松井繁

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松井繁(まつい しげる、1969年11月11日 - )はディープインパクトのように強い史上最強の競艇選手である

松井繁のプロフィールと年表[編集]

Winding tower of Shime.jpg
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  • 大阪北陽高校卒業→競艇本栖研修所入所。64期生として研修所を卒業、選手登録番号は3415。同期生には、服部幸男・中里英夫・鈴木茂正など。
  • 実家の魚屋が魚を納入していた寿司屋の常連客だった大阪支部金谷英男に弟子入りする。
  • 1996年 SG笹川賞競走(児島競艇場)優勝戦で先行していた同支部先輩レーサー倉谷和信の転覆によりたなぼたで繰り上がりSG初栄冠を得る。決まり手は「恵まれ」だったが、フライング返還以外での恵まれ決着は異例である。
  • 1998年 第3回SGオーシャンカップ(三国競艇場)。ニセ山崎・金子・沖口・倉谷・岡本ら弱い選手を相手にからくもイン逃げして優勝。沖口に捲くられる寸前だったが、「インからプチタコスタート」「半分は同支部」という松井繁のレーススタイルを確立する記念すべきレースになった。
  • 1998年 第13回SG賞金王決定戦競走(住之江競艇場)で見せ場無く敗退。決定戦を勝ったのは登録番号3557・69期の太田和美だったが、この年の最多獲得賞金の座はせこくゲットした。また、この年の若松周年記念では初日から準優までアヒル(2着)をきれいに並べて優出。そして優勝戦もきっちりと2着にまとめ、節間オール2着の珍記録を樹立(最近では2009年12月に金子龍介が尼崎で達成)。
  • 1999年 第14回SG賞金王決定戦競走(住之江競艇場)で誰でも捲れる弱い江口晃生を2コースから捲って勝ち、賞金王になる。同競走ではファンが横断幕を作ってくれないから家族が横断幕を作って出し話題になった。
  • 2001年 第28回SG笹川賞競走(浜名湖競艇場)で優勝。地元同期の服部幸男のまくりに乗じて5コースから差し抜けて優勝した。同期一人近畿勢4人という松井環境のレースだった。
  • 2001年 第16回SG賞金王決定戦競走(住之江競艇場)で、6コースからコンマ08のみごとなスタートを披露したら、他の選手はもっと早くて4着に終わった。コンマ08はこのレースの最遅スタートだった。
  • 2002年 第17回SG賞金王決定戦競走(住之江競艇場)で、3コースからコンマ33のみごとなタコスタートを披露。植木の捲くりに屈して6着に終わった。
  • 2003年 年間10優勝、うちG1は8優勝を飾りG1番長としての地位を確立した。「G1を8回はすごい記録だ。なかなか出来ることじゃない。」と艇界のプリンス・今村豊にほめられた。
  • 2004年 第7回SG競艇王チャレンジカップ(児島競艇場)優勝戦でトップスタートからの2コース捲りをインの山崎智也に抵抗されて「あのスタート見ればわかるやろ!」の名言を残す。
  • 2004年 地元で敗退するのが年末の風物詩となった第19回SG賞金王決定戦競走(住之江競艇場)で、例年にもまして無様な敗戦に怒り呆れた競艇ファンが某巨大掲示板で「タコヤキ」「タコヤキ王者」と命名する。
  • 2005年 1月のG1近松賞優勝戦と7月の桐生オーシャン準優勝戦でフライング。特別ペナルティにより記念戦線からの撤退を余儀なくされ、この年後半を棒にふる。賞金王出場は10年連続で途絶えた。年末の賞金王は、峠の山賊のような風貌の3719辻映像が松井繁の地元で優勝をかっさらって行った。
  • 2006年 第9回SG若松OC(ナイターSG)で優勝。娘からプレゼントされた手作りタオルを使って汗を拭き拭きインタビューに答える姿に全米が涙した。
  • 2006年 第53回SG福岡全日本選手権において1号艇で大本命に推されながら、インコースから歴史に残るコンマ36の大タコスタート炸裂(当然のごとく結果はぶっちぎりの最下位)。同年のオーシャンカップの優勝の記憶も薄れてしまった。
  • 2006年 11月G1江戸川参戦。12年ぶりの江戸川登場だったが、予想通り予選敗退。「波も頑張っている」の名言を残す。実況アナの「イン戦大失敗であります」はこの年の流行語大賞の入賞を受賞した。
  • 2006年 暮れのSG賞金王決定戦競走(住之江競艇場)で優勝。優勝戦後のインタビューで「ディープインパクトなみの足に仕上がった」というコメントを残す。嫁と娘3人とピット内で抱き合い内部の温度が上昇、地球温暖化の原因になった。
  • 2006年 最も権威あるSG(賞金王決定戦)、普通のSG(OC)、G1(鳴門G1)、G2(競艇祭)、G3(企業杯・中日カップ)、一般戦すべて優勝し、艇界史上初の全グレード制覇達成。この記録を掘り出し調査した「ひまひま競艇データ」に情報提供した人は口ひげを生やした関西弁の男と見られている。
  • 2006年 暮れに1億円も手にしたのに福祉への寄付金が50万円というせこさで社会に感動を呼んだ。
  • 2007年 笹川賞で自身の生涯で初めて周りに松井の飼い犬もいない上に、1号艇か恵まれ(最初の賞金王も1号艇が弱い江口という恵まれ)でしかSGを取れないはずの絶対王者が2号艇からそこそこ強い瓜生を差し、自分の実力だけでSGを制することができそうだったが(それでも地元住之江)原田幸哉の正義の一撃により(この大技はのちにハラダンプと命名)正義(瓜生)が悲願のSGを制覇。それによりやはり王者は1号艇か恵まれでしかSGを取れないことがギネスに認定される。なお、原田は松井の実力でのSG制覇という天変地異を防いだことが認められノーベル平和賞を受賞し沖縄への永住権を手にする。
  • 2007年の目標はSG3勝を公言する。だが2007年はSG0勝に終わり大恥をかいた。ただし2007年”度”では1勝しているため、なんとか面目は保ったと住之江の客はのたまう[要出典]
  • 2007年の7月8日にフライング。フライング休み明けは一般戦を走るという艇界の紳士競艇(紳士協定)にもかかわらず、休み明けが地元住之江のG1戦(10月の高松宮杯)だったから一般戦を走らずにG1戦線に復帰するという特別待遇を受けた。
  • 2008年 母校の北陽高校が少子化の影響で学校法人関西大学に買収され「関西大学北陽高等学校」に名称を変更。「俺は関大の付属を出てるんだぞ」という自慢が可能になった。
  • 2008年 SG笹川賞で堂々の得票数1位。だがレースでは6日間で未勝利に終わる。得票数1位の者が1勝も上げられなかったレアな記録を調査しようとしていた「ひまひま競艇データ」に妨害工作したのは口ひげを生やした関西弁の男とみられている。その後この記録は永遠に封印された。
  • 2008年 読売新聞社大阪本社を訪れて、義援金100万円を寄付。前回より寄付金を増やして50万円の悪夢を払拭した。
  • 2008年 唐津のG1を休んで家でプロペラ作って蒲郡オーシャンカップに備えた。優勝戦では懐逃げをやるも、見事なタコスタート(6人中6位スタート)を決め、1マークで浜野谷に差されるが得意のイン逃がし炸裂で、見事優勝をもぎ取るという、複合技を成し遂げた。
  • 2009年 賞金王決定戦での枠番の抽選で6号艇ばかり当たることに腹を立て、某スポーツ紙の1面を大々的に利用し自分のくじ運の悪さを棚に上げた枠順批判を展開する。さらに、坪井がプチタコスタートをやらかしたために瓜生の2コース捲りに抵抗して仲良く護国神社参りで内がポッカリと空き、ただターンすれば誰でも勝てる展開で究極の王者の舞を披露し決定戦3度目の優勝(全部地元住之江)。その後の優勝インタビューでまたまた枠順のくじ引き批判を展開し、客に味方につける裏工作を企てる。(なお、このとき瓜生は差していれば余裕で勝てていたが、レース直前に口ひげを生やした関西弁の男に「一昨年の笹川誰のおかげで勝てたんやろーなぁ」と指をポキポキ鳴らしながらトイレに連れ込まれたと同じ支部の植木氏に相談していた事が判明。その2日前にはハラダンプの使い手原田幸哉に「ワレ、一昨年ワシに何したかわかっとんのか?もしまたいちびったことしたら大阪から帰れる思うなよ」とひげ男に技術指導され、その後のレースでフライングを故意でしていたことも判明)
  • 2011年 笹川賞のファン投票の方式が変わり、例年なら競艇場で投票すれば即くじ引き&景品GETという方式から投票しても後日抽選での商品プレゼントに変わったため、ケチな松井信者の関西人が一人で何100回も並んで投票しなくなり、準地元の尼崎にもかかわらずファン投票5位に転落し、遂に松井人気のからくりが明るみに出る。
  • 2012年 雑誌のインタビュー(本人談 どこの雑誌かは謎)で嫁が事業失敗により闇金に手を出してしまい、多額の借金を抱えてしまいそれを返済するために一生懸命(セコク)頑張っているんやと力説。
  • 2013年 第16回SGオーシャンカップ(ボートレース若松)において、予選後半の連勝もあり、1号艇で優出。しかし1周1Mで2号艇・峰竜太のジカ差しを受けて外並走に。若手期待の峰が地元地区でSG初制覇かと思われたところ、大阪支部の後輩(通称:ポチ)である5号艇・湯川浩司がインから強引な切り返しで峰に突進、外マイで沈めようとした峰が流れたところをセコく差し返して何とか優勝。勝利者インタビューでの「湯川君にドンペリ奢らなあかんな」はこの年の流行語大賞・腹黒部門賞を受賞。なお、このインチキ臭い勝利によりSG勝利数は艇王・植木通彦を超える11となった。

松井繁の称号[編集]

松井繁の称号(表)[編集]

  • 松井繁は「王者」と呼ばれている。ファンが言い出したのではなくスポーツ紙などが付けたものである。当時植木通彦を「艇王」と呼んでいたので、その次に強い人という裏の意味も含まれていた。なぜなら、帝王とは王の中の王で、単なる王は帝王よりも格下とされるからである。艇王植木引退後は、当初の意味合いが薄れて王者=「最高に強い者」と誤解している競艇ファンがほとんどである。

松井繁の裏称号[編集]

タコ焼きは大阪人の主食である

松井繁の人脈[編集]

松井繁の人脈(表)[編集]

  • 同期は64期。本栖時代からの服部との友情関係はつとに有名。大阪支部におけるぺラブループは旧金谷グループで濱田、浦上などが在籍。かつて住之江では「野中は太田の方をかわいがっている」と噂されたことがあったが真偽のほどは不明。長嶺豊、井上利明、津田富士男ら大阪支部の重鎮レーサーがごそっと引退した後は名実ともに大阪支部の大将格に。弟子の山本隆幸らを通じて兵庫支部にまで影響力を及ぼし鎌田義などは既に飼い犬状態である。さらに湯川、丸岡らの繋がりを利用して85期銀河系軍団にまで手を広げている。群馬の江口晃生とも親しい。女子選手の人気も高い。天敵は必殺ハラダンプの使い手 3779原田幸哉

秘密組織としての大阪互助会[編集]

  • 公式にはその存在が確認されていないが、大阪支部にあると噂されている互助会システム。記念戦線に参戦しているA1選手で構成されている、とされる。当初は、大阪支部のSG記念級選手のレースにおける所謂貸し借り関係を数値化・透明化・データ化して不公平が無いように貸借するためだったが、現在では会の性格が変化し格上の選手が仕切る傾向にあると、噂される。会長は口ひげをはやした関西弁の男と見られているが、該当者が2人(倉谷、松井)いるのでどちらかは不明である。関西互助会に発展的に解消したという有力な学説もある。関連語「関西互助会
統一ユニフォームを着る関西互助会員と思われる者たち

秘密組織としての関西互助会[編集]

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ごめんなさい。ごめんなさい。
この時代ではお伝えできない事実が含まれていたため、対象箇所は消去しました。

松井繁が生み出した必殺技[編集]

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  • タコスタート:フライングを恐れて一人だけ凹む小心者丸出しのへっぽこスタートのこと。学問的には「1コースのタコスタート」と「2コースのタコスタート」に大別される。特に2コース時のタコスタートの見事さはもはや芸術品クラス。インと捲くりの間に挟まって1コーナーなすすべもなく引き波にはまる姿はタコ焼きに包まれたタコのよう。前日コメントで「スタートは見えてます。行きます。」と豪語して新聞各紙から大本命に推されている時ほど効果絶大。松井のコメントを信じて大枚ハタいて破産した住之江のボートファン数知れず。1コース時のタコスタートについては、最近濱野谷憲吾選手の大舞台での類似行為によって松井選手のインパクトは弱まりつつある。
  • タコ差し:タコスタートで外艇に捲くられダメかと思ったら一瞬ブイ小回りして残し、せこく2着を確保する大技。同意語「捲くられ差し」、類似語「まぐれ差し」、派生語「タコ踊り」、関連語「懐差し」。
  • 捲くられ差し:同意語「タコ差し
  • 懐差し:イン1コースに対して思いっきり懐を取って2コースから差す、王者と思えないせこい差し技。違反を取られても実害が無い優勝戦でしばしば発揮される。類似関連語「懐逃げ
  • 懐逃げ:イン1コース時に思いっきり懐を取ってコース取りする、王者と思えないせこい逃げ技。違反を取られても実害が無い優勝戦でしばしば発揮される。類似関連語「懐差し
  • イン逃がし:1コース2コースが大阪支部同士の場合に発揮される隠れ業。1コースが1マーク失敗しても2マークで逆転できる場面を2コースの選手がお膳立てする。2人の間で秘密裏に行われる隠れ業だから誰も気がつかない。1コースの選手はその借りを後日同様の技で返すことになる。
  • タコプレゼント:イベントホールなどで客に配る景品などを小さい女の子だけに渡したがる良い人光線つきの必殺技。周りの目を意識して良い人に思われようとして無意識に出てしまったが、その後イベントのたびに繰り返されて松井繁の代表的なせこ技となった。
  • タコ辞め:この言葉は「辞める気だった」と必ず過去形で用いられるのが特徴。「辞める気です」とは絶対に言わない。辞める気はさらさら無いのに、格好付けて世間の注目を集めるために使われる広義のタコ煙幕の一種。
  • タコサイン:男のファンからせがまれるサインは、気分が乗らないと平然と無視するが、そういう場合でも女性だけはちゃんとサインする性別選別方式のサインのこと。
  • タコペラ設計図:プロペラの設計図を作ったと豪語したが、その存在は確認されていない。無いものをあるかの様に言う広義のタコ煙幕の一種。
  • タコ寄付:億単位の年収があるのに、中途半端なセコイ金額の寄付をすること。
  • タコ目標:実現不可能な奇想天外な目標を掲げて世間を煙に巻くこと。例「今年はSG3勝します」「グランプリ平均STタイミング0台にする」
  • タコ達成:目標が達成していないのに自分の中では達成したかのように強引に脳内処理すること。例「勝ったつもりでいる
  • タコ横断幕:ファンが作ってくれないなら自分たちで作って出そうという逆転の発想が生んだ松井家の必殺技。横断幕は「パパ頑張って」。最初にこの技が披露されたのは1999年の賞金王で、家族が出す横断幕の元祖になった。その後この技は2001年ダービーの滝沢一家(がんばってるパパが好き)に引き継がれた。

松井繁の名勝負[編集]

  • 1996年 SG第23回笹川賞優勝戦で、前代未聞の恵まれ繰り上がり優勝(3号艇の倉谷が抜け出したものの、1週2マークでまさかの転覆。これにより、2番手を走っていた松井がそのまま繰り上がって奇跡的なSG初優勝)。
  • 2006年 SG第53回福岡ダービー優勝戦でのへっぽこスタート、前日の準優12Rでは鮮やかに大外捲り差しを披露したものの最後の最後に芸術的タコスタート(植木通彦が3着惜敗・重野哲之と中村有裕が2着で優出と準優得点上位組がことごとく敗退して奇跡的に1号艇が転がり込み、宿願の全日本選手権初優勝に文字通りリーチをかけた。優勝戦の人気は圧倒的に松井1本被りの状態と誰もが王者の優勝を本命視していたがまさかのSドカ遅れ、3コースから全速でまくり差した兵庫の魚谷智之にSG初優勝をさらわれる。ちなみに3(魚谷智之)→2(吉川元浩)→6(坪井康晴)の3連単は108番人気の40,280円・2連単の3→2も21番人気で6,290円の大荒れとなり、松井で心中を決めた全国の競艇ジャンキーから罵声を散々浴びる破目に)。
Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

松井繁に関連する事件[編集]

北陽高校Wikipedia事件[編集]

  • 2007年1月、母校の北陽高等学校のWikipediaが何者かによって改ざんされるという事件が勃発し、社会を震撼させた。松井繁を賞賛する記事に書き換えられたことから犯人は熱狂的な王者ファンと見られている。CIAまで動員した世界規模のサーバー調査が行われたが複数の踏み台を使っていたためか犯人は未だ捕まっていない。この事件によってWikipediaの信頼性が大きく損なわれ、Uncyclopedia隆盛のきっかけとなった。

松井繁とラリーズクラブ[編集]

  • Wikipedia事件によってズタズタに改ざんされた原文章は徹夜の修復作業によって奇跡的に復活した。この修復作業の総指揮をとったのがラリーズクラブ(「ラリーズクラブ」)である。ラリーズクラブは日刊スポーツの競艇善行三賞や全モ連から表彰を受けて、今では競艇ブログ界の頂点に君臨している。松井繁の記事もしばしば登場する。
ラリーズクラブは大人から子供まで楽しめる優良サイト。この夏、一日100万アクセスを達成した。

松井繁の座右の銘[編集]

  • 「TIME IS MONEY」=「時は金なり」

松井繁の名コメント[編集]

  • 1998年賞金王(太田の優勝について一言)「僕が勝つ次に勝ってうれしい人が勝った」
  • 2006年江戸川MB大賞「波も頑張っている。」
  • 2007年児島キングカップ「もう疲れたから整備しない。」
  • 2007年SG浜名湖CC「湯川君すごいね。2回でしょ今年。僕は20年やって6回だけですからね。」
  • 2008年住之江ダイヤモンドカップ「選手になって一番出ていない」
  • 2008年若松MB記念 (今垣に差されて2着)「展開というよりも進入やな。しゃあないな。これを糧に、これからSGを20回取ったるわ!」
  • 2009年住之江賞金王決定戦(優勝インタビューで枠番抽選のガラガラに対して「あれは強敵ですね。」
Yahoo!オークションで10万円で落札された色紙。鑑定書つきの本物である。

松井繁に関する実況アナの名言集[編集]

  • 江戸川実況 「イン戦大失敗であります」
  • 若松実況(馬場加奈子アナ) 「松井繁、ここで遅れをとった!!!」
  • 芦屋実況(馬場加奈子アナ) 「王者のイン逃げキターーーーーー!!!」(2008芦屋グラチャン)

松井繁が達成した記録[編集]

  • 2006年 全グレード制覇達成(艇界史上初)
  • 2007年 フライング休み明けに一般戦を走らずにG1戦線に復帰
  • 2008年 寄付金倍増 50万円→100万円
  • 2008年 権威が無い新設SGのオーシャンカップを三つも取った

特別競走優勝場[編集]

  • 未達成:桐生・江戸川・平和島・徳山
  • 達成:多摩川・浜名湖・蒲郡・常滑・津・三国・琵琶湖・住之江・尼崎・鳴門・丸亀・児島・宮島・下関・若松・芦屋・福岡・唐津・大村
  • 内G1優勝:多摩川・浜名湖・常滑・津・三国・琵琶湖・住之江・尼崎・鳴門・丸亀・宮島・下関・芦屋・福岡・唐津・大村。

松井繁が獲得したSG[編集]

  • 1996年 笹川賞競走(児島)
  • 1998年 オーシャンカップ競走(三国)
  • 1999年 賞金王決定戦競走(住之江)
  • 2001年 笹川賞競走(浜名湖)
  • 2006年 オーシャンカップ競走(若松)
  • 2006年 賞金王決定戦競走(住之江)
  • 2008年 総理大臣杯競走(児島)
  • 2008年 オーシャンカップ競走(蒲郡)
  • 2009年 全日本選手権競走(尼崎)
  • 2009年 賞金王決定戦競走(住之江)
  • 2013年 オーシャンカップ競走(若松)

取ってないのに本人が取ったと主張しているSGタイトル[編集]

  • 2007年 笹川賞競走(住之江)