普通人

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普通人(ふつうじん)は、の一種。主に裁判所に勤務する。

概要[編集]

裁判所がたびたび「ある」、または「いる」と主張してやまない社会通念と同じく、度々判決文に登場するが、いまだ「普通である」以外の詳細は不明な人間である。チャタレー裁判で最高裁判所が出した「わいせつ」の定義の一部『普通人の正常な性的羞恥心を害し・・・』で、彼の存在が世に知らしめられたとされるが、このわいせつの定義が、D判定を貰うこと必至の卒論レベルの具体性しか持っていないため、彼の存在を確かめるすべが今のところないとされる。しかしながら、この普通人はその登場から50年たって起きた松文館裁判の判決文にも、まったく当時と寸分の狂いも無く同じ格好で登場した。そのため、「どう考えても普通ではない」という批判が起きたが、そこのところはどうやら最高裁判所は都合よく見えないらしく、あくまで「普通人」の存在を主張するだけで、トートロジー的展開すら見せないところを見ると、裁判所はその存在は自明であるとしている、という構えであるようだ。

だが、人物の詳細は不明である。

凡人との関係性[編集]

同じような言葉に凡人があるが、複数の点で普通人とは異なるとされる。まず字づらが違う。「人」の一字しか共有してない。これで一緒のものだとか言えるだろうか、いや言えない。次に、出現する頻度が違う。普通人は、普通の生活には普通は出てこないが、凡人はそこのところ、やたら出てくる。すれ違うが、ホンダであるくらい普遍的である。一方、普通人は、痛車仕様のマイバッハを見るくらい滅多にでてこない。

最後に、意味が違う。凡人とは「普通の人」を指し、普通人は「一般の人」を意味する。

一般人との関係性[編集]

一般人と普通人の性質的な違いは、ぶっちゃけ無い三咲里奈伊藤静の関係と同じである。マナカナの関係とは違うので、注意されたい。

さて、前者は、頻繁に判決文に登場するだけでなく、会話、メディア等々にも登場する人気の高さを持っている。一方、普通人はまず普通の会話には登場しない。判決文にたまに出てくるくらいである。その点、つまり彼(または彼ら、彼女、彼女ら、ボク、ボクら、君、君ら)は、一部の裁判官が溺愛している点で、一般人の一般性と異なる。そして「その『一般人』と異なること」が、彼(または彼ら、彼女、彼女ら、ボク、ボクら、君、君ら)の自己存在証明のひとつだとされる。一般人という言葉が、バカでも理解できる容易な言葉で、若干の小難しさに美学を感じてならない裁判官は、あえて本当は性質的に同義でありながら、普通人を登用するのである。このことは、裁判官の業界紙「KANKAN」で「社会一般に解釈の余地が十分に残されながらも、一般的でない語彙選択による自分らしさの演出」の特集が組まれた点でも伺える。

でも結局、人物の詳細は不明である。

関連項目[編集]