出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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(ひま)とは、この世にモノを生み出すことの根源となる物。ヒマラヤがルーツと言われている。ちなみにアンサイクロペディアは暇によって生み出されたものの代表格である。

概要[編集]

この記事が執筆される2日前、一度「暇」という記事が日本版アンサイクロペディアに投下された。内容は

暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇…

ゲシュタルト崩壊を起こすような「暇」という文字の羅列。この記事の筆者は再帰ニヒリズムなどと同様に「暇」の核心を良く突いた自己言及的なページだと感心したが、あえなく「db」を貼られ、荒らしもしくはいたずらという理由で削除されてしまった。その削除された記事を投稿した執筆者はどのような思いで「暇」という文字を打ち続けたのだろうか。その時の彼(もしくは彼女)を脳内メーカーで見てみると、恐らく削除された記事と同じように「暇」という文字が所狭しと並んでいたはずだ。

記事を作成した時、紛れもなくその彼(もしくは彼女)は心の底から、体中で暇を感じていたのだろう。何もすることがなく、時計の針だけが進んでいく。この上なく「生」に対する「無駄」を感じるそんな「暇」だ。何故彼(もしくは彼女)はそれほどまでに暇であったのだろうか。その日、会社が休みだった、受験が終わってすることが無くなった、そもそもNEETだった、などと幾らでも暇であった理由は考えられる。とにかく彼(もしくは彼女)は暇だったのだ。

では何故、暇だったからと言ってこのような記事をこのような場所に投稿したのだろうか。それは人間は暇だと何かをしたくなるからである。忙しい時はどこまでも暇を求めるが、いざ暇になると何かをしたくなる、小悪魔もびっくりな人間の天邪鬼性質。困ったことではあるが、それが人間の物を生み出す根源となる物なのである。削除された「暇」の執筆者はあまりにも暇であったため「暇」という文字を打ち続けて「暇」という記事を世に送り出した。かの有名なダヴィンチも、何年も暇だったから数々の絵画を生み出し、世阿弥もあまりに暇過ぎて体を動かしているといつの間にか能を始めてしまった。どんなにすごい歌も、どれほど華麗な技でも、突き詰めれば暇だったからできたものである。現にこの記事の執筆者も暇であるためにこの記事を執筆しており、この記事を見ているあなたも暇であるからこの記事を見ているのだ。「暇」は主観的に好まれ客観的に嫌われるものであるが、そもそもこの世を飾っているのは全て暇の産物である。人々は暇が生み出したものを見て喜び、聴いて泣き、触れて感動する。暇が無くては世の中はモノクロだ。

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忙しなく働く人たちにとっては暇人は忌々しい存在でしかないが、もしかするとその暇人たちが暇過ぎて何かを生み出し、世界を変えるかもしれない。だから家に帰って、息子が暇そうに自室に籠って画面の前から動かなくても叱らないで欲しいのである。そのうち彼はその暇から何かを完成させるはずだから。たぶん。

関連項目[編集]

Wikipedia
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