを食らう。
ここからズルズル落ちると思いきや、その後は西武・ロッテに勝ち越しを決め、日ハム戦も5割維持。最終的に交流戦は13勝11敗、負け越しはオリックスだけという成績で7年ぶりの交流戦勝ち越しとなった。
ちなみにロッテはマスコットの神と同じ名前を持つ鴎が「白星をお願いしなきゃ。」という挑発ポスターを作ったが、これは横浜ファンに該当する事実であると言える。願いが叶ったのだ!
再び危険遊具が肉離れを再発させて離脱、225も1ヶ月くらい前から足が万全でなく離脱、打撃が好調だったハマのポップフライも練習中に怪我で離脱という散々なチーム状況ではあったものの、控えの選手達が力を発揮して、戦力をカバーした。
投手ではソーサの不調が続いていたが、ブランコがいなくなり外国人枠が空く為に、強引に使い続けたが試合が壊され続けて、勝ちパターンから外れるといったこともあったが、萬谷や先発に配置転換されたどすこいが良い投球をする等、課題の投手陣にも光が見えてきた。またチームはこの頃キューバの至宝を獲得した。ちなみに6月の月間MVPでどすこいが選ばれた。
問題はこれがセ・リーグでも出来るかと言った所である。
7月4日からの阪神戦は何事もなかったかのように3タテを食らう。この次は那覇で苦手な巨人戦でキューバの至宝が飛行機に乗りたくないとの事で、グリエル無しで試合をしなければならない状況に陥る。潜水艦を用意できるわけもなく、グリエルは沖縄に遠征免除となる。巨人戦は2連戦で、8日は台風で中止、9日は3-0で勝利を収めた。7月11日からのヤクルト3連戦も3タテを決めた。
この頃から(特に7月14日からの広島との3連戦)筒香の調子が爆発的に上がる。ホームランも打率もどんどん伸びていき、7月21日にはブランコが帰ってくる為、ファンは「ユーリ、ブラ、ツッツとか最強やん」「横浜優勝」等、ポジるにポジりまくるが、グリエルが7月16日のカープ戦で脇腹を痛めて、登録抹消。グリエル、ブランコの両雄が揃った試合はここまでわずか5試合である。
ブランコは怪我した時に指揮官に「体重を落として戻ってこい」と命じられ、ブランコは5キロ近く体を絞りあげて戻ってきた。体のキレが戻った事によってイメージとの誤差が消えたのか、打撃成績も上がり気味である。
ここまで絶不調だったみんな大好き!ジーニアス!も、指揮官がアッパーからレベルにスイングの起動を修正してから調子を取り戻し、7月11日のヤクルト戦ではサイクル越えの6打数5安打4打点2本塁打の異常な固め打ちを見せつけ、元気な姿を取り戻した。
投手陣も、半ば忘れられていた存在であるソトが帰ってきて、中継ぎで驚異的な活躍を見せ始める。どすこいが5球で危険球退場になる珍プレーもあったが、何だかんだで試合をしっかり作る投球を見せている。
25日からのヤクルト3連戦を再び3タテするなど、結果的に7月は10勝8敗2引き分けで勝ち越した。
そして8月。この月最初の巨人戦で3タテを決め、そこから良い流れで突き進んでいたかに見えたが、8月13日の中日戦で、フライ捕球時にレフトの筒香とセンターの梶谷が交錯。筒香が頚椎震盪を起こしてしまい、次の14日には登録抹消。外野のファンはもちろん、中日ファンからも声援を受けて、救急車で運ばれて行った。横浜ファンは筒香が心配で涙を流すファンもいた。
この得点圏打率の鬼であった筒香がいなくなることは、横浜にとって大きなダメージを与えることになった。未だに構想上の中軸での試合数が圧倒的に少ないことである。
それでも投手陣が以前と比べてかなり安定を見せるようになり、先発も5回5失点だとファンから「内容が悪い」「打たれすぎ」と声が出るようになるくらいである。(少し前までは3回5失点くらい普通です。そうじゃないと胃がもたないZE☆)
怪我をしてしまった筒香も心配されていたが、幸いにも大きな怪我ではなくシーズン中に戻れるとの事。
そして26日には待ってました!キューバの至宝の復帰。弱かった打線が中軸に1つ芯が入ることで強みを増して、得点力も上がってきた。
この月は巨人戦で2回サヨナラ勝ちをしているが、殊勲打は2つとも若手の巨人"だけ"キラー。若い選手もまた一人活躍を始めた。
しかし、終盤お笑い球団との直接対決に勝てず失速。ファンにCS出場の期待を抱かせておいて落とすという横浜らしさが出た。さらに名古屋の新聞社にも抜かされ去年と全く同じ5位に甘んじた。この責任をとって中畑監督は解任か…と思われたが、コンバートの成功やムードメーカーとしての評価がなぜか上回り、留任となった。

夢を魅せた前半戦、そして定位置へ[編集]

2015年

兄もロペスを獲得したり危険遊具が退団したり金城がフロントと揉めてウサギ小屋へ行ったりして迎えたシーズン。5億のキューバの至宝にブチギレて契約解除したりクローザーのハマの愛子様が怪我したりと前途多難な春先になる。連勝と連敗を繰り返した序盤だが、打線好調と新クローザーのコミュ力お化けの活躍で5月には何故か首位を独走していた。1998年以来の優勝もあるかと思いきや、交流戦直前に225が肉離れ。そのまま迎えた交流戦で3勝14敗は惨敗。セ界の貯金を大量放出してしまった。その後、他球団の低迷に乗じて前半戦を首位(ただし貯金は0)で折り返すものの、8月になるとチーム全体がそのまま夏バテにかかった結果、急速に順位を落とす。味噌カツ軍団との激しい最下位争いの末、結局は最下位となって、日本プロ野球史上初の「前半戦首位球団の最終順位最下位」という前代未聞の記録を残して、中畑監督は辞任した。10月3日球場に入れない暴徒も囲むリーグ最終の対巨人戦を終え、キヨシコール「キヨシ監督辞めないでくれ!」など成績では皮肉な歓声が飛ぶ不可解な引退式をもって絶好調男は去り後任監督にはラミちゃんが就任した。 オフにはバルさんやスペランカー等が退団となった。

行こう、夢のCSへ。[編集]

2016年

親会社がDeNAになってから5周年ということで、ビジターユニの胸に「YOKOHAMA」の文字が復活した。監督もビジターユニも一新、今シーズンこそ上位進出をめざすなか、開幕戦こそ勝利したものの、珍しく投手陣が堅調なのにチーム全体が深刻な打撃低調に陥り、3・4月は9勝18敗2分けと散々たる結果に。筒香も怪我で離脱し、5月頭にはついに借金を独占。どこまで負けるかと思われたが、消える外野手が復帰すると帳尻のごとく勝ちだす。借金をほぼ完済して交流戦に突入したが、3タテをしたりされたりを繰り返す。なんでそう極端なんだ。7月には投手陣が崩れ始めたが、225がスーパー225となり、なんやかんやで前半戦をAクラスで折り返す。8月にはツイッタラーが炎上を繰り返したり勝負所で4位阪神に3タテ食らったりしてやっぱりBクラスかと思われたが、直後にその猛虎軍団がお笑い球団に変貌したり疲労困憊の大男を3タテしたりして3位を死守。9月中ごろ、ついに12球団では最も遅いCS進出を決定させた。なお、このシーズンをもってハマの番長こと三浦大輔が引退を表明した。ちなみにAクラスは11年ぶりとなる。 CS1stはウサギ小屋との死闘を制し突破したが、赤ヘル軍団にボコられて敗退。日本シリーズ進出とはいかなかった。オフにはどすこいウサギ小屋に逃亡した。ハマの宇宙人は怒っていいかもしれない。

上位定着に向けて[編集]

2017年

この年のスローガンは「THIS IS MY eroorERA」 去年まで在籍していた外国人投手をバッサリ切り、将軍ウィーランドクラインを獲得。独立からも格安で外人野手を…拾ったっけ?ついでに乳酸菌球団をクビになったピロヤスも拾ってきた。開幕前にはWBCがあり、参加してた225ぼ調子が上がらず、5月までホームラン数が4本ということになってしまう。さらに須田ァ、愛子様、代走の神様を差した男といった去年頑張った中継ぎ陣の不振、一部の野手がカッスマン不動の遊撃手と化したりと、思うように嚙み合わない日々が続く。それでもドラ1の獲ったどー!やロペス、ウィーランドなどの頑張りもあり5割付近で耐えていた。交流戦は5割を目標に臨み、9勝9敗で見事5割を達成。ただ、最終戦に若手の初勝利を消すというベイス☆ボールも忘れてはいなかった。因みにどっかのウサギ小屋が大型連敗してたのを横目にこの間にリーグ3位につけていた。また、この時からプーさんが絶好調となり、首位打者争いを繰り広げる。その後は貯金1桁で安定し、一瞬2位になったりもしたが、やっぱり続かず3位で前半戦を折り返す。オールスター明けも基本的に勝っては負けてを繰り返すが、春先から壊れかけてた中継ぎ陣が将軍とツイッタラーを残して崩壊。ハマのゴキジェットと引き換えに獲得したどすこエスコバーが何故か先発調整してたこともあり、継投失敗が目立ち始める。しかもどすこいの酒乱騒ぎとかでもたついてたウサギ小屋が夏場になって猛追してくる。相変わらずの勝負弱さを見せつけんとばかりに8月半ばに直接対決で3タテを食らい、これはやばいかとなった直後に225、ロペス、宮崎の3者連続ホームランなどで首位の赤ヘル軍団を相手に3試合連続サヨナラ勝ち。謎の神通力で踏みとどまる。9月に入ってからもお笑い球団も巻き込んだ熾烈な3位争いを繰り広げたが、10月1日になってようやく3位を確定させた。

球団データ[編集]

横浜ファンが集うスタジアム

創立:1993年、ホッシーによって創られた。 優勝回数:2回(2014年現在)

本拠地:横浜スタジアム

1978年開場。両翼94m・中堅118mは開設当初は国内でも標準的な大きさであったが、現在ではかなり狭い部類となっており、飛ぶボールが使用されていた頃はホームランが出やすい球場として(主に対戦相手のバッターから)喜ばれた。現在でも飛ぶピッチャーを各種取りそろえているために(しつこいようだが対戦相手のバッターにとって)ボーナスステージとなっている。

チームの得意技[編集]

  • ベイス☆ボール!
野球という名のベイスターズ劇場。「10点先取!」や「1-0でもう少しで勝てそう!」や「2-1の競ってる状況」や「残塁争い」等の時に主に発動する。
「先発投手陣がいきなり捕まって10点取り返された!」や「リリーフ崩れて完封から大敗だ!」や「野手のゲッツーやエラーのせいで流れが切れた!」という事が日常茶飯事に行われる事である。ファンも胃が切れる日が近い。
  • 追いつかない程度の反撃
「9回、7点ビハインドから満塁ホームラン」のように、ある程度の反撃は見せるが決して同点にはしないという奥ゆかしい技である。「9回、2点差から1点を取ってファンを期待させておいて的確に凡退」という高度な技術も併せ持つ。一部のファンからは、「早く帰宅したいのに盛り上がって帰るに帰れない」「時間稼ぎはやめれ」とも。また一部のファンの中には「これで明日に繋がる」と評する者もいるが、実際に繋がった試しがない。「明日に繋がる」の活用形として、順位の確定したシーズン終盤戦での「来年に繋がる」も存在するが、やはり繋がった試しがない。
  • 大量得点は次戦敗北へのプロローグ
ごくたまに打線が噛み合い、10点以上の得点をすることがある。しかし、大量得点に選手が疲弊、次戦はボロクソに負けるというのが恒例となっている。一部ファンからは「どうせ負けるんだから、次の日にとっとけ」と揶揄されている。うまくとっとけても、きっと打てない。うん…。
  • ZGS
Zanrui Grand Slamの略語。ランナーが満塁になると点が入らないという、これもチーム伝統の技。でも1年に1回くらいは本気出す。2010年はどこからか流星の如く現れた外国人がやってのけた。
上記のみずしな孝之が批判した近藤昭仁は、この病気にかかっていたことが後に判明した。世界で最も長い病名としてギネス・ワールド・レコーズに申請中である。
  • 相手チームよりヒット数は多いのに試合は負け
これもチーム伝統の技である。一時期を除いて長打力のあるバッターが少なく、どうしても残塁が多くなるため。
  • ファンタジスタ
主として守備面で、常識では考えつかないプレーをする選手たちの総称。古くは田代富雄や内野を守っていた頃のポンセ、最近では鈴木尚典古木克明といった選手たちがファンの目を楽しませている。これらの選手が守る方向に打球が飛ぶだけでファンの心拍数は2倍に跳ね上がる。その時たまたま目の前に異性がいると、「このドキドキは、もしかして恋?」と勘違いしてしまうほどである。
2007年6月24日、横浜スタジアムでのオリックス戦。5-0でリードの4回表から登板した高宮和也が『四球→即被弾』と1死も奪えず2点を献上した際、TBSアナウンサーTBSの有吉が発した言葉。この時の実況では、その他にも「全滅!」「場を読めよ」「あ~あ」「そのままカバンに荷物をまとめて横須賀(二軍)へでも行け」(実際には3年後にカバンに荷物をまとめて関西に行った)などと、公共の場でのアナウンサーの実況とは思えないような罵声が飛び交った。その罵声の酷さたるや、空気を呼んだ音声さんが、椎野が喋り続けているにも関わらずアナウンス音声をいきなりOFFにした(と思われる)ほどである。高宮は一躍、ごく一部で超有名選手となった。
  • 椎野四段活用
同日、8回表から登板した那須野巧のリズム・テンポの悪い投球に対して、椎野茂が「何故あそこでインコースのストレートを使わない? 使えないのか、使いたくないのか、使う度胸も無いのか?」と発言、後にこれが『椎野四段活用』という、動詞の新しい活用法として確立された。その後、結局失点を許してしまった那須野は「またスライダーを投げた! 何故ストレートを使わない!? 何故そんなに変化球ばかりに頼るのか那須野!」「ベイスターズの一塁側・ライトスタンドのファンは怒っています!」「相川もおかしいよ」と、高宮に負けず劣らずの罵声を(ついでに相川といっしょに)浴びせられている。ちなみになぜかこの試合の実況には仁志が数回出演した(無論残念な意味で)。この試合は5-4で横浜が何とか勝利。
  • クアトロK
2006年JFKにあやかって結成、それなりに活躍した。ただし構成員のクルーンは自由契約となり巨人の守護神として立ちはだかり、川村は引退。木塚・加藤も2008年に故障し(木塚は復活したが加藤は劣化)、完全崩壊した。
2003年、勝っているのに、あえてのデニー投入。そして逆転される。それ以外に何か?後に「でも連投きく中継ぎってデニーくらいしかいなかったからしょうがなかったよね」説も浮上しているが、それも含め当時の中継ぎ陣のヤバさの代名詞として語られる。
  • ピッチャーヒューズ
2008年、勝っているのに、あえてのヒューズ投入。そして逆転される。デジャヴ。前の例と違い他のピッチャーがいたはずだからなおさら悪夢である。
  • マシンガン継投
2008年シーズンでしばしば見られた、勝敗・点差に関わらずリリーフ投手を多くつぎ込む起用法。言うまでも無いが「マシンガン打線」と引っ掛けて命名。同年、この采配が多くの横浜ファンを絶望の底へ突き落としたと言っても過言ではない。
  • 山口シュンの憂鬱
2009年5月13日、ハマスタでの巨人戦。7ウラの失策絡みで8-6と勝ち越した横浜ベイスターズ(当時)。チーム事情により当月から急造クローザーとなった山口俊を9表に投入。1死からの連続四球があっても2死1・2塁まで立て直した、ラミちゃんとの対決。1塁後方にフラフラと上がり、打ち取った打球を1塁手ジョンソン・2塁手の北川が猛然と追いかけた。ただ、ジョンソンに捕らせるには若干無理な方向、右翼手のモンチッチでも遠すぎる。そこで、回り込んだ北川の捕球で試合終了…、と思われた。ところが、捕球体勢に入っていながら目測を誤ったのか、それとも風なのか(ホームチームが風を計算し損なうなよ!!)、ホントの落下点に慌てる北川。飛びついたつもりでも、打球は空しくフェアグラウンドにポトリと落ちた。しかも、無駄に走ってたはずの1塁走者に本塁生還される始末。無安打なのに8-8の同点にされちゃった(記録は北川の失策)。
しかし、その直後の9ウラに何故かそのまま打席に立つ山口は、中前打で出塁。さっきまで顔面蒼白だった北川もワンバウンドのフォークにまでバットを当ててファールにする執念を見せた結果、これも安打で続く1死1・3塁。内川が敬遠された1死満塁で、村田が まさかの押し出し死球。呆気ない幕切れでサヨナラ勝ちした横浜ベイスターズ。そして、村田と共に御立ち台に上がった山口は、ヒーローインタビューで「すみませんでした」と発言した。山口・北川の共謀という自作自演のドタバタ劇で振り回された この試合は、まるでギャグ漫画のようだった…。
  • 球音を楽しませる日
2000年6月14日、東京ドームで行われた巨人横浜戦は、長嶋監督の発案により「球音を楽しむ日」として開催された。鳴り物は一切禁止、応援は声援や拍手のみという静かな雰囲気の中、横浜は1回表にいきなり三者凡退。その裏、ピッチャー小宮山が3四球と2本のタイムリーでさっそく3点を献上すると、その後も巨人は流れに乗って次々と加点。これに対して横浜は3塁にランナーを進めることもなく、試合結果は11-0でベイスターズが大敗。横浜の打線は球音の「き」の字も響かせずに完封された一方、投手陣は江藤松井にツーランホームランを打たせるなど、巨人ファンが球音を楽しむのに最大限貢献した
  • 月曜日
試合の無い普段はベイスターズファンの安息日となる。ただ、日程の都合で稀に開催される月曜日試合での勝率が、毎年 高水準を維持されている。普段からやれよ。
  • 崩壊リリーフ陣
基本的にリリーフ陣の整備なんて牛島組長の頃、僅かに行われた程度。毎シーズンの懸案事項ながら、結局は先発失格のピッチャーに投げさせているだけ(木塚の様な中継ぎ専門投手自体が少なく、適性を見出だされて中継ぎに回った投手が他に比べ異常に少ない)。
大量点差のついた負け試合では神がかり的なピッチングを披露する一方、僅差のビハインドや同点、リードしている試合では大炎上してしまう投手があまりに多く、一部のまともなリリーフに依存するため、過剰登板・故障を誘発。結果的に、リリーフ陣は自ら崩壊していくのである。
  • ホームランボールを獲られる
2010年8月に広島で相次いで起きた赤いチームの外野陣による窃盗事件。村田が赤松に、ハーパーが天谷にそれぞれ被害にあっている。しかし広島球団は「あれは中日戦での犯行だ」などと変な容疑の否認の仕方をしている。
  • 活躍できる場所を探したい
(横浜に限らず)ベテランが退団するときにだいたい口にする言葉。特に横浜を退団する選手に関しては、去る者の行く末を応援したい気持ちが湧く一方で「ウチですら無いのにましてや他になんてあるのか?」などと横浜ファンは毎年思う。横浜フロントは実績あるベテランに対して大抵は引退勧告と同時にコーチ就任要請を打診しているはずなのだが、近年は蹴られた上でこう言われて退団されることが多い。
  • 幻のチャンステーマ
もしかしたらコアなファンでも知らないかもしれないが、横浜にだって一応チャンステーマが存在する。なのになぜチャンステーマの影が薄いのかというと、チャンスになることがほぼ無いからである。もし何かの拍子にチャンステーマが流れ出したら、しっかりと耳に焼き付けてほしい。2度と聞けなくなる可能性もある。
  • 球団の実態
2010年末から内川に記者会見で暴露された残念なお話。横浜にやってきた選手はみな「こんなはずじゃなかった」と後悔している様子。これだけでも球団幹部にとっては痛手なのに、さらに内川は「今年ウチは大改革しても変わらなかった」「今ここでやっていくことで悩む要素がなかったらどんなに楽か」とたたみかけ球団幹部を撃沈させた。さらに、弥太郎、橋本もベイスターズの禁則事項ですを暴露(2012年には3人とも消える)。読売マスゴミもここぞとばかりに叩きまくる。
その報道の一部は、横浜の選手はまさに家にいるような気分で野球を楽しめる。例えば、試合中なのにゲームで遊ぶ、喫煙しながら雑談する、寝転がってテレビで試合観戦するといった他球団では許されないような行動も当たり前になっており、練習もかなりぬるい。そのため、横浜は楽をしたい野球選手に人気がある。
ちなみに、SBは王会長直々に内川から詳しい話を聞き、自球団に生かすとのこと。やりすぎである。
  • 梶谷隆幸の消失
新球団二年目となった2013年に赤いチームとの一戦でショートに定着し始めてた梶谷隆幸がプレー中にちょうちょを追いかける事態が発生。2アウト満塁で打者の大竹が三遊間にゆるいショートゴロを打って、ショートの石川が捕球した。一塁は遠投になるので二塁に投げようとしたが、「セカンドカバーに梶谷がいなぁい!」…気付いたら点数取られてた。自体を重く見た抗議おじさんは「二軍でアゲハ蝶でも追いかけてろ」と梶谷を懲罰降格。それに加えて座禅を組めと意味不明な指示を出す。懲罰後の試合ではサヨナラタイムリーだったらしいけど、今度はハム屋さんとの一戦でまたも消失今度はちょうちょを追いかけてベテランの金城を動けデブと言わんばかりに押しのけ、結果金城をアウトにした。今回は一軍登録の関係上すぐには降ろされなかったが、数日後に三振に倒れて手を骨折。結果として消失した。
  • 四球からの大量失点
横浜に四球を出す投手が非常に多く、初回に四球で満塁にしてホームランを打たれるなど朝飯前である。また、先頭打者に四球を出すと必ず点をとられるのはファンの常識であり、解説者も了承のうえ解説をする。
  • 2アウト満塁からの落球
ごく平凡なフライでも、名手と言われる人すら、守っている時間が長過ぎて疲れたのか落球して走者一掃してしまい、傷口に毒を塗ってしまう。ホーム球場の試合でも同様である。
  • ボールから目をそらす
ボールから目をそらさないという球技の基本を忘れる。目をそらした結果、ただの送りバントがスリーベース。ファンはボールがどこにあるか教えないといけない。この失態を犯した選手は「小学生からやり直せ」と言われて懲罰降格させられている。

フロント[編集]

TBS時代になって、問題視されているフロントには、数々の異常行動が見られている。

補強[編集]

珍名補強
ファンをもっと集めようとしていた球団のフロントが『これだ!』と思った珍しい名字や名前の選手と次々に契約していくという荒業。活躍しようがしまいが関係ない。だって誰も気にしない
2013年7月現在では、特に珍しいものは髙浦、靍岡、筒香、万永、黒羽根などが挙げられる。(前者の3つは数世帯ほどの希少苗字)
挙句の果てに登録名でもっと目立たせようと必死になる始末(例:ジェイジェイ)。
頭いい人補強
将来さっさと引退してフロントに就いてもらおうと期待しているのだろうか。
しかし2009年オフそのフロント候補3人(東大卒学芸大卒滋賀大卒)が何故か一斉に北海道日本ハムファイターズへ飛ばされた。けれどもドラフトで一人高知大→京大院卒を補強してみたり、3人を売り飛ばした北海道日本ハムファイターズからも早稲田を二浪して一般入試で入ったのも見返りとして頂いたことから頭いい人枠は継続されている模様である。
この補強は功を奏す日がやってくるかもしれない。と思ったらDeNA買収後に早稲田の人は慶応の人と一緒に福岡に飛ばされ、院卒の人は2013年オフに戦力外となった。

この他にも、球場にウルトラマンを招待し観戦させた事もあった。しかし、2011年にウルトラマンはナベツネの札束攻撃に遭い金満球団に拉致された。外部リンク家族でプロ野球?観戦

戦力放出[編集]

フロントの代表的な敗退行為として、他球団への主要戦力供出が挙げられる。皮肉にも、放出された選手は移籍後に更なる活躍を見せている事が多い。

  • 最も有名なものは、山下大輔に率いられて最下位を爆走する2003年のチームで、1年ローテーションを守りチーム最多の8勝12敗を記録したドミンゴ・グスマンを「負け越している投手だからイラネ」とバッサリ切り、翌年の中日優勝に貢献させた行為と思われる。
  • 同じく中日の4番打者として長きに亘って活躍したタイロン・ウッズ、巨人の抑えだったマーク・クルーンなど、有能な助っ人を理解できない基準で切り捨てたことに関しては、枚挙に暇が無い。
  • 日本人でも同じである。
2006年門倉健がFA宣言したときも(10勝10敗)⇔球界の財産といえる大ベテラン投手工藤公康を人的補償で敗戦処理として使った。
2008年には新人時代から長年あれだけ小池世代として持ち上げ、実際2年連続犠打王など活躍のあった小池⇔若手左腕石井、2番手捕手を務めた鶴岡⇔近年低迷していた真田とのトレードが行われた。
真田はチーム最多登板と頑張っているが、さすがにファンは許せていないのが人情である。小池は移籍先のCDでやはりチャンスに活躍。なお、小池に変わりやってきた石井を見切るのも早く、2010年には再トレードで放出。
同じく左の中継ぎとして2009年から奮闘した加藤康介も2年で戦力外に。移籍先の関西のトラキチ軍団では左の中継ぎとして重宝されている。
  • さらに「横浜のようなチームこそFA制度の見直しに真摯になるべきではないでしょうか?」などと選手会長経験者に助言された。
選手を放出しまくるから某ゲームで横浜のカードがこんなことになる。
2008年シーズン終了後にFA制度改正(補償金が激減)したのちも、横浜は正捕手相川を資金難のヤクルトに供出し、鶴岡以上に劣化した阪神のロートル捕手野口を一億円で「引き取った」のみである。補強と言わず、補弱と呼ぶべきか。史上最悪の補弱であった。
多村は2010年の主砲、寺原は現在なぜか横浜のエースではなくオリックスの投手となっている。
…と思ったら後に吉村とのトレードでちゃっかり帰還した。寺原も何だかんだでホークスにちゃっかり帰還している。

主な選手[編集]

横浜DeNAベイスターズの選手一覧を参照のこと

マシンガン打線[編集]

その名の通り、相手の投手をマシンガンのようにぶちかました伝説の打線。

1番石井琢朗
通称、ハマのスパイ。相手投手の今日の調子を把握する役目を担った。また、自チームの防御も担当。
球団からの肩叩きに抗って2008年限りで戦力外にされた末、広島に転がり込んだ。しかし広島・横浜両チームの若手より格段に守備が上手い。在京キー局の女子アナをあらかた食い尽くし、広島の地方局アナを狙うために自らトレード志願したともっぱらの噂。若い頃は某アイドルグループ全員食いという偉業を成し遂げた。
2番波留敏夫
通称、ハマのテポドン
1997年、石井琢朗に代わって2番打者に定着し開幕戦でも先発出場したものの、同年11月テポドン製造のための資金難のために、プロ野球脱税事件への関与が発覚。
1998年は事件により開幕から6週間の出場停止処分を受けるも、復帰後は主に核爆弾として横浜の38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献。
1999年、打率.298、15本塁打、70打点、21盗塁の自己最高の成績を残すが、某味噌カツ軍団にトレードされた。
2011年からは同チームの核開発コーチを務める。
3番鈴木尚典
通称、冷酷なスナイパー
一見野球選手に見えない風貌だが、狙った獲物は逃さず、相手チームをぶちかました。
引退…試合はまさかのオープン戦。そしてその試合でホームランを打ってしまった。実は生涯通算打率が3割を超えており、れっきとした一流打者である。
打っても守っても安打製造機、という意味で昭和の大打者張本勲に通じるところがあるのも一流のアベレージヒッターの証。
4番ロバート・ローズ
日本語を一切喋ろうとも、覚えようともしなかった、純米国産大量破壊兵器。
巨人のバッテリーミーティングにおいて、長打はともかくシングルヒットを打たれる分には投手能力をマイナスに査定しない、とまで恐れられていた。
最高のボスのためなら、全幅の信頼を置きつくすという熱いハートの持ち主である。
日本では横浜一筋、最多安打のタイトルを手土産に余力を保ったまま現役引退…ということにしておきましょう。いろんな方面にとって黒歴史
5番駒田徳広
通称、「満塁男」。満塁の場面でとどめをさすという、いわば、ハマの戦場後始末人である。
2割9分代のアベレージを記録しながらチーム打率を下回ったためあまり評価されなかったり、2000本安打を達成した年に戦力外通告を受けてしまった可哀想な選手。しかし、彼を獲得するために多くの選手がクビになった経緯もある。意図してなくても因果応報と思うしかない。
中距離打者としての技術や満塁での勝負強さを買われ東北の再雇用促進施設や横浜で打撃コーチを務めたが・・・。お察し下さい
6番中根仁
通称、ハマのアニキ。現役時代には恐ろしすぎて佐々木も頭が上がらなかったほどという武闘派と知られ、乱闘が起こると、騒ぎを沈静させるために率先して動く特攻隊
2001年の巨人戦では、試合後ヤジに激怒して巨人ベンチに単独で乗り込むということもあった。
なお6番には佐伯も起用された(先発が左なら中根、右なら佐伯)。佐伯に関しては何のための前進守備だ!を確認されたし。
ちなみに2011年横浜ベイスターズの一軍打撃コーチ兼某選手の暴走の抑制に務めている。
7番進藤達哉
通称、ハマの不発弾
打率は.250に満たないシーズンがほとんどであったが、サヨナラの場面や試合の流れを決めるような場面で爆発することが稀にあり、
いつ爆発するか分からないという不安が相手球団を襲わせた。
そんな打撃に対して守備はいつでも超鉄壁。そのありがたみは退団後に台頭したサードにより痛感することになる。
打っても守っても安打製造器の鈴木尚典とは逆で、打っても守っても不発弾。
8番谷繁元信
通称、バンパース
リードの覚えが悪く、いつまでもオムツの赤ちゃんというバンパースは、守備力で貢献。特に捕球と盗塁阻止に優れ、盗塁阻止率リーグ1位を5度獲得している。
また、バンパースなので投手に相手打者の弱点を徹底的に突かせるバンパースさながらの攻撃的なリードをした。
9番野村弘樹
最多勝1回獲得(現時点で球団史上最後の最多勝)した90年代のベイスターズのエースであるが、知名度では大魔神の影にも及ばない。
投手であるが、通算本塁打6本と謎実績を残しており、98年もチーム最多タイの13勝をあげながら、60打数15安打(打率2割5分)本塁打1本打点6という並みの代打以上の成績を残す。
1998年の日本一以降、肘の故障に悩まされて2002年に34歳で引退、この穴が意外と大きかったことを後に思い知らされることになる。

ベイスターズファン[編集]

このようなクソ球団であっても、各界に多数のファンが存在するとされている(サイレントマジョリティを考慮しています)。

特に著名な人物に、第二次世界大戦が始まる少し前から横浜ファンであることを初めてカミングアウトした佐藤藍子がいる。彼女の「川崎出身なので、小さい頃からホエールズファンでした」という発言は、「じゃあなんで今まで公言しなかったのか」「なんで優勝した年に限ってそういう発言をし出したのか」「川崎にはロッテがあっただろう」といった疑問を一切受けることなく、ファンの鑑として崇められている。ただし、2006年に日ハムが優勝したときに同じ様な事を言ったのでにわかだと思われる。 彼女の行動に喚起されたのか、その頃から横浜ファンを明言する芸能人が多数発覚し、大きな話題を呼んだ。

ファンであるというカミングアウトは佐藤藍子が有名だが、優勝した年にはTOKIOのキーボードも昔からの横浜ファンであるとカミングアウトしたがすっかり忘れられている。ちなみに、TOKIOのキーボードは西武が優勝した年にはパリーグは西武ファンであるとカミングアウトしたが、こちらもすっかり忘れられている。

また、歌手の中島みゆきもベイスターズを讃える意味を込めて「地上の星」を歌っている。残念ながら、これは正式応援歌としてはまだ定着していない。大きな理由のひとつとして、お上のご意向がある。

なお、先発投手が打たれたり、打者がチャンスで凡退した時に怒り出したりがっかりするのは、訓練されていないベイスターズファンである。よく訓練されたベイスターズファンは、1回表裏を終わって0-10で負けている状況になると、「ああ、また『いつものやつ』ね」と恬淡として応援を続けることができる。基本スタンスは「今日もきっと負ける」と思いながら球場に足を運ぶ。そうでも思わなきゃやってらんねぇんだよ! ホントに! これは他チームの応援団でも見られる傾向では決してないので、対横浜戦を見に行った時の名物になってるとかならないとか。ホント、ベイスターズファンは地獄だぜ! フゥハハハーハァー

主力選手が移籍で悩んでいるとオフのファンサービスの時にどこからか子供達がでてきて「○○選手、○○(移籍しようとしている球団)に行かないでー。」と言って半泣きで引き止める。子供に弱い選手はこれで残留を決める。記憶に新しいのが「ハマのバンチョー阪神に行かないでー」である。しかしこの後にどこからかおっさんがでてきて「横浜で優勝しよう!」と根の葉もないこと言って止めようとするので、たいていの選手はこれで移籍を決定してしまう。

また、かつては「バカにされるから横浜ファンって名乗れない」という隠れファンも多数いたが、現在ではカミングアウトすると「大変だねぇ」と同情されたり、時には「なんて辛抱強い人なんだ!」「きっとこの人は心の広い人なんだなぁ」などと崇拝されるという現象が確認されている。ただし、これらは真の横浜ファンにとっては求めている反応ではないため、更に隠れファンを増大させる傾向がある。

自虐横浜ファンの漫画家[編集]

一方で、横浜ベイスターズのファンだがベイスターズ自虐ネタをネタにする漫画家が多く確認されている。

その最たる例が、辛口批評家として著名なやくみつるである。彼は横浜大洋時代の往年の大エース・遠藤一彦を崇拝してやまない(と同時に、遠藤が打席に立ってるときにホームスチールしてきた高木豊は嫌っている)一方、横浜球団の問題点を取り上げて、それを滑稽に漫画化することを得意としている。特に駒田徳広を徹頭徹尾「ウマダ」(面長である駒田の身体的特徴を揶揄したもの)と呼び続けるなどの罵倒を是としたり、球団の広報誌に原稿料と称してゆすり行為をかけるなどを行っており、横浜ファンから多大な批難を浴び続けている。佐藤女史もおかんむりである。

ほか、みずしな孝之も熱心な批難家のひとりである。「ササキ様に願いを」をはじめとする宗教書を世に出す一方、特に近藤昭仁スクイズ戦術を大いに糾弾し、自著においても哀れで愚かしい人物として語っている。佐藤女史もおかんむりである。

真理[編集]

毎年低迷する大洋はいつも叩かれていた。ぬるま湯練習と言われ続けていた。
大洋の四番を張っていた田代富雄は引退した翌日、自分の球団の練習のレベルが他球団の練習のレベルより本当に低いのか確認しに行った。
しかし、自分たちの練習のレベルとほとんど変わっていなかった。
この時、田代はとても悔しい思いをしたという。
マスコミにぬるま湯練習と書かれ叩かれたことを。僕等は他の球団の練習のレベルと何も変わらないのに。。。
しかし、結局は
結果が全てである。
……と、言いたいところですが、この球団に限っては親会社の関与が含まれていることにご留意ください。

関連項目[編集]

Wikipedia
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