不滅の李舜臣

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全ては衆道のために
歴女執筆資料
本頁は衆道の鑑賞と愛玩をこの上なく愛するアジア系歴女アン・ミコカにより執筆されました。
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衆道なき戦国武将、幕末志士、大日本帝国人物は即ち単なる去勢されたサムライであり、
衆道なき日本史にヤマトダマシイなど一切望めません。
また、衆道なき三国志人物は去勢された男性であるため、
衆道なき三国志に男子の本懐や男の魂など一切望めません。

不滅の李舜臣(ふめつのイ・スンシン)とは、朝鮮王朝の被差別兵士を率いて、日本の精鋭武将たちを倒した一種最強の戦国武将よ。両班たちからはよく思われてないみたいだけどね。

大航海時代の李舜臣

秀吉襲来まで[編集]

李舜臣は1545年、漢城乾川洞というところに生まれた。そこで、5歳年上の元均(ウォン・ギュン)から乾いた川で武術を学び、柳成龍(ユ・ソンヨン)という幼馴染みと共に文を学んで比較的遅い年で武科に合格した。つまり、両班の一員になったのよ。この両班というのは、武班(武官)と文班(文官)の2つをまとめた呼び方なんだけど、この2つの班は対等じゃなかった。「文班は政治という人を活かす生産的な仕事をしてるけど、武班は人を殺すだけ。敵が来なかったらそれもしない穀潰しDA・YO・NE☆」という一見まっとうな理由により、文班が武班の上に立つことになっていた。そんな事言っても敵に滅ぼされたら意味ないんだから武班だって大事じゃん?という意見は、今更言っても無意味なので、とりあえず上のことを念頭に置いた上でこれ以後の文章を読んでほしい。ちなみに本当は上の2つに加えて雑班(技術・職人を司る)というのもあったんだけど、これは武班に輪をかけて冷遇されてたんで省略。まあ「雑」なんて文字使われてる時点で察してほしい。

李舜臣ははじめ、北方で女真族と戦って戦果を挙げ、大いに出世したけど、文班はそれをあまり評価せず、それどころか儒学の教えを忘れて東西南北のに分かれて党争ばかりやっていたので、外国や奴婢との関係については「明国が何とかしてくれる|」と思って気にもかけていなかったの。

しかし、そんな折にも李舜臣は東方に目をやり、長い間家の中でごたごたやっていたサムライ達がサルを代表者にして再結集していることを確認したの。そのサルは「朝鮮国を通って明国を侵略しなイカ?」とか叫んでわけだけど、時の両班たちは「東夷の君主はサルになったようじゃな、野蛮じゃな、キー」とネタにしてふざけているだけだったの。「征服の手引きをしてくれなイカ?」とゲンメイした時も態度は変わらなかった。

しかし、李舜臣は李栗谷という学者と共に時の宣祖王に「国が危機に瀕しております。洞燭して下さい、殿下」と請願したの。すると、平和ボケを覚ます者を遠くへ追いやりたかったかどうかは知らないけれど、王はお偉方に昇進した柳成龍に命令して李舜臣を全羅道左水使、元均を慶尚道右水使に任命したの。しかし、王はあまりに無頓着だった。その頃の通信使たちのやり取りがこれよ。

黄允吉「日本はもうすぐ攻めてきます。あのサルには知略があります」

金誠一「日本は弱いです。あのサルはネズミに過ぎません」

ホ・ソン「日本兵は弱そうです。ですが、それは攻めてくるということです」

宣祖「つまり、日本は弱く、新国王はネズミで、兵士も弱いということか。安心だ、安心だ」


閑山島大捷[編集]

そんなことをしている内に、サルの軍隊が1592年釜山から上陸してきてチョンバルと北上していった。先発隊の加藤清正はあっという間に朝鮮の最北部まで攻め込んで、海に臨んだ王子を捕え、もう1人の先発・小西行長は首都・ソウルを落とし、平壌まで迫った。朝鮮の奴婢たちは「天下人になったサル」の下へと馳せ参じ、王宮を焼いて階級制度に復讐した。頼みの明軍も鉄砲なしでは勝てないわよねえ。そりゃ大砲はあるけどさ。。。

しかし、日本軍は釜山から全羅道への道はうまく開かなかった。それは晋州城金時敏(キム・シミン)という武将が市民を総動員して籠城してたのもあるけど、海戦で李舜臣などの水軍が大活躍した面の方がずっと大きかったのよ。脇坂安治という淡路の海賊が主な敵将だった訳だけど、この将軍率いる水軍を倒すために造りだされたのが必殺の亀甲船よ。

亀甲船はその名の通り亀のように全身を装甲した船なの。上部は一見普通に歩けそうだけど、実は特定場所以外を歩こうとすると下に生えてるでグサリと刺されちゃう怖い船だから気をつけてね。最近の研究によると、この亀甲船は日本の安宅船を参考にしたといわれているの。脇坂も安宅も淡路島でつながっているのは何かの因縁ね。

そんな船を動かす船員は戦士ならぬ賤民階級だったの。だから、鮑をもって海ではしゃぎまわるサルの軍隊に夢の鶴のように行きたがる者も多かったの。しかし、サルの軍隊は彼らの期待をウッキーと裏切ってしまったのでしょうね、結局脱走して日本に回る者は少なかったの。むしろ、どこかのサヤカちゃんのように朝鮮側に回って訓練を施す兵隊もいたというわ。

問題はあっても、なんとか水兵を動きまわした李舜臣は部隊にをつけ、元均と共に連戦連勝した。特にたまうゆらの海戦では藤堂高虎をして、李舜臣を新たな主君にしようと思わせるほど大捷(大勝利)した。

けど、最も有名なのは脇坂安治を大破した閑山島の大捷よ。この戦いはキョンなんとかという本土と巨済島の狭い海峡を抜けてきたばかりの日本船を「やれやれ」とばかりに閑かな山の島に隠しておいた船で包囲して、一勢砲火を浴びせた会心の戦いで、脇坂を除くほとんどの兵士を討滅した最大規模の勝利とされているの。正に全体的に劣勢だった朝鮮勢にとって異世界的な戦果だったのよ。

それから、李舜臣は当時を代表する戦国武将マニアで、どこの武将の名前を聞かれても即答できたともいわれている。でも、これは当時を生きた武将のことだから当然のことかもしれないわね。

両班に逮捕される[編集]

しかし、全体として朝鮮軍は明の助けを借りても劣勢に立たされた。そして、明軍主導の下で和平交渉が行われ、朝鮮南部が勝手にサルの日本国王へと譲られることになった訳だけど、サルはなぜか真っ赤になって激怒して国璽文書を破き捨てて一瞬で再生し、朝鮮を再攻撃することを宣言したの。

先鋒には加藤清正が向かった。しかし、小西行長は加藤の足を引っ張りたかったから、「朝鮮軍さん、どうか進路を教えますのでウチの加藤を討伐して下さいませ」とお願いしに来たの。李舜臣は「どうせ嘘に決まってるだろ、小西は前の戦いからそんな二枚舌戦術を駆使してきた」と言って相手にしなかったの。

しかし、その請願は事実に基づくものだった訳だから、さあ大変。朝鮮に軍勢が1597年再上陸したものだから、李舜臣は軍令違反で両班たちに逮捕されちゃったの。なんという小西。仲間内の問題を国際化して勝利に貢献するとは、なんという小西。

そして収監された李舜臣は王の前で「殺して下さい」と言って助命嘆願したの。すると、西人という両班の党派は「黙れ東人。俺たち西方の明を信じる愛国者、貴様ら東方のサルを信じる売国奴。よくも、賤民どもの地位を不相応にも上げてくれたな。今こそ報復してやるぞ、覚悟しろ!」と言って罵倒した。ここで東人派だった柳成龍の普段は柳のようなカオが龍のように成り、「殿下、なりません。将軍は新しい世子に光の海を与えてくれました。死罪にしてはなりません」と言って何とか収監程度で済ました訳だけどね。

朝鮮での脇坂の勇姿

そして海軍内の覇権は元均に渡った。元均は現金にも「閑山島の戦いはこそこそしていてカッコ悪かった。俺は正々堂々と正面から戦って勝ってやる」と息巻き、巨済島沿岸で日本船を追い回した。しかし、それは脇坂ら日本側の罠だった。結局のところ疲れてきたところを狙い撃ちされ、漆川梁という場所で元均は戦死した。閑山島も制圧した日本軍は「これぞ漆ジャパンだ!」とか叫んで朝鮮娘の鼻をオカズに宴会に耽っていた。脇坂もこれで本土より有名な戦国武将になったわけ。

復帰から死まで[編集]

元均の死に新世子は衝撃を受け、何度も嘆願してやっと李舜臣を釈放させたの。そんなことしてる間にも、サルの軍隊は侵攻を続け、海軍は南西端を回ろうとしていた。なので、李舜臣はこの史上珍しい事態に対して、潮が鳴るように引く珍しい島海峡で決戦することにしたの。

そして、13隻の朝鮮船は133隻の日本船を狭い場所で待ち受け、潮が満ち引きする好機を狙って転戦し、日本軍をめちゃくちゃにした。潮流を熟知した大捷だった訳。高虎は再度李舜臣を新たな主君にしようと試みたけど、部下に引きとめられて止めた。来島通総は将軍の前に引き出されて、「朝鮮の潮は伯方より苦しまなかった、いよっ!」と叫んで場を凍りつかせたため、斬られたの。来島の領地はいうまでもなく海峡の地だからね。

そうこうしている内に、サルの軍隊の総大将が「夢のまた夢」とか言って亡くなった。すると、日本軍も撤収を始めた訳だけど、日本軍側には島津義弘という武将が朝鮮人にも暴力を働く明軍に対して大戦果を挙げ、鬼島津という異名をとっていたの。海では部下の樺山久高を救援し、陸では泗川で明軍を魚のように釣り上げて倒していた。

その島津があの小西行長を護って近くにいると聞いた李舜臣将軍は「遂に日本軍の名将と決着をつける時が来た!」と心を燃えたぎらせたことでしょうね。しかし、ここで小西らの撤退口を抑えていた明軍の劉梃と交渉して、「朝鮮軍はうるさいから、明軍さん、護って下さいよ。あ、李舜臣とかいう将軍はうるさいから、大戦終わったら王さんに命じてポイさせてね」ということで話をつけ、撤収させた。この時点では日明間で和平が成立していたので(ただし日朝間ではまだ和平は成立してない)、明軍にとっては軍紀違反だった訳だけど、明軍は「やった、これで両班帝国主義の魔の手から逃れられる」と言って歓迎し、李舜臣将軍と行軍してきた明の陳璘は撤収しようとした。

これに怒った李舜臣将軍は「引いて処罰されるくらいなら前へ進んで死んだ方がましだ」と叫びながら、亡命せんばかりの勢いで島津義弘の水軍へ突進した。そして激戦の果て、島津軍に釣られて戦死した。最期の銃弾は島津側から飛んできたものなのか、それとも後方の両班官僚から飛んできたのかについては不明とされているのよ。

島津義弘の退き口は関ヶ原の方が知られてるようだけど、規模からみても戦功から見てもより大きいのは断然こちらよね。だって、関ヶ原の方はいかにも「いやいや戦いに繰り出されました」という感じしか受けないし。

教訓[編集]

この戦争は朝鮮史上、敗北として位置付けられてきた。最近は勝利とされているようだけど、第三国人の視点から見たら引き分けというのが実相に近いでしょうね。兵力という点から見たら、これが限度だったと言い切れるわ。

で、この李舜臣将軍のドラマが2004年つくられたわけ。原作はキム・フンの『孤将』。日本語訳をあの拉致被害者の蓮池薫が手掛けて話題になった小説よ。その時は保守派のオジサンたちも「何と美しい日本語か」とやっていたものだわ。

しかし、その後変な嫌韓感情が巻き起こって、保守派の空気は一変してしまった。そして、嫌韓派はこのドラマを反日禁書目録のトップリストに指定しているの。背景について説明したら、「蓮池は北朝鮮の工作員だ!」と叫ぶというから、交渉は絶対不可能といわれているわ。蓮池薫さんもまさか帰国先で保守派の孤将にされてしまうとはコショウのような咳が止まらないでしょうね。

だけど、韓流時代劇で一番見たいものは何かと聞かれたら、戦国武将を愛する多くの歴女集団はこの作品を真っ先に取り上げるでしょうね。だって、元均と李舜臣、柳成竜の三角関係が何と言っても(以下略)

関連項目[編集]