曹操
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曹操(そうそう Cáo Cāo、154年または155年 - 220年)は、中国の魏の太祖武帝。字は知る人ぞ知る孟徳(もとの字は「𠮷利」、幼名は阿瞞)。その一方、『三国志演義』という「作り話」では、(つかさ みさお:So-So、英語で「まあまあ」の意)と言った明初期の羅貫中(羅本)の電波によって、まるで悪人のようにまつりあげられてしまった大変かわいそうな人物である。ついでに言うなら独裁者とか思われてるらしいが、決してそんなこともなく結構議論好きとして知られる。同時に午年生まれの詩人でもある。
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[編集] 略要
宦官の曹騰の養孫で、夏侯氏出の曹嵩の子。兄の曹喬(曹安民の父、字は劉備と同じ「玄徳」または「元徳」…らしい)が早逝し、実質上の長兄となった。弟に曹彬、曹玉、曹徳(『後漢書』「宦者伝」では「曹疾」、字は「徳秋」とも、諡号は「海陽哀侯」)ら。(血のつながりがある)いとこは夏侯惇、夏侯淵、曹邵(曹真の父、「曹紹」と同人物?)ら。(曹騰の血族で血のつながりがない)いとこは曹洪、曹仁、曹純らである。
[編集] 曹操の実情
様々な文学作品において残虐超人に分類されている曹操であるが、それらの記述のほとんどは過剰な誇張表現が含まれている。
[編集] 作品中の曹操描写
- 『三国志』「魏書」武帝紀(正史・曹操の伝記)においては、儒学者を否定し、愚痴をこぼした孔子の末裔孔融を処刑している。
- 『曹瞞伝』(著者不明)においては、「治世においては能臣、乱世においては奸雄」と評されたとしている。
- 『後漢書』「許劭伝」(著者は范曄)においては、 「清平の世においては奸臣、乱世においては英雄」と評されたとしている。
- 『華陽国志』(蜀漢の郷土史、著者は常據)においては、曹操の築いた魏の勢力は三国のいずれの中でも抜き出でており、蜀や呉は常に脅えている状態となった。
- 『続漢書』(著者は司馬仲達の従孫の司馬彪)では袁術の姉婿である太尉楊彪を警戒し、その子の楊脩(袁術の甥)に対しても「勝手にわが子の子建(五男・曹植の字)を煽りおった!」としてこれを処刑している。
- 『漢末英雄記』(著者は王粲)では、洛陽の北都尉時代に、師の廬植に伴われて遊学した14歳の劉備と出会い、意気投合した。
- 『三国志裴註述』(廬弼が嫌いな林国賛の著作)執拗に漢の簒奪を勧めた功労者の荀彧を「四百年の歴史ある漢を反転させた大罪を犯した」と称して、これを楊州寿春県で自害させている。
- 『三国志辦疑序』(銭大昕の自著)では、曹操の元の字は「𠮷利」(欺瞞の意味)で、兄の曹喬(玄徳/元徳)が早世したので、長兄を指す「孟徳」に改名したという。
- 『三国志集解』(検証厨の盧弼の作品)では、「曹操孟徳」と呼ばれると激怒する。それはアントニオ猪木寛至やジャイアント馬場正平、ジャンボ鶴田友美と言っているようなものだからである(あくまでも「曹孟徳」である)!!
- 『魏略』(著者は魚豢)では、かつていとこの曹邵(曹真の父)が190年に豫州牧黄琬に殺害されたため、黄琬に恨みがあった。
- 『元本』(『大徳元本』、著者不詳、モンゴル王朝の元代の大徳年間に刊本した野史)では、212年夏に黄門侍郎黄奎(黄琬の子)は、息子の馬超の反乱で追い詰められた馬騰と組んで、曹操暗殺を企む。しかし、黄奎の妻の弟・何某の密告で、馬騰、黄奎一族らは5月に処刑された(曹操は亡きいとこ曹邵の仇を討ったのである)。
- 『蒼天航路』においては、黄巾党の乱の残党を引き入れ、それを軍事力として活用している。
- 『横山光輝三国志』においては、赤壁の戦いで劉備・孫権の指導者二人が曹操の野望を挫いたこととしている。
- 『三国志演義』においては、まるで世界征服を目指した大変欲深い人物のように描かれている。
- 『真・三国無双』においては、張遼に策を授けて合肥を守りきらせたとされている。また、織田信長と共に遠呂智と戦った人物である。
- 『爆笑三国志』では、人材コレクターマニアである。彼は他の群雄に仕える武将を欲しがる人物にされてる。
- (これらは全て自虐史観に基づく捏造で、実際の曹操像を大きく歪めてきたとされている)
[編集] 曹操の功績
- 実際の人物像は、「わしは周の文王となると」称して、後漢王朝の皇帝をよく助けた忠義の臣であった。
- 魏王朝による漢簒奪は、曹操の死後、嫡子曹丕(三男)が亡父に代わって行ったことであった。
- 黄巾の残党を兵役と農業の両者に従事される「屯田兵」の制度を取り入れて、同地域や蝦夷地(現在の北海道)の農業の復興を図った。これが兼業農家の始まりでもあり、後のDASH村などの基礎となった。
- 九品中正のもととなった諸制度をまとめ、役人雇用から儒者の天下りを根絶し、実力主義を大きく推し進めた。「キャリア」・「ノンキャリア」という言葉もこの頃生まれ、204年の流行語大賞にも選ばれた。
- 詩をいっぱいつくって現代日本の高校生とかが無駄に苦労する原因を増やした。
- それまであったお酒よりもアルコール度数の高い、新しい酒の作り方を考案したためアルコール中毒になる人を増やした。
- 『自分の名前を入れた本』(孟徳新書)を作ったが、山奥からきた面相の悪い人(張松)にセンスの悪さを指摘され、ぶち切れて燃やしてしまった(という出来の悪い作り話が『演義』に載っている。楊脩もからんでいる)。
- 現在に残っている孫子は彼が注釈を行った物であり(『魏武注孫子』)、風林火山 (NHK大河ドラマ)が放送されたのは彼のおかげと言っても過言ではない。
[編集] 曹操の功罪
- 後漢皇帝によく尽くしたものの、時折見せたツンデレ要素が問題視された。スキが高じて皇帝の弓をぶん盗っちゃったりするなどの事件もあってか、ジャイアニストのレッテルを貼られてしまい、素直に言えない分、なかなか理解されないままである。
- 先祖の御者は「LOVE漢王朝、LOVE劉邦」だったのに子孫が裏切りやがったので先祖ブチきれですよ。
- ちなみに屯田政策を進言したのは韓浩である。
- 大幅なグローバル化を打ち出す一方で、考簾や年功序列などといった旧態制度の全廃を断行したため、大幅なリストラと、それによる膨大な数の失業者を生み出し、魏王朝が団塊の世代から支持を得られない要因を形成してしまった。
- 三国が並ぶ状態を作ってしまい、住所が頻繁に変わる地域もあって、郵政業務に多大な支障をもたらしたことが推察されている。
- 最終的に、魏は西晋に滅ぼされている。要因のひとつとして、曹操がけしかけて登用した司馬懿が起こしたクーデターにあるとされている。つまりは曹操が蒔いた種なのである。
[編集] 曹操批判に関する反論
- 劉備や諸葛亮のいた蜀漢(季漢)が正当であるとする『三国志演義』は、朱子学者や月刊競馬誌サラブレなどといった血統主義者らによる正真正銘のあぶないオッサンの劉縯の直系(ただし、エロスだった劉勝の子孫というのは根拠のないウソである。陳の字の誤記か?)の正統論に基づくものである。しかし、疑似科学の一端に過ぎない血統論の正確性は非常に疑わしく、また、テイエムオペラオーやサンデーサイレンスの例に漏れず、血統が個々の馬の能力を絶対的な決定権はあり得ないのである。第一、嫡流に近い劉勝の系統は劉備の時代には、その存在は確認できない由緒正しい血統であって、雑種に近い劉縯系のノーザンダンサーなどを差し置いて、正統を称するのは井の中の蛙もいいところである。結論として、その存在は、とても正統性からほど遠いのである。
- 曹操の身長が低いということは事実であるが、少なくとも1hyde以上の高さはあったというから、大きな問題にはならない。むしろ、1hydeという単位系に問題があるとも言えよう。
- 儒学思想や東夷思想が広まり、その流れの中で曹操は悪人であるというイメージが中国人に定着したが、これが結局清末期の洋務運動の挫折など、実力主義を阻害し政治改革を停滞させ、中国が欧米の半植民地になるひとつの要因となった。
[編集] 三国志ウヨ(曹操信者)
曹操信者とは、秋葉系の亜種であり、中二病を乗り越え、昇華した存在であり、 三国志の真実に目覚め演義の呪縛を解放するため戦っている新時代の勇敢なる 歴史研究家(ニワカ歴史オタ)の事である(とされてきた)。
関羽、諸葛亮、趙雲、蜀、演義、羅貫中、横山光輝などの餌を仕掛けておけばすぐに引っかかるので、捕獲は簡単である。
名前の由来は、彼らがインターネットのあちらこちらに24時間無休でウヨウヨいる事から。 また、粘着質で正史正史言っている事から、正史厨とも呼ばれる。 ちなみに塚本青史中毒者の略称だと誤解される事があるが、それについては検閲により削除。 前述の通り「中二病が悪化したもの」とする疾病の一種という解釈も存在する。 そもそも中二病の「インテリ気取りたい症状」であり、曹操信者は中二病の症状の一つに過ぎないという仮説も存在する。
国内にも信長信者と呼ばれるお仲間がいるらしく、インターネット上で和やかに誉め合っている。 もっとも、曹操信者が戦国史を知ってるはずがないので、断片的知識で意思疎通を図ろうとすることが多い。 残念ながら、どちらも史学が不得手で、お粗末な漫画しか読んでいないので、自分の気持ちがうまく相手に伝わらない。 それでも、けなげに自分の想いを伝えようと日々奮闘している。まるで恋人だよね。
[編集] その他有名な台詞
- 啓介、啓介(鶏肋をしゃぶりながらふと鳳啓介を思い出し、嘆息したとされる)
- 君と余だ!(キミ豊田?!、もしくは君が代だ!説有り)
- げぇっ! 関羽!(赤壁の戦いの敗走中に関羽と遭遇し、思わず漏らした感動の再開の挨拶)
- 君は我が脂肪である(部下の荀彧を評した言葉。脂肪のようになくては困るが、あっても(いても)迷惑と言う意味)
[編集] 猫ひろしとの激闘
矮小であることを気にしていた曹操は自らがガチンコ勝負で勝てる相手に餓えていた時期もあった。東土に未知の拳法を使う矮小なる奇人あり。と聞き、早速招聘、勝負を申し込んだ。 猫ひろしも新型のTVゲーム用本体を報酬条件に提示し、これが飲まれると勝負を快諾。 ここに日中矮小対決が実現した。 しかし、猫ひろしは御得意の波動拳連発で早速、曹操を追い込んでしまう。飛び道具を持たない曹操は ザンギの如く固められてしまい開始早々、画面端へと追い込まれる。切羽詰った曹操は両手で剣を握り締めるや振りかぶって、猫を一刀両断にすべく波動拳の切れ間を狙って飛び上がった。しかし、これこそ猫の絶好の間合い、必殺の昇竜拳を根元からもらってしまい曹操は猛烈な勢いでぶっとんで虚空の彼方へと消え去った。地球の引力を振り切りそうになったところで、腰につけておいた命綱を虎痴が引っ張りたぐり寄せ、なんとか地球への帰還を果たした。空気を読まずに勝ってしまった猫は魏国の険悪な雰囲気もお構いナシに報酬を要求。しかし魏としては甚だ面白くない結果として終わってしまったため、中古の3DOリアルを贈呈。猫はそれでも「新型ゲットだにゃーーー!!」と喜色満面で、帰路に着いた。 このガチンコ対決は曹操に相当なマイナスイメージを与えるものであったため、当然史書には記録されることがなかった。史書とは権力者にとって都合の悪い事は書かないものである。
[編集] VSヘラクレスオオカブト
猫との対決に敗れてしまった曹操はすっかり対人間との戦いに臆病になってしまった。そこで自信を取り戻すべくリハビリ相手としても、最適なカブトムシ界最強のヘラクレスオオカブトのチャン君(♂5歳)を抜擢、はるばる未知の大陸から取り寄せ、早速銅雀台でのスペシャルエキシビジョンマッチを敢行した。 カブトムシなど、人間が踏みつければ即お終いと思われがちだが、矮小曹操は体にわずかでもヘリウムを取り込んだら、浮き上がって二度と大地に両足をつけることが不可能になってしまうほどに人間として小さい存在である、カブトムシと言えど油断はできない。 徐々に間合いをつめて行き、剣で突き刺して決めてしまおうとしたがチャン君はそれを素早く交わし懐に飛び込み、曹操の足に角をかけ転倒させる。曹操がもんどりうって腹ばいになりながら苦しんでる隙に素早く、腹の下に下の角を背に上の角をかけ、ガッチリとロック。そのまま曹操を遥か彼方の上空へと投げ飛ばしてしまった、曹操は成層圏近くまで飛ばされ、後は哀れ地に叩きつけられ一辺の肉塊と化すのみとなるところだったが、たまたま魏と書かれた大旗に包まれるように雪崩れおち、白目をむきながらも九死に一生を経た。この失態に大半の武将、文官があきれ果て魏を去ってしまうが一部の忠臣達がその脆さに萌えを覚え、逆に有能な臣下が残り、無能な余り者が淘汰されるという副産物も生んでいる。 この後、間もなく馬超の反乱が起こり、曹操の貧弱さに萌えを覚えた虎痴や曹洪達が懸命に曹操を守りぬいた話は有名であるが、やはりヘラクレスオオカブトとの決闘は曹操のマイナスイメージに繋がるため史書には記されてはいない、史書もとことんいい加減である。
[編集] だからネタだって言ってんだろ!
曹操の事になると、過剰なまでに擁護したくなるオタはネタサイトにおいても 異常に褒め称えてしまう。 不倫大好き、虐殺魔、強制移住と民には好かれない要素塗れな 強欲エロオヤジでもあるので、キワモノAV出演の素質も十分である。 レッドクリフではエロオヤジ満開だったため、涙目になってアンチ行動に走るオタも続出した。 確かにあの顔は絶倫な面構えにも見える。
[編集] 関連項目
- 三国志
- 曹邵(いとこ、曹真の父、旧姓:夏侯氏)
- 劉備
- 関羽
- 張文遠
- 張儁乂
- 秦宜禄
- 司馬仲達
- 織田信長(「今孟徳」呼ばわりされるほど、曹操と激似している)
- 足利義教(…というけれど、じつはこっちが曹操と物凄く似ているらしい)
- 小沢一郎(中国から曹操と激似していると褒め称えられる)
- 第六天魔王
だから、独裁者じゃねえっつってんだろ!
