月刊EXCUSE

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出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』 民明書房『"月刊EXCUSE"起源異聞』
お詫びに目が無いジャンキー共のバイブルである。

月刊EXCUSE(げっかんえくすきゅーず)とは、民明書房が発行するエクストリーム・謝罪に特化した月刊のスポーツ雑誌である。後述する改称前の雑誌も含めると60年以上の歴史を持ち、戦後のエクストリーム・謝罪競技と共に歩み続けた雑誌といえる。売日は毎月25日。定価は500円。(いずれも2008年3月現在)

概要[編集]

エクストリーム・謝罪は、日本国大阪民国名古屋共和国などの日本列島内の各国国民にとって重要な関心事であり、その競技の動向はテレビ新聞ラジオ週刊誌などのニュースを扱うあらゆるメディアによって報じられる。しかしこれらはいずれも試合内容を社会問題として取り扱っており、かような視野が狭い情報のみで当競技のプレーを観戦することはユーモア欠落症の原因になると午後は○○おもいっきりテレビたけしの本当は怖い家庭の医学といった権威ある研究機関が警鐘を鳴らしている。

その点月刊EXCUSEは、バ科ニュースと共にエクストリーム・謝罪を純粋にスポーツとして取り扱う数少ないメディアである。当誌は、当競技のおもしろさを大衆へわかりやすく伝えることと、ヘビーなフリークへ戦略采配から一つ一つのプレーに至るまでの全てを熱く、客観的に検証する専門誌としての役割の両方を担っている。

沿革[編集]

顰蹙報時代[編集]

月刊EXCUSEは、大東亜戦争後、ヒロヒトラー王立日放送による当競技に対する熱の高まりを背景に1945年9月25日に創刊された季刊誌、顰蹙報(ひんしゅくほう)をその起源とする。創刊にあたっては、戦後屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れるスポーツ屈強な男たちがセミヌードになり若干名で体を投げたり抱きしめたりするスポーツなどのプロスポーツ振興を進める予定であったGHQの強力な後押しがあったことが民明書房の内部文書から明らかになっており、当雑誌名についてもGHQがヒロヒトラーへの侮蔑を込めるように指示したものであるとされている。

昭和20年~30年代前半において、エクストリーム・謝罪は前述したスポーツや大相撲と比べて人気が低かった。顰蹙報の発行部数もパッとせず、イルボンの混迷に快感を覚える在日コリアンや一部の実務経験豊富なプロ市民有資格者が読む程度であった。

謝罪通信時代[編集]

ところが昭和35年ごろから、現在謝罪の殿堂入りを果たしている名プレイヤー、チッン&ショワー電工連合の華々しい活躍に伴って発行部数が急増した。[1]この人気と、より定期的に最新の情報を手に入れたいという読者のニーズに応えて、民明書房は顰蹙報の誌名を謝罪通信(しゃざいつうしん)と改め月刊化を敢行。過去の実績から編集部の組織改編はなく、そのまま顰蹙報編集部が謝罪通信編集部と改めることとなった。その後、チッン・ショワー連合の優勝回数記録の更新が無くなる昭和51年までの間、当誌の発行部数はピークとなり、第一次黄金時代を迎えた。

月刊EXCUSE~現在[編集]

ベストセラーとなった謝罪通信であったが、その後バブル期に入ると、人々は下を見て嘲笑うよりも上を見据えて投資に走り、いわゆるクオリティの高い享楽に耽るようになった。そのため謝罪通信の発行部数は急激に低下していった。これについてはやはりAERAFOCUSに代表される、同競技を社会問題として扱っているもののセンセーショナルなエンターテイメント性を取り入れた各種雑誌の台頭により、競技に対する専門的な分析に紙面内容が偏りがちであった当誌のシェアが食われたことも影響している。

大河内民明丸は事態の打開を図るべく、平成元年、当誌の特別顧問として田代まさしを招聘し、[2]田代に編集長を超える強大な権限を与えた。

田代は競技に対する詳細な分析力という当誌の特徴は強みとして残しつつも、これに懇切丁寧な解説を加え、さらに競技初心者にも親しみやすい極めてカジュアルなコーナーを企画した。当時絶頂期を迎えていた週刊少年ジャンプananにあやかり企画された、年二回の人気投票(詳細は現在の紙面内容にて後述)を主軸とした大胆な誌面改革を決行し、エクストリーム・謝罪に興味がなかったティーンズや女性ファンの獲得を狙った。さらに雑誌名を改称することも計画。当初は田代自身によりごめんなはれSuman People(須磨人)などの名称が提案されたが、編集部員は「いつものマーシーの切れはどこに行った」と一致団結してこれに猛反発。さすがに田代が持っていた絶大な権力をもってしてもこの件に関してはどうにもならなかったようで、揉めに揉めた結果、妥協の産物により結局誌名は現在の月刊EXCUSEと決定し、1990年9月号より正式に改称した。この新誌名は、当誌の変革を読者やファンを中心に広く印象付けた。

誌面改革が始まったころは読者は戸惑いを見せ、一時期は発行部数がさらに落ち込んだ。しかし折しもジェイアルー西日不による華麗な事故や、バブル崩壊に伴う左江早弁刑聖界連合チームによる福沢諭吉ばら撒きショー、そして金融機関による損失決算が盛んに行われ、エクストリーム・謝罪熱が再燃したことが後押しとなって、月刊EXCUSEは計画通りに若年層や女性層を獲得したのみならず、誌名の今で言う所のスイーツ (笑)臭さに惹かれて衝動買いした精神的ティーンズの支持をも獲得した。[3][4]そして1996年、ミドロ十字が活躍したころには発行部数がバブル前の水準に回復。その後から2005年のジェイアルー西日不の台頭までの間、当誌の発行部数は再びピークを迎えることとなり、第二次黄金時代が到来した。

その後は少子化インターネッツの普及もあって部数は徐々に減少している。民明書房では、エクストリーム・謝罪についての正確な情報が迅速に得られるアンサイクロペディアおよびバ科ニュースをライバルという意味も込めて重要な同業者と位置づけ、これらに対抗するため、将来誌面の一部をオンライン化することを検討していると、2008年2月15日に日本経済新聞が報じた。

現在の誌面内容[編集]

定期連載コーナー[編集]

NEW ROOKIES
先月新たに決勝一次ラウンドに進出したプレイヤーの概要を紹介。多くの顰蹙を買ったプレイヤーは当欄ではなく特集記事になる場合も多い。
特集
通常2・3の特集が組まれる。NEW ROOKIESに入れるには余りにも恐れ多い決勝1次ラウンド進出プレイヤーを紹介したり、競技の動向を分析、はたまた過去の名勝負の回顧録など内容は多岐にわたる。
予選を勝ち抜くトレーニング法
決勝1次ラウンドに進出するためには社会的に立派なステータスを築くことによって予選で勝ち抜くことが欠かせない。そのような栄達を果たすためのコツを日本の偉人達が伝授するコーナーである。顰蹙報創刊当時から存在し、当時は阪急王国小林一三が担当。謝罪通信への改称後間もなく松下幸之助にバトンタッチし、死の直前まで長きに渡って執筆し続けた。現在では企業に限らずあらゆる層へ競技が普及したことを鑑み、政財界担当として塩爺が、経済界担当として張富士夫が、芸能界担当として叶恭子が、そしてインターナショナル担当としてアニータが持ち回りで担当し、自らの経験に基づいた成功論が主となっている。
漫画
月刊EXCUSEへの改称直前より始まったコーナー。1・2の漫画が連載されている。現在では自身も決勝1次ラウンド進出経験があるいがらしゆみこによって当競技を題材にしたさわやかなスポ根ものが連載されている。
占いコーナー
月刊EXCUSEへの改称と同時に始まったコーナー。監修はムーンプリンセス妃弥子による12星座別謝罪運、Dr.コパによるエクストリーム・謝罪に優勝するための風水実践術と引き継がれ、現在では細木数子が色んな意味で地獄へ落ちるプレイヤー候補を大胆予測している。
Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

読者アンケート[編集]

人気プレイヤー投票(毎年1月号で応募、2月号で発表)
週刊少年ジャンプの読者アンケートの隆盛に目をつけ当誌でも用意されたコーナーである。その年決勝一次ラウンドに進出したプレイヤーを対象にどのプレイヤーが強く、かっこよく、そして好きかを読者の感性に任せて投票を承るものである。完全な主観による人気投票のため、実際の競技審査結果とのズレが生じることも多々あるが、統計学的な見地からは、この投票での人気度と決勝二次ラウンドへの進出ポイントとの間には正の相関があるらしい。
2008年2月号の結果では、おおむね競技結果と似たような傾向を示したが、謝罪者無きだだ漏れ詐欺によって鬱憤がたまっていた顰蹙報以来の読者層から圧倒的な支持を受け、コムスソがトップ5に躍り出た。
抱きたい・抱かれたい謝罪人(毎年6月号で応募、8月号で発表)
ananを参考にして企画されたものである。昨年決勝に出場したプレイヤーの主要人物全員を対象に、誰がに溺れてしまいたいような危険な魅力を持つ人物かを読者1人につき男女一票づつ投票する。8月号の特集記事として結果発表が行われる。ちなみに2007年8月に発表された結果では、男性ではあの肉々しい身体がたまらないということで偽ほっちゃんホァ(ryが、女性では小さなおにゃのこのようなすがたかたちと大和美溢れるロックンローラー気質な中身とのギャップにキュンとするということで籠愛がそれぞれ1位に選ばれるという栄誉を勝ち取った。

脚注[編集]

  1. ^ その一年間における発行部数増加率は世界でも類を見ないもので、ギネスブックにも登録されている。
  2. ^ これは昭和63年東京スポーツにおいて北野武が同様の役職に抜擢されたことにヒントを得たものである。著名機関の首脳陣にセレブを採用する手法はかようにして確立され、これらの成果が東ハトにおけるヒデ・ナカタの招聘に大きな影響を与えたのは言うまでもない。
  3. ^ 特別顧問としての経験により田代まさしはエクストリーム・謝罪に関するノウハウを得、数年後、彼は文字通りネ申となった。
  4. ^ その後「しょうこう しょうこう しょうこうしょうこうしょうこう(JASRAC届出済)」の歌が小中学生を圧巻したのは、当雑誌によって彼らがエクストリーム・謝罪に慣れ親しんでいた事情もあった。

関連項目[編集]

Wikipedia
ウィキペディア専門家気取りたちも「月刊EXCUSE」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。