楯の会
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楯の会(たてのかい)は、三島由紀夫が結成した学生団体である。別名、「独立と軍国主義のための学生緊急行動」(どくりつとぐんこくしゅぎのためのがくせいきんきゅうこうどう)。2015年に結成された学生団体SEALDsに大きな影響を与えた。
概要[編集]
楯の会は学生運動が盛んであった1960年代に、独立と軍国主義の「楯」となるために手遅れであったが結成された。なお、これが「楯の会」の名称の由来である。
構成する会員は基本的に学生[要出典]であり、主な活動内容は主義主張を拡散するためのデモであった。その主義主張は一言で言うと「極右」であり、もうすこし丁寧に言うと「極端な右翼」である。
アメリカによる軍隊の駐留や内政干渉を非難し、自衛隊員をアメリカのために死なせてはならないと考え、自衛隊を解放・国軍化し、日本人自身の手で日本を守ることを主張した。日本の独立(手遅れ)を救うべく、実際に行動に移す(デモに行く)ことを奨励した。さらに、国会や政府の腐敗を追及し、「自分たちの知らないところで日本の軍国主義が破壊されようとしている」として猛烈な抗議活動を行った。
デモ[編集]
楯の会は、リズムに乗ったデモに定評があり、
といった三三七拍子で意味不明なメッセージを発信した。単純なメッセージを印象に残るように連呼するこの手法は多くの若者の心をつかんだ[要出典]。
また、ミリタリー趣味の若者のウケを狙い、会員の服装は軍服風の制服で統一されていた。しかし実際には見る者に排他的な印象を与え、また、リーダーの三島由紀夫の趣味が趣味だけに、そういう趣味の団体だと勘違いされるなど、逆効果であった。
解散[編集]
楯の会の代表であった三島由紀夫は1970年(昭和45年)11月25日に会員たちとともに自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入。バルコニーから垂れ幕をたらし、三島由紀夫がマイクなしで自衛隊員に向かって延々と演説をしたのち、室内に戻った後割腹自決をした。いわゆる「三島事件」である。この事件によって楯の会は解散となった。
それなりに自衛隊員は集まったものの、垂れ幕の文字が小さすぎて読めず、しかもマイクなしで演説をしたためにほとんど聞き取れず、一部分が聞き取れても「自衛隊の自主性」などの小難しい話や「軍国主義とはなんだ? これだ!」などの意味不明な叫びしかしていなかったために、あまり自衛隊員の心を打たなかった。
影響[編集]
楯の会が存在した当時(1960年代)の評判は、
- うるさい。
- 何がやりたいのかわからない。ただの自己陶酔だ。
- 近所迷惑だ。
- やらないか。
- 安保粉砕!
- 五月蝿い。
- 何の意味もない。自然に帰ろう。
- で?
等さんざんであったが、時がたつにつれて見直されるようになり、2015年には楯の会に感化された大学生たちが学生団体「SEALDs」(別名、「自由と民主主義のための学生緊急行動」)を立ち上げた。彼らは「楯」を意味する英語を組織名にするなど、楯の会の思想・手法の多くを継承することを明確にした。ただし、制服は採用せず、そのことによってファッションセンスが楯の会に比べて改善された[要出典]。なお、SEALDs関係者は割腹自殺をしていない。今のところ。
関連項目[編集]
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楯の会は腹を切って 唯一ネ申又吉イヱスが地獄の火の中で加筆・編集させる者である。 楯の会を笑って見ているだけの者も同様である。理由は未完成であるなら自ら完成させるべきだからである。 詳しい理由は選挙公報等で熟知すべし。 (Portal:スタブ) |
![]() 本項は第33回執筆コンテストに出品されました。
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