東松山市

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東松山市(ひがしまつやまし)は、彩の国さいたまの中心に位置する都市。

自称「埼玉のヘソ」。別名「第二川崎国」。ただ歩くだけの暇人のための祭り「日本スリーデーマーチ」が開催される都市としても有名。 歴史的には、さいたま国比企郡の郡都とされている。近年では周辺の町が発展してきたため、郡都としての地位が危うくなっていたが、市内にスターバックスができたことで、名実ともに郡都として認識されるようになった。 川越ナンバーにするよう政界工作に余念が無い。

成り立ち[編集]

1954年、松山町が中心となり、周辺の村と合併して誕生した。市名は当初「松山市」になる予定だった。しかし、愛媛県松山市と名前が被ってしまうとして、国に却下される。最終的に松山市の東にある松山という安直な考えによって東松山市となった。 だが、この市名に納得できず、我こそが真の松山市であると主張する市民たちは、愛媛県松山市に対し、市名を「西松山市」にするよう要求した。当然、愛媛県松山市の反発は凄まじく、松山市は即時東松山市へ宣戦を布告した。松山市は南海放送と共同で極秘開発していた秘密兵器・ウィットを差し向け、その高速移動と腐ったミカン攻撃で東松山市民を苦しめた。周辺のさいたま自治体に助けを求めるも、まったく頼りにならないため、やむなく東松山市は松山市に対し、だいたひかるをノーギャラで松山公演させるという条件付で降伏。松山市を「西松山市」にする目論見は露と消えた。しかし、東松山市は負けを認めておらず、多くの市民は未練がましく東松山を「松山」と呼んでいる。ついうっかり知らない人に「松山から来ました」と言うと「愛媛の人かい?」と聞き返される。

中世の時代は松山城の城下町として、江戸時代になってからは宿場町として栄えた。幕末には前橋藩の陣屋が置かれたが結局使われなかった。いくらお城の跡地があるからと言って、むやみに「松山城」を自慢しても姫路城と勘違いされるだけなので注意すること。なお、松山城跡があるのは吉見町である。

市町村合併計画[編集]

2003年、東松山市は下僕である比企郡滑川町嵐山町小川町吉見町川島町鳩山町都幾川村玉川村秩父郡東秩父村の9市町村を吸収合併し、「比企市」という名前の市を作ろうと計画した。しかし、元より生活圏を共有している訳でもない烏合の衆による合併話だったことに加え、川島町鳩山町は当初から計画に参加せず、さらに滑川町嵐山町が離脱したことにより計画は失敗した。

だが東松山市はあきらめなかった。今度は財政難に陥っている吉見町のみをターゲットとし、吸収合併を計画した。しかし、吉見町の中の人たちが、合併の補助金を見込んでハコモノを建てまくったり、定年近いゴクツブシ職員を駆け込みで課長級に昇進させるなどDQN三昧の所業を行った事により[要出典]、またもや失敗。

その後、周りの町に見放されている東秩父村植民地化計画が持ち上がったが、搾取できそうな資源木材くらいしかないので、割に合わず断念した。

行政[編集]

日本一の福祉都市を目指す。と言う割には、社会福祉協議会の金でリーマン社債を購入し一億円の損失を出した、今度はラスベガスで一発当ててやるでーと言っているらしい。(あれー、またやっちまったか~) それで生じた穴を埋めるため、坂本市長親族のケースワーカーが、担当する人々の通帳から勝手に金を引き出しまくったのはとても有名(行政調査新聞 2009年5月2日)。因みに件のケースワーカーはジェノサイドなどの汚れ仕事も受け持っているため、最後のサンカと呼ばれたお婆さんをことさら酷く扱い、その異民族の子孫が生じないようにきっちり絶滅政策を施したとのことである。そんな坂本市長の尊敬する偉人はヒトラーである。もちろん演説の腕とか経済政策ではなく、他民族根絶やしにかける根性を尊崇していることについては論を俟たない。でも例の和人でしかないアイヌの皮を被った北海道の癌を除去するとか、偉大なる将軍様隷下のかの民族や地球上に存在しない中華民族を詐称する連中へジェノサイドの刃が向かわないため、一向に役立たずである。とっととチャウシェスクみたいになっちまえよ。

そんな坂本市長であったが、2010年にめでたく退任。現在では民進党で立派にトロイの木馬副党首としての役割を果たしている。

名物[編集]

辛い味噌だれのやきとりが有名。市内にはたくさんのやきとり屋が軒を連ねている。ただし、使っているのは豚肉(主にカシラ)なので要注意。この豚肉のやきとりの起源は終戦直後にさかのぼる。闇市で商売をする在日朝鮮人が、羊頭狗肉故事にならい、豚のクズ肉を鶏肉と偽って売ったのが始まりである。しかし、すぐにばれてしまう。このとき、『焼き鳥ではなく「やきとり」という名の新しい料理である』という言い訳により、「やきとり」が誕生した。近年ではハヤオ・ミヤザキにより生み出された空飛ぶ豚の登場により、豚は鳥の一種であるという主張もなされている。でも美味しいので、ほとんどの人は気にしていない。本当に美味いよ! 辛味噌を付けて食べるからといって市民はこの辛味噌を何にでも付けると思ったら大間違いである。名古屋とは違うんです。 東松山市の数少ない名物であるやきとりだが、観光ガイドによく登場する『やきとりひびき』の本社が実は川越市にあるのは公然の秘密である。

教育[編集]

原爆の図で有名な丸木美術館がある東松山市では、平和教育と称して被爆者の死体画像やはだしのゲンを無理やり見せつけて、青少年トラウマを植え付け、健全な精神を破壊する教育が推奨されている。この影響で、市内で教育を受けた子供の多くが基地外犯罪者九条教徒になるが、稀にノーベル賞受賞者が生まれることもある。

治安[編集]

市内の治安川崎市並みに安全である。市内では赤装束の集団がたびたび目撃される。彼らは知能指数が並みのため、赤いものを見ると興奮し襲ってくる。レッズサポーターは要注意である。この赤装束の集団が川崎国の真似をしたことで、東松山市の安全性は全国に知られるようになり、名前が似ている「東松島市」と「東村山市」が風評被害を訴えている。

方言[編集]

東松山人は「来ない」を『こない』ではなく『きない』と発音することが多い。なぜこのように発音するのかは不明だ。 二回(にかい)は普通の人は後ろに強勢を置くが、比企人は前に置く。「かい」ってな感じで。あと「何なの?」を「なんなーん」、「そうなの?」を「そーなーん」と発音する。このような方言は他の地域にも見られるが比企人は語尾が上がるのが特徴。

名所・観光スポット・祭事・催事[編集]

名所[編集]

神秘珍々ニコニコ園
東松山市に存在した異世界。地域住民でもほとんど近寄らない。残念ながら閉園してしまった。サブタイトルは「老若男女憩いの場」だが、訪れた多くの人たちは「食欲が失せた」「吐き気がする」と口をそろえて言う。
東松山遊園地跡
かつて存在したといわれる幻の遊園地。(通称)東松山遊園地。廃墟マニアには結構有名らしい。しかし、わずか数年で閉園してしまったので、その存在は地元住民にもほとんど知られていない。
原爆の図丸木美術館
東松山のお化け屋敷九条教東松山支部。入ったら最後、笑顔もふっ飛ぶ。出てくるときは多くの人が黙り込んでしまう。ただし交通の便が悪いのであまり人は来ない。
埼玉県平和資料館
従軍慰安婦なんていな粛清されました
箭弓稲荷神社
「やきゅういなり」と読む、東松山市が誇る神社。「箭弓」というのは東松山市内の地名であるため、野球とは何ら関係ない。勝負事の様を祀っているが、断じて野球とは関係ない。プロ野球選手がお参りに来ていると言われるが、決して野球とは直接的な関係はない。

祭事・催事[編集]

日本スリーデーマーチ
日本では最大規模の暇人メタボリック患者のための大会。3日間ただ歩くだけ。外国人も大勢参加するので国際交流には一役買っているかもしれない。なお、市内の小中学生は1日目は全員強制参加である。
スリーデーマーチの参加者は歩くために来るので、まったく市内に金を落とさない。落としていくのはゴミだけである。正に「ゴミだけ落ちて金落ちない」。そもそも参加費を払って歩く物好きは少数である。このため多くの市職員は「こんなめんどくさいこと、やめてしまえ」と思っているが、それを口に出すと左遷されてしまう。

主な出身有名人[編集]

関連項目[編集]


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