村上義清

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半保護

この村上義清のぺーじは、たけだしんじゃによるかいざん、ページのはくしかをふせぐために、
すうじのなまえのこいちねんせいのこは へんこうできないことに なってます。

ちゃんとなまえがついて おおきくなったら へんこうできるようになるよ。

どうして こうなっちゃったかは、のーとここをみれば わかるかもしれないよ。

「こわいよー」
村上義清 について、武田家一同
「め…めめめめ面倒だから、みみみみのがしてやろう」
村上義清 について、呂布


村上義清を前に狼狽する武田信玄。かっこわるいです。

村上義清(むらかみ よしきよ)は長野県の英雄。必殺技「エクストリーム・バンザイ突撃」を駆使して日本のスターリンこと極悪人の武田信玄を3回もボコボコにし、生涯忘れ去る事のできない恐怖心を植えつけた。長野県民からは今なお信州の守護神と崇められている。真田幸村? そんな武田の飼い犬なんか足元にも及ばない。大半が武田信者である山梨県民にとっては忌避される存在であり、義清の名前を口にしただけで彼らは発狂してしまう。

上杉謙信は、信玄の好敵手(ライバルと呼ばれる。だが義清は信玄のライバルとは呼ばれない。何故なら謙信はせいぜい信玄と同じ程度の強さであったが、義清の強さは遥かに信玄を凌ぐため、一方的に信玄がボコられてしまうからだ(事実合戦で2回も惨敗している)。彼は信玄のライバルにあらず、天敵であり、越後の龍、甲斐の虎など及びもしない、「信州の神」と呼ぶに相応しい存在であった。熱心なファンからは村神義清の敬称で呼ばれている。真田幸村?義清にボロ負けして放浪生活送ってた奴の孫なんか義清の足元にも及ばない。

武田信者達は義清を親の敵の如く憎んでおり、その存在そのものを抹消するべく、義清に関する資料や文献を抹消しようと躍起になっている。彼らの妨害工作のせいで義清は過小評価どころか評価すらされてもらえず、映像作品やゲームにおいてもあまり活躍させてもらえなかったり、出番すらなかったりする。

生涯

村上氏は清和源氏の流れを汲み、鎌倉時代から信州村上郡を統治してきた名門である。村上顕国の子として生まれ、20代で病没した父に代わり当主となる。義清は子供の頃は牧場で牛の乳を搾りながら質素で牧歌的生活を嗜む穏やかな人物だった。親父を追放したどっかの野蛮人とはわけが違う。しかし北の高梨政頼や、村上領を引っ掻き回す小悪党海野棟綱らと戦うべく戦陣に身を投じると一転し、鬼神の如く奮戦し、金剛夜叉明王の化身と恐れられた。海野を懲らしめるべく義清は武田信虎諏訪頼重と結び、これを海野平の戦いで破る。

武田信虎も諏訪頼重も、村上義清の勇猛さは熟知しており、村上との間に余計な波風を立てまいとしていた。しかし信虎を追放して当主となった武田晴信は、諏訪を滅ぼしてその姫を無理矢理レイプして子を生ませて増長し、笠原清繁の篭る志賀城では城兵を虐殺した上で捕虜の女子供を人身売買するなど鬼畜の限りを尽くし、北信濃の田舎大名なんざ糞喰らえと義清にも喧嘩を売りつけてくる。

ある日ヒマをもてあまして千曲川で釣りをしていた義清のところに突然千曲川の主であるカッパが現れ、財津一郎風のノリで「ヨシちゃん、キミしかいなぁ~い。信濃国を救ってチョ~ダイ」というどこぞの国聖少女のパクリみたいなご神託を義清に授ける。そしてカッパを師とした義清は長年にわたる凄絶な修行の末に必殺技「エクストリーム・バンザイ突撃」の奥義に達し免許皆伝。カッパから「スペッシャルに、がんばってね♪」というこれまた財津一郎風の生暖かい励ましのお言葉をもらってすっかりノセられた彼は1548年の上田原の合戦においてこれを初めて遣い、晴信を完膚なきまでに打ち破る。晴信は板垣信方甘利虎泰ら譜代の家臣を多く失った挙句本陣まで肉迫される。この時晴信は腰を抜かして失禁してしまい手を頭の後ろから回して反対側の耳をつまんで「非ッ常にキビシ~ッ!」とわめきながら覚束ない足取りで鼠のように逃げ惑い、弟の武田信廉が影武者を務めて村上軍を押し返したことで何とか命拾いした。武田かっこわるい。この醜態が信濃中に伝わるに至って各地で晴信に面従していた小領主達が謀反を起こし、武田家は信濃において劣勢を強いられることとなる。義清は信濃の豪族達を糾合し、共に武田に立ち向かう事を誓う。カッコいいぞ、武田とは大違いだ! 尚、武田信者達はこの戦は晴信が驕って油断していたから負けただけだ、村上方も多くの武将が戦死したから引き分けだと見苦しい言い訳をしており、また晴信が小便垂らして遁走したことは必死で隠匿しようとしているが、どう見ても惨敗です。武田かっこわるい。この一戦で武田晴信、ひいては武田家全体が村上義清に対してトラウマを抱く事になる。

晴信はかつて義清に敗れた海野棟綱の一族であった真田幸隆を召抱える。義清の精強さをその身に震撼し、正攻法では敗れないことを早くに悟っていた彼は晴信に「村上を破るには謀しかない」と提言、晴信は謀による切り崩しと言う卑怯な手段で村上攻略の手立てを講じてゆく。

1550年、高梨政頼と戦っていた隙に乗じて晴信は村上方の砥石城に侵攻するが、これは義清の武田を誘い出すフェイクであった。この頃、すでに村上と高梨は武田を共通の敵と看做し手を結んでいた。それも見抜けなかった辺り、晴信の器量が知れてしまうのだが、武田信者達が村上と高梨はまだ敵対関係にあり、この時義清が必死こいて和睦したと捏造し、なかったことにした。すぐさま義清は反転し砥石城へ引き返す。義清に恐怖心を抱いている晴信は義清が来ると知るや腰を抜かして慌てふためきすぐさま手を頭の後ろから回して反対側の耳をつまんで「非ッ常にキビシ~ッ!」とわめきながら退却を命ずる。いきなりの撤退命令に武田軍がうろたえている所へ義清が急襲。またしても武田軍は完膚なきまでに叩きのめされる。武田かっこわるい。晴信は上田原の時と同様死に物狂いで真っ先に遁走し、主将がいなくなった武田軍は統率を失い総崩れとなり、横田高松ら多くの有力家臣を失う。武田かっこわるい。武田信者達もこの砥石崩れに関しては言い訳のしようが無く、反論出来ない悔しさから発狂してしまい、砥石崩れ自体実在しない架空の戦だったんだよ! と妄言を吐く始末。武田信者かっこわるい。

晴信は義清に対する恐怖心のあまり、一度は北信濃攻略を諦めたほどだったが、真田幸隆らを使っての村上家臣の切り崩しというセコイ手段で村上を追い詰めてゆく。武田かっこわるい。要所、砥石城も真田幸隆の弟、矢沢頼綱の内応によって奪われ、その後も武田に内応するものが相次ぎ、義清は窮地に立たされる。だがこの間にも義清は、一度は手放した居城葛尾城を奪還するなど、隙あれば反撃に転じ武田相手に勝利を収めている。しかし武田信者はこの間の仔細な情報をもみ消し、信玄の天才的な頭脳で阿呆の義清は一気に追い詰められたのです、と粉飾している。武田信者かっこわるい。

奮戦するも、晴信のセコイ調略によって追い詰められた義清は、高梨政頼ら他の信州の領主達と共に長尾景虎(上杉謙信)を頼って越後へ落ち延びる。馬鹿な武田信者達は、信玄は優しいから義清を見逃してあげたなどとんだ勘違いをしているが、実際は信玄は義清が怖くて追い詰めながらも手が出せなかったのである。越後へ落ち延びてゆく義清を、刺激しないように遠望しているばかりであった。武田かっこわるい。

景虎は必ず義清達の旧領を奪還すると宣言したが、旧領奪還は結局無理でした。謙信かっこわるい。しかし寛大な義清は全く気にしなかった。義清を信濃から放逐して安心した晴信は呑気にも剃髪して信玄と名乗る。もう義清と戦うことは無いだろう、信玄は安堵していたが、義清は謙信の客将となり、川中島の戦いで武田にリベンジを挑む事になる。

1561年の川中島の戦いでは、義清は謙信の配下として従軍。柿崎景家斎藤朝信らの後詰めとして武田軍に突撃し、大打撃を与える。戦も酣となった頃、霧の中から現れる群立する丸に上文字の旗を見て、信玄は度肝を抜かす。紛れも無く村上義清、上田原や砥石崩れの悪夢が脳裏に蘇った信玄はパニック状態となり、力強く手を頭の後ろから回して反対側の耳をつまんで「非ッ常にキビシ~ッ!」とわめきながら本陣を捨てて遁走、武田軍の兵士達も義清が現れたと知るや恐慌に陥り、あわや総崩れとなった。ちなみにこの時、まだ若く義清の恐怖を体感していなかった信玄嫡男武田義信のみが勇戦したが、信玄は戦後無謀な突撃をしたと義信を叱責したという。親父かっこわるい。この激戦で信玄の身代わりとなって弟の武田信繁が討死し、足が不自由なため置いてきぼりを食らった軍師山本勘助も戦死する。義清は信玄の本陣まで迫るが、信玄とのサシに拘る上杉政虎(謙信)が信玄は俺の獲物だ手を出すなと横槍を入れ、義清に退却するよう命じたため、止む終えず義清は引き揚げる。義清が引き揚げたと知るや信玄は先ほどまでの狼狽ぶりが嘘のように強気になり、武田軍は攻勢に転じる。ちなみにこの時の義清の奮戦は、武田信者にとっても、上杉信者にとっても都合の悪いものであり(義清が活躍しすぎることで、謙信の見せ場がなくなってしまう)、双方の信者が必死になってもみ消した事で、これまたなかったことにされている。また、これから3年後の第5回川中島の戦いにも参戦しており、信玄は義清が敵陣にいると知るや怯え上がって即座に兵を退いてしまい、合戦が行われることは無かった。尚武田信者はこの信玄の撤退を「戦術的撤退」と粉飾している。武田かっこわるい。

以降、信玄は義清を恐れるあまり越後へ侵攻することを断念してしまった。武田かっこわるい。最晩年、信玄がなかなか上洛に踏切らなかったのも、上杉家臣となった義清が自分の留守中に怒涛の勢いで攻めてくるのではないかと恐れを抱いたためである。義清は1573年に73歳で没し、その約半年後に信玄も没するが、一部の武田信者は、義清の怨念が信玄を呪い殺したなどと喚いている。信玄じゃあるまいし、義清がそのような陰湿なことをするわけが無い。武田信者必死すぎます(><)

武田信者による工作

武田信者は、義清が信玄を遥かに上回る器量の名将であることを悟られないように、様々なネガティブキャンペーンや工作を行っている。信長の野望やたら智謀が低く設定されていたり、小説や映像作品で力だけの馬鹿として描かれる事が多かったり、さも蛮勇のようなイメージが植えつけられているのも武田信者による工作の一環である。武田厨は織田厨、上杉厨、伊達厨、島津厨と合わせて「五厨」と呼ばれるほど戦国オタの中では達の悪い存在であり、その規模も大きく、KKKのように数百人、数千人単位で工作活動を行っている。特に武田信者の総本山と悪名高い山梨県では、村上義清の名前を口にしただけで重罪に問われる。山梨県内にもかつては村上姓の人々がいたが、皆村田とか川上とかへの改姓を強制させられ、従わない者は県外へ追放処分となった。また長野県にも武田信者の魔の手は伸びており、真田幸村がやたらと持ち上げられさも長野県の英雄のように騙られているのも、真田の元君主であった武田信者による工作によるところが大きい。ウィキペディアの義清の項では、主観的な記述が多いとの理由で削除された部分が多いが、勿論これも武田信者による工作である。だがいくら工作しても信玄が義清に二度も惨敗し、川中島でも散々に叩きのめされた、この事実は決して覆る事がない。

村上義清が登場する作品

  • 武田信玄 (1988年NHK大河ドラマ 演:上條恒彦)
    • シンガーを自称し毎回BGMに『誰かが風の中で』とかいう歌を自らギターを弾きかつ歌いながら登場する。史実通り上田原の合戦で信玄をボコボコにするが、発狂した武田信者から「義清を殺せ」と苦情の電話が殺到。流石に殺すのはまずいだろう…ということで、川中島の合戦で原虎胤との一騎打ちにより負傷、以降登場せずそのまま退場となった。
  • 武田信玄(1991・TBS 演:中尾彬
    • 何と西郷輝彦演じる真田幸隆に討ち取られている。信者から苦情が来るまでもなく、製作者自身が武田信者でした。
  • 風林火山 (NHK大河ドラマ)(2007・NHK 演:永島敏行
    • 魚の食べ方がキレイ。落ち延びるあたりはちゃんと描かれていたが、やっぱり印象に残っているのは魚の食べ方。ツンデレ

この記事の半保護について

この記事は半保護されているが、無論それは武田信者による改竄、ページの白紙化などを防ぐためである。

関連項目