最上義光

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最上 義光(もがみ よしあき、1546年2月1日 - 1614年2月26日)は下剋上のまかり通った戦国時代において甥らとも骨肉の争いを重ねた仁義無きサムライであり、また日本史上でも屈指の不幸な人でもある。自身がナスルーラとリボーのクロスを持っており、気性は荒い。愛用の武器は特殊強化鉄パイプ。戦国屈指のシスコンであったのに、暗黒面に堕ちてしまったジェダイでもある。好きな食べ物は。鮭を食わせれば機嫌が悪くともなおる。臣民は親しみを込めて彼を鮭様と呼ぶ。

様々な萌えを見出した慈愛の謀将として知られ、子供のためにはデッカイお寺を建立。「上のために寄進しちゃうぞ♪」と書いた額、宛の「早く会っていろんなこと、おはなししようね(よしあき♪)」と書いた手紙等、恥ずかしい証拠物件が多数残されている。ついでに民にも萌えていたらしく、「べっ、別に領民のことを思って善政を行うんじゃないからね!」とツンツンしながら内政に力を入れた。このことや、敵の首を部下に投げつけながら「べっ、別に取りたくて取ったんじゃないからね!」と発言するなどしたため、山形市内ではいまだにツンデレキャラとして慕われている。家臣に対しても甘く、休みの日には義光自らポエム講座を開いたり、芋煮を振る舞ったりしていた。そのせいで最上家は「ともだち君臣」なんてユルいムードになってしまい、あとでとんでもないことになるのだが……。

陰気だと誤解されがちだが、ダニエル・カール仕込みのEngrish混じりの自己紹介を行ったり、なかなかノリノリな性格である。「芋煮に毒を盛られそう」、「蔵王温泉で寝首をかいてきそう」といった声に負けず、今日も元気に愛娘・駒姫とともに、郷土(と自分)のPRに励んでいる。近年の研究で、THE IDOLM@STERの高槻やよいが好みのタイプであることが判明した。

尚、長らく暗殺など権謀術数の限りを尽くした陰湿な謀将、伊達政宗の引き立て役としてマイナスのイメージを持たれてきたことに対する反動か、ウィキペディアの義光の記事は熱心ファンの加筆でちょっとイタタなことになっているが、どうか大目に見て欲しい。

目次

[編集] 嫌われ義光の一生

[編集] 第一部 フォックスブラッド

最上兄妹の思春期、どうみても変態。義光にとっては永遠に思春期だったらしい
  • 他の者にはかろうじて人間に見える義光であったが、父・最上義守にはなぜかキツネにしか見えなかった。そのため「こんな子は愛せない!」と父は息子を嫌った。この話は、『キツネの息子』として漫画化、さらにはドラマ化され全米が泣いた
  • 父に気に入られようと毎日部屋に栗などおやつをそっと置いていたら、いたずら狐と間違われて火縄銃で撃たれて危ないところだった。
  • 冬、てぶくろを父にもらいに行ったら、正しい手を出したのに火縄銃で撃たれて危ないところだった。
  • 思春期の16歳の頃、父と蔵王温泉で入浴中に、ノンケだって喰っちまう野盗に襲われた。全裸で撃退して貞操を死守したももの、「こんな変態は我が跡取りにふさわしくない」と父に思われてしまった。
  • 傷心のあまり「俺より強い奴に会いに行く」といって盗んだバイクで走り出し武者修行の旅に出たがお隣の越後で寅年生まれのあの人に遭遇してしまいあえなく武者修行終了。でもその後ちゃっかり京都で上洛中の父と合流して観光を楽しむ。
  • 最愛の妹・義姫が敵である伊達家に嫁に行ってしまい、心神喪失状態になる。その思いをぶちまけた妹宛の手紙が、あまりに恥ずかしかったため、父からますます疎んじられる。さらにそのシスコンぶりを伊達家に警戒された。
  • 父に嫌われ、入浴中に襲われ貞操の危機に直面し、さらには最愛の妹と引き離された義光は、衝撃のあまり精神が崩壊してしまう。ついに義光は多重人格若殿サイコとなり、悪い人格のヨシミツがお礼参りやスカートめくり、温泉覗きなど仁義と下半身の制御に欠けた行動をとるようになった。
  • 成人しても義光はこんな悲惨な状態であったため、家臣のセラピスト・氏家定直が「このままではまずい、人格統合しよう」と治療にあたる。人格のひとつ・弟の義時を含め義光は無事統合人格・ヨシアキによって統合される。しかし数年後、親父が「変態シスコンキツネに家督は譲れん」と反乱を起こす。やむをえず義光は義守の頭をバリカンで刈って寺に追い込む。
  • 脳内弟を統合し、父を寺という名の老人ホームに入居させただけなのに、何故か皆から「弟殺し」、「DV息子」の汚名を着せられる。未だにそのことを『信長の野望』武将列伝に書かれ続けている。
  • こうしてやっとこさ家督を継いだ義光だったが、最上家はあまりに貧弱な領土と軍備しかなかった。嘘だと思うなら試しに『信長の野望』を最上で始めてみよう。速攻で上杉や伊達に潰される絶望を味わうことができるぞ! 案の定、四面楚歌の義光は義弟・伊達輝宗らに攻め込まれ危機的状況に陥った。「もう鳩を飛ばしながら突撃でもするしかねえ」と義光が黒コートを羽織り、二丁拳銃を構えたその時! 愛の力で最終兵器が起動、輝宗に刃物のようなものをつきつけ「アタシの兄に手を出すってことは、よっぽど死にたいわけね?」と脅迫を敢行し伊達軍を退却させた。こうして義光は窮地を脱したのである。

[編集] 第二部 謀略潮流

謀略成功を祈り踊る最上義光&義姫 With 家臣ダンサーズ
  • 家督相続を果たしたものの、その時既にフルボッコ寸前だった義光は「軍備が足りないなら、謀略で補えばいいじゃない!」とプラス思考を発揮した。義光は敵のはずかしいひみつを握る、賄賂を渡す、洗脳するなどして勢力拡大に励んでいった。
  • 謀略だけじゃ物足りないと考えた義光は、火縄銃をはじめ特殊兵粮丸液体型暗器等を開発・入手し活用していった。そのせいなのか、彼が「日本一の芋煮会」のために作った巨大鍋までもが、敵兵拷問用であると誤解を受けた。
  • 黄色いトラックスーツを着てカタコトの日本語を話す白鳥十郎がうざくなってきた義光は、劇薬を使って仮病と偽り山形城にターゲットを呼び出し、「ヤッチマイナー!」と叫び家臣らとともに、ノリノリで騙し討ちにした。その時に血が飛び散った桜が有名になり、義光は毒蛇暗殺団の一員に認定された。義光はのちに「まずは白鳥暗殺が大事だと思ってああなりました。暗殺なんてそんなにしていないけど、あまりに白鳥殺しがかっこよすぎて有名になっちゃいましたね。でも、罠って気付かないほうも悪いよね?」とコメントした。
  • 花見をしていたら、家臣の延沢満延が「ウホッ! いい殿」と突如襲い掛かってきた。義光はあわてて桜の木にしがみついたところ、満延は桜ごと義光を引き倒した。どうやら、酔っ払った満延の目に義光は好みのタイプに見えたらしい。
  • ある日、大井五郎というフードファイターの食べっぷりが気に入った義光は、褒美をとらせ帰らせた。それを聞きつけた大食い選手たちが山形城に押し寄せ、貴重な兵糧をたらふく食っていった。
  • 妹の分身とばかりに溺愛し、マメに文通もしていた甥のまーくんが突如として重度の厨二病を発症し凶暴化。ついにはDQN四天王に数えられるまでになり、大いに傷心。以後このトンデモナイのを相手取るのに一生を費やす羽目に。
  • 義光は謀略で出羽をなんとか支配下におさめたものの、邪鬼眼を身につけ調子にのった甥のまーくんが目障りになってきた。義光は周囲の大名に「オラに力を分けてくれ、謀略玉で政宗を倒す!」と宣言、妻の実家である大崎氏を攻めた政宗を襲う。ほぼ完璧な政宗包囲網を作り上げ、あと一歩で甥を倒すところまで来た義光の前に、最終兵器が立ちふさがった。妹の「そんなことするお兄ちゃんなんか大嫌い!」攻撃に完敗した義光は、妻と家臣と諸大名に罵られ「こんな屈辱は初めてだ!」と頭を抱えて悔しがるのであった。
  • 義光が妹にビンタされているころ、庄内に上杉勢が攻めてきた。義光は庄内を失い「せっかく新鮮な魚が食べられると思ったのに」と嘆いた。こののち、義光は直江兼続に外交戦で負けしばらく庄内領を取り戻せなくなる。義光が兼続に負けたのは、豊臣秀吉が義光からエキノコックスをうつされたくなかったからである。
  • 小田原参陣の直前、空気を読めない父・義守が最悪のタイミングで死去。葬儀の香典返しを義光が必死で考えているうちに、遅れに遅れて甥ともどもエクストリーム・小田原参陣を味わう羽目になる。さらにこの時、家中のゴタゴタに困った政宗が「弟と仁義なき戦いをする羽目になったのは、最上のキツネ伯父のせいだ!」と邪推と妄想と中二病丸出しでわめいたため、知らぬ間に義光が政宗毒殺未遂事件主犯にされていた。しかもそのことを大河ドラマで大々的に放映されたため、現在では事実として定着してしまった。ソースは江戸時代以降のものしかないのに、どういうことなんですかこれは。
  • 徳川家康に、赤いきつねと緑のたぬきとしてコンビを組もうとさそわれる。しかし家康は地蔵に化けることが出来たが義光は化けられなかった。
  • 秀吉の甥・豊臣秀次が義光の二女・駒姫が狐耳美少女であるという噂を聞き、「きつねたん萌え~」としつこいまでにキモイラブレターを何度も送ってくるようになった。義光は「お父さんはこんなの許しませんよ!」すべて引き裂いて燃やしていたが、それがばれて秀次にかえって脅迫され、やむなく駒姫を嫁がせる羽目になる。しかし、まもなく秀次は謀反の疑いにより切腹させられ駒姫含む妻子・侍女も斬首された。義光は必死に助命活動をしたが甥の伊達政宗には無視され、モノウ・ルッテレ・ベルジャネーゾには『お前の娘助かるってレベルじゃねーぞ!』と一蹴され、ググレカスには、『娘を助ける方法ぐらいググれカス』と罵倒され、ソレナンテ・エ・ロゲには、『それ、なんてエロゲ?』と冗談半分の態度を取られた。それでも何とか秀吉を動かすことができ、『鎌倉で尼さんにでもしとけ』と命令が下されるが、その知らせを届ける途中で(早馬で一町(約109m)手前だったので、早馬の速度を時速40kmとすると、あと約9.81秒のところで間に合わず)、駒姫は処刑されてしまった。
  • 駒姫の後を追って愛妻・大崎夫人も死去した。さらに義光は秀吉から謀叛疑惑を抱かれ、だんだんもうどうでもよくなるほど精神的に参ってしまっていた。彼の望みは、森の仲間・家康のみとなっていた。

[編集] 第三部 慶長出羽クルセイダーズ

義光が攻めないでと頼んだ時の変態陰陽師の態度はこんなかんじでした。
  • 1600年、家康に「ちょっと上杉シメるからつきあってくれる?」と頼まれた義光は「ダチの頼みッスから!」と快く承諾する。しかし、途中で家康が「ゴメン、先に三成シメるわ」と引き返してしまう。ヤバイことに、最上領は上杉領に囲まれている。結果として上杉軍とほぼ単独で向き合う羽目になった義光は、屈辱に耐え「すいません、何もしないから攻めてこないで!」と必死で頭を下げた。しかし上杉軍は「タヌキのパシリをしているキツネを許すわけないですよねー、全力で潰すから」と力一杯最上領に攻め込んだ。義光、人生最大のピンチである。
  • 覚悟を決めた義光は「最上勢よ! 朝飯はたらふく食っておけ、今夜は地獄で晩餐だ!」と熱い檄を飛ばした。義光好みのマッチョマン揃いの最上勢は"Harooh! Harooh!"と雄叫びをあげながら上杉勢に立ち向かっていった。どうせ皆知らないだろうけど、このときの最上勢は本当に頑張った。だって相手はほぼ十倍なのよ? それでも守りきったのよ?
  • 義光は「いくらあのかわいげのない甥でも、同じ東軍だしさすがに助けてくれるよな」と淡い期待をかけたが、政宗は上杉の留守を狙って領土をかすめとるのに夢中。さらには援軍を出すどころか、最上に援軍を派遣した南部領で一揆をあおった。「人に夢と書いて、なんで儚いって読むのかな……」と義光は涙ぐんだ。むろん、義光はこのあと家康に甥の行動をチクっておいたが。
  • 山形城に母親がいることにやっとこさ気付いた政宗は、一応3,000人ほど援軍を送ってきた。その人数を足しても圧倒的不利、そのうえ援軍といっても何もせず「上杉と最上どっちが勝つ?」とトトカルチョをしていただけなのだが……。なのに政宗は「あのキツネ伯父が弱いから、変態陰陽師を逃したんだ!」と八つ当たり文書を残してくれた。以下がその原文である。
    • 最上衆弱く候て大利を得ざる由に候。昨朝様々にして敵退散の由に候。最上衆弱く候て皆々討ち果たさず無念千万に存じ候』
    • 大事なことなので2回言いましたの発祥である。
  • しかし義光は危機を脱した。関ヶ原の戦いがわずか一日で決着したからである。義光は愛用の鉄パイプ片手に、撤退し始めた上杉軍を追撃した。しかしそこで変態陰陽師熱い投げ接吻をされ、そのおぞましい瘴気のせいで大事な兜が破壊された。
  • 義光の人生における数少ないラッキーが、直江兼続撤退後である。見捨てられた上杉勢を素早く倒して庄内地方などを奪還した義光は「やっと魚が食えるだな~」と無邪気に喜んだ。ちなみに義光は木の実よりも油揚げよりも魚が大好きだが、皆気付くことはなかったらしい。同じ時期、政宗は「百万石キャンセルか!」と駄々をこねていたが、義光はそれに対して「あれは自力で切り取った領土をくれるってことだろ何もしてない奴が百万石とかありえないだろ常考」とこっそりコメントした。
  • 長谷堂城の戦いで、圧倒的不利(25,000対3,000)なのにがんばって戦った義光とその配下たち。でも今日での一般的認識は「素晴らしい撤退戦をした上杉軍」(少数の最上軍に苦戦、逃げ遅れた奴らはフルボッコ)VS「邪悪な伯父を救った度量の広い伊達軍」(何もしてません)と「その他(なんかチマチマやってた最上軍)」(敵将を討ち取り、がんばって追撃し、ついてに領土も勝ち取って大活躍)という認識である。しかも、上杉軍の中に少年漫画で有名になったかぶき者がいたばっかりに、最上軍はまるで『北斗の拳』における雑魚のような印象を抱かれた。切ねえなあ、オイ。しかも義光本人がマヌケ人の良いことに「直江の退き際超サイコー! もうこれは歴史に残る!」「なんでかわからないけど、上杉に勝っちゃった! ラッキー」なんて発言やら文書を残すからもう。しかもそれをぺらぺらと家康に話したりするからもう。ドジっこかオマエは。

[編集] 第四部 芋煮鍋は砕けない

義光にもうゴミを捨てないでと頼まれた政宗の態度はこんなかんじでした。
  • 長い戦乱の末に、やっと戦国時代が終わった。やっと大好きな内政に気合いを入れられるぞー、と義光が張り切っていると悲劇が襲ってきた。義光は長男・義康と、おいなりさんの中身はかやくごはんか寿司飯かで言い争ったのをきっかけに、仲違いしてしまったのだ。傷心の義康は家出してしまったが、家出先から戻ってきたところを、家臣たちがキツネの妖怪と勘違いして射殺してしまったのである。どうやら息子もキツネ顔だったようだ。
  • それでも義光は頑張った。しかし、義光ががんばって治水を行った領土に、伊達政宗が粗大ゴミを次々と不法投棄していった。
  • だけど義光は頑張った。しかし、義光が山形城を掃除した次の日イノシシの大群が突っ込んで山形城を荒らしまくった。
  • 義光は、逆境にめげず地上の星になろうとした。でも、きつねうどんを食っていた時トンビにうどんの油揚げを横取りされて凹んだ。
  • 義光の人徳と謀略を慕って、各地からの贈り物が届くようになった。しかし中身が油揚げばかりのため、いい加減偏食になって困っていた。「なんで(好物の)を贈ってくれないのお!」と義光はあばれた。
  • 義光は健康管理にも気を遣い、スポーツを楽しんだ。そして鷹狩の鷹にキツネと間違えられて襲われた。
  • 義光はポエム作りが大好きで、同人誌まで出していたほどだったが、彼の作品を読んだ少年が殺人事件を起こしたため、PTAが「義光のポエムは危険だ」とボイコット運動を起こした。義光は「ポエムが人を殺すんじゃない、人が人を殺すんだ。オレのポエムを責めるなら、(少年が事件当日していた)蹴鞠も責めないとおかしい」とコメントした。

[編集] 第五部 最上川の風

霞城公園にある最上義光像
  • 義光の統治下、君臣はユルいムードに浸りきり上下関係がルーズになっていた。義光死後は、熱血教師を失った三年B組の如く学級崩壊、もとい最上家崩壊が始まる。三代目・義俊の頃には「ぶっちゃけ今の殿には萌えが足りないんだよなー」「なんかあの主君うざくね?」「オレ、義忠様のほうがいいと思うんだけど」「オレもオレも」と不穏な空気が漂い始めた。こうして仁義なき抗争が始まり、幕府の仲裁も無視してヒートアップしまくったため結局最上家は取り潰された。おかげで伊達家は、心おきなく悪事を最上家に責任転嫁する文書を捏造しまくれるようになりましたとさ。
  • 義光の治世下では、その人柄に民が萌えていたため一揆がまったく起こらなかった。しかしそのあとの鳥居等の殿様にはまったく萌え要素がなかった。民は「最上源五郎(義光)萌え~ 鳥居の殿様萎え~」と歌を作って義光を偲んだ。最上家改易後の山形では萌えを求め一揆が頻発し、各地に愚民の碑が数多く残された。四百年を経ても義光が山形の生み出した最大の萌えキャラとして認識されていることは、歴史館のやけにかわいいマスコットを見れば一目瞭然である。
  • 山形県内(の一部)では義光公を猛烈に愛しているゆえに、DQN甥の伊達政宗を讃美し義光公を貶めたNHK大河ドラマは今でも黒歴史となっている。その当時は悔し涙を流し、ミルクケーキを頬張ってカルシウムを補給するしかなかった山形愚民の皆さん。だが、今では受信料不払いという現代の一揆を学んでいる。つまり……変態陰陽師礼賛大河でナメた義光公を放送した時は、山形から受信料は徴収できないと考えるんだなッ、宿敵……と思っていたら天地人 (NHK大河ドラマ)に出してすらもらえませんでした。無念。仕方ないので芋煮会「元気人」ポスターに出場。
  • 伊達政宗をDISると「それは最上の血のせい」と反論される。しかし天文年間に奥羽全土を巻き込んだ親子喧嘩をしたり、長年最上家をパシリにして焼きそばパンを買わせていたのは伊達家の人々。グロテスク父親銃殺・グロテスク城内虐殺・グロテスク実弟斬殺・グロテスク味方銃撃・グロテスク一揆煽動等、魔王の所業ができたのだってクラウザーさんと政宗くらい。義光は暗殺はしたけど虐殺はしていない。それに暗殺なんか戦国大名は誰でもやってますよ常考。つまりはどう見ても悪質な責任転嫁です、ありがとうございました。
  • ちなみにこの記事が充実しているのは、せめてこんなところででも、甥に負けたくないという不屈の意志故です。
  • 彼に関して悪意を抱かせるような作品が発表されると、山形県庁から抗議が入るのは有名な話である。ただし、抗議されたところでどうということはないので、誰も気にしていない。そして今日も多くの人間が、様々な分野において義光をフルボッコにし続けている。
  • かつて山形市において義光に萌えるための祭りとして存在した義光祭(ぎこうさい)は、服部天皇の意向で由来も歴史もない花笠祭りに変更されて歴史から消えた。
  • 義光ががんばって整備した山寺立石寺は、いちげんさんの松尾芭蕉ゆかりのものとして宣伝および認知されており、義光のよの字すら思い出してもらえない。おまけに近年までは義光公霊屋が物置代わりにされ、ガラクタが大量に放置されていた。アンサイクロペディアの記述だが、これはまぎれもない事実である。
  • ふと気が付けば、松永久秀斎藤道三宇喜多直家らと並ぶ戦国悪徳武将にされていた義光。しかし義光は実は大した悪行などしておらず、ひたすら素直になれずにツンツンしていただけなのだ、たぶん。ツンデレも過ぎれば悪評に繋がるという好例である。
  • 鉄道やジオラマが好きだと勘違いされることがある。あのドラマのせいか!
  • がんばってポエムをいっぱい詠んだが、内容があまりにラブリーで気持ち悪く、読んだもののトラウマになるせいかスルーされ続けている。源氏物語』を愛読していたあたり、本当にキモイ。自分のキャラ考えろ。でも今ならギャップに萌えてもらえるかもしれない。
  • 義光公は同じどうぶつさんとして、ぬこもこよなく愛していた。その徳を慕ってか、はたまた同類として仲間意識があるのか、義光公像のある霞城公園に大量のぬこが発生してしまい、銅像周辺がぬこまみれになっている。このことに山形市は頭を抱えているらしい。
  • 未だに名前をよしみつと読み間違えられる。ってか、実際、間違えられることがしばしばあるようだ。かのGoogle日本語入力でも「もがみよしあき」では変換できず、「もがみよしみつ」で出る始末であった。しかし、google日本語入力の開発者が狐に憑かれて鮭しか食べられない偏食になったことをきっかけに歴史の授業が義務化され、ついに「もがみよしあき」で最上義光と変換できるようになった。
  • 『信長の野望 天道』で顔グラフィックを『革新』から更新してもらえなかった。これじゃずっと陰陽師ですよ!
  • 実質的に誰も裏切ったことはないのに『信長の野望』での義理は2。大事なことなので二回書くけど、義理2。オンラインではモブキャラ。
  • 某エロゲで先に親父が出演してしまう。続編で登場したものの、バグで仲間にできない事態が発生、全国の変態紳士が血涙を流す悲劇となった。
  • そもそも義光を主人公にした小説も漫画も、有名なものがないうえ、たまに出ると半分以上甥っ子の出番でうめつくされているんです。
  • やっとねんがんの少年漫画主役になれたぞ、と思ったら何故か医者を目指す展開に。あれ、義光じゃない? 子孫の義明君だったよ!
  • 政宗といえば大河OP曲が思い浮かぶが、義光にふさわしいテーマソングは「ガッタ山形」である。
  • 何故か最近、陰陽師に似ているとよく言われ、祈祷を頼まれるようになった。拝み倒せば、義光はきっと偉大なお経を唱えてくれることだろう。
  • あちらのノートが恐ろしいことになっている。これも義光公にかけられた狐の呪いのせいだろう、と山形市では頭を抱えている。[要出典]
  • 矢車さんには影山がいたが義光には誰もいなかった。
  • 領地にイエズス会配下の宣教師フランシスコ・ザビエルではなく、変態陰陽師配下の凄腕工作員・ダニエル・カールが布教に来てしまった。
  • 実は奥羽の大名全員が仕掛け人。

[編集] 義光公はキツネだったのか問題

幼年期の義光はこんなきつねたんと妄想するものがあとをたたない

 いつの間にかキツネ武将として定着していた義光だが、その見解は分かれている。

  • ずる賢いイメージだから(一般的)
  • 白寿丸時代はキツネ耳の似合うショタ美少年だったから(腐女子の見解)
  • SLAM DUNKの流川のような美青年だったから(同上。流川は桜木に目が細いことからキツネ呼ばわりされていた。余談だが某漫画の某子孫は中身はM橋で見た目がR川に似ているのは禁則事項
  • 日本初、キツネ耳萌えを見出した紳士だったから(ヘンタイという名の紳士的見解)
  • 出羽のロンメルって読んだら格好良くネエ?(WW2ヲタの見解)
  • ごんぎつねみたいで可哀想だから。(よいこのみんなのけんかい)
  • 白鳥哲「我輩は羽州のキツネ、エロくて、かしこい、キツネであーる」(奥州筆頭が実在の役職だったと信じるカワイソスな子たちの見解

このように様々な説があるが、どれも微妙である。

 近頃、「キツネのイメージは好ましくない!」と考えた山形県庁は義光=虎将というイメージを提唱している。しかし戦国時代は武田信玄北条氏康長宗我部国親飯富虎昌などなど、日本史上空前の虎インフレ状態であり、名前に「虎」がついている人や、虎退治をした人を含めるとさらに増える。今さら義光がもぐりこむ余地はないとみていい。さらにイヌ科とネコ科の壁が厚く立ちはだかる。そこで、とりあえずは狼あたりから始めてみるといいだろう。

[編集] 義光公は鮭だったのか問題

 正確にはむしろ捕食者であり、実際に鮭であったのは最上家臣の鮭延秀綱であった。鮭様という一部で使用される名称は「鋼鉄の男」といった形容詞と似た用法であり、この場合は「鮭のように顔が怖い殿様」、「鮭のように川を遡上する殿様」といった意味ではなかろうか。

[編集] 義光公のテーマ

「アッキ義光」 作詞・作曲 勝手に義光公顕彰会

起請文手に山寺の山道を 相続願いやっとのこと駆け上る

だまされた白鳥十郎やるせなく 山形城桜の木に飛び散る血


ゴーン ゴーンゴ ゴゴン ゴーン ゴーン x4

城下一伽藍のもとで鐘を突き かわいい駒姫の供養祭


直江追う伯父に甥は手を貸さず 銃弾を受けてよろめく最上勢

ハ ハ ハ ハセドウ x5


義光公の善政に誘われて 住みたくなるぜ山形城下

ジョウ ジョウ ジョウ ジョジョジョジョウ x5

ヤマ ガタ ガタ ヨシ アキ アキ x4

[編集] 各界からのコメント

「可哀想ってレベルじゃねぇぞ!
最上義光 について、モノウ・ルッテレ・ベルジャネーゾ
「『俺の妹がこんなに可愛いわけがない 』だと?ふざけるな!」
義姫 について、最上義光
「政宗様の母君の兄上…知り合いの従兄弟の親戚の近所のジジイ…みたいなものか? ん、ああ、あのシスコンの可哀相な人か」
最上義光 について、片倉景綱
「哀れだな山形のキツネ親父、…でアンタの本名なんだっけ? あと二度と母上に怪文書を送りつけるな!」
最上義光 について、伊達政宗
「義をエッチな体にしたのは、おにいちゃんなんだからね!」
最上義光 について、義姫
「殿 、 自 重 し ろ 」
最上義光 について、氏家守棟
「胃に穴が開きそうです。勘弁してください」
最上義光 について、志村光安
「や ら な い か ?」
最上義光 について、延沢満延
「苗字のせいで危うく食されるところでした。」
最上義光 について、鮭延秀綱
「たまに人の意見を聞きません。困ったものです。」
最上義光 について、江口道連
「ああっ 最上さまっ!」
最上義光 について、山形城下の民
「あっー! 最上さまっ!」
最上義光 について、山形城下の一部の民
「この鮭うめー!」
最上義光 について、ぬこ
「なんというか不憫すぎて付け込まずにいられない。」
最上義光 について、徳川家康


この項目「最上義光」は、筆者が納豆汁を啜りながら夜なべして必死に書きましたが、山形県庁から「こだなこばがくせえねの書くんでねえ」と抗議が入りました。一緒に芋煮しながら義光公の偉大さを讃えてくれる方を急募しています。 (Portal:スタブ)
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