村上龍

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村上 龍(むらかみ りゅう、1952年2月19日 -)とは、日本の経済評論家である。小説という形で経済論を発表している。趣味はB級映画の制作。
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来歴[編集]

自慢のカンブリア宮殿で佇む村上龍

長崎県佐世保市に生まれる。高校時代にアメリカの原子力空母エンタープライズが佐世保港に入港し、全学連の入港阻止運動を目撃する。その姿に感動した彼はそれを真似て(正確には好きな子からバリケードする男の子に憧れがあると言われたことが頭の中で誇大化したため)3年の夏に学校をバリケード封鎖し、おまけに後輩に校長室の机でうんこさせるという暴挙に出た。結果、無期限謹慎処分となった。

謹慎は3ヶ月で終わり、高校を卒業してしばらく後に上京する。上京直後は美学校に通うが半年でやめる。その後、福生市おサケおクスリおセックスにドハマりし体をずったずたのぼっろぼろにする。この時に村上はこの無謀すぎる行為によって一体どのくらいの経済損失が出るのかをぼんやりと考えた。しかし改心してまともな大学に入った後も髪をボーボーに伸ばし、ちょっと気になる子を誘って一晩寝たならまだしも、彼女でもない女性と10時間ぶっ通しでセックスし続ける生活を数ヶ月間繰り返すなど色んな意味で豪快な学生時代を送った。

1976年、大学在学中に暇つぶしでチラシの裏に書いた小説風経済意見書「限りなく透明に近いブルー」をガチガチの文学賞・群像新人文学賞に勘違いで送り、見事受賞。あげくに芥川賞も取ってしまい、小説としての美しさのほうを評価されてしまった。後々の経済論より文学性の高さを常に評価される事態に繋がってしまう。

評論が小説的な面で好評だったことを受け、1980年に「コインロッカーベイビーズ」、1987年に「69 sixtynine」や「愛と幻想のファシズム」を発表。いずれの評論も評価は高かったが、やはり経済論よりも小説の面白さが前面に出されていた。

1990年代の作品も経済評論としては芳しくなかったが、1999年に金融や経済を議論するメールマガジン「JMM」を主催し、そして絵本風の経済書籍「あの金で何が買えたか」を発表。バブル経済を痛烈に批判しかつ絵本というまた新たな経済論の発表の仕方を世に示したことで、ついに村上は経済評論家としてその頭角を現すことになる。

そして2006年、村上はテレビ東京系列の経済番組「カンブリア宮殿」のメインインタビュアーを務めることになった。放送初期にワタミ渡辺美樹会長と壮絶なバトルを繰り広げたことはあまりにも有名。村上のセンスの良いインタビューが利いて、カンブリア宮殿は長寿番組になる。

2010年に電子書籍の制作、販売をする会社を設立。経済について議論をする傍ら、新しい事業を積極的に開拓している。

経済に関する主張[編集]

  • 日本の若者には欲望が少な過ぎるという。もし欲望を持てば、経済論文を手違いで文学賞に送っても賞が取れてしまうと主張している。結果としてそれを他の分野に昇華出来るとしている。
  • サッカー大好き人間である村上はスポーツ界と経済界の関係にも着目し、いっそスポーツはビジネスと切り離してしまったほうが景気浮揚に繋がると述べている。
  • 一週間24時間社長の利益のために休み無く働くことが出来るならばもう無理とは言えないというワタミ会長の台詞に、村上の意識は宇宙へ飛んでしまい「それこそ僕には無理だなぁ」としか口に出来なかった。

書籍[編集]

~1990年[編集]

限りなく透明に近いブルー
村上にとって始めての経済論。薬物や飲酒による若者の肉体及び精神破壊で一体経済にどれ程の損失が発生するかを考察した。この作品で小説で経済の見解を述べるという画期的手法を生み出した。
芥川賞選考会ではこの作品に受賞させるかどうかで意見が真っ二つに割れ、江藤淳柴田錬三郎が「芥川賞で経済論が受賞することは前代未聞であり、だいたい透明なら青色がかっている訳がなく題名が日本語になっていない」とあまり内容に関係のない反論を述べるほど紛糾したという。因みに本当なら「クリトリスにバターを」というちゃんと日本語として成立している題名になる予定だったが、勿論経済書籍としては手に取りづらいタイトルだったため改名となった。
コインロッカーベイビーズ
希望せずに産んでしまった子どもを遺棄することがどれ程危険かを書いた本。コインロッカーに捨てられた二人の男児が破壊衝動に襲われ、最後には毒ガスを街中に散布し、みんなラリってしまうという結末になった。もしみんなラリったら経済損失は計り知れないと訴えている。
69 sixty nine
村上の高校時代を振り返った本。経済評論家になるとは夢にも思わなかった日々のことを綴っている。しかし、若者がバリケード封鎖して学校中に落書きかつ校長室の机でうんこするほどのやる気を持たなければ、若者はまともに活躍してくれないことを暗に示している。
愛と幻想のファシズム
新世紀エヴァンゲリオン碇シンジのクラスメイト、鈴原トウジと相田ケンスケがアラスカの酒場で感動の再開を果たし、新たなる使徒との闘いに身を投じていく村上龍と庵野秀明のコラボ作品ではない。だいたい時代的にエヴァより先に完成している。
村上が提案したファシズムによる日本経済浮揚論である。今こそファシズムが日本に必要であり、一人の強力な指導者の出現が必要不可欠だと説いている。その姿を主人公の鈴原トウジに託した。トウジや狩猟社が巧みな戦術で日本をリードし、最終的には核兵器を手に入れ、かつアメリカを牽制してしまうその展開は閉塞した日本に希望をもたらした。
すべての男は消耗品であるシリーズ
他の作品が経済界にプランを提供しているのに対し、こちらは分析に特化した村上の代表的エッセイシリーズ。雑誌に掲載されており、連載当初は男と女の関係から経済の動きを分析していたが、徐々に政治や文化全体にもその対象が広がることになる。題名は初期の「男が消耗品の様に働くから経済は回るのだ」という分析結果の名残りである。

1991年~[編集]

ラブ&ポップ
少女買春の問題を取り上げた社会啓発本。最初は意気揚々としていた女子高生も買春によってどのように心が傷付いてしまうかを克明に書いている。村上は本作を執筆する際、参考にと売春をしている女子高生にお金を与えてどんな物を買うか調べた。その時に周りの本当に少女を買っているおじさんたちから同類とみられたという。村上は確かに経済論に「ちんこちんこ」という不要な言葉を頻繁に載せているが、彼は決して少女を買うような人間ではない。というか学生時代にやり過ぎた。
昭和歌謡大全集
経済の復興には昭和の名曲を歌うことが一番だと主張している評論。昭和の歌謡に耳を澄ませばガキがトカレフでおばさんを殺し、おばさんがRPGでガキを吹っ飛ばすことができ、ついには気化爆弾で街をまるごと破壊することも夢じゃないとしている。村上はこのやる気を別の方向に向けるべきと主張している。
登場人物はガキとおばさんである。特にガキ代表のイシハラは、笑いで敵の戦意を喪失させるという特殊能力がある。それに行動力も旺盛で、4人のおばさんを殺すために原爆を使うという素晴らしいプランを思い付き、かつ本当にそれに匹敵する爆弾を作り、落とすという快挙を成し遂げた。
希望の国のエクソダス
全国の中学生が学校を一斉に不登校を決め、独自の教育システムを構築し、最終的に北海道に半独立国を作り上げるという衝撃的な経済論である。村上は若者の欲望こそが経済回復の鍵になると再三主張してきたが、その若者の範囲を中学生にまで広げてしまったもの。十代後半の人間を見限った形になる。村上は本作で理想的な国家を考えたが、あまりにも突飛過ぎて実践した中学生はいなかったようである。
半島を出よ
東京一極集中化による地方衰退を受け、地方の活性化には地方の日本からの独立しかないと訴えた書籍。これまでにも北海道に半独立国を作るプランを提示してきたが、今回の独立候補地は福岡。
経済的困窮に陥った日本という設定で福岡共和国の建設を目指すのはなんと北朝鮮の特殊部隊である。これは今の日本人ではまともに自分の主張を聞いてくれないため、いっそ当時の総書記の金正日に頼もうという算段である。当然誰も聞いてくれなかったが。
なんとこの話では昭和歌謡大全集のアイドル・イシハラが再登場する。イシハラは精神崩壊した子供たちの更生を目的にイベントサークル・イシハラ軍団を結成し、北朝鮮軍が占領、拠点としたホテルを爆弾で兵士もろとも破壊するというイシハラらしい演出の歓迎会を執り行った。
13歳のハローワーク
経済論者としての村上の最高峰といえる経済書籍。かつて「まんこまんこ」と書いていた過去の自分と完全に決別し、題名の通りに13歳の少年少女を対象とした職業百科となっている。村上が分野別に職業を紹介していき、その中で自分が「生きる目的」になる職業を探しなさいと述べている。「戦争が好き」や「ナイフが好き」という子どものためにも特別な欄を用意し、彼ら向きの仕事を紹介している。なお「エッチなことが好き」の項目には職業が一つも書かれていない。さすがに中学校に置く本に「少女買春」や「AV女優」の語を載せることは出来なかったようだ。知りたければ「トパーズ」や「ラブ&ポップ」を読みなさいということだろう。
55歳からのハローライフ
「13歳のハローワーク」の続編。前作と異なり55歳以上をターゲットにしたもので、老後の過ごし方百科になっている。小説風の村上の原点に立ち返った構成になっている。最後の最後で主人公が自殺しかけるなど余生指南書としてはなかなかきつい内容になっているが、「人生は何が起こるか分からない、それは経済も同じ」ということを述べているのである。

関連項目[編集]