柏崎市

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柏崎市(The State of Kashiwazaki)とは、越後国内に存在する独立都市国家である。

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概要[編集]

「~♪貴方を追って柏崎♪~」
柏崎市 について、ジェロ

お米の国出身黒人演歌歌手ジェロが歌う「海雪」の歌詞のお陰で、少しは全国にその名を知られるようになってきた。しかし北隣に 出雲崎町という紛らわしい名称の町があり、区別が付かずに間違えて出雲崎町まで追って行く者が後を絶たない。

JARO(ジャロ)に言い付けチャロ。」
出雲崎町 について、 JARO

立憲君主制を布いており、君主はブルボン王家のシャルル・ヨ・シーダ4世。宰相はアイダヨー!・愛!

平成24年現在、南東部に「こども自然王国」が存続している。かつてトルコ共和国の飛び地「柏崎トルコ文化村」なるものが存在していたが、解消された。同様に「柏崎ぶどう村」も存在していたが、財政再建団体に転落後、併合した。

地理[編集]

日本海に面し、南部はマー・ウン・トライス山脈が日本海に迫っている。多彩な海岸線を有しており、関東圏からレジャー客が多く集まる。訪れた若い女性の水着姿鑑賞等が目の保養になり、若返ると評判であり、厚生老働省「全国お年寄りの目の保養地」十一選に指定されている。

サバチー河ウ江等の中小河川が国内を横断し、日本海に注いでいる。また石油採掘跡地がところどころため池として残っており、用水取水のため活用している。これらの水はミネラル分が豊富であり、「草生水」という名のブランドで親しまれ、決して水に困ることのない「水の王国」である。

交通[編集]

港があり、例え陸上を封鎖されても、ある程度は海上からの補給が可能となっている。

かつては港全体が立派な釣り堀であり、市民に無料開放されていたが、ほんの軽い気持ちで海中にダイブしては海上保安部に逮捕される不心得者達がいたため、完全封鎖の憂き目に遭った。その後この措置は越後国全土に燎原の火の如く波及することとなり、一般の良識ある釣り人達にとって、この「不心得者」達はとても唾棄すべき存在として蛇蝎の如く非常に忌み嫌われておるところである。さらに、あろうことか、この「不心得者」達が自分達の破廉恥な行動をすっかり棚に上げ、港湾管理者を相手取り恥知らずにも損害賠償請求訴訟に入る準備をしておる、と聞き及ぶに至っては、市民の怒りは将に頂点に達し、危うく暴動に発展しかねない勢いであった。

「ぅおめーらのせいで釣りができなくなったんだっっっ!!!」

くれぐれも、「遊びは自己責任で。」

なお、平成26年5月、6月に西突堤の試験解放を行い、何ら問題がなかったので、再び釣り堀として利用できる日も遠くはないであろう。多分。。その代わりと言ってはなんだが、石地の市営の釣り堀は閉鎖中である。

国道116号線の一部に4車線区間があるが、核爆弾を運搬するために整備した、というのは嘘八百である、と思っているのは、大いなる勘違いである。核ミサイル発射基地までのアクセス道路の規格がまるで違い過ぎるのは、テロリストを欺くためのものである。核ミサイル発射基地は専用港を持ってるんだから海上輸送する。かも知れん。何れにしろ、不測の事態を防止するため、詳しいことは公表されていないのである。さすがアンサイ、全てはデマと憶測記事で固められている。

歴史[編集]

中世[編集]

古文書に越後国の荘園として「佐橋荘」「鵜川荘」の記述が見られる。これは現在のサバチー河流域並びにウ江流域であると比定されている。

近世[編集]

伊勢のクワーナ国の支配を受けていた。

1837年大坂の儒学者の行動に影響を受けた国学者クワーナ国の地方政庁に攻め入ったが、すぐに鎮圧した。

「ここ、必ず試験に出るから。大学の入試問題にも良く出るから。」

近世末期にクワーナ国が西側諸国と交戦状態となったとき、国主サダアキーナ13世が転戦してきており、戦火が及んだ。

近代[編集]

明治維新後、一時的に「柏崎県」独立宣言を行ったが、長くは続かず、すぐに解体させられた。そして神聖石油帝国の支配下となっていくのである。

神聖石油帝国の野望[編集]

始まりは隣の寒漁村アマゼであった。いち早く機械化を導入し、石油採掘に成功を治めたのがその始まりである。そして、近代革命を推し進め、侵略していったアマゼの王は、1888年ついに皇帝戴冠を受ける。神聖石油帝国ナイトー大帝である。神聖石油帝国は外征を繰り返し、次々と諸国をその支配下に治めていった。

しかしながら、積極的に他国侵攻を続け領土が大きくなっていった神聖石油帝国は、1914年、ついには首都を柏崎から移転してしまい、次第に父祖の地との関係は希薄になっていってしまうのである。

現代[編集]

世界大戦後、ブルボン王朝が勃興し、その支配下に入った。しかし、その後すぐにブルボン家を凌駕する権力を手に入れた宰相タ・ナーカ家による支配が続いた。一方、タ・ナーカ家が招いたTEPCO軍が核兵器とその強大な経済力を背景に、次第に支配を強めていくのである。

ブルボン王朝の勃興[編集]

世界大戦前に最上屋からの独立を果たしたヨ・シーダ候国は細々と領地経営を行っていた。しかし、1948年のビスケット地方侵攻を皮切りに、急速に成長を遂げ、1952年、王朝をうち立てた。ブルボン王朝の始まりである。ブルボン朝と市民との関係は、御恩と奉公という封建体制ではあったが、その関係は発足当初から緩いものであった。

その後、王家の国外脱出の噂も一時期流れたが、決行には至らず、依然この地に君臨し続けている。今日では王朝による絶対的支配は行われておらず、王家はシンボルとして、市民とは緩やかな関係が続いている。

宰相タ・ナーカ家による簒奪[編集]

ブルボン王国の偏縁部に博労の子として生を受けたヨッシャ・ヨッシャー・タ・ナーカは、めきめきと頭角を現し、王国内のみならず国外にもその支配力を強め、王朝を凌ぐ権勢を振るう「並ぶ者無き者」へと成り上がっていった。しかし、やがて賄賂政治に対して強く批判を受け、また家臣達の裏切りに遭うなどして次第に権力を失って行き、失意のうちに世を去った。

現在同家にはマキテリーナ女帝が君臨しているが、もはや一時の栄光には及ばない。

TEPCO軍侵攻[編集]

そもそもTEPCO軍の侵攻のきっかけを作ったのは、宰相ヨッシャ・ヨッシャーであった。土地買収を進め、その土地をTEPCO軍に売却したのである。そしてTEPCO軍は1985年に 核兵器を持ち込み、市民の隷属化を強力に推し進めていった。

しかし、第一次中越戦争及び第二次中越戦争を戦い、さらに2011年には飛び地である浜通りにおいて核攻撃を受け、その影響力は地に墜ちた。

第一次中越戦争及び第二次中越戦争の余波からは立ち直ったものの、浜通り核攻撃を契機に離反者が相次ぎ、機能不全状態に陥ってしまっているのである。

度重なる戦禍[編集]

度重なる戦乱により、疲弊してしまっている。下記のほか、「水攻め」にも幾たびか遭っている。

北越戊辰戦争[編集]

クワーナ国の支配下にあり、東軍が抗戦したため、1868年に西軍からの攻撃を受けたが、商人の嘆願により、かろうじて焼き討ちだけは免れた。

サンパチ冬の陣[編集]

1963年冬、どこからともなく数発の降雪ミサイルを打ち込まれた。4メートルを超える雪の壁に阻まれ、鉄道・道路等が完全封鎖された。つまり兵糧攻めに遭い、陸の孤島となってしまったのである。物資・暖房燃料等が窮乏し、殊に食糧が入ってこないことは致命的で、多数の死者を出すに至る。事態を重く見たブルボン王朝は国庫を開き、クッキー、ビスケット、米菓等の食糧を市民に分け与えた。

「パンがないのなら、クッキーを食べればよいのです。」
欠乏している食糧 について、マー・ソノー・アンタネッ王妃

この、国庫を開く時に王妃が発した慈愛溢れる言葉は、永遠に市民の胸深く刻み込まれ、決して消えることはないのである。

その後、時の関東管領職上杉氏からの援護攻撃もあり、漸く敵を撃破した。

拉致事件[編集]

昭和年間に神隠しが頻発した。後にこれは北朝鮮による破壊工作であることが判明したが、今もって全貌は解明されていない。

また、あろうことか市民による市内での監禁が9年2ヶ月の長期にわたり行われたことも確認されている。ミレニアム正月28日、この事件の第一報を受けた関東管区警察局患部並びに新潟県警患部は、金券を賭けた接待麻雀でせっかくのお楽しみ中であったにもかかわらず、そのまま旅館において指揮を執った。この的確かつ速やかな対応の功績により、その後患部達は破格の昇進を遂げた。

第1次中越戦争[編集]

2004年10月突如中越地方において戦乱が勃発し、多大な被害を蒙った。

三国同盟締結[編集]

2005年5月1日、三国同盟の密約を成立させる。なお、カリワソン地方は同盟に「義」なしとして、同日付けで離脱を宣告した。

第2次中越戦争[編集]

2007年7月、漸く第1次中越戦争の傷が癒えかけていたところへ、またしても突如戦乱が勃発し、第1次中越戦争以上の被害を受けた。

第1次中越戦争が陸上戦だったのに対して、今回は洋上からの攻撃であり、柏崎沖海戦により、海岸に面した核ミサイル発射基地が炎上するという被害にあった。不意を突かれたTEPCO軍は寡勢ながらもなんとか踏み止まり、被害を最小限に食い止めることに成功したが、この教訓が後の浜通りに活かされることはなかった。しかも、ヨッシャ朝の傍系である当時の皇帝、アベー朝のアベー・シン三世が被災直後に核施設の視察を強行した行為が曲解された結果、4年後に日本国を揺るがす悲劇が訪れることになる。

また、王立モーニン軍出身のジャンヌ・オガダルク元1尉が、市民からなる義勇軍を率いて奮戦していた。ように思っていたのだが、当時は赤ちゃんの国外征の最中だったはずだから、ひょっとして夢でも見ていたのだろうか?一方その頃野島伸司は、一所懸命脚本の構想を練っていた。のかな?

資金送金凍結措置[編集]

2011年、突如第三国からの資金送金の凍結が実施され、収入を絶たれた国家財政が危機に瀕している。

ABCD包囲網[編集]

2012年冬、1963年と同様、数発の降雪ミサイルが打ち込まれ、一部商品(ABCD)の流通が滞った。世に言う「ABCD包囲網」である。しかし ヨッシャ・ヨッシャーによって築き上げられた交通網のお陰で、「サンパチ冬の陣」の時のような生活必需品の逼迫に至ることはなかった。

独立運動の動き[編集]

2011年の浜通りにおける核攻撃以来、市民達が動揺し、一部の活動家が独立運動を画している。しかし、財政が破綻しかけている中でTEPCOの「核の傘の下」から抜け出すことに不安感を持っている市民も多数存在する。

産業[編集]

かつては石油関連産業で賑わっていたが、今や見る影もない。

今は・・・・・・、今は??発電もしてないし、産業はなんにもない。だからこそ、産業大学の存在意義がある。

賢臣コマツ公は粛々と 石川県小松市 栃木県真岡市に撤退していった。

ただ、一般には知られていないが、第2次中越戦争の時に自動車エンジン部品であるピストンリングの生産が停止し、国内外の自動車メーカーが一時期操業停止に追い込まれたことは二部マニアの記憶に新しい。

あとは東証一部上場の庭師 がいる。

新潟米の新米を一番早く手に入れられる産地、として人知れず密かにつぶやいている。「『柏崎野菜』とのセットがお得ですよ~。」。しかし、人知れず密かにつぶやいているだけなので、誰も気にしない

名産品[編集]

  •  温排水のおかげですくすくと成長する。
  • おとこもぞく 同上。固い歯ごたえが自慢で、一旦口の中に入れると15分は楽しめる。
  • ピストンリング
  • カクのゴミ

関連項目[編集]


この記事、柏崎市は開港しつつあります。もう一押しです。いま一度、田中角栄先生のお力が必要です。 (Portal:スタブ)