桂太郎

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桂太郎(かつらたろう、ズラタロス、弘化4年11月28日(1848年1月4日) - 大正2年(1913年10月10日)は、日本で5番目くらいに有名な太郎(1位は桃太郎、同率で浦島太郎、3位金太郎、4位桃太郎電鉄同じ5位に麻生太郎)であり、大日本帝国史上最多の任期を誇る(現在でも一位。あと20年は抜かされないと思われる)元内閣太郎大臣

人物像[編集]

総理就任前[編集]

幕末、桂桂と有名な人物が現れるがその桂の息子ではない。親戚でもない。また桂小太郎とは関係ない。さらにキダ・タローとも関係ない。そのため、単純に「太郎」と名付けられた。若い頃はイケメンである。その後、明治維新を経て、プロイセンとか言うヘンテコな国に留学に逝って帰ってきたらガタガタ有朋の巾着袋になって陸軍で順調に出世して、陸軍のお偉いさんになったと。

総理就任後[編集]

1901年に総理大臣に就任。支持率が上がらないのを観ると、「ロシアに喧嘩を売って、賠償金もらって、日清戦争の再来になるんじゃぁ?」という発想で日露戦争を起こす。しかし革命が頻繁に起き、日本で言う倒幕寸前の帝政ロシアだが、いい香りでも屁と言うとおりそう簡単に倒せない。そこでアメリカのルーズベルトでもセオドアの方の大統領が仲裁に入って、ポーツマス条約を結んだ。ポーツマス。ポーツマス。

なお、そのポーツマス条約では樺太とかはもらえるが、賠償金をもらえない事が判明。気付いた時にはロシアはソビエトに。国民は一気に怒り出し、日比谷を焼いてみたり、焼き肉を焼いてみたり、カツラを焼いてみたりと大騒ぎ。仕方がないので後継の人を指名して辞めたところ、三大スケベ元老のリーダー・伊藤さんが「の後継だとぉ!?そんなの俺の西園寺でいいじゃねェか」と言って、にしえんじさんが総理になってしまう。

リベンジに萌える桂は再び総理に任命された。この時は史上最悪の冤罪事件をさせたりしていたため、自分の跡取りを選ぶのは不可能と悟り、ひそかににしえんじさんに政権を上げることを約束した。

結局、なんやかんやで3度目の総理就任を果たしたがココで大正天皇がもう早、死んだり尾崎行雄が「憲法、守ろうぜ。つか、民主主義ろうぜ!」と言い出したのが全国に広がり尾崎に喧嘩を売ったら国会で「君、昨日の夜、公邸でラーメン5杯と焼きそば・焼うどん・ホルモン焼きそばを1つずつ食ったろ?」と図星を言われショックで総理を辞任。さらにその8ヶ月後に死んでしまった。こうして彼は日本で5番めに知られる太郎となったのである。

西園寺家との因縁[編集]

上記にも記されている様に桂と西園寺は首相の座を巡って、10年間(この10年を指して桂園戦争と言う)水面下で死闘を繰り広げており、その確執が子孫に受け継がれ、2007年に第二次桂園戦争が勃発、曾孫の言葉が痴情の縺れにより、西園寺の曾孫の世界を殺害してしまい、現在も不和が続いている。

関連項目[編集]

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