東京オリンピック (1964年)

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東京オリンピック(とうきょうおりんぴっく)とは、1964年10月10日、東京に上陸して猛威を奮った巨大生物の個体名である。

渡辺さん
渡辺「あれれぇ~、ここでは1964年に開催された東京オリンピックを紹介しているよぉ~?
2020年に開催される東京オリンピックについては……」
佐藤「はい……これ、東京オリンピック (2020年)……」
渡辺「あれれぇ? どうして佐藤さんが東京オリンピック (2020年)のページを知ってるのぉ〜? でもありがとぉ〜!」
佐藤「……(かわいい///)」
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概要[編集]

東京オリンピックから逃げまどう都民の群れ

1960年前後、その存在がIOCによって確認され、その生態から東京への上陸の可能性が危惧されていた。しかし、当時の日本は西欧諸国に比べ巨大生物との遭遇が少なかったことからその認識は甘く、具体的な対策が何一つとられないまま、上陸を許す事になってしまう。この事が、被害を更に拡大することになってしまった。

被害は分かっているだけでも、建築物及び道路・港湾空港設備など約164億円、防衛軍費94億円、人的被害など医療費に23億円と莫大な金額に達し、イザナギ景気まで日本経済を低迷させる原因にもなった。

戦闘記録[編集]

当時はまだ警察予備隊から保安隊を経て自衛隊に脱皮したばかりだった防衛軍は装備も貧弱であり、また巨大生物との戦闘に関しては米軍から供与された僅かな資料に頼るしかなくノウハウといえるものは皆無だった。更に、上層部にはまだ戦中戦前の意識や価値観が色濃く残っており、撤退や側面攻撃を認めようとしない精神論や人命軽視の命令が多かったことから、無用な被害を増やすことになった。

海上自衛隊[編集]

政府が上陸の可能性を軽視していたことに加え、東京近郊の艦艇のほとんどが釣り船を転覆させることに忙しかった為、東京オリンピックの上陸の際には全くの無力だった。このため、上陸後は完全に出番と見せ場を失い、海上への撤退後の追撃も完全に不発に終わり、咬ませ犬以下の存在と成り果てた。

陸上自衛隊[編集]

その巨体故に都内では身動きのとれない61式戦車。あれ?

当時、自衛隊の車両の大半にETCが搭載されていなかったため高速のICで61式戦車を中心に大渋滞が発生。業を煮やした戦車兵が民間車両を踏みつぶしたり、逆に渋滞で身動きがとれないところを東京オリンピックに踏みつぶされるなど、醜態を晒すことになる。

その後、辛うじて布陣を整えたところで総攻撃にうつったものの、殺獣メーザーの配備が遅れていたこともあって目立った戦果はなく、結局砲弾の無駄遣いに終わった。

航空自衛隊[編集]

羽田空港の貸し切り予約が遅れたことで効果的な補給を受ける事ができず、戦闘機の大量運用ができなかったことから、本来の力を発揮できないまま、散発的な攻撃を繰り返すだけに終わった。

しかし大規模な航空ショーを見られたことで都民には大変好評だったらしい。

米軍[編集]

巨大生物との戦闘が、安保条約の内容に抵触するかしないかに揉めに揉めたが、結局日本国内の感情を刺激しないためと、どうせ恩を売るなら本当に危なくなってからの方が高く売れるという見通しから、当面は観覧傍観の立場に徹する事になった。

一方で、いい機会なので自衛隊の実戦能力を量ろうとする動きもあったが、そのあまりの体たらくぶりに、ろくな情報を得る事はできず、1984年のロサンゼルスオリンピック迎撃戦の際には何の参考にもならなかった。

侵攻から撤退まで[編集]

9月24日[編集]

今にも上陸しようとする東京オリンピック

台風20号が日本を縦断、鹿児島南方の小島が台風のものとは思えない不可解な災害に見舞われるが当時はその他の台風被害の中に紛れてしまい調査は行われず、後に、東京オリンピックが上陸したことが明らかになる。

10月10日[編集]

東京湾を航行中の貨物船が海中の巨大生物を発見、この一報が最初の確認となるものの、貨物船はその攻撃を受けまもなく沈没。何の抵抗もなく上陸を果たした東京オリンピックは、江戸川区から葛飾区を経て足立区、最終的には新宿霞ヶ丘まで侵攻、周辺一帯を火の海にかえた。この日、自衛隊など政府機関は、野次馬の整理や自分だけさっさと都外に逃げるなど雑務に忙殺され、効果的な迎撃はできないままに終わる。

10月11日[編集]

翌11日、ようやく陸上自衛隊主力が到着と共に編成が完了。前日までに建設物の多くが破壊焼失していたことが幸いし、遮蔽物のない状況下での包囲網からの総攻撃を開始する。航空自衛隊の支援の元、全面攻撃にでるが目に見える戦果は得られず。

10月12日[編集]

生物学者及び動物保護団体が、東京オリンピックへの攻撃中止を求めて座り込み。その直後、踏みつぶされる。自業自得。

10月13日[編集]

曇り時々雨、攻撃は失敗。

10月14日[編集]

確か晴れ

10月15日[編集]

えーと…

10月23日[編集]

前日までの戦闘で、自衛隊主力の一角が崩れ、急遽、前年度に設立されたばかりの自衛隊婦人科中隊が前線に投入される。この部隊は男女同権運動団体への皮肉に圧される形で設立されたもので儀仗兵としての性格が強く装備は貧弱だったが、名将大松博文に率いられた部隊の練度士気共に高く、機動力を最大限に活かした一撃離脱戦法と一点集中砲火で東京オリンピックを一時足止めするなど少なからずダメージを与えた。部隊規模から考えると、本作戦における最大の戦果であり、後に婦人科中隊は「東洋の魔女」と呼ばれることになる。新たに設立された特生自衛隊が男女混合編成になったことも、この際の婦人科中隊の活躍によるものが大きい。

10月24日[編集]

同月24日、不意に東京オリンピックが進路を反転、東京湾へ向かうルートをとった。この予想外の動きに自衛隊は追撃にでることができず、上陸時同様、無抵抗で東京湾に到達する。たまたま輸送艦の護衛中だった自衛護衛艦及び巡視船が追跡するものの、まもなく東京オリンピックは海中に潜伏し追跡を逃れた。

10月28日[編集]

IOCが正式に東京オリンピックの追跡をロストしたことを公表。ここに東京オリンピックは幕を閉じる。

復興[編集]

戦後僅か20年足らずで東京は再び焦土と化した。

ようやく戦後の痛手がいえつつあった日本にとって、全てが水泡に帰すこの大災害は降って湧いた嫌がらせ以外のないにものでもなく、東京の約6割が焦土と化しその都市機能は完全に失われた。このため、一時は大阪への首都移転論も持ち上がったが、ここで前年度、大蔵省に配備済みだったコンピューター付ブルドーザーが威力を発揮。朝鮮戦争特需以上のスピードで復興がすすめられる。これにいざなぎ景気が加わった事で、更に復興は加速、一度更地にされたことに加え、地権者の大半が死亡あるいは行方不明だった事から用地買収もスムーズにすすみ、5年後には東京はかつて以上の繁栄を取り戻す事になる。

次なる脅威[編集]

2006年、IOCは新たな東京オリンピックの存在を確認、2016年に再度の東京への上陸の可能性が高いことを公表した。これに対して、石原帝都防衛軍総指令は、大西洋を横断中だったハザ・マカン・ペイの巧みに誘導、英仏海峡で東京オリンピックにぶつけるという大胆な作戦にうってでる。この戦闘は両者傷み分けに終わり、東京オリンピックを倒すまでには至らなかったものの、その進路は大きく変わり(反対側のリオデジャネイロに進路変更)、東京上陸は未然に防がれた。だがしかし、2020年に再度上陸することになってしまい、人々は大騒ぎである。

関連項目[編集]


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