東海道

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東海道(とうかいどう)とは、幅の広い道路である。

概要[編集]

関東関西中部を経由して結んでいる、東西の幹線道路である。

七道時代[編集]

7世紀頃に整備され、七道のひとつに指定された。非常に道幅が広いことが特徴であり、全区間にわたって道路の南側が(太平洋)と接しているが、余りの道幅が広さに道路の北側からは全く海が見えないほどであった。当然、道としての規模は世界一を誇っていた。当然、そこまでの規模であれば整備が行き届くはずもなく、至るところで道が凸凹で、最も陥没している場所は海より低いのに対し、最も突出している場所は高さ3776メートルである。このように、路面は一部を除いて概ね荒れており、通行に適した土地はほんの少しであった。その為、酷道として取り扱うに相応しい有り様であった。なお、道幅が広い酷道は世界でここだけであったと認識されている。基本的に北側がよく荒れる傾向にあったという。なお、起点と終点は現在も諸説あって定説が定まらないまま今に至るが、起点に関しては勿来の関がそれにあたる存在だったのではないかと有力視されている。

経由地
他の道路(黄)と比べ物にならない道幅を誇る東海道(赤)と支線(紫)

五街道時代[編集]

起点の日本橋。

江戸時代に入ると、参勤交代や物流の変化によって、流通網の最適化による都市間の移動の活性化の機運が高まってきた。その為、江戸幕府五街道の整備を行う事とし、東海道を五街道の一つとして構造改革を行う事業に着手した。それに伴い、道として体をなしていた海岸沿いの最も利用が多かった土地を基準に、東海道を最低限の規模に整理し、五畿七道時代に東海道とされていた敷地の殆どは指定区間を解除されるに至った。また、東海道も起点と終点をそれぞれ変更し、起点は江戸の日本橋とし、終点は三重より西に延伸し、京都の三条大橋とした。日本橋以北の区間については、東海道としては分離した上で、五街道の整備後は一部区間を中仙道水戸街道がそれぞれ継承している。 あわせて、五街道の整備に伴い、行き交う旅客をもてなし、馬を休ませる体制を整える為の宿駅も沿線に整備し、東海道の沿線は栄えていった。一方で、一本の道として姿を変えると、難所が際立って来ることが明らかとなった。東海道の場合は箱根の関所と鈴鹿峠がそれである。厳しい勾配と山間部の隘路が合わさった険しい酷道となっており、構造改革を経た後も、一部区間が酷道として残されるに至った。

国道時代[編集]

国道1号に指定される。自動車の通行に適したルートを造成しているため、江戸時代のルートを必ずしも完全になぞっている訳ではないが、大体の路線が平行している形となっている。大きく変わったのは、大阪都構想を見越して、起点が大阪の梅田新道に変わったことぐらいである。なお、これによって山陽道と直結することとなった。

鉄道[編集]

明治以降、東海道本線東海道新幹線等をはじめ、多くの路線が平行して開通していった。東海道本線は、道路の方の東海道にほぼ沿っているが、名古屋から滋賀県の草津市界隈までは、東海道とは別に中仙道の方に沿っている。これは、東海道のルートでは、鈴鹿峠や加太越えなどの難所を通る故に難工事となることが予想された故の策であり、東海道が改良を重ねた上でも如何にキツい道であるかを示すものである。しかし、その上で東海道本線は最初の全通よりルート変更を幾度か行っている。特に、道路でも江戸時代より難所として知られた箱根越えは、勾配で機関車が動かなかったり、トンネルで煤煙に見舞われるなど、機関士泣かせの難所として知られた区間でもあり、列車のスピードアップにあたりネックともなった。そこで、山間部ではなく高地を長大トンネルで通すことにより、海岸沿いの鉄路が新たに開かれ、沿線である小田原や熱海といった街が栄える事となった。 また、天下分け目の関ヶ原といった謳い文句で知られる岐阜県と滋賀県の県境付近にある関ヶ原界隈も、その勾配のきつさより中仙道でも屈指の難所として知られたが、鉄道でも然りであり、峠を上る方に当たる下り列車の貨物及び特急列車のみが通る勾配の緩やかな線路を新たに通したくらいである。

国土を交通に適した状態にするために日夜改良を重ねて苦戦した歴史を、同じ名前を取った鉄道もまた文字通り同じ轍をたどる事となったのだ。

畢竟[編集]

東海道は、今日では道路と鉄道とあるが、共に現代までの繁栄を支えた、謂わば日本の背骨のような存在である。歴史的にも、いや、あらゆる意味で今も幅の広い道であるといえる。

関連項目[編集]