東海道本線

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東海道本線(とうかいどうほんせん)は、東京都千代田区東京駅から兵庫県神戸市中央区神戸駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日木)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西見本)・日本貨物鉄道 (JR貨物)のエクストリームスポーツ会場である。明治5年に開業した日本最古の伝統ある鉄道路線である。江戸時代から存在する東海道という伝統を、明治維新によって欧米から輸入された鉄道技術で継承して以来、時代が移り変わり、元号が弥生から3回も改まった平成の今日でさえ、衰退することなくむしろ進化し続けている貴重な路線である。

駅ナンバリングは禁煙が幅を効かせている時代なのに時代錯誤の『日本たばこ産業』の略称が使われている。

概念[編集]

日本の大都市である東京横浜名古屋京都大阪神戸を結ぶ、日本で最古の鉄道路線である。路線長は約377.9khyde(キロメートルに直すと589.5km)、沿線各地で数多くのエクストリームスポーツが毎日行われている。東海道本線の駅の数は2007年3月現在では162駅あるが、行われるエクストリームスポーツの数はそれを軽く超えてしまう。(主にエクストリーム・自殺等)ある意味エクストリームスポーツのメッカとも言える。

また、東海道本線は地元住民たちの移動手段・交流の場であるだけでなく、都市間移動手段としての面もある。学生が長期休暇となる時期にはJR東海では使用はおろか所持すら禁止された青春18きっぷが販売され、多くの浮浪者旅人たちに関東-関西間を移動する手段として利用される。特に東京駅と大垣駅を結ぶ夜行快速列車「ムーンライトながら」は東海道本線でもっとも有名な列車であり、車内では毎日数多くの旅人同士のドラマが生まれている(同時に激しいエクストリームスポーツも繰り広げられている)。

沿線風景[編集]

東海道本線は主に3つの区間に分けられる。東京駅から熱海駅の間のJR東日本区間。熱海駅から米原駅の間のJR東海区間。米原駅から神戸駅までのJR西日本区間の3つに分けられる。ここでは、前述のように会社ごとに分けて沿線風景を紹介する。

JR東日本区間[編集]

東京駅~横浜駅[編集]

東海道本線最初の駅は、世界一のごみ過密都市である東京の中心駅である東京駅である。この東京駅は始発駅であるがゆえ、座席を確保できる可能性が他の駅に比べて格段に高かった。そのため、空席を求めてドアが開くと共にかけこみ乗車強行突破が始発電車から行われていた。始発駅である東京駅の時点ですでに座席が埋まるのは日常茶飯事。ほぼ全ての列車でこのような事態があるが、東京駅ではよくあることであった。 しかし2015年3月以後、東京駅では上野を強行突破した宇都宮線、高崎線、常磐線の車両が、停まりそこなったり過剰定員だったりして乗客が乗れないことがよくあることとなりつつある。

なお、この東京駅においては、遥か100mの頭上から中央線が大気圏外へ向かって発車していく様子を目の当たりにすることができる。ちなみに都内では東海道本線よりも中央線の方が人気も知名度も高い珍妙な現象が起きる(中央線が山手線や東急線と同格の人気路線であるのに対し東海道本線は宇都宮線や高崎線と同じカテゴリーである)。この中央線については、もう少し先においても記述があるのでお楽しみに。

満席状態で東京駅を出発した列車が次に停車する駅は新橋駅。夕方以降ともなると、これでもかというほどの人間(主にサラリーマン)が大量に乗車してくる。夜遅くなると缶ビールやワンカップを持ったおっさんが乗車してくる事もよくある。この場合はただちに離れた位置に移動するテクニックが必要である。しかし、新橋で気を抜いてはいけない。次の駅・ミラーマン終焉の地として有名な品川駅ではもっと大量に人が乗り込んでくるからである。鉄道唱歌をアレンジした長い発車メロディの影響で、乗客のイライラは増すばかりである。ここでむしゃくしゃして、エクストリーム・スポーツの一種である痴漢盗撮、時にはグリーン車でグリーンアテンダントに強姦を行って、人生が終了するようなや教授もいるが、この程度でくたばるようじゃお荷物である。

なお、東海道本線の普通列車は東京~戸塚間を主要駅のみ停車の実質快速運転を行うため同区間の各駅停車の役割を京浜線に任せていたが、京浜線がこれを裏切り東京~品川間で日中に独自で快速運転を開始して同区間の停車駅を田町のみとし、東海道本線の列車が停車する新橋駅の通過を強行した。このため東海道本線側は「どちらが速達かわからねえじゃねえか!」と激怒、裁判沙汰へと発展。結局、京浜線快速が浜松町駅に追加停車することで停車駅数の面の優位性を東海道本線に譲るという妥協案が取られ、一応の収束を得た。

品川駅を出発後は、過剰定員以上の激しいエクストリームスポーツを経験する。京浜急行電鉄との共催で行われるトレインサーフィンの大会、「Keikyu Tokaido Tour」が、2駅先の横浜駅まで行われる。頭文字Dの電車版と考えていいだろう。速さ・カーブ・技術のバランスを評価するこの大会は、一方的に時速120km/h以上の速度で行われるのは日常茶飯事。もはやこの区間の名物であり、鶴見駅からの並走区間で赤い怪物がドリフト走行を駆使して抜いていく様子は正に電気代の無駄であり、グリーン車から見てても涙ぐましい。

アザラシが出現して有名となった多摩川を渡り、わずか3駅で東京都とおさらばして神奈川県に入ると、川崎駅に停車するのだが、南武線が発着するこの駅でぐずぐずしている暇はない。品川駅と横浜駅との間ではトレインサーフィンの大会の他にも、京急電車と東海道本線の列車のレースがすさまじい勢いで繰り広げられている。その光景は傍から見る人間を燃えさせるものだが、乗客からするといつ人身事故で止まってしまうのか、たまったものじゃない。東神奈川駅の前を高速で通過すると、神奈川県の中心駅である横浜駅に到着する。ここでトレインサーフィンも一段落し混雑も少々緩和されるのだが、この時点でまだ全体の10分の1もない。終点の神戸駅への道は遠い。

なお、横須賀線が走っていて一部は東海道新幹線と並行する新川崎駅経由の路線も東海道本線の一部であり、さらには「湘南ライナー」が毎日走行しているという、横浜羽沢なんていうどこにあるかさえわからない駅を通り、後述する戸塚駅付近で本線に合流する神隠しのような幻の支線も存在するらしいが、これについては言い出すときりが無いのでここら辺にしておく。

横浜駅~小田原駅[編集]

横浜駅を出ると、次に停車するのは戸塚ヨットスクールの本拠地である戸塚駅。戸塚ヨットスクールは、マゾにとってはたまらないエクストリーム・ヨットの先駆けとして有名であるが、残念ながら車内からはその様子を見ることはできない。ちなみに愛知県の方向にある。「姉、ちゃんとしようよっ!」の舞台である鎌倉市横浜市の境にある大船駅横須賀線と袂を分かつ。ここで進路を西に変えて、東海道本線はさらなる道を進む。もちろん、かけこみ乗車・強行突破・その他諸々が継続中というのも忘れてはいけない。

その次の藤沢駅からは神奈川県名物である暴走族とのレースが繰り広げられる。このレースもエクストリームスポーツの一種であり、暴走族側は改造バイクを駆使して列車に食らいつこうとする。京浜急行をも上回る130km/hはザラに出し、さらには列車に対して物を投げつけるなどといった行為は日常茶飯事。JRは窓ガラスを直すのがメンドイとか言って1885年に全車両から窓ガラスを撤去してしまった。でも伝説のE231系E233系には付いているらしいよ。東海道本線が次の駅である辻堂駅に停車している際には、ここぞというばかりに物を投げつける。だが、そんなことで運転を中止するほど日本の大動脈である東海道本線はヤワじゃない。その次の茅ヶ崎駅に着くまでにも暴走族の攻撃を何度も食らうことになるが、減速こそはするもののストップすることはほとんどない。暴走族はこの辺りで諦めたのか、姿を消すが、乗客は相模線の乗り換え客を取り込んでしまう。姿を消すどころか逆に増やしてしまい、「過剰定員ってレベルじゃねぇぞ!」と、乗客の声が出るようになってくる。

列車は相模川を渡って平塚駅に到着。ここで列車の本数も少し減少し、乗客もそれに比例するか少し減少する。無論エクストリームスポーツはまだまだ続く。大磯駅二宮駅といった、快速が通過してしまうどうでもいいような駅でも列車にどんどん人が乗ってくる。御殿場線が分岐し車庫がある関係上、国府津駅でも列車の本数が少し減少するが、乗客は平塚とは異なってすし詰め状態。鴨宮駅でもさらに乗客が増え、東京駅から立ってきた乗客の怒りはピークに達する。至近距離を走る東海道新幹線の乗客からは「見ろ、ヒトがゴミのようだ!」と嘲笑われてしまう始末である。このことがきっかけで、ついつい痴漢へと逃避しようとした所で神奈川県西部の大ターミナルである小田原駅に到着。乗客の多くが当駅で下車し、首都圏における満員電車は小田原で終結することとなる。

小田原駅~熱海駅[編集]

名胃駅 東海道本線では珍しい秘境駅の一つである

第3新東京市の入り口こと小田原駅で平日は乗客の大半が下車する。休日は新幹線にも乗れない哀れな貧乏人や伊豆に行くのに何を思ったか、第3文型特急でなく小田原までロマンスカーを利用してきた情報弱者が席を占拠し一般市民が被害を被っている。平日はオアシスだが、週末や18きっぷシーズンはかなりの殺伐感を出している。

早川駅名胃駅を過ぎた次の駅は、東海道本線には珍しい無人駅である根府川駅。たまにそこいらの駅から出張で駅員が来る。駅自体はなんともないのだが、近くの海の水中には関東大震災の時に発生したとされる不思議のダンジョンがあるとされる。東海道本線とはあまり関係がないが、ここを攻略すれば伝説の宝があるとされるので、余裕があれば行ってみたい。 この駅ではエクストリームスポーツの一種である禁則事項ですに挑戦が可能らしい。

なお、早川駅~名胃駅~根府川駅~真鶴駅の区間は車窓から見える海の景色は言葉では言い尽くせない程の絶景である。眼下に見える有料道路真鶴道路では走行する車が電車にバトルを仕掛けてくることが極まれにある。だいたいは電車が勝つが、電車は途中の駅で停車するため、トータルで見れば車が勝つこともある。特に、根府川駅で普通列車の特急通過待ち合わせがあると、普通電車が車に勝つのは不可能である。と思われがちだがなんのことはない運転士若しくは車掌が走行中の車両からライフル銃を発砲し車のタイヤを破壊するからである。

真鶴駅湯河原駅といった温泉地を列車は進み、いつしか15両編成の列車はあなた一人になっていた。そんな閑散とした列車は神奈川県に別れを告げて、静岡県に突入。そしてあれよあれよという間に熱海駅に到着。伊東線・新幹線が接続するターミナルである熱海駅で多くの列車が東京駅へと逆戻りする。即ち乗り換えが確実に発生する。

この区間はエクストリームスポーツのメッカである東海道本線には珍しく、ほとんど何もない区間であった。このようなぬるい調子で静岡方面へと向かうのか。……そんな風に思っている時期が俺にもありました。

JR東海区間[編集]

熱海駅~沼津駅[編集]

当区間はJR東日本の植民地であり、上野東京ラインにくっつけられている。そのためE231系E233系が殴り込みにやってくる姿を見ることが出来る。熱海三島は基本的には誰も関心のない区間であり、並行する東海道快速線の輸送能力も高くなりつつあることから、輸送効率の適正化を目的として、2000年代には運行本数や運用形態を細かく見直し、21世紀初頭にはJRセントラル関係者デマンド便のみとなった。満員の15両編成から3両編成への乗り換えという地獄絵図を観察できる区間でもある。

現在も熱海駅で3両編成の静岡方面に向かう列車を見かけることがあり、時刻表や路線図への記載、駅の案内サイン、カスタマートラッキングシステムの導入標示などが残っているが、これは丹那トンネルへの通勤、および許可された競技者のための便が運行されているためである。またJRセントラルは当初からの在来線への関心がきわめて薄く、また同区間の収益性がきわめて低いために追加投資を控えて、収益性のより高い路線に還元しようという思惑や、輸送能力の逼迫を理由に新線として計画され、突貫工事で作られた東海道快速線の災害時のバックアップ機能を果たすために、駅の案内サインや路線図への記載が残っている。時刻表にも時刻の目安が掲載されているが、座席予約の無い便は運行されないため、通勤時間帯以外に列車を見ることは稀である。この区間は一般向けの乗車券が販売されないため、当然のことながら乗車することはできないが、不正に乗破しようとする試みが後を絶たない。この区間は東海道快速線を利用するが、一部の列車では当区間をバスで連絡しており、乗車券と特急券があれば乗車できる。

熱海駅の三島方には、首都圏に近い長大トンネルの一つ、丹那トンネルがある。JRセントラルの施設があり、詳細には明らかにされていなかったが、近年高速移動設備DMVの研究開発、防犯技術の研究、性能試験安全性評価研修などの拠点として利用されていることが関係者により明らかにされ、現在JR東日本や一部の政府関係者とは強い緊張関係にある。なおセキュリティが非常に強固であり、列車や箱根山南麓からこの施設に進入した侵入者が生還した例は知られていない。

三島駅を発車する列車

三島東海道快速線や、修善寺へ向かう路線が接続し、また御殿場と並んで箱根や山中湖方面への玄関口であることから、沼津方面への列車は常に混雑しており、通勤時間帯や休日には網棚や連結部もすし詰めになる状態であるそのため運転室や車掌室が開放されたり、乗客が7-Zipされたり、区間列車が運行たりする。また浜松方面へは東海道快速線を案内されるなどの配慮が見られ、静岡県内の貧民にはエクストリーム・分割というマイナー競技が密かな人気を集めている。 つまり三島は乗り換え駅に杉無い。 そして長泉町を素通りして沼津に至る。沼津は停車時間長すぎ。しかし、需要は結構あるらしい。なら早く高架化しろ。まあ、所詮は干物だが。御殿場線? ただの旧線ですが?

沼津駅~静岡駅[編集]

ここで少し混雑は緩和するが、まだまだ車内は凄まじい状態で静岡方面へと急ぐ。ここらから雄大な富士山が車窓に見えるが、混雑でそんな余裕は吹っ飛び、気がつくと東田子の浦、どっかの歌人が愛でたあの浜の近くを通りつつ、吉原へ。やたら製紙工場が立ち並び、駅の周りも紙を満載した貨車だらけ。ホームに火気厳禁との文字も見える。以前、ホームでタバコを吸おうとした人が駅員にボッコボコにされたニュースがあったような、なかったような。次の富士に到着するとまた少し空いてくる…と思いきや身延線からやってくる風林火山な人たちが乗りこみ、結局混雑は続く。

で、ここらでトイレに行きたくなる所だが、車内にはそんなものは付いていない。昔は付いていたのだが、これも火災関白による「新幹線をご利用下さい」運動の一環であろう。富士川を越え、蒲原から由比にかけて崖っぷちを走る、今でこそ東名高速が壁になっている区間も多いが、昔はかなり危険で、海からの波が容赦なく打ち付けてきたらしい。由比に着くとやたらサクラエビが目に付く、これが名物のようだ。ちなみに東京から密かに競合し続けたストーカーどもは、由比の少し先で息絶えてしまう。東海道本線がこのゴロツキを打ち負かした教訓を生かして、新幹線の利用を促して東海道本線を葬り去ろうとしている。

そして次の興津あたりから、にわかに車内が騒がしくなる。無論終始混雑しているわけだが、静岡へ向かう人々が続々と乗ってくる。清水は静岡の隣にある港町、あの有名な小学生の出身地であり、球を蹴って遊ぶ遊戯が盛んである。ここで更に混雑は増し、またもや東京付近へと逆戻り。悪いことは言わないから、横を併走する静岡鉄道に乗ったほうが良い。マジで。某アイドルグループのメンバーゆかりの草薙、東静岡と進みついに混雑はピークに達する。横を走る新幹線からその惨状をチラリと見ることもできる。最後に高架へとを駆け上るとようやく静岡に到着である。ここらで先へ向かう電車へ乗り換える(上級者は清水の手前の興津で降りて始発便に乗りかえ、着席にありつく)が、それよりもトイレへダッシュする人が目立つ。やはり皆我慢していたのかと、つくづく感じてしまうのであった。

静岡駅~豊橋駅[編集]

さて静岡駅を後にして麻薬の一種を主成分としたきな粉をまぶした安倍川もちが有名な安倍川を過ぎ、倭武天皇が放火し都市を壊滅させたことがあるらしい焼津市に着く。カツオを名物にしようとしている町である。焼津を過ぎたら球を蹴って遊ぶ遊戯がこれまた盛んな藤枝市に着く。かなり乗降が激しい。名物の藤の花でも見にいくのだろうか。

越すに越されないはずの大井川をあっさりと越え、列車はSLを用いたエクストリームスポーツを楽しめる大井川鉄道の乗換駅である駅金谷にとまる。そして日本で一番有名な口コミで伝わった某飲料の産地である牧の原台地を縫って走る。2007年春甲子園で開かれた全日本高校選抜格闘大会を制した常葉菊川高校の地元、菊川を過ぎて、山内一豊の住処だったらしいが彼の影の薄さゆえに詳細が全く分かっていない掛川城の城下町掛川市に着く。新幹線が停車するのは天下の火災関白が一豊の妻のエスパーを恐れたためではないかという一説すら残っている。ワールドカップでイケメンベッカム率いるイングランドと怪物ロナウドのブラジルの壮絶なバトルが繰り広げられたエコパを望みつつ、袋井を過ぎて日本プロサッカーリーグジュビロ磐田が本拠地にしている磐田を過ぎて時々竜が暴れるという噂がある天竜川を越えれば聖霊指定都市となった浜松に到着。列車もここで乗換である。静岡同様、トイレに行く人が目立つのは火災関白による「新幹線をご利用下さい」運動の賜物であろう。

「新幹線をご利用下さい」運動により名古屋共和国とは分断されてしまったが、東海区間浜松以東のロングシートと打って変わってクロスシートの車両になった。JR浜松工場、スズキの工場を眺めていたら早くも浜名湖を渡る。車窓に弁天島の鳥居眺めつつ進む。浜名湖を過ぎれば気が荒いギャンブラーがどさどさいるから「あらい」というになったのではないかと研究員がひそかに注目している粗い新居町である。浜名湖競艇が北側に眺められる。鷲津、新所原と列車は止まる。新所原では戦時に迂回路としての活躍が期待される天竜浜名湖鉄道へ乗換られる。そして静岡県を脱出し、愛知県豊橋市にある豊橋駅に列車は滑り込む。この豊橋はかつて『軍都』と呼ばれ、大日本帝国国防の最重要線を担っていた高域戦闘集団豊橋軍が存在した。その勢力は天皇陛下の皇后を輩出するほどであったが、大東亜戦争後『豊橋軍』は解体され、豊橋は衰退の道を辿った。だが、浜松県の協力や残された歴戦の勇士たちによって、豊橋は火薬の街となるとともに、「ちくわ王国」として周辺都市を次々と飲み込み、大都市となったのである。

豊橋駅~大垣駅[編集]

豊橋駅にて入国の手続きを済ませ、豊橋駅を後にすると、名古屋共和国内へと列車は突入する。まず入るのが、海賊の街蒲郡である。海賊の楽園や、海賊が腕を競う競技の会場があるなど「現代のカリブ」の異名をほしいままにしており、治安の悪化が順調に進行中である。また、共和国内有数の温泉街であるが、廃墟化が進みその手のマニアには垂涎のエリアとなっている。蒲郡を過ぎると、「狸爺」こと徳川家康の生まれた場所としても知られる岡崎市へと入る。中心部はなかなかの繁華街である岡崎市だが、岡崎駅はそこから少し離れた、少々寂れた場所にあるため、家康が狸爺などと呼ばれた所以が分かることだろう。

岡崎を過ぎると日本の人魚姫の里と言われる安城市に入る。なぜなら農業が盛んだからであるが、それならカンザス州とかアイオワ州にでも改名すればよいとの声は聞こえてこない。かつては純農業地帯だったが、大東亜戦争後、トヨタグループの工場が相次いで立地し、共和国内でも有数の富裕都市となった。そこでデンパークと呼ばれる農民マンセー施設を作ったり、裕福な百姓が巨大病院を建設した。この病院は昨今の医師不足とは対極に、就職を希望する若手医師で常時あふれかえっており、おかげで市民はいつでも安心して出産・死亡ができるようになった。やったね!!また、「のぞみ」や「ひかり」はおろか、「快速」や「区間快速」にすら無視される駅があることでも知られる。

安城を過ぎると刈谷市に着く。ここは安城以上にトヨタ色の濃い富裕都市だが、町はすっかりさびれ、地域開発に失敗した町としてよく知られている。ただし、駅に関しては碧南市方面からの名鉄三河線の乗客を奪っているため利用者は豊橋~名古屋間では金山についで多い。

次に大府市に着く。ここも刈谷ほどではないがトヨタ色が強く、大府駅南はいきなり豊田自動織機が占拠している。大府駅の利用者は豊橋~名古屋間では、刈谷、岡崎についで多いが、これは武豊線が接続するためか。

大府市を過ぎると遂に名古屋市内に入り、景色が途端にきしめん臭くなる。南部の工業地帯を過ぎると、列車は平成に入ってから総合駅化された今更創氏改名?に着く。この駅で、かなり前に見たような気がする中央線が名鉄ホームの向こうに垣間見える。そして本路線が、次の尾頭橋駅で右手にドキュンホーテ、左手にナゴヤ球場を臨みつつ道草を食っているスキに、この中央線は名鉄線の東側からアンダークロスで本路線の西側まですり抜けて行くという、実にエクストリームな技を見せる。その後、湿地帯の上に巨大ビルが林立すると言う危険極まりない名古屋駅に到着する。かつては新幹線ホーム側にドヤ街があり、昼間でも厚化粧のおばちゃんが声を掛けてくるおっかない場所だったが、70年代に一掃された。しかし、今でも当時の名残を残す商店が多数残っており、通の間では「椿町」としてよく知られている地域である。

当駅は70年代まで蒸気機関車が乗り入れする路線があったり、平成に入るまで戦前生まれの駅舎がそびえるノスタルジーな場所だったが、21世紀の声を聞くのとほぼ同時に東京都庁の向こうを張った巨大ツインタワーが出来上がった。このあたり、世界最大の都市、東京にあくまで立ち向かおうとする共和国民の心意気が伺える。

駅ホームには多数のきしめん屋が林立する。きしめんとうどんはあるがそばが無いのはさすが共和国首都駅の面目躍如といったところか。なお、あくまで共和国の都心は名駅ではなく、セレブにとってはであり、庶民にとっては大須であることをお忘れなく。

名古屋を出るとドラゴンボールの作者の故郷清須市に入り、清洲城も見えてくる。ここに傲然とそびえる織田信長像が車窓から見えないのはおそらく幼い子供が車内で失禁するのを防ぐためであろう。

かつては巨大ヤードのあった稲沢駅、さらに繊維業で栄えた138市を過ぎるとくそしながらいびるの一本目を越え、路面電車をこの時期に消したことで鉄道ファンから敵視される岐阜市に入る。かつては名古屋からも買い物客が来るほど繁栄し、美川憲一の歌になったほどの繁華街、ヤナガセだが昨今は鉄道ファンを敵に回したため衰退が著しい。この町は信長の舅がかつては治めており、裏切りの里と言われたこともあった。

岐阜を過ぎてくそしながらいびるの二本目その三本目を越えると、夜行の駅として有名な大垣市の大垣駅に着く。カンガルーの運送屋の本社がある。なお、この町を流れる揖斐川上流に完成した徳山ダムは雛見沢村のモデルと言われているが、あくまで雛見沢ダムのモデルは御母衣ダムなのでお間違えなく。

大垣駅~米原駅[編集]

大垣駅を過ぎると、乗客の数も列車の数も一気に減少する。ちょうどこの区間が東海と西日本の境界線が横たわっているためである。例を挙げるとエスカレーターで右に並ぶか左に並ぶか、うどんのスープは関東風か関西風か、アホといわれるのが好きかバカといわれるのが好きかなどであり、数えだせばきりがない。大垣ダッシュについては当該項目を参照のこと。

正直停まるのがかったるい駅を通りすぎ、急勾配をやっとこさ登りきり、天下分け目の関ヶ原駅に着く。かったるい駅から関ヶ原の間は下りの路線が分かれており、現在でも貨物列車が走っているが、これも急勾配を上るのがかったるかったからであろう。この駅の周辺には、徳川家康石田三成の壮絶な(?)大喧嘩が行われた関ヶ原古戦場があり、世界各地からもの好きが集まることで有名である。そんな所にわざわざ行って一体何が面白いのかは、お察し下さい

天下を分けた関ヶ原の戦いのあった関ヶ原町を過ぎると、県境の豪雪地帯に突入する。冬になると雪のため不通となることも良くあるので、東西の境界線が消えないのだろう。ここを過ぎると滋賀県に入る。このあたりは非常に線形がgdgdで、電車酔いする人が後を絶たないとか。そんな区間を抜け「米原から先は新幹線で」の看板を見過ごすと、JR東海・西日本の境界であるがために米原ダッシュと呼ばれるエクストリーム・スポーツが連日繰り広げられている米原駅に到着する。反対側を見るとごくまれにJR西日本の車両が大垣へと紛れ込んだりする。

大垣からは、美濃赤坂までの小さな支線が存在するが、完全に忘れられた存在となっている。また新垂井を経由する下り本線も、特急「しらさぎ」とかに乗る客でなければ気づかないのでスルーされる(垂井線が本線だと思い込まれる)。

JR西日本区間[編集]

「ここからはよく遅延します。ダイヤにご注意下さい!」

米原駅~京都駅[編集]

エクストリーム・謝罪への参加が多いJR西日本の区域に入れば、空いていればまた快適な旅が訪れる。この先乗り入れる全ての列車が動作保障外となる。この区間では西日本版の「新快速」が走っている。停車駅が多くここではさほど速くないものの、それはほんの小手調べといったところ。

東海道本線の米原~大津間は、同線で最後に開業した区間として知られている。始めは琵琶湖の海運に頼りたいほど当時の日本政府には金が無く、このようにケチな政策を行わざる得なかった。

新快速はその名前に反し、米原を出てすぐ井伊直弼の本拠である彦根市に立ち寄った後、能登川、近江八幡、野洲、守山、草津、南草津、石山、大津、山科と京都までは「隔駅停車」のように停車しながら進んでいく。それでも有料特急「はるか」や「びわこエクスプレス」と比べれば能登川、南草津に停まるか停まらないかの差だけであるのと、この辺りではまだ駅間距離が長いから、ノロノロ運行しているわけではなく、トップスピードは暴走ぶりが有名な京阪神地区と同じである。織田信長名古屋岐阜を捨てて築城した安土城の遺構は表示看板を見つければ儲けものな位に分からないまま過ぎていき、諸行無常を感じさせる。

そして東海道中山道が交わる由緒ある城下町で、滋賀県屈指の都市である草津市に到着するが、今になっても草津温泉があるという誤解をする人間が絶えないことでも知られている。街ではジョークも兼ね、草津温泉という銭湯を造る人間まで現われた。

琵琶湖が近接すると、近江八景も次第に迫ってくる。紫式部が暇をもてあまして歌を書きまくった石山寺、源義仲が仲間割れして非業の死を遂げた粟津などがあり、汚い琵琶湖とは似つかない感じがしないでもない。

草津からJR西日本ご自慢の複々線となった線路を進み、京都市に隣接している滋賀県の県庁所在地、大津市に到着する。山口市よりはまだマシだが、県庁所在地と繁華は必ずしも結びつかないことを象徴しているかのような雰囲気が蔓延っている。

逢坂山東山をまっすぐトンネルで横断し、日本の首都を未だに自称する、時間を止めようとしている都市(古都)こと京都府京都市に着く。昔は京都に入る前にはそれ相応の儀式をということで、わざわざ南の稲荷の方へ回って峠越えをさせていたが、それも今は昔語りである。

京都駅~大阪駅[編集]

京都駅関西一のでかさを誇るといわれており、見る者を圧巻させる。未来都市を示しているとされ、「古都」京都には合わないような意見が散見されるが、京都市民の「明治以来衰退を恐れ、進取の気持ちを育ててきた」ものが実ったのだと考えれば、その象徴として相応しくないとはいえない。

京都を出ると、一気にJR西日本ご自慢の「新快速」が本領を発揮し、山城から摂津へ向かって保障外な暴走を始める。ここから先、鼻息の荒さが車内にまで伝わってくる。向日町で通過する新快速を見ることができれば鼻息の微風を感じることと、前面の右上にできている青筋が見て取れる。「悲しいけどこれって競走なのよね」と485系特急を内側車線から223系が追い越す様も風物であった。

長岡京市を過ぎると、天正安土桃山時代)と昭和大日本帝国期)に山崎の合戦が行われた山崎付近で阪急京都本線をまたぐ。新京阪鉄道の名車、P-6に鉄道省ご自慢の特急「」が抜かれたことを未だに恨むがごとく、並走して走る阪急電車に敵対意識を発して一気に今の新快速は抜き去っていく。これは特急の「サンダーバード」や「スーパーはくと」でも変わらない。この辺りでは「車両性能の差が料金の決定的な差では無いことを教えてやる!」と485系VS223系の勝負の付き所でもある。しかしその後これに対し情の入ったJRは「情けない」とコメントし、後のダイヤ改正からこの内戦を取りやめ、阪急に勝てさえすれば良いと両車和解で成立した。なお国鉄は新京阪に対してよっぽど恨みがあったのだろうか、昭和中期には反則といえる東海道新幹線を京都本線に並行して敷設しているが、その様子が東海道本線との並走区間を過ぎた後、東海道本線の列車の車窓からも見ることが出来る。

大阪府に入ると、社会主義国家の建国を目指して不穏な動きが続く高槻市大阪民国入国審査の為一旦停車。なお、クロスシートを備える普通列車の大半はこの駅を境に快速列車に変身し(なお朝夕にある気の早い一部列車は京都駅で既に快速に変身している)、ロングシート車のみがこの駅を過ぎても普通列車として運転される。その後、茨木市の茨木駅、摂津市の千里丘駅を過ぎると、広大な空き地が大阪方面に向かって右側の車窓を埋めるようになる。国鉄の残滓のひとつ、吹田操車場跡地である。消えてから20年以上たっても、未だに再開発が進まないところには、日本や大阪府の斜陽が象徴されているのかもしれない。

吹田市の吹田駅を過ぎるとその残滓も消え、商都:大阪市に入って東海道新幹線にまたがられる新大阪駅に到着するが、その手前の東淀川駅は新大阪駅となる予定であった地位を今の駅に奪われ、あわや廃止になるところ、地元住民に救われた貴重な駅である。こういう所もあることを見逃してはならない。

大阪市周辺の東海道本線の線路は、わざわざ淀川を二回も渡って梅田に寄るようになっている。この線形は、大阪市民(俗称として大阪民国民)の隠れパワーを象徴しているかのように見える。淀川の橋には東京出発500kmと丁寧に書いてあり、感動を誘いそうだが、誰も見ない。そして大阪駅に到着する。

大阪駅~神戸駅[編集]

大阪駅はJR西日本だけの駅名で、周辺に隣接する私鉄阪神電気鉄道阪急電鉄)や大阪市営地下鉄の駅も全て「梅田駅」を名乗っているため、カルチャーショックを覚えるかもしれない。しかも最近までは同じJRグループであるJR貨物まで「梅田駅」と名乗っていた。もともと国鉄の駅も「梅田ステーション」と俗称されていたことがある。聞けば大阪市民が、「大阪駅」では巨大な大阪市のどこにあるか分からないため、こう名付けたらしい。賢いのか地理感に疎いだけなのか、微妙なところである。とはいえ、逆に南の天王寺駅周辺では近畿日本鉄道の駅だけ大阪阿部野橋駅を名乗っている事例もあり、単に東京主導の国に反抗したい意思がある訳ではなさそうである。また、難波駅のようにJRを私鉄側の名に合わせた事例もあるが、言い出したらきりが無いのでここら辺にしておく。

大阪を出ると、再び淀川を渡って西方、神戸へ向かって快走を始める。

まず来る尼崎市尼崎駅は旧称を神崎駅といい、開業時は市街地から離れた農村のど真ん中にあった。これはほぼ同時期に開業した西宮市の西宮駅、神戸市東灘区の住吉駅にしても同様であるが、阪神間をただ結ぶことしか考えていなかった残滓である。結果、明治の終わりごろに開業した阪神電気鉄道の本線城下町として栄えた尼崎の市街地を通り、乗客を掻っ攫っていくことになった。JR尼崎駅が発展するようになるのは、JR東西線の開通した1997年以降であるといえるだろう。尼崎市は大阪市に隣接しており、本来の所属である兵庫県よりも大阪府に近いといえる地域である。大日本帝国時代は実際に大阪市は阪神間の諸都市を植民地としており、「大大阪」と呼ばれていた。それが戦後になって衰退し、独立を達成することが出来たのは、後述する阪急王国と神戸市の功績である。

立花駅は尼崎の市役所のそばにある。隣接する西宮市の甲子園口駅と同様、昭和期に沿線開発が行われたことで、吹田・須磨間電車運転開始に伴い駅が設置された。しかしこれらの沿線開発は勝手になされたものではなく、東海道本線の北を通る阪急電鉄の総帥で、阪急王国の初代国王となった小林一三、およびそれに協力した者の手で成し遂げられたものであった。そのためこの辺りで、国鉄→JRの乗客には怨嗟の声が頭に響いてくる可能性がある。

武庫川を渡り、尼崎市との対立や南北分裂と様々な抗争の話がよく聞かれる西宮市に入り、前述した甲子園の名を阪神に便乗して付けただけで実態に即していない甲子園口駅を過ぎると、西宮駅に到着する。2007年3月、市の圧力で「西ノ宮」を神戸市の三ノ宮駅を頬っておいて実情に合わせ改称したものである。しかし、昨今になって乗客数が増加しているとはいえ、寂しい雰囲気が漂う。それもそのはず、近隣に阪神本線の西宮駅、阪急神戸本線西宮北口駅があり、それらに乗客を明治~大正期以来奪われたままになっているためである。十数年前までは、阪神間で最も乗客数が少ない駅に陥っていた。近年では某議員のせいか、同駅を通る際に突然号泣し出す乗客もいる。

大阪を出てしばらく南北に離れて走っていた3つの路線は、ここ西宮から先はほとんど密着し並走して神戸を目指すことになるが、西宮のこの辺りは3社線が特に近接し、更に昨今では阪神が阪急王国に併合されたため、JRはゲリラにしばしば襲われた満州国南満州鉄道のごとく、両側を敵に挟まれた一帯を走行している事になる。そんな中、西宮の改称と同時に、香櫨園駅夙川駅・阪神西宮駅が近接するこの地にJRはさくら夙川駅を開設した。これは、沿線のゲリラに投降と日本への帰属を呼びかけていると解釈できなくも無い。

隣接する芦屋市はさほど大規模の所ではないが、芦屋駅は1957年に西ノ宮と激闘の上、快速停車を勝ち取ったことで3社並走の中で大きな優位性を得ることになる。そのまま平成になると新快速の停車駅になり、並走する両社(阪神芦屋駅と阪急芦屋川駅)を完全に叩き、JRにおける阪神間の中核駅及び市の中核駅に成長した。この点、客を取られているのを見ていただけの西ノ宮→西宮とは対照的である。市民は北側地域(六麓荘町など)を中心に極めて自尊心が強く、芦屋言葉なる独自の関西弁を生み出したことでも知られている。

芦屋駅をでるとすぐ神戸市である。東西方向にしか発展性を見出せなかった苦境をここから察しつつも、甲南山手駅のような新駅が生まれているところに、その発展の勢いを感じることが出来る。この一帯は1938年に大水害、1945年には空襲、そして1995年には阪神・淡路大震災と災難続きであったが、俗に「不死鳥」・「不死身巨大ロボット」と呼ばれている通り、その苦境を常にばねにして発展を続けさせることが出来た地域といえる。神戸市のこのしたたかさこそ、同市を京都市・大阪市と並ぶ関西地方の一大都市に成長させ、大阪市から阪神間各都市の植民統治を解除させることに成功させた原動力と見ることも出来るであろう。

六甲山摩耶山を眺めながら、電車は東灘区灘区と横断し、神戸市中央区にある現在の神戸ターミナルである三ノ宮駅にまず到着する。ここは前述したとおり、周辺の阪急・阪神・地下鉄の駅が「三宮」を名乗ろうとも、「西ノ宮」が「西宮」に改称しようとも、断固として「ノ」の字を入れることに固執している貴重な頑固オヤジ的存在である。元は現在の元町駅付近にあり、高架化に際して移行してきたものであるのだが、駅名だけは明治以来かたくなに守り通してきた。

そのまま電車は神戸の市街を神戸市営地下鉄神戸高速鉄道と並走しながら神戸駅へ向かう。神戸駅は震災でも駅舎が崩壊しなかったほど頑丈な構造であったが、戦後に近隣にあった繁華街の新開地がさびれ、三宮に商業地が統一されたおかげで、乗客数は三ノ宮より少ない。また東海道本線の終点であるといっても、鉄道国有化前の山陽鉄道時代より大阪・京都まで直通運転を行っていたこともあり、終着駅のイメージは全く感じられない。

東海道本線と山陽本線の境を示す標柱を眺めながら、電車はこのまま山陽本線に突入していく。ふざけたJR神戸線という通称のおかげで、境であることはいつか完全に忘れられるかもしれない。一般人は列車の行き先表示から西明石駅とか思ってしまっている症状もある。

遅延も山陽本線の姫路駅までに収まるものでなく、新快速や特急の影響で敦賀駅金沢駅播州赤穂駅城崎温泉駅鳥取駅まで影響すると言う。ちなみに、阪和線方面は単独でも以下略

運行形態[編集]

かつては帝国の超重要路線として全線直通の長距離特急・急行・鈍行列車が多数運転され、戦後はさらに発展し賑わいを見せたが、東海道新幹線開業後、これらの長距離列車は衰退した。現在は代替に短距離電車が数多く運転される。

現在、長距離列車としては臨時列車として、エクストリームスポーツトレインとして名高かった「ムーンライトながら」(大垣夜行)がある。JRの良心(偽善)から安価で乗車できる手段(青春18きっぷ)があり、指定席は発売開始5分以内で売り切れる。また、東海道本線を全線走る定期夜行列車はサンライズ瀬戸・出雲を残すのみである。

JR東日本区間[編集]

かつては遠方への利用者及び温泉などへの観光客が中心の区間だったが、大都市東京が勢力を広げる中で利用者が急増、東京を代表する通勤路線へと変貌を遂げた。車両はセミクロスシート113系211系等が長らく中心となっていたが、両者の老朽化により全部、JR東日本の十八番こと走ルンですフラッシュ付(E231系E233系)が代わりに投入された。この車両はグリーン車のおまけとして4ドアロングシート車が多数ついており、通勤の華満員電車などの競技を円滑に行えるようになっている。なお、さらに一部にクロスシートがおまけとして付いているが、椅子の固さ以前に狭くて居心地が悪いと言ったら贅沢である。あくまでSVOにもグリーン車にも乗らない低所得ファミリーを回収して東日本の評判を保つための席である。
また東京から品川へ行く人も東海道線がいいのか、東海道線に乗る人がいる。

JR東海区間[編集]

ほとんどが313系とかいうステンレス製ながら、なんとも言えない車になってしまい、しかもそのセンスで毎年増殖を繰り返す。乗り心地と言わせてみれば、その内面はJRご自慢のHPや写メすら裏切る良いモノ。高速だが揺れず、乗るとあまりの静粛さに恐怖を感じるという声があるが、老朽化で騒音発生器になってしまった洗濯機とかをまだ使ってる叔母チャマたちの声のほうがよっぽどうるさく響きわたっているのが現実である。見た目より質という現代人の一部にアリがちな考えがJRまで侵食された結果、某絶叫マシンのように響きどころか、発車時のGすら感じさせないため、それが事実なのは事実と認めざるを得ない。

211系0番台117系を用いた「新快速」は無くなってしまい、ニッチ派の鉄道ファンからは評判が悪い。

静岡地区にやっと導入された313系は211系5000番台と東日本に倣ったロングシートで、新幹線に人が流れず慢性的な混雑に悩む同地区では好評である。ただし青春18きっぷ愛好者はボックスシートの113系が欲しいらしい。便所が無い編成が減ってしまい、一部のヘンタイからは不評である。方向幕の白色LEDの派手さも見逃せない。 最近、東日本並みにグモが増加傾向にあるので、電光時刻表が消えている場合は新幹線静岡鉄道、天竜浜名湖鉄道に乗り変えた方がよい。が代替運賃は当然戻らない。

JR西日本区間[編集]

オカルトや都市伝説の絶えない西の区間である。まぁ、東海道という瞑目で山陽新幹線とどこやらまで並走なんかさせるからだ。それもそれだけにマニアの目は、上は北海道、下は沖縄…といったところからも飛んでくる。 ほとんどが223系とかいうこれもまたナンセンスな族車仕様のステンレス車になってしまった。高速だがグリーン車がなく退屈気味ではあるが、これもまた一部のマニアが好きらしい。電車でGOの製作時、某特急の車種と同じモーター音を具財にしたのがこの神話か実話か乗ってみた人のみぞ知るオカルトを生み出したそうな。だから大阪駅なんぞで、自由も指定もないこの電車に、駅のエスカレーター配置とは無意味な列の差を生み出す理由も分からんことは無い。みんな運転台後の補助席を交代で占拠して我慢している。ちなみにどうでもよいがこの車の制御電動車は京都側なので、適当に並んだ場合は当選確率1/2。ごく稀に221系・223系併結とかいう意味のない列車もあり、それが一部のフェチ達に媚びている。

一部の過激派からは新車321系207系や旧車201系による新快速を望む声が高い。

北陸線敦賀以北から521系が新快速で直通してくるという噂が絶えない。でも西日本は、そのようなことは発表していない。けれど実際は禁則事項です。もし見ても、乗ることになっても、あれは神様か天使様だと思ってゆっくり眠りに就いてくれ。ま、あんなバスだか何所の霊車両だか検討もつかないようなのが、もしも、もし、今日も「新快速」なる札を付けて客から金を取ろうものなら、一部の電車フェチとかセコイ主婦が罵声を上げて頭痛の元を作り出すだろう。だがあの車体に同社他区間で今は神話となった列車種別の旧姓をまだカラフルに刻んでいるのは紛れもない事実だ。そして種別表示幕をまわすときに「▼速」とかを白昼堂々と曝け出すのは、新たな都市伝説をきっとまた生むだろう。

関連項目[編集]

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