有名な妄想ならば削除されない

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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有名な妄想ならば削除されない(ゆうめいなもうそうならばさくじょされない、英:Famous delusions won't be deleted.)とは、アンサイクロペディアにおける妄想記事やそれに準ずる記事が示す、予言性を表す言葉である。

概要[編集]

そもそもアンサイクロペディアとは、

「可能な限りもっとも無駄な形で、もっともきつい皮肉とユーモラスな方法でもって、世界に真実かどうか疑わしい情報を広めること」

を使命としているサイトである。たぶん。それ故に、これまで様々な真実かどうか疑わしい情報がアンサイクロペディアには流れ込んでいる。そして、それら愚にもつかない書き込みその他を、多くの利用者が閲覧。時に笑い時に驚き、そして苦笑し、場合によっては妄想まみれの書き込みを鼻で笑うなんて話もちらほらと。

けれども、その妄想というものが、実は大変に有益な情報となるのが世の中のけったいなところである。確かに、殆どの利用者にとっては妄想記事なんぞはの塊でしかない。よって、大抵の場合は民主主義的な多数決の原理に基づき、アンサイクロペディアにおける大変によく見かける記事のひとつ、分かりやすく言えば、もはや飽きられた嘘と認定され、消去される運命にある。けれど、実際の歴史においては、予測不能な未来についてを語る際、ある程度のデータに基づいて語る場合のほか、妄想としか思えないレベルでとんでもない話をする場合も存在するため、そういった先々に起こりうる話を事前に用意する際、妄想や嘘にまみれた環境というのは、実にすばらしいという話になる。そして、なぜだか、世の中のアホというものは、明確なドツボを目指して飛び込んでくる習性があるため、それが分かっていると大変に面白い記事を創作することも可能になる。

そして、こういった悲惨な未来をぶち当てる面白さを成り立たせるには、妄想や嘘にしか見えない話を否定しすぎる環境はいいとは言えない。さりとて、見た瞬間にため息と書いた作者の未来まで分かるような文章を残してしまうと、それもまたろくなことにならない。

また、世の中には妄想にしか見えない真実が多すぎるという話もあり、それは時と場合によっては命にかかわる。実際、貴重な明治時代の大災害の教訓を示した石碑を無視し、その場所よりも低地に家を建ててしまうなんて悲劇を繰り返してしまった話の裏には、世の中、常識だけで振舞うと悲惨なことになるという逆接の日本史並みの教訓が隠されている。

このような話を踏まえ、この記事では妄想記事の必要性と、その有効的な利用方法に語るものである。

アンサイクロペディアの存在意義[編集]

さて、こういった話を確認した上でアンサイクロペディアの存在意義の一つについて明確にしておく、それは、嘘や妄想をもってして、過去の教訓やら時代の流れを的確に読み取れるようになっとかないと後が怖い。この一言に尽きる。

アンサイクロペディアには嘘は嘘であるという常識が存在する。しかし、世の中には嘘を常識とするような典型的なアンサイクロペディアンは少なく、ロリ画像を見た瞬間に心が凍るような一般人がほとんどであり、ここより先に家を建てるなと言われても、そう簡単には信じられないなんて人がほとんどである。

しかも、ロリ画像のノートで爆笑するような性格のひん曲がった連中などは、人格破綻者としてむしろ世の中から忌避されてもおかしくはない上、あんな山の上のきったねえ石碑の話を信用するなんてのは、それこそおかしいと思われても仕方ない。

しかし、そういったろくでもない、一般人が寄り付かない場所にえてして真実が鎮座ましまする。

むしろ、嘘や妄想の中にある真実のほうが、より、真実の中にある嘘よりも信用されやすい。これは、嘘を嘘だと分かっているからこそ、真実をより強く把握できるという話になるのに対し、すべて真実だとした中に嘘を入れてしまうと、すべて嘘だと思われても仕方ないという話につながる。どこぞの石碑がウソにしか見えない100年後の大災害を後世に残したのに比べ、どこぞの民放は津波が押し寄せてくるってときにもまだ、ドラマの再放送を流し続けた。その結果、石碑は多くの人間に後悔と教訓を与え、民放への信頼が地に堕ちた。

これは、信じがたい話については真実に50%のウソを混ぜても別に問題は無いけれど、報道関係者が100%の真実を語らないと、それは大問題であるせいでもある。

もちろん、そういった真実もウソも実感込みで共有するには、同時にユーモア皮肉を、その記事内に含んでいなければならない。面白くなければ、読ませる力がなければ、石碑を信頼させることも難しく、そもそも文章を読ませることすら難しい。実際、アンサイクロペディアに多数存在する妄想記事についても、文章力や面白さといったものが存在しているからこそ、存在し続ける・・・のだったら苦労しない。けれど、分かりやすく面白くしかも信頼していた存在がウソを語った場合、しかもそれが、内陸部を飲み込んでいく津波を10mと放送し続けるなどという致命的な話の場合、今、そこで語られている情報を信念を持って否定しなければいけなくなる。そういうとき、ウソと妄想が役に立つ。本当に、役に立つ。

妄想記事の存在意義[編集]

けれど、残念ながら、殆どの妄想は自己満足である。故にそれらの妄想はアンサイクロペディアでは、多数決によって推薦された、極めて民主主義的な権力を有する管理者たちによって確実に粛清される。分かりやすく言うと、最初ニコニコとけったいな初心者が書きなぐるダボラを見守りつつ、どこらへんで記事ごとつぶそうかという空気が流れ始め、ある時点でいきなり抜刀。すっぱりと記事が消え去る。

同時に、書いていた人間のプライドも消え去る。

それは記事を書き始めた直後か、もしくは記事の中の妄想が手におえなくなった時点かのいずれかである。しかし、中にはそういったいつもの話をかいくぐり、何らかの理由で生き残っている妄想もあるのがアンサイクロペディアのアンサイクロペディアたるゆえんである。

それは、ユーモア皮肉が含まれているというよりも、むしろ、未来に対する負の遺産として大きな存在価値を見出そうとする、より性格の悪い結論を見出した結果である。その妄想を禁忌とすることで、それ以外の似たような妄想を軒並み排除する指針にし、多くの記事および数々のテンプレートが過去の過ちとして生き残り続ける。実際、それらの妄想記事やテンプレートは、みんなにとって大変にわかりやすい過去の笑いであり、それ故にみんな十分にその内容を繰り返すとどうなるか知っている。

実際、過去のエロゲーの記事などは、もはや誰も振り返らないけれど、しっかり残されており、小学校中学校の生徒が無邪気に学校の中のパソコンでおまかせ表示をクリックするだけで、先生と一緒に子供たちの空気を凍りつかせることが可能になる。そういった楽しい話が積み重なった結果、アンサイクロペディアにおいてある時期を境にしてエロゲーの記事どころか、エロい話自体が消えていくのも当たり前である。いつの間にか小学生が見るサイトになっちまったら、そういった層に配慮せざるをえないわけで。逆に、そういった空気を凍らせる記事を残すからこそ、アンサイクロペディアが一定の年齢層を維持できる、という話にもなる。

あわせて、そういった記事を書くといずれこうなるという事例は、どうすればこんな性格のひねくれまくった変人どもが跋扈するサイトに入り浸ろうとする現在と未来の初心者にとって大変参考となる話である。むしろ、過去の妄想記事から、今現在において「何が面白くないか」を抽出できる、判断できる利用者でないと生き残ることが難しい。

以上のように、アンサイクロペディアにおいて生き残り続ける妄想には生き残るだけの確たる理由が存在する結果、「有名な妄想ならば削除されない」のである。

インターネットにおける判例[編集]

以下に日本語版アンサイクロペディアにおけるさまざまな判例を示してみる。

削除になった例[編集]

以下に示すのは、アンサイクロペディアにおける代表的な負の遺産である。とりあえず、読む必要はない。そして、過去、こういった記事が存在しうる空気がアンサイクロペディアにはあった。しかし、その空気を消耗しつくしたのは、以下に示す記事群である。

存続されている例[編集]

アンサイクロペディアにおける悲しい事例の一つに、初版からある程度まではしっかりとした記事であったにもかかわらず、過度の更新の結果、有名な作品やキャラクターの記事があっという間に妄想記事と化すなんて話が、相当数ある。ありすぎる。そのため、ガンダム仮面ライダー秘密戦隊シリーズといった作品を初心者にお勧めできない。

有名なはずなのに削除された例[編集]

  • 機動戦士ガンダムSEED DESTINY・・・ガンダムシリーズの各記事は「生き残った妄想記事」と書いて「あまりにも大量の更新の結果、過去の管理者がサジを投げた」と読むアレな記事だらけとなっているにもかかわらず、復活することができなかった段階で、どんな内容だったか推して知るべし。
  • のび太国(ただし現在はリダイレクトになっている)…もちろんのび太は国を作ったことはあるしこれは有名な妄想だ。だが、そこにあまりにも多くの偏ったユーザーの妄想が流れ込んでしまったため、実質少数派妄想に成り下がってしまい、削除された。

削除主義者の射程圏外のため残された例[編集]

これらのページはEngrishしか使えない管理者にとっては射程圏外のため、個人の妄想であるにもかかわらず残されている。しかし、ごく普通のキチガイである英語版アンサイクロペディアで生き残っているだけあって、それぞれの内容に分かる人間なら分かるネタが仕込まれている。

妄想を生き残らせる現実[編集]

以上のような事例を目にした後、どうすればこういった嘘や妄想が削除されずに残せるかというごく単純な話に行き着くのは道理である。こういった場合、大量の更新に継ぐ更新で削除する側を混乱させるのも一つの手ではあるけれど、それができたのは2010年以前である。そのため、2010年代以降は、読み手に考えさせることが重要になる。きっと。

それはすなわち、文中に比較やら比喩やらといった、考えさせる文言を混入させたり、妄想以外のさまざまな知識や技法の公開、さらには助言やら指針といったものを組み込むことで、妄想を生き残らせることが可能になる。単純に妄想のみでウソの事例を挙げるだけでは、はいはいそうですか、で終わってしまうけれど、こういった役立つ事例を用いて、妄想も一緒にして現実世界について考えるきっかけを作ることができれば、けっこーな割合で記事が生き残れることは確かである。

実際、アンサイクロペディアにおける駄文の削除などとは対照的に、現実の世界においてはさまざまな妄言や妄想で歴史が動いており、そういった事例を活かすのはえてして、古臭い真実よりも、妄想にしか見えなかったけれど、いつの間にか事実に化けたウソである。

アメリカ[編集]

一例を挙げれば、「信じるものは救われる」という言葉から必然的に生まれるもの、それは信じるものはだまされるという現実である。しかし、だまされるぐらいでないと、信じることに面白みがないってことは、アメリカの現代史が相当深く教えてくれる。こういった話をいくつか用意しておくと、急な世界的な価値観の変動に惑わされずにすむ。

  • ベトナム戦争・・・現代における情報戦の先駆けとなった戦争。「ドミノ理論」なるドクトリンすなわち妄想が世界一の強国をズタボロにするところを楽しく観察できる。
  • ジョージ・W・ブッシュ・・・信じがたいことに、彼は妄想に囚われてイラクを攻撃したわけではない。ただただ、無能だっただけで。けれど、彼を担いだ連中の中には妄想に囚われた連中が相当大勢いて、そいつらが大統領をだまし続けたことも確かである。

日本[編集]

2013年7月現在、書く必要がない。誰だってわかる。

名前を書く必要がない国[編集]

2013年7月現在、国名を書かずとも、妄想や妄言で一国の歴史が動いてしまっている国が存在する。こういう国のことを考える際に、上述のアンサイクロペディアで削除された国々と比較すると、大変に参考になる。なったりする。むしろ、どうして現実の国家からアンサイクロペディアから感じる匂いと同じものを感じるのだろうかと思えたらば、それは幸いである。

真実を見抜く感性というものは、そうやって鍛えられるわけで。

実際、国が出す統計データが、なぜだかファンタジーもしくは質の悪いライトノベル扱いされている国があり、そういった話を知るにつけ、アンサイクロペディアの妄想が役立つことになる。むしろ、ウソでホラで信じるものが笑われるアンサイクロペディアのほうがマシであるところが本当に恐ろしい。普通、あんな国のあんなデータを信用するかああ?しかも、いっぱしの情報産業が。

関連項目[編集]