暑い

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暑い(あつい)、暑さ(あつさ)とは、主に周囲の気温の上昇によって脳内に感じる一定の感覚の総称である。同訓異字として、熱い熱さ厚い厚さなどがある。

日本における使用例としては、主に夏季に唱える呪文という役割があり、唱え続けることで少しでも自分の知性を維持しようとする涙ぐましい努力の1つと認識されている。あわせて、聞かされる側はその分、知性が維持できなくなっていくが、これは仕方のない話である。

概要[編集]

ときには最高気温が56℃になることがある

日本、一般的には7月初旬~8月中盤における気温は一般的に摂氏30度以上が常識となっており、そのような状況の中で人間の体内、および精神に1つの共通的な感覚として存在するのが「暑い」である。無論、世界各地では様々な気候が存在しており、熱帯や砂漠地方では摂氏40度や50度が当たり前の世界も存在している。

しかし、そのような地域と日本の暑さの明確な違いが存在しており、日本の夏の「湿度」のろくでもなさは、多くの熱帯地域の外国人も音を上げるほどである(右の画像を参照)。そのため、文明の利器として「クーラー」はもはや三種の神器の1つと認定されており、それに勝るとも劣らない「扇風機」や「団扇」、「打ち水」、「すだれ」、「風鈴」、「プール」、「氷菓子(代表的なものはアイスクリームかき氷)」などが人間の脳に存在する暑いを、たとえ一瞬でも打ち消すために存在し、かつ、日本の文化の中に深く刻み込まれている。

ちなみに、水風呂最終兵器である。それ故、使い方を誤ると逆に自身の生命に悪影響を及ぼす恐れがある。

「暑い」の持つ危険な兆候[編集]

人間にとって、様々なモラルや道徳といったものが脳内における知性という枠組みで作用していることは明確な事実である。しかし、「暑い」はその知性を急激に衰退させ、人間の持つ感情、感性、感覚の全てを暴走させる効果を持つ。そのため、どこぞのフランス人が太陽のせいで人を殺したり、40度を越えた状況でも普通に畑仕事を続けることができると思い込んだり、教え子に水を与えないほうが実力が向上するといった幻想を多くの人間に与える。中でも、自家用車を人間蒸し焼き機に改造して子供達を調理し始める親の存在は、他の要因ですでになにかが狂っていたのに加え、暑さがダメを押す形で彼らの知性を無にしてしまった典型例である。

「暑い」からバカになる[編集]

逆に、普段から感性で生きている人間にとっては、夏であろうがなんであろうが知性で引き止めるられるような状況ではすでにないため、暑かろうが何だろうが、特に気にすることもなく高温多湿の世界へ飛び出していく。の当たり前の光景である。そして、知性を構築している最中の子供にいたっては、それはもはやいかんともしがたい常識である。むしろ、こういった時期に感性を磨かずに勉強やニンテンドーDSゲームアニメといった方向へ邁進するのも、基本、空気読めなくなる遠因になる。

「暑い」から殺したくなる[編集]

「暑い」は、何もかも溶かす。

知性の歯止めが効かなくなる段階で、もっとも危険なのは人との話し合いの最中に知性がぶっ飛ぶと、その後の人間関係においてとても大きな影響を及ぼしかねない。特に、意見の摺り寄せや金額の交渉、異文化コミュニケーションといった繊細な話を「暑い」最中に行おうとすると、えてして悲惨な結果が待っている。まぁ、大体はその前の段階で、両者で涼を求めたり、一服したり、窓を開けたりといったある程度経験則に基づいた行動に移るのが一般的だが、往々にしてネット社会では、片方が蒸し風呂、片方が極寒の冷房といったシチュエーションが違いすぎる光景の中で丁々発止がやり取りされるため、途端にシャレにならない人格の否定や存在の否定、さらには妄想暴走狂気に陥っての自己否定といった、シャレにならないけれども、大変によくありすぎる光景が繰り返されることになる。

そもそも、日本語の冷静という単語に「」という字が入っている時点で、いかに日本の歴史において「暑さ」が人間の精神のタガを外しまくったかを端的に表している。

「暑い」への対処法[編集]

諦める

とりあえず、暑くなるのは当たり前である。地球が公転している以上、文句は言えない。そのため、暑くなったらどうするかを考えて行動するようにしないと、知性的ではない。少なくとも、感情に突き動かされて海にプールにひゃっほーいと叫びながら突撃するのが目に見える。

もっとも、それで日本経済が回っていることについては否定しない。

しかし、少なくとも知性が働く段階で、海パンがどこにあるか、列車時刻表の確認、全員のスケジュールの調整、そもそも行く必要があるかどうかなどの準備が必要になる。

「暑い」の恐ろしさ[編集]

なお、この文章を書き始めて約1時間。冷房のスイッチを切って数十分。現在、この文章をどうして書いているか、どのようにまとめるか、どうやって一定の面白さを維持させるかなどの様々な調整がまるで出来なくなっている。そして、指先だけが延々と意味なく動いている。文章のリズムは感性の表れであるため、ある程度は読みやすい文章になっていることは確定だけれども、いかんせん、その先にある目的地がまったく見えなくなっている。そもそも、上記の項目は書く意義があったんだろうか。そして、いかに短時間で「暑い」が人間の精神に影響を及ぼすかという実験を、わざわざ文章で表す必要があったのだろうか。そして、この文章が果たして面白いものだろうか。まったく分からない。しかし、指は延々とリズムを刻みながら文章を画面に落としていく。これが「寒い」だとまた違った結果を生み出すのだろうけれど、いかんせん「暑い」である。いかんせん「暑い」である。もはや最後の知性のタガがぶっ飛ぶ前にこの記事を終了せねばならない。やばい。まずい。しゃれにならない。

結論[編集]

このように、急激な気温の上昇で脳内の妄想の歯止めがかからなくなるのが「暑い」の怖いところである。なお、上記の文章を書く際に、どこの部分で冷房を切ったか分かるようになれば、今後、数多くの文章やマンガ、ゲームなどを楽しむ際に、気温腹具合、さらには編集者との人間関係などがおのずと分かるようになっていく。

あわせて、この結論の項目は冷房が効いている段階で書いているものである。

関連項目[編集]