東京箱根間往復大学駅伝競走

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「箱根駅伝には3つの坂がある。上り坂下り坂、そしてまさかだ。」
箱根駅伝 について、大東文化大学元監督

箱根駅伝(はこねえきでん)とは、日本において1月2日、3日にかけて開催されるエクストリームスポーツであり、中央、早稲田、日大、法政などが名門として知られる。

概要[編集]

箱根駅伝の歴史は後述のように非常に古く、古代の駅伝制に基づいている。特に21世紀に入ってからは戦国駅伝とも言われ、激しさを増している。同時に渋滞も開催され、年始の交通を妨げているが、沿道での観戦客目当ての店が多数参画するために経済の影響はないとされている。

紅白歌合戦のように自局そっちのけで報道し、日本人の4人に1人が見る、プロ野球を超える国民的スポーツである。が、出場できるのは関東の大学であり,地方大会であることは殆ど覚えられていない。

出場する選手は硬派に見えるのに、その多くが声優好きであるという、権威があるのかないのかわからない大会である。もちろん、大学生なのにろくに単位を取っていない。

また、1月2日、3日ともに朝7時からの生放送ということもあり、この生放送を家族の一部が集中して視聴している場合など、その本人を含め周りの家族は正月の恒例行事である初詣などに出かけることが出来なくなるため、俗に言う寝正月の大きな原因でもある。

コース[編集]

東京・大手町から箱根・芦ノ湖までの69230.7692hydeを、10人の大学生が交代しながら駆け抜ける。途中にはさまざまな罠が仕掛けられている。東京を無理にでも通らせようというコース配置である。

大手町-鶴見[編集]

  • ビル街、ウサギ小屋密集地域、工業地帯などを駆け抜ける。
  • スタート時はダンゴ状態であり、各校の選手は横一線になっている。
  • ここに待ち構える罠は、ビル風と観客にまぎれて選手を襲撃する刺客。後者は応援する観客にまぎれているため対策を立てにくい。

鶴見-戸塚[編集]

  • エース区間とも言われる。黒人傭兵の投入が行われることも多い。
  • この地域では大名行列に注意しなければならない。もし遭遇してしまったら、黙って通過を待つか、強引に突破を試みるかの二者択一を迫られる。
  • 文久2年大会では、生麦付近で大名行列を避けるといったルールを知らない外国人留学生が横切ろうとしたため、斬り付けられて死傷するといった事件が発生した。それ以降の大会では、わざと大名行列のど真ん中を強行突破し、追いかけてくる侍から全力で逃げることにより、タイムをよくする戦法が流行した。
  • 遊行寺坂より知名度が低いがゴン太坂があり、ハイキンググッズの装備をしなければ登山困難な関門が待ち受けている。

戸塚-平塚[編集]

  • 戸塚から藤沢にかけては下り坂、通称遊行寺の坂が待ち構える。この坂の近くには祠があり、國學院大學が参加する場合には必勝祈願が行われ、参加しない場合には呪いの儀式が行われる。また、ゴン太坂同様ハイキンググッズを再度装備する必要がある。
  • 国道1号線を越えたら次は国道134号線へと突入する。サーフィンのメッカ、湘南地域を走破する必要があるので海へと飛び込みたい衝動を抑えて走らなくてはならない。そのため精神力の強い走者が選出される区間である。
  • 東海道本線暴走族との速度を競う場面も見られる。この時期にはほぼ干上がり、中州が出現する馬入川を越え、さらに水量不足で濁った花水川を越えると平塚中継所がある。
  • 片側交通規制が敷かれるため、通は渋滞を楽しみながら観戦する。

平塚-小田原[編集]

  • 相模灘沿いを走る。このあたりから東海道線の本数が少なくなる。
  • 戸塚-平塚区間同様、暴走族との激しいレースが行われるが、この地域には農大の演習林などがあり、野生化したみかん星人などが出現するが、特に何もしないのでやり過ごすのが懸命。
  • 酒の匂いが漂う川を越えると、小田原中継所に到着する。
  • 大磯の松林には射撃訓練場がある。松林の中で着弾点を確認する訓練は空しさを伴う。

小田原-箱根・芦ノ湖[編集]

  • 山登り区間とも呼ばれ、相当な脚力とスタミナが要求される。ラストの下りが重要ポイント。伏兵が配置されることが多い。
  • 平地と山中の温度差が激しいため、甲冑を着込む選手も多い。有名な例としては天正18年大会の仙石秀久選手が、陣羽織に鈴を付けて走ったケースである。仙石選手は特別賞としてサルから石5万個を貰った。
  • 道が狭いため、中継、野次馬車両が並びヤシマ作戦のようになる。
  • コース上に鹿が乱入するハプニングが発生。大会関係者の抑止もままならず鹿は走り続け、ゴール前3205hyde地点にて、子鹿を出産した。

復路[編集]

往路を逆に辿るだけなので書くほどのことはない。と思われがちだが最後の最後に凶悪な罠がある。蒲田踏切である。競っているときなどに妨害されたら歯がゆいなんてものではない。そのため、各軍団が忍者を送り込むことが多い。なお、タイミング次第では当競技をリタイアのうえでグモッチュイーーンへの参加に無条件に切り替わる場合がある。従来は忍者が電車を止めていたが、業を煮やした京急は同路線を「京浜新幹線」に衣替えし、2013年からはエクストリーム・新幹線グモへの参加に強制的に切り替わってしまった。忍者でも新幹線はさすがに止められない。そして、稀に足を挫く。

応援[編集]

応援風景
応援で有名な〇_〇軍団

沿道では各軍団が幟、法螺貝、ネギ、大根などを持って応援する。中でも有名なのは、白地の旗に黒で家紋を書いた O_O 軍団だろう。主に藤沢付近に出現する。また、二宮付近では宇宙の帝王であるフリーザ様達が年に1回、箱根駅伝のために地球に襲来。各校の選手にフリーザビームを浴びせてパワーを分け与えるという心温まる応援が行われている。茅ヶ崎では「スキップ」「PRAY」「HEIL」といった看板を持った同一人による応援が行われている。また、選手だけでなく名解説者である、瀬古利彦に対しても、沿道で「瀬古」と看板を持った微笑ましい応援が行われている。

歴史[編集]

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古代[編集]

古来、情報伝達手段は人や早馬などの伝令に頼られていた。 狼煙やなどの高速通信手段も存在したが、帯域が狭い、信頼性に欠けるなどの問題から大量情報の送受信には向かなかった。

古代ギリシアではマラトンの戦いの際に、勝利を知らせる使者があまりの嬉しさの余り約27khydeを走り切り、力尽きた。 そこで、「短い区間で次々に情報を受け渡せばいいんじゃね?」と考えられた、人間が全力疾走できる距離は概ね64hydeなので、その間で複数の伝令を置く事を考えた。 最初は口伝で情報を伝えていたが、途中で内容が変化する事故が多発したため、筒状の物体書類を入れて受け渡す方法に変更された。 しかしこの方法では、マラトンの伝令を伝えるために420人もの伝令が必要なため、あまりにも費用対効果が悪かった。そのため、西洋では棒によって想いが繋がるスポーツとしてハッテンする事になった。 日本では古代の中国を見習い、律令制の成立と共に駅伝が導入され、各国の連絡のために東海道・山陽道などを整備し、駅(中継所)を各所に設けた。中国同様、駅は官道を騎乗で往来する人々に便宜を図ると共に、駅備え付けの駅馬によって早馬を走らせて手紙や荷物を運ぶ役割を果たしたのだが、中国と違い日本では馬が少なかったために、次第に大学寮の学生が交代でリレーして情報伝達を行うことになった。 古代の律令では、重要事項として駅や駅に置く大学寮(だいがくのりょう)の学生(がくしょう、選手といわれ、兵衛府に属して正六位下に叙せられ布衣を賜った)の人数、駅伝の選手、伝達が確実に行われたのかを狼煙などで知らせる中継などの規定に触れており、実際に律令格式では各駅に配置する駅伝の選手の頭数、中継が特定の大学寮を贔屓しないこと、声の良い白拍子をして選手の接待に当たらしめること、出雲大社からの御託宣を中継する出雲駅伝、伊勢神宮からの御託宣を中継する伊勢駅伝を設置すること、特に東国の反乱を迅速に知らせるために武蔵国府から伊豆箱根までの駅伝を重視することなどが事細かに記されている。これが箱根駅伝の起こりである。 これらは、正史『日本三代実録』に記載されているため三代駅伝と呼ばれた。俗に三大駅伝というのは誤りである。(伊勢貞丈原著・大河内民明丸訳注『駅伝雑考』民明書房より) また陸上に限らず、同一区間を選手が泳いで伝達する「水駅伝」も存在した。こちらは北島康介などが伝統を継いでいる水泳のリレー競技として続いているが、いかんせん選手が伝達事項を忘れ「何もいえねぇ…」となってしまうことが多く、平安時代末期に平清盛の建議で廃止された(東大寺文書『平相国水駅廃止之議』による)。

戦国時代[編集]

上記の律令制で決められた三代駅伝は衰微したが、箱根駅伝は伊勢宗瑞(北条早雲)が関東進出の過程で重視し、復活させたために存続した。早雲が神奈川で忍者の頭領・風魔小太郎らを訓練して、箱根権現別当が兼務していた「神奈川駅伝別当職」を朝廷から認定されたのは有名な話である(前掲『駅伝雑考』民明書房より)。 神奈川大学、東海大学は風魔小太郎を創始者としており、「神奈川駅伝別当職」が江戸時代の小田原藩に引き継がれて存続したものを起こりとしているのは有名な話であるから今更述べるまでもあるまい。なお、これに対抗した甲州の戦国大名・武田晴信が、配下の「山梨衆」を山本勘助に命じて駅伝部隊として育成したのが、山梨学院大学の起こりである。しかし、武田家は例年負け続けたため、業を煮やした武田晴信は、なんと天正年間には(一時的に)同盟していた織田家から黒人ランナーの弥助を借り受けて二区に投入している。これが今も続く山梨学院大の黒人助っ人の始まりである。(黄算哲『忍法・箱根駅伝』太公望書林) 日本での駅伝は、上記のように複数の忍者が機密書類やアレやコレなどを受け渡す行為として発達した。 また、ただ走るだけでなく、怪しまれず(もしくは強引に)関所を突破するなどのイベントも容易されていた。 特に箱根の山越えについては重要な任務とされており、風魔小太郎の一族である今井家・柏原家が山登りのスペシャリストとして、特別な待遇を受けていた。 忍者は襷に密書を忍ばせることが多く、襷が敵の手に渡るなどして途切れた場合、自分だけでなくグループ全体に危機が迫ることから、何が何でも襷を次の忍者に受け渡す必要があった。タスキが切れた場合、不覚を取ったとして切腹が命じられた。これは現代の駅伝にも引き継がれており、タスキが切れることを必要以上に選手が恐れるのはそのせいである。

江戸時代[編集]

エクストリームスポーツとして洗練され、競技区間が現在のようになったのは、江戸時代初期である。 政治の中心地となった江戸と、風光明媚かつ安全保障の要衝となった箱根の間を結ぶ現在の区間が制定された。現在の箱根駅伝のスタート地点が大手町なのは、1590年の江戸開府と同時に、徳川家康が南光坊天海の建議を受けて、従来の起点だった武蔵国府から、「江戸城の正門である大手門より開始させよ」と命じたからである。  風魔一族の末裔である東海・神奈川の両隊は存続を許されたが、家康は子飼いの家臣にも駅伝を習得させた。早稲田に領地を賜った槍半蔵こと渡辺半蔵盛綱率いる早稲田隊と、天海が駅伝界の名門・越前永平寺の僧兵集団を武蔵駒沢に於いて育成した駒沢隊が特に有名である。幕末には蘭方医の南方仁斎が開設した仁友堂(現在の順天堂)の医生隊も加わり、現在の早稲田・駒沢・順天堂等の隊がここに成立した。 江戸城大手門から将軍様が眠る芝増上寺の前で参拝して敬意を表してから、東海道を下るのがしきたりであった。 平和になったため、飛脚が参加するケースが増えたのもこの時期である。律令で決められた中継が特定の大学寮を贔屓しないこと、声の良い白拍子をして選手の接待に当たらしめることの二大原則は順守された。ただし、白拍子は既にいなかったので、小町娘の中から声の良い美少女、まれに大名家の姫などをして駅伝の選手を接待することとなった。奥州三春五万石田村藩のゆかり姫、のち柏原家に嫁いだ花沢不動産の娘が特に有名である。 4年に一度、江戸から京都までの区間を走り切る東海道五十三次エクストリーム駅伝が開催されていた。

明治以降[編集]

明治時代、飛脚が廃れると共に中止されたが、日本にオリンピックを紹介したスポーツ報知(現在は読売新聞の傘下)を宣伝するため、1920年に再開されるに至った。キャッチコピーは「箱根から世界へ」。第二次世界大戦中に一度中止されたが、戦後復活している。

現在[編集]

平成になってスポーツ報知の関連会社である日テレがテレビ中継を始めたところ、驚異的な視聴率をたたき出す。その結果、オリンピックを目標とする高校生ランナーが関東の大学に集まるようになった。中でも、山梨では自分の大学の宣伝のために黒人奴隷を利用することとなった。後発の全日本大学駅伝においても関東の大学が上位を独占するようになった。他局は強力な番組を投入しづらい状況にあり、再放送等の捨て番組・子供番組アニメ等)にせざるをえない状況になってしまった。一例としてフジテレビは近年当番組の放送時間帯は自社で放送した『家族のうた』の再放送で穴埋めし新春特別番組同士での対決を避けているほか、テレビ朝日は正月三が日の放送は1989年を以って、『モーニングショー』の正月三が日の放送は1992年を以って、『スーパーモーニング』の1月2日・1月3日にいずれかに放送される新春スペシャルは2010年を以ってそれぞれ取りやめ、『相棒』を放送している。『モヤモヤさまぁ〜ず2』(テレビ東京)は同番組が当初箱根駅伝と同時間帯の「死に枠」を埋めるための番組として制作されたことが後に明言されている。これらの事実はウィキペディアに書かれていたが、削除厨に削除された。

他のスポーツ同様、ナイキ東洋大学)とアディダス早稲田大学)との代理戦争が勃発されている。

問題点[編集]

  • 駅伝参加選手が駅伝のみに専念する結果、本業が疎かになるという問題。しかし、黒人傭兵は現地のエリートであり、一般人以上に本業もこなしているという意見がある。
  • 大規模な交通規制が行われるため、渋滞が発生する。
  • 駅伝と言う割には駅が全く関わっていないので駅伝という名称を変更すべきかの論議が日々繰り広げられている。
  • 全国ネットで中継される割には関東のローカル大会なのだが、この駅伝を全国大会と思っている人が後を絶たない。
  • 箱根駅伝を目標とする高校生が増えすぎ、有力選手の東京一極集中が加速している。
  • 選手と一緒のペースで沿道を走るバカが多発し、歩道までふさがる。数十km走って疲れている選手より少し早く走ったからって、周りに「...(選手)より早く走った」と自慢する。最悪の場合、カメラに向かってポーズを決め、視聴者を怒らせる。

ネ申解説[編集]

毎年、解説者として瀬古利彦(ネ申)が招かれ、アンサイクロペディア的に非常に楽しいネタを提供して下さっている。ネ申様は、早稲田OBであられるため、早稲田贔屓が目立ちます。ネ申様が提供して下さったネタをご紹介させて頂きます。

  • 「(早稲田の)大迫君!!区間新確実の走りですねー♪」→後半伸びず、区間新記録ならず。
  • 「(早稲田の)矢澤君!!もう東洋を捉えましたねー♪」→後半引き離される。
  • 「(東洋の)田口君、うーん…あのジャンプ走法だと後半伸びません!!!」→区間賞を獲得。
  • 「今日は(東洋の)柏原君、本当に苦しそうですねー、今日は暑いですから(笑)…いやー柏原くんらしくないですねー♪」→「暑い」と発言した直後に雪が舞い始め、区間新記録を樹立。
  • 「(東洋の)市川君、平地になって止まりましたねー、前じゃなくて上に飛んでますよ♪」→区間賞を獲得。
  • 「(東洋の)大津君、いやー足太いから登り問題ないですね。区間新記録間違いなし!!!」→僅かに区間新記録に届かず。

関連項目[編集]

Syazaai.jpg この項目「東京箱根間往復大学駅伝競走」はエクストリームスポーツに関連する書きかけ項目である。この項目へ加筆すれば、君もエクストリームスポーツへの出場が優遇されるのである。ただし、出場しても命の保障がないから気をつけろ! (Portal:スタブ)