森野将彦

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「森野将彦」の項目を執筆しています。
試合前 ストレッチに余念の無い森野。
試合前 森野のお面を被りおどけるドアラ。確かに森野に似ている。
「仏のノリさんでもキレました。」
森野将彦 について、(特に森野のサード守備について)中村紀洋
「爆転を失敗ばかりしおって!けしからん!」
森野将彦 について、磯野波平
「チームでガンダムになれるのは俺だけ。ドアラになれるのは森野だけ。」
森野将彦 について、落合博満
「またお前はやるのか!!、9回2死で痛恨のエラーを!!! 3年か? 3年周期か!?、2006年あれで落合英二は死んだんだ! 人一人殺して優勝か?」
森野将彦 について、落合英二
「あいつは選手名鑑オタクです」
森野将彦 について、荒木雅博



森野将彦キバヤシの まさひこ)は、中日ドラゴンズに所属するドアラ。割と野球も上手い。

趣味は野球選手バージョンの背番号を変えること。でも、1994番は譲れない。好きな食べ物は食パン。
打席で1タコするたびに名字の画数が減って行き、「森田」「林野」「森日」などと言う名前に変化する、という噂もあるが多分気のせいだ。




概要[編集]

入団後しばらくは泣かず飛ばずで、まるで下積み時代の長い芸人のようであった。というより一時本気で芸人を目指し、シュールな動きや爆転などを身に付け筋肉派お笑い芸人に転身しようとした。結果的にこの努力はドアラとして花開く事となる。

2004年マグマ大使・落合が監督になると目を付けられ、そのドSっぷりで色々調教される。休憩時間にバケツで水をかけられたり、熱湯をかけられたり、マグマをかけられたりと監督のリンチまがいのシゴキにあいながらも開眼。そのかいあって2006年には落合に「サード立浪?イラネ」と言わせるまでになり、見事サードのレギュラーポジションを獲得。立浪はベンチウォーマー兼代打に成り下がる。また、これがスタンディングウェーブ現象発生の契機とも言われる。
ラジコンが本職の人完全試合を目指していたときには、プレッシャーから逃れられるようにとポロリをしたりとやさしい面ももつ。

2007年は、開幕直前にキレイなノリさんが割り込んできてサードを取られる。内心「あのブタめ」と思ったかどうかは定かではないが、ノリさんのきれいっぽい心にサードをあきらめ、複数ポジションを守れると言う強みを生かしてなんとかレフトとしてレギュラーにはしがみつく。

この年は10年に一度の産卵期だったので3ランを量産して「3ラン王子」なんて呼ばれ、ブツブツが右肘手術と偽り実はメジャー生活に向けての下見に渡米していた間のチームの穴を埋めた。この活躍でファンに「ブツブツ?誰それ?」と言わせるまでにチームの花形選手となった。
ドアラとしても大ブレークを果たし、球団マスコット人気ランキングでは1位を獲得するなど、球団の顔として忙しい一年だった。

2008年は昨年守る事が多かったレフトに真正ドS落合が「ハゲた時計台・ビッグベン」こと和田一浩を呼び込んだことでまたもレギュラーの座が微妙に。次は、ここ数年規定打数到達者中打率最下位が指定席、打撃力の衰えに歯止めが効かないtanisigeの後釜、キャッチャーのポジションが有力視されていたが、なんだか良く分からない存在感があるtanisigeに勝てるはずも無い。
一方ドアラとしては写真集を出したり、本を出したり、DVDを出したりと、順調な一年となった。

2009年キレイなノリさんがまさかの再ブラック化で手のひら返しのFA宣言。まさかの東北楽天ゴールデンイーグルス入りした為、まんまとサードのポジションに定着する事となった。
主軸として活躍した事で、オフに立浪の引退により空き番となった背番号3番を付けるようガンダム大好き♪落合からも薦められたが、立浪お察し下さいなので、悩むふりをして断る方法を考えていた。
そんな間に、本来つけていた31番がいつの間にやら他選手に奪われており、ファンの間からも「3番はオマエには早いんで無いの?空気を読めよ」的な雰囲気も出ていた為、危うく本来の姿で愛用している背番号1994しか選択肢が無くなるところだったが、結局、何故か大相撲の第30代横綱、西ノ海嘉治郎にちなみ30番に泣く泣く背番号を変更する事となるのである。
そんな野球選手として活躍した年にも関わらず悲しい事もあったが、ドアラとしてはついにゲームソフト「ドアラでWii」まで出す事が出来た。

2010年、ついに選手会長にまで上り詰めた森野は、シーズンにおいても好成績をあげ、ペナントも制覇する事となる。ベストナインまで獲得する。

しかし最後の最後、日本シリーズ最終戦において足の打撲で途中交代し、日本一をとるチャンスを逃す大きな要因となった事から、ドS監督からの来春キャンプでの更なる調教が予想される。
シーズン後、AKB48を意識している事を公にし、ドアラとして対決姿勢を鮮明にした。


2011年、シーズン中に痔を患うという、プロとして有るまじき体調不管理が表面化し、2軍落ちを経験するなど悲惨な成績に終わる。しかし、2011年末に痔の手術を成功させた事から来年の活躍は期待しても良い、かもしれない。

ドアラ同一人物説[編集]

実は兄弟という説もある。(右はドアラ)
同一人物説を裏付ける写真1
同一人物説を裏付ける写真2 両者ともボールがお尻に・・・。

一目瞭然、森野と中日ドラゴンズ公式マスコットのドアラは同一人物である、という説が強い。

だが同時に同じ場にいることもあるため、同一人物ではなく、実は双子兄弟親子クローンのどれかではなのではないかとの説もささやかれている。
兄弟説として有力なものは、ナゴヤ球場時代には二匹いたドアラがナゴヤドームに移ってからは一匹になってしまっているため 実は片方のドアラは中日の選手となり、時おりもう片方のドアラと入れ替わりをしているのではないかというものである。
森野がドラフト2位で中日に入団した1996年はナゴヤ球場最後の年であり、初出場した1997年はナゴヤドームの初年であることがこの説を裏付けている。
チーム内では「顔なら、堂上兄弟よりよっぽど似ている」と、兄弟説支持者が多いと言う。
本人からは明確な発言が無く、真実は未だ不明ではあるが、単独で現れている場合のドアラはまず森野自身であろう。
警察庁広域重要758号にも指定されているが、試合中に森野と同時に現れるドアラ(分かりやすくする為、この森野ではないドアラを“ドアラ2”とする。)も、DNAレベルで激しく似ている事は明白な為 他人ではない事は間違いない。
因みに試合中のドアラ2が爆転に失敗するときは、森野(ドアラ1)の打棒が爆発する。これは、不甲斐ない兄弟(ドアラ2)の代わりに自らのバッドでお詫びをするという、森野(ドアラ1)の義理堅さを示すものとして評価されている。

森野のライバル[編集]

関連項目[編集]

  • - 元中日ドラゴンズイケメン代表・井上一樹が森野に付けた座右の銘?森野のバットが槍のように太く、長く、鋭いことが由来。たまげたなあ。
  • 掛布雅之 - 「あの~ですねぇ~ 森野くんは非常にイイ(゚∀゚)!!選手だと思いますねぇ~ ハィ~」(例によってクラックをきめていたと思われる)
  • 落合博満 - 「ノック、やらないか?」
  • 星野仙一 - 「わしが育てた。」
この項目「森野将彦」は、執筆者がクラックをキメていた可能性もありますが、今はまだクソの山です。より愉快にしてくださる協力者を求めています。さぁ、これを見ているあなたも、恥ずかしがらずに書き込んでみよう! (Portal:スタブ)